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暴力と非暴力

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さだ@まにら

今年も8月15日が終わった。あれから60年。

それなのに、僕達のおじいさんの世代やパヤタスの若者や子どものように生まれ育ってきた環境に阻害され、自己を実現できないでいる人たちがまだ沢山いる。(そして発展したといわれている日本にも、数え切れないほどの人がいる。)

平和学はこれを同じ暴力だと捉える。戦争のような直接的な暴力、そしてフィリピンで僕達が毎日目の当たりにする構造的な暴力。

暴力を振るわれている人がいるならば、暴力を振るっているものがいる。暴力を振るわれているものは犠牲者だけれども、暴力を振るってしか生きていけない加害者も同じように犠牲者だと思う。

例えば、戦争中のおじいさんは加害者であり、その暴力でしか生きることができなかった(戦争中は彼には選択がなかった。)という点でシステムの犠牲者であった。僕達の生活も同じだと思う。フィリピンで住む人たちの犠牲の上にしか成り立たない生活を謳歌している日本人は加害者であり、同時にそんなシステムから抜け出ることができない犠牲者なんだと思う。

「日常生活において暴力が意識されないとしても、相手を物理的に傷つかないだけで、よく多くの暴力が含まれているのが実情であり、そのような日々の生活を送ることを余技なくさせている体制そのものを肯定する自体が非暴力の教えに反しているのだ。」(ガンディ『ハリジャン』1939年9月25日)

犠牲者も加害者も作り出さない社会。暴力のない社会。それは加害者が被害者と共に、手をつなぎ歩むことによってのみ作り出されるシステム。加害者、被害者共に痛みを乗り越える過程。

すべては自分が他人の犠牲の上で生きていくことのない社会のために。

すべては「私」と「あなた」の間に生じる「力(権力)」を最小限にするために。

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さださん、トラックバック、ありがとう! まったく本当に共感です。その通り。 私と彼らの間にはいったい何があってこうなるんだろう、そんな素朴な疑問が、CFFの活動につながりました。 いっぺんにたくさんはできないし、私の切り口はまず教育とか子どもだけど、わかりやすい直接的な暴力はもちろん、構造的な暴力にも敏感であり考え挑める自分でいたいと思います。 かみしめるように読ませていただきました。 削除

2005/8/16(火) 午後 8:51 [ ようかん ] 返信する

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さださん、読むたびに目が覚まされる思いがします。若い頃はガンジーが大好きでよく読んだはずなのに、他の記憶同様きれいさっぱり忘れ去っていました。本当にその通りですね。

2005/8/19(金) 午前 0:31 [ いまさん ] 返信する

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>ようかんさん、nojikushaさん。コメントありがとうございます。学生時代日本で手に入るガンジーの本はほとんど目を通しました。今でも、僕の考え方の柱になっている方です。他の日のブログにもガンディの文章を引用しています。またお時間があるときにでも、読んでみてください。 http://blogs.yahoo.co.jp/icanmanilaoffice/2421159.html

2005/8/19(金) 午前 2:56 ica*man*lao*f*ce 返信する

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さださん、ありがとうございます。5月の記事には、朝から感動してしまいました。感動を他の人々にも伝えたくて、転載させていただきました。

2005/8/20(土) 午前 7:58 [ いまさん ] 返信する

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