ICAN(www.ican.or.jp) まにらブログ

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愛する祖国・・・

ゆきよ@まにら

 月曜日朝7時半までに上の子を小学校まで送っていってそのまま出勤する。途中ケソン市役所の中を横切っていくことになるのだが、雨が降らない限り月曜日はいつも市役所職員の朝礼が外で行われている。生の吹奏楽団が国歌を演奏しはじめると、国旗掲揚だ。外部の通行者たちも立ち止まって、胸に手を置き、国旗に向かい国歌を歌う。ひとりてくてく歩くのもはばかられて、私も立ち止まり国旗を見上げ国歌に耳を傾ける。

 「愛する祖国よ。東洋の真珠。・・・国のためなら喜んで命をささげよう。」情熱的な愛国の歌。そう、フィリピンの人々はこの国、この土地を愛している。でも同時にあきらめているような自嘲的な言動もよく見られる。続いている頭脳流出。よりよい稼ぎを求めて、力ある人材がこの国を出る。そもそもフィリピンの人々には「国」という枠の概念自体が確固たるものではないのかもしれない。
フィリピンという国ができたのは、スペインによって「発見」されて、このひとかたまりの諸島がひとつにくくられたからにすぎない。マジョリティはいつもマイノリティを定義し、マイノリティはマジョリティの枠組みの中に存在させられる。「発見」される以前から、この土地の人々はここに存在していたにもかかわらず。スペインの国王「フェリペ」の名前をとってフィリピンと名づけられたにすぎないこの島々は、今でも国の枠組みに違和感を覚え自治を求めるグループも存在する。ミンダナオの内紛の原因はもとをたどればそこに行き着く。「国」が徹底していない国。フィリピン語も山奥の先住民族の村では通じない。国家は「統治」しようと権力をふるう。一方グローバル化の波に乗って、人々は世界各地に流れていく。「国」に囚われない自由な人々。でも世界のどこにいっても「フィリピンという国」の出身者として、あくまで彼らはマイノリティだ。在日フィリピン人も、日本社会で見えてこない。偏ったイメージの「フィリピンジン」。マジョリティから見た彼らの声は小さい。聞かれない。

 海外で働くフィリピン人からの本国への送金は、闇ルートも合わせれば年間220億ドルにものぼるといわれる。マイノリティながらもなんとか稼いだ収入を、彼らはせっせとフィリピンに送りつづける。それは愛する国のためにというよりは、愛する家族のためにまた今月も送るのだ。

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確かにフィリピンの人たちは日本人と比較すると国にこだわらないところがあるかもしれないですね。でも世界は一つと考えたらある意味日本もフィリピンも同じ国のようなものと捉えてみるというというのもよいかなって思います。日本、フィリピンの住み分けなく同じ世界に住む人としてICAN人たちやパヤタスの人達が互いに協力しあう関係になったら、国家も次第に変わっていくかもしれないですよね。時間はかかるかもしれませんが、そうなってくれるとよいと思います。 削除

2006/8/4(金) 午後 9:54 [ Aki ] 返信する

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フィリピンのことについて勉強したくても、いそがしく、なかなか、ゆっくりフィリピンのことについて考える余裕がありませんでした。”フィリピン人”という見方。難しいですね。いまだ、偏見という感覚が残っているのかもしれません。もっと、たくさんの人たちのことを見て、考えていきたい。勉強していきたい。 削除

2006/8/4(金) 午後 11:58 [ かずひろ ] 返信する

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