ICAN(www.ican.or.jp) まにらブログ

人々の「ために」ではなく、人々と「ともに」。 人々と「ともに」悩み、「ともに」成長していく開発NGO、アイキャンのまにら事務所

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異文化での線引き

ゆき@マニラです。
さだくんとnojukushaさんが言われていた「線引き」について。
先日、ジェネラルサントスの里子のお父さんが2週間ずっと病気だという知らせを受けました。薬を買うお金がなくて困ったお母さんが、ICANのジェンサン事務所を訪ねたのです。日頃子どもの就学を支援してくれているICANなら、もしかしたら父親の薬代も少しでも助けてくれるかもしれない、と考えたのでしょうか。手をさし伸ばせば、答えてもらえるかもしれないと、不確かな望みを抱いて、お母さんは事務所までやってきたのでしょう。

ICANとしては里子の支援事業はあくまで子どもの教育が目的なので、里子の家族のための予算はありません。さし伸ばされた手に答えたいのはやまやまですが、これに答えていては、お金が本来の目的のために使われなくなる恐れまで出てきます。線引きをして基準に満たさないものを切る必要があります。ICANは里子の家族への支援まではできない、と基本線を決定しなければなりません。

この私の決定によって、万が一お父さんが死んでも私は後悔しないだろうか。そんな不安がふっとよぎります。日本と違って健康保険なんて一般に行き渡っていないのですから、適切な治療法がそこにあっても、高額なためにそこにアクセスできない、それで死んでしまうのも、全然大げさな話ではありません。
それでも線引きをするのが、私たちの仕事です。期待を裏切ることが仕事の一部です。ICANはある程度までしか期待できない、逆にICANからも自分は期待されている、というように考えてもらいたい。

「里子の家族までは支援できない」という線引きは、日本文化の脈絡では至極当然なことと納得されると思います。しかし、ジェンサンではどうだったか。私は助けを求めに来たお母さんも、ジェンサンスタッフも、完全には納得できなかったのではないかと思っています。
この間、異文化ワークショップのファシリテイターをしている友人と会った時、「個」の概念は文化によって違うという話が出ました。「個」を卵でたとえると、フィリピン人の個はいくつかの目玉焼きをまとめて作ったときのようだ、とのこと。黄身は人の数だけ一応あるのだけど、白身のところがとなりの卵とつながっていて、境界線がない。確かに、フィリピン人は一般的に(もちろん個人差や例外もありますが)家族というひとつの白身の中に、個が溶け出してるという気がします。自分のことは家族のこと、家族のことは自分のこと。家族のひとりである子どものための支援金が、同じ家族のひとりであるお父さんのために使われるのは、なんら違和感がないわけです。

一方、アメリカ人やカナダ人の個は、硬ゆで卵なんだそう。個がひとりひとりはっきりと分かれている。日本人はどうなんでしょう。この二つの中間くらいかなと話をしました。
国を超えて活動するときに、また「線引き」をしていくときに、感じないように心を凍らせないといけないときもあれば、文化の違いの間でゆれることも多い。違いを知っていながら、こちらが譲れない時もあるし、こちらが歩み寄ることもある。
どうして今回こんな「線引き」になったのか、今度、ジェンサンでスタッフとゆっくり話をしたいと思います。

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閉じる コメント(18)

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はじめまして。さだの友達の九州男児です。 NGOの説明責任とも重なってくる問題だと思いますが、 その前に現地の方々に力以上のものを期待させてしまっていたとしたら・・・。僕は、NGOの仕事がどんなものなのかは知りせんが、期待を裏切ること、それは仕事なんでしょうかね。。。この点が、ひっかかりました。答えは出ないと思いますが、の人間が援助に来て、線引きする事が、 果たして良いことなのか。僕も考えてみたいと思います。ではでは。 削除

2005/7/26(火) 午後 9:02 [ しゃくしゃく ] 返信する

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すいません。上のコメントで、・・・の人間が援助・・ の部分は「外の人間・・」です。ごめんなさい。。。 さだ、ゆきさん頑張ってくださいね。ではではー。 削除

