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片翼の青い鳥
It is only a key that I look.

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 診察に来たのは女医だった。やせっぽちで背の高い陽気な女の先生。
「さあ、どうなってるか見せてちょうだい」
 そう言って、僕の眉の切り傷と腫れ上がった額を調べはじめた。
「石頭に感謝しないとね、でしょ?」
 冗談っぽくそう言って笑った。僕も無理してくすりと笑う。
「額は頭蓋骨の中でいちばん固いところなの。眼の上の傷は縫合しなくてはいけないけど、脳震盪の心配はまずないと言っていいわね」
 ドクターは、クリップボードになにやら素早く書き込みながら、陽気な口調で続けた。そして手の診察に移った。
「骨折はしてないわ」
 陽気に告げる。
「でも、念のためにレントゲンを撮ることにしましょう。それと、傷口をふさがないとね」
 僕の手の甲には、控え室のドアのざらざらした縁で醜悪な傷ができていた。
「おおむね軽症で済んで、みんな、ひと安心よね」
 ドクターはそう言い足した。“みんな”とは、どういう意味だろうと僕は思った。この自信にあふれたドクターの、人を見下すような物言いに、僕は反発を覚えた。大人たちは普通、僕を三歳児か何かのように扱ったりはしない。この女医で良かった点は、僕に秘密があろうとは、想像もしないくらい楽天家であるらしいところだ。だから、うまくやれば、見えている傷以上のものを見抜くことはないかもしれない。僕は微笑んだ。
「看護師さんを呼んで、すぐ縫合することにしましょう」
 腕を見たいとは言われなかった。傷跡は隠せた。ここまでのところは。
 額の傷は四針縫う必要があった。縫合に使う不気味な形状の針をドクターが手にしたとき、ピアノの先生は青ざめ、顔をそむけた。海外から帰国したばかりで忙しい中、駆けつけた養父は、ひたすらベッドの向こう端の角を見つめ、平静さを装っているものの、必死に耐えているのが僕にはわかった。
「局部麻酔の注射をしましょうか?」
 ドクターが訊く。
「いらないよ」
 ピアノの先生が微かに震えているのが眼の端で見えた。縫合が始まる。
「我慢強い子だわ」と、看護師が言った。
 さっさと済ませて早く僕をここから出して、と僕は心の中で念じた。
 自分の診察に関して、ドクターが何か巧妙な手を考えつかないうちに、病院を出ていきたい。腕は身体にぴったり押しつけている。傷跡はシャツで隠れているとはいえ、用心するにこしたことはない。手の治療は、額の傷より簡単だった。
「ここは縫わなくて大丈夫だと思うわ。額の傷ほど深くないから」と、ドクターが告げる。
 僕は、手の傷に眼をやった。手の甲にギザギザした傷が走り、手全体がぶざまに腫れ上っている。僕は、養父が横目でちらりとその傷を見て、またすぐ顔をそむけたのに気づいた。
「テーブルの上に手をのせて。指を診たいので、手の向きを変えてね」ドクターが続ける。「それから、袖口のボタンを外してくれる?」
 僕はパニックになりそうだった。テーブルは四、五十センチ離れている。腕を伸ばせば、袖が上って傷跡を見られてしまう。たまたま眼に入っただけでも、それらが何なのかドクターにはわかるはずだ。危険すぎる。傷跡を隠さなくては……
 だけど、指示どおりにしなければ、ドクターも養父も何か変だと思うだろう。だとしたら、どうやって切り抜ける? 養父の方を見ると、相変わらず顔をそむけていて、顔色を見ることはできなかった。それでいい。ドクターに関しては、もうタカを括るしかなかった。僕は、わきをしっかり締めたまま、手をそろそろとできるだけ前に伸ばした。
 それは、何ともぎこちない姿勢だったけれど、背中を丸め、前かがみになったら、何とかテーブルの上に手をのせることができた。どうして、そんなゼンマイのように身体を丸めているか、ドクターに訊かれるのを覚悟した。だが、ドクターは気にしていないようだ。僕の手を何秒か調べて、手を離した。
