ICAN(www.ican.or.jp) まにらブログ

人々の「ために」ではなく、人々と「ともに」。 人々と「ともに」悩み、「ともに」成長していく開発NGO、アイキャンのまにら事務所

全体表示

[ リスト ]

しょう@まにら

8月15日。

今から61年前、「戦争」が終わった。僕は「戦争」を知らないし、ICANのスタッフも誰一人として本当の「戦争」を知らない。さまざまな策略や、駆け引きがある中で、多くの人が国の命令に従い戦場に出た。そして多くの人が人を殺し、それと同時に命を落とした。

8月になると、終戦記念日を控えた日本では「平和」と名の付く特集や、テレビ番組が多くなり、それにつられるかのように日本の人々は、「平和」について考え、「平和」を願う。『「戦争」のない「平和」な世界になりますように』と。

しかしフィリピンにいると、「平和」とはなんだろうと考えてしまう。パヤタスのような場所で暮らす人、路上で暮らす子ども、教育を受けることが困難な少数民族や、紛争に巻き込まれている子どもたち、そして、最低限の権利すら与えられていない人たちが多くいる。このような人はフィリピンだけでなく、世界中にいる。このような人たちがいる限り、いくら「戦争」がなくなっても、「平和」とは言えないのではないか。

「戦争」が「平和」を脅かす大きい要因であることは間違いない。多くの人は「戦争」など望んでいない。ただ、日本(だけではないが)の「平和」とは、「戦争」がないこと。それ以外のことは「平和」の対象になっていないかのような、そんな気がする。

「戦争」以外にも、世界の人の「平和」を脅かすものがたくさんある。それと僕たちは戦わなくてはならない。それは自分との戦いでもある。


*昨年の終戦記念日に関する記事はこちら:http://blogs.yahoo.co.jp/icanmanilaoffice/9312452.html

この記事に

閉じる コメント(5)

顔アイコン

多くの人は戦争など望んでいない。しかし、少数であれ望んでいるものがることも事実だと思う。そして、その人は戦場とはかけ離れているところに住んでいるのだと想像する。家族や友人が死んでいく悲しみも知らない遠いところに。さだ@まにら

2006/8/15(火) 午後 11:03 ica*man*lao*f*ce 返信する

顔アイコン

日本では「平凡なあたりまえの幸せ」を平和と結び付けて語っているように思いますが、しかし、戦争がなくてもそこで言われるような「幸せ」な物理的豊穣の生活状況が決してあたりまえではないのが世界の「あたりまえ」であることが忘れられている。そしてその世界の「あたりまえ」と日本の「あたりまえ」がねじれてつながっている重たい現実など指摘する方が野暮であるかのような空気すらあるのです。 削除

2006/8/16(水) 午後 4:13 [ Sammy ] 返信する

顔アイコン

(続き) 「善良」な声の多くもnaive(ナイーブ―日本語の間違った意味でなく英語の正しい方の意味で)つまりよく言えば「素朴な善良さ」悪く言えばまるで成熟の意思のない「純粋さへの自己満足」に憩っているように見えてなりません。 削除

2006/8/16(水) 午後 4:14 [ Sammy ] 返信する

顔アイコン

(最後に) 教鞭をとる者としては、こういう「自由」なのに何かに「閉じ込められた」かのような状況の中で、どうそれを乗り越える解放された捉え方、試行錯誤の仕方(失敗を恐れない大胆さ、そして失敗者をヒステリックに責め失格者の烙印を押して葬ろうとしないゆとり)、行動力に向かってもらうか、そこに大きな課題を感じています。 削除

2006/8/16(水) 午後 4:15 [ Sammy ] 返信する

顔アイコン

世界の「あたりまえ」と日本の「あたりまえ」がねじれてつながっている重たい現実を、実際目の前にしながらも、なかなかそれらがつながっているという感覚を共有できない。マニラで訪問者を受け入れるとき、もどかしい思いがすることがあります。ゆきよ@まにら

2006/8/17(木) 午後 6:40 ica*man*lao*f*ce 返信する

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

.


みんなの更新記事