2005/7/26(火) 午後 9:06 [ しゃくしゃく ] 返信する

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ゆきサン、Terryです8年間、役人生活も送っていたので、線引きには麻痺している者です。村井吉敬上智大教授のもとにも、毎年インドネシアから同種の手紙が届くそうです。彼の場合は、取材先の家庭の子息からです。しばらく逡巡した後に、送金する場合が多いと雑誌で述べていました。オリビア・ハッシーが、マザー・テレサ役の映画を撮っているそうです。使い道を限定しないプール予算、理屈ではあり得ますが、運用が難しいでしょうね。ああ、もう一度、サンイシロ村に行きたいです。彼等から、叡智を学ぶために。

2005/7/26(火) 午後 10:23 [ Terry ] 返信する

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ぼくらはいろんなものを諦め、自分の生きる中で最も良い方法を模索する。自分の身も、時間も、資金も、能力も、そして心も有限だ。その一方で、自分の問題とすべきことは、日本でもフィリピンでも他の何処の国でも多い。自分では、路上で暮らす隣人にも手を差し伸べられず、学校でいじめに悩む子ども達にも手を差し伸べられず、路上でサンパギータを売る子ども達にも手を差し伸べられない。ささやかな自分。それでも、より良い社会を、より良いコミュニティ作りを、より良い自分を求めて進むしかない。 削除

2005/7/26(火) 午後 11:27 [ nari ] 返信する

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>しゃくしゃく お久しぶり。元気そうでなにより。「外の人間が援助に来て線引きをすること」がいいことか悪いことか。僕はいいとか悪いとかの問題ではなく、nariさんがおっしゃるように「限られた身、時間、資金、能力も、そして心も有限」の中で活動していくしかないという現実が線引きせざる終えない状況に追い込むのだと思う。「外部援助者」はドラえもんのように何でもポケットからのび太君の必要なものを出すことはできない

2005/7/27(水) 午前 4:48 ica*man*lao*f*ce 返信する

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。「援助」(←僕の好きではない言葉の1つ)という言葉を使用するから何か特別のような感じがするが、やはり人間と人間の関係なのだ。だから僕がしゃくしゃくが困っている時に手伝ってあげることはできても、しゃくしゃくが病気になった時に仕事をほってでも駆けつけるように、ある程度までは助けてあげることはできても、自分の命を失ってまで、自分の全財産を失っても助けるかとなれば考える。そして、これはしゃくしゃくから僕をみたときも同じだと思う。

2005/7/27(水) 午前 4:52 ica*man*lao*f*ce 返信する

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TERRYさんの例のように、村井教授に余裕があれば助けてあげればよい。しかし、ICANを含めたNGOは本当に驚くべき限られた予算で活動している。そういうことをコミュニティの住民も知るべきだし、変な期待をさせてはならないと思う。そして期待をさせてしまったら、「裏切ること」になるがそれも本当に適切な人々に、最良の方法で限られた資源を使用していくためにしかたのないことだと思う。

2005/7/27(水) 午前 4:57 ica*man*lao*f*ce 返信する

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もし地域開発のようにオーガナイザーが本当に一人でコミュニティに入っていって組織化を行うのならば住民の期待も最小限に抑えられるだろうけど、NGOという組織が動く限り「期待」はつき物だと思う。悲しいけど。最後に、では誰がそれらの「期待」に答えるべきなのか。それは国民に最良の福祉を提供する義務を持つ「政府」の仕事であると僕は思う。さだ@まにら

2005/7/27(水) 午前 5:02 ica*man*lao*f*ce 返信する

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ごめんなさい、表現不足で。村井さんは、研究家で、自分を成立させて頂いた取材先の家族だから、断れないのです。マザー・テレサを例にしたのは、カソリックの集金力は途方もないという思いつきです。 グローバリズムに翻弄され、金で選挙が決まる国に暮らす方々の、医師にかかる生活費のない市民が駆け込む寺(教会)も無いのですね。 米国では、健康保険が民営化され、全ての病気はカバーできないようになってきています。最悪の場合、盲腸の手術で250万円かかるとか。最も豊かに見える米国も病んでいます。

2005/7/27(水) 午前 9:31 [ Terry ] 返信する

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何が正しいのかとっても難しいと思います。 お金を渡すだけは何か違う気もするし でもそれで誰かの命がなくなるかもしれないことも事実で・・・ 削除