「思ったとおりね」と、ドクターはにっこり笑って言った。「縫合の必要はないわ。テープを貼って、傷口を閉じることにしましょう」
 僕は手を戻し、背中を伸ばした。どこかに仕掛けられた罠が、いつ弾けるかと待ち構える。ドクターが、自分の巧妙な振る舞いに気づかないとは、到底信じられない。それほど僕は用心深い。ところが、幸運にも何も変だと思っていないみたいだ。傷口を消毒し、二つの三角形を頂点のところでつなぎ合わせたような形状の小さな外科用テープを貼りながら、なんとドクターは鼻歌を小声で歌っている。手の腫れによって傷口が広がっていて、テープを貼る前に傷口を寄せる必要があった。
「痛くない?」
 ドクターがぼそぼそと言った。眼を上げて、僕が首を横に振るのを見ることもなかった。最後に処置したところを白い包帯で何重にも覆う。僕の手は、今では巨人のようだ。
「濡らさないように、それから次の診察まで、包帯はそのままにしておいてね。一週間以内にもう一度、来てください」
 僕はうなづくと、急いで袖口のボタンをかけた。安堵の念を、かろうじて抑える。終わったんだ。傷口は隠しとおせた。秘密の小部屋は、あるべき場所にちゃんとおさまっている。僕はベッドから降りた。養父がすっと横に来る。このときばかりは、養父と僕の波長が合った。
「さあ、帰るぞ」と、養父。
「あら、まだ終わっていませんよ」と、ドクターが言った。「マサヤくん、どうしてこうなったか、聞かせてくれない?」
 ドクターは、椅子に背を預けながら、相変わらず微笑んでいる。まるで万事心得ているといった様子だった。僕は、怒りがこみ上げてくるのを覚えた。厳しい試練のときが終わり、僕は勝ったんだ。それなのに、なぜ、だらだら引き延ばそうとするのか。
「イライラしちゃって」と、僕は用意周到に答えた。
 ドクターは、うなづきながら、カルテに何やら書き込んだ。それから低い声で何やら言ったので、僕は聞きもらしそうになった。だが、聞きもらしはしなかった。
「帰る前に、腕を診たいんだけど、シャツを脱いでくれる?」
 僕は、呆然とドクターを見つめた。今、聞いた言葉は、空耳だったのではないかと疑った。
「あなたは、腕を傷めているような動きをしていたわ。どうなってるのか、診るだけだから」と、ドクターは元気づけるように、笑みを浮かべて言った。
「傷めてなんかいないよ」僕は、必死になって言う。「なんともないよ」
 だが、ドクターは、僕のシャツに手を伸ばした。
「脱がしてあげましょうか?」明るく言う。シャツを脱ぐしかない。
 やめろ、やめろ、やめろ。頭の中の声がわめく。
 ドクターは、僕の腕をつかんだ。養父の方をちらっと見ると、養父はまたもや宙を見つめている。こういったことには心底、関わりたくないと思っているんだ、と僕は思った。養父は、知りたくないことは知らずに済ませるつもりなんだ。僕は、腕を身体に引きつけようとする。だが、ドクターは、その腕をしっかりつかんでいた。
「力を抜いて」
 ドクターは、にっこりして言った。そして、腕を裏返す。傷跡はドクターの眼の前だ。もはや見逃すことはあり得ない。僕は、固唾をのんで、逃れようのない質問を、そして叱責を覚悟した。
 だが、何も起こらない。ドクターは僕の腕をさっと見ただけで、僕は傷跡を本当に見られたのかどうかもよくわからなかった。眼に入らなかった、なんていうことがあり得るのだろうか。僕は大声で問いただしたかったが、そうするかわりにドクターが何か言うのをじっと待ち構えた。
 でも、何も言わない。驚いた様子もないし、難しい顔もしていない。クリップボードに何か書き込むことさえしない。
「はい、いいわよ」
 相変わらず、微笑んでいた。



Masaya Isemiya
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