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人というものは、自分で自分を責めることが出来るのだから、妙なものさ。 人は、自分を改善することの大切さを知っている。 それを考えると僕という奴は、どうしてこうまでしつこく想像力を働かせて過去の不幸に囚われてしまうのかと嫌になっちまう。 運命が僕たちに課する、ちょっとした不幸をこれまでみたいにもう背負わないようにしよう。現在を現在として味わおう。 過去は過去さ。虚心に現在を生きてゆく。 そうしたら、今よりずっと苦痛が少なくて済むのだけどね。 僕は、華族だった。 養父はずっと過去に向かって生きていたような気がする。 もっとも、みなしごの僕が引き取られたときには、華族制度は廃止されていたのだけれど、ここで僕は本当の贅沢とは、こういう暮らしのことを言うのだと知った。 贅沢で煌びやかな生活ではあったけど、養父が笑った顔を僕は一度も見たことがない。 大金持ちという者は、僕なんかとは別人種だった。 彼らは幼いときから物を所有して生活を楽しんでいる。 それが彼らに何らかの影響を与えない訳がなくて、普通の人たちならば厳しい態度に出る場合に彼らは優しく出ることもあれば、普通の人が真面目に信頼するものの価値を彼らは疑問視してせせら笑うことにもなる。 その辺の消息は、金持ちに生まれついた者でなければ、とても理解できないだろう。 彼らは心の奥底では、自分たちの方が上等な人間だと思っている。 養父と違って僕は、一緒に暮らしながら自らの人生の不足を埋め合わせ、己の運命を慰めるよすがを探しながら、生きてゆくしかなかった。 その証として、僕の両腕は、ハサミで切り刻んだ自傷癖で埋め尽くされている。 だけど、そうだね。肝心なのは、今の自分を見つめて生きてゆくことなんだ。 街中の悲しみを、しっとりと包み込むように、音のない雨がそっと降り注いでいる。 見つめていると泣き出しそうさ。優しい雨が僕の怯えがちな心を文句のないように暖めてくれるんだ。 不思議なおおらかさが僕の心を虜にしてしまうのさ。 雨が降ると人々はしんみりとしちまう。きっと、雨の優しさには誰も勝てないからなんだろうな。 そう思うと僕はもう何も言えなくなってしまう。 僕の惨めな生活を長引かすということ以外、何も目的らしい目的を持たない欲望の満足だけを、結局は狙っているのを考えたり、それからまた、僕の閉じ込められている牢獄の四方の壁に、ありもしない綺麗な姿や明るい景色を思い描いているという始末だから、それはつまり儚い諦めにすぎないと思ってみたりする。 もう繰り返さないと決めたのに、すぐに狂ってしまう。 その興奮は獣のそれと同じで、夜毎精神内科を抜け出し、アルコールとハルシオンを大量に服用しては自らをナイフで切り刻む。 誰もが穏やかに眠り、朝が白々と明けゆく頃、僕は一人奇声を上げながらブロック塀を殴り続け、電柱に何度も頭を叩きつけ、流血の海の中で、のたうちまわっている。 熱を帯びたこの体の耐え難い痒みに発狂し、戦っている。 毎日は、僕が僕を殺そうとする比喩のようだ。 何度断ち切っても、瞬く間に死が顔を覗かせ、死ぬことしか考えられなくなる。 拘束された部屋の中で誰にも見えないものを目で追いかけている。 孤独とは世界でもっとも恐ろしい病だ。 スポットライトを浴びながらピアノを叩き、歌い、華やかなステージで観客にキスを投げながら、しかしバックステージでは、もう死ぬことしか考えられない。 僕は、もう僕自身の内部に引き下がって、そこに一つの世界を見つけ出すんだ。 むろん力強いはっきりとした世界じゃない。予感とおぼろげな欲求の蠢いている世界さ。 そうしてそこでは全てが流れている。 僕は、夢うつつにそういう世界に身を投げかけてゆく。誰もそういう実情にないから不思議さ。 子供たちみたいに毎日を他愛もなく過ごし、人形を引きずりまわり、服を着せたり脱がしたり、ママがお菓子をしまっておいた引出しのある辺りを神妙にうろうろして、さてやがて望みのものを手に入れたとなると口一杯に頬張って食べてしまい、「もっとおくれ」とせがむ。 僕は、こんな素直さに憧れ、とても愛しく思うんだ。 自分たちのつまらぬ仕事だとか、自分たちのきまぐれにさえもたいそうな名前を付けて、さあ、これこそ世のため人のための大事業だと触れ回る人たちを見てると、僕は寂しくなる。 人が誰かのために何か出来るなんて、とんでもない自惚れさ。まやかしさ。妄想だ。 そんなものは、一時の偽善に過ぎない。 自分の行き着く先を謙虚に悟り知ろうとしないのは何故なんだろう。 幸せに暮らしている人間の誰彼が、ちっぽけな自分の庭を飾り立てて天上の楽園のようにしたり、不幸な人間が重荷を背負ってあえぎあえぎ世間を渡ってゆき、まず例外なく世の中の誰もの、この世界の太陽の光を一分でも長く見ていたいと願っているということを見て取る人間は、そういう人間こそは口数をきかずに、自分自身の中から自分の世界を作り上げもするし、また、自分が一人の人間なのだから幸せでもある訳さ。 その上、そういう人間はどんな束縛を受けていたって、いつも胸の中には甘美な自由感情を持ち続けているんだ。自分の好むときに、この世界という牢獄を去ることが出来るという自由感さ。 どうにも僕って奴は、つくづくとくだらないことばかりを考え、そうして悪戯に心に波を立てようとする。 だけどね、それが僕って奴なんだって笑ってみるさ。 そんな僕の元に、一羽の小さな瑠璃鳥が迷い込んできた。 羽に傷がついてしまっているけれど、それが僕の心を優しくさせる。 綺麗とは何か、汚いとはどういうことか、何が知る価値があり、何が単なる言葉に過ぎないか、生きることの門戸を開く手がかりを掴むために。 僕は、謎をいっぱいに湛えて涼しげに見開かれているこの青い鳥の瞳を覗き込みながら、これほど僕の関心を呼ぶのはこの青い鳥自身なのか、それとも青い鳥を通して見る痛んだ翼に象徴される僕の姿なのか。 よくは分からぬままに、ただ僕は、優しい気持ちになっていた。 元気になったら放してあげなくちゃ。 次は、誰の心を優しくさせるだろう。 片翼の青い鳥。 僕は、こんなふうになれたらって思うんだ。 |

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深いお話だったので、
色々な事を考えて感じさせられました。
ありがとう
[ Reia ]
2011/4/27(水) 午後 6:15
こんばんは♪
自分の思想ってありますよね。。
無関心ではなくて無頓着な私ですが・・人の気持ちに触れることに感謝します。。
2011/4/30(土) 午後 7:22