2005/7/27(水) 午後 1:13 [ めぐ ] 返信する

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とても共感しながら読みました。「線引き=過度な期待を抱かせず、できる限り対等な人間関係を作ること」、「時にはあえて心を鬼にすること」は、NGO活動でどうしても必要になってきます。文化の違いはどちらが100%正しいわけでもないので、その時に応じて「第三の道」を模索していくしかないのかな。実に骨が折れる作業ですけど。それから抑えた感情はどこかで捌け口を求めるもの。ずっと溜め込んでると心身にツケが来ますよね。以前も書きましたが「NGOスタッフの心理ケア」がもっと必要ではと感じます。 削除

2005/7/28(木) 午後 8:45 [ リサ ] 返信する

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さだ@まにらさんのお言葉は、私の胸にひっかかってうまく吐き出せないものを、実にうまく表していただいています。まったく、おっしゃる通りです。無限に近い力を持った「国家」のような大きな組織が動かず、ちっぽけな民間団体が動くことで生ずる様々な矛盾を、ごく少数の個人が背負い込んで苦しんでいます。どうか批判ではなく、暖かなコメントをお願いしたいです。きっとつぶれそうに苦しみながら、海外で必死にがんばっていらっしゃるはずですから。

2005/7/28(木) 午後 9:47 [ いまさん ] 返信する

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「援助」全般に言えることですが、もしかしたら「目的を立てて達成する」という考え方自体、とても西洋的な概念なのかもしれませんね。対象者の文化を尊重しながらエンパワーするには、もっと他のやり方もあるのかも。でも現実には、限られた資源の中でやっていくしかないわけで…。NGOにはプロジェクトマネジメントが大切だと思いつつ、一方でそうした根本的な問いかけも忘れないでいたいです。さださん、ゆきさん、燃え尽きないようにぼちぼちやってってくださいね。 削除

2005/7/29(金) 午前 2:51 [ リサ ] 返信する

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さだの「人間と人間の関係なのだ」という言葉に、すごく肯きました。僕の場合は、プロジェクトの結果を成功させたんだけども、コミュニティでの人間・信頼関係作りには現地のポリティクス、そして自分の力の無さにより上手くいかないまま、タイムアップし日本に帰国しました。 削除

2005/7/30(土) 午後 7:34 [ しゃくしゃく ] 返信する

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NGOの資金は金額が有限なだけでなく、使用目的もかなり制限されてしまいますよね。。。里親事業の場合は特に。今日も臨時総会で、制服支給が隔年になったことについて疑問を投げかけられた里親の方がみえました。ゆきさんが資料に書いてくださったように、1対1の援助から里子のグループを中心にしたコミュニティ支援に変わり、里子の幸せを家族やコミュニティを基盤にして考えていけるようになるとよいですね。

2005/7/30(土) 午後 11:43 [ p4p*p4 ] 返信する

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私がフィリピンで一番変わったのは、病気や死に対する考え方です。日本人の私達よりもフィリピンの人達は自分達の限界の中で病気や死をしっかり受け止めているように感じました。お金がないために病気を治せず亡くなってしまう人が数多くいる中、「神様の思し召し。きっと今頃神様の下で幸せだ」と自分達の限界を受け入れていたように思います。そうせざるを得ない状況事態はよくないことですが、今回の線引きを恨むようなフィリピンの人たちは少ないと思います。こんなコメントがゆきさんの心の痛みを和らげられるとは思いませんが…

2005/7/31(日) 午前 0:11 [ p4p*p4 ] 返信する

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そういう現状に胸を痛め過ぎるといつか気持ちがつぶれてしまうのでは、と、心配になってつい書いてしまったのですが、フィリピンの方たちが恨むかどうかが問題ではないですよね。。。余分なことを書いてしまったと後悔です。自分の心の中でどう折り合いをつけるのか。イロイロ市の路上で物乞いをしている多くの人々の前をペソを握り締めて歩いた日々を思い出しました。あげたり、あげなかったり。。。。悩み続け、結局折り合いの付かないままでした。

2005/7/31(日) 午後 1:15 [ p4p*p4 ] 返信する

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皆様の暖かいコメントに感謝します。様々な批判やアドバイスも本当にありがたいです。私たちの迷いや痛みは、実際もっと厳しいところで生きている人々からしたら、ヘのようなものでしょう。彼等のたくましさから私たちも力をたくさんもらって、前に進んでいきます。 削除

2005/8/3(水) 午後 2:05 [ yuki ] 返信する

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