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片翼の青い鳥
It is only a key that I look.

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 一枚の写真がある。
 小学三年生の時の僕。
 一人、サッカーボールを抱えて公園へ走った。
 すべり台にもブランコにも乗れなかった。
 友だちが欲しかった。
 振り返れば、いつも僕は一人だった。
 僕は、黄昏が嫌いだった。
 それから、養父のことも……

 グループセラピーは、僕を慰めた。
 最初、グループのメンバーは僕を怖がらせたけれど、回数を重ねるごとに、グループの誰よりもずっと強く、次回を楽しみにしていた。それに実際、僕たちは正直でいようと一生懸命頑張っていた。おかげで、グループは安全な場所という気がした。例え、残酷なほど正直に話をすることがあっても。
 僕は、まだ自分の怒りと向き合うのに苦労している。けれど、グループのほかのメンバーたちと、好ましくて強い絆を結びつつあるようだ。
 学校では、自分がひとりぼっちであることに、ひどく傷つき、肉体的な苦痛を感じるほどだった。給食のあとの大休憩のときにも、誰かと遊んだり、話したりすることはなかった。一人で読書をして過ごす習慣がついた。
 自傷することはなくなっていた。初めてのグループセラピー以後、“真っ白”は現れることがなく、そして、ピアノコンクールは、無事に終わった。
 ただ、僕が最優秀賞を受賞したことで、その日を境に僕の病を機に距離を置いていたはずの養父が、僕の進路についての持論を展開することが多くなった。
 夏のある日、自宅のプールで泳いでいる僕のそばに、養父がやってきた。そのことに気づかなかったのは、僕の注意不足だった。僕は素早くプールから出て、プールサイドのシャツを手にしようとしたが、時すでに遅く、何条もの自傷した傷だらけの腕を、養父の目の前に晒すことになった。
「今の学校の誰もが、おまえのその事を知っている。あのセラピストも気に入らない」
 養父は、腕をピタリと身体に押し付けて立つ僕に、シャツを差し出しながら言った。
「セラピーに行かなくちゃいけないって、学校は言ってるんだよ」
 僕は、びくびくしながら言った。セラピーをやめるという話は、口にしただけで不安になる。僕は養父を見た。驚いたことに、養父は怒っていなくて微笑んでいた。
「マサヤ、ずっと考えていたことがあるんだ。誕生日まで言わないつもりだったが、びっくりさせることなんだ。だが、もうこうなったんだし……」
 そう言って、いったん言葉を切った。養父は目を輝かせた。僕は、こんな嬉しそうな養父を見たことがないと思った。
「もう、学校へ行かなくていいって言ったら、どうする? ウィーンに留学させるって言ったら?」
「ウィーン? どこなの、そこ」
「オーストリアだ。十二週間だがね。講師はウィーン国立音楽大学の教授だ」
「ちょっと待ってよ。大学って、ぼく、まだ小学生だよ」
「教授といっても、元教授だ。大学に入るんじゃなくて、ピアノ留学だ」
 早回しされたビデオのストーリーに、必死でついていこうとしているような気がした。展開があまりに速くて、何が起こっているのかついていけない。
「どうして、そんなことするの?」
「おまえの将来のためだ。新しくやり直したいと思わないのか? おまえが学校でどんな目にあっているのか知らないわけじゃない。あんなひどい学校はやめようって言っているんだ」
「ぼく、両立できるよ。学校を続けながら、ピアノだってできるよ」
 僕は必死で言った。
「学校は、あれこれといろんなことを言ってくる。おまえを困らせる。こっちから追い払ってやればいい」
 それでも、僕は学校をやめるわけにはいかなかった。養父が追い払いたがっているのは、セラピーへ行くようにという学校の圧力にほかならないのだから。
「セラピーはどうなるの?」
「あんなのに関わってる暇などない」
 そんなこと、あってはならない。そんなことにはさせたくない。
「でも、ぼくにはセラピーが必要なんだ」
「ばかばかしい。ウィーンに行ってピアノに集中しなくてはならないんだ。真面目な話なんだぞ、マサヤ」
「でも、ぼくのセラピーだって、真面目な話さ」
「セラピーなど無駄だ!」
 養父の顔からは、もう楽しそうな表情は消えていた。そして、それは僕のせいだ。
「どうしようって言うんだ?」
 養父が叫んだ。怒るというよりも、むしろ絶望していた。
「このチャンスを無駄にしたいのか?」
「違うよ。でも、ぼくには助けが必要なんだ」
「なぜだ? 医者が言ったからか? 学校が言ったからか? 私の言うことより、そっちの話を信用するのか。おまえは父親より、そっちの方が大事なのか?」
 何もかもがぼんやりしてきた。セラピストの相談室にいるときは、自分が何者で、何を必要としているのかわかる。どんな気持ちなのかもはっきりしている。でも、今、感じられるのは養父の怒りだけだった。そして、その下に隠された見栄と。
 もやが覆いかぶさってきた。セラピストの相談室にいるときの感覚を思い出さなきゃ、僕は自分に言い聞かせた。
「おまえは、時々、感情に流されてしまうんだ」養父は優しくあやすような口調で続ける。「それも、おまえが何でも深く感じとるからなんだ。学校は、おまえからそういう感受性を取り上げたいんだ。だから、セラピストのところへ行かせたがるんだ。おまえをほかの子みたいにしたいからだ。だけど、私はそんなことをさせない」
 用意周到なセリフに違いなかった。全部、嘘っぱちに決まってる。すべては養父自身のプライドのためだ。養父が僕のことを“鍵盤”って呼んでることを僕は知っている。くっきりとした澄んだ気持ちを保っているのは、とても難しかった。もやの中に潜り込んでしまう方が、ずっと簡単だった。特に、こうして頭がぼんやりして、辺りがチカチカ光り出すと。
「信じるんだ、マサヤ。信じてくれるな?」養父が言っている。
 僕は、「はい」と言おうとした。養父と衝突するのはやめ、「わかった」と言おうとした。
 けれど、僕はそうしなかった。かわりに胸に抱いていたシャツをプールサイドに落とし、キッチンに向かう僕を見ていた。
「マサヤ、どこに行くんだ、何をする?」養父が訊いた。
「何もしないよ」
 けれど、僕は何か始めていた。包丁がかけてあるカウンターのところへ行った。養父が僕を追いかけてきた。養父の顔は、遠くにぼやけていた。
「マサヤ、何しているんだ?」
 どんどん遠ざかっていく養父が、彼方から呼びかけた。
 包丁は、どれも僕のハサミよりずっと大きかった。いちばん小さい包丁でも、ハサミより大きかった。けれど、それでも構わない。ちゃんと扱える。僕はフックから包丁を抜き出した。
「マサヤ?」養父の声は、もう遥か遠くになっていた。けれど、養父がパニックに陥っているのが聞き取れないほど遠くではなかった。
 僕は養父に見えるように、腕を上げた。包丁をゆっくりと慎重に持ち上げた。養父が息をのむのを聞いた。僕は強く切った。今回は小さな傷ではない。すぐに血が噴き出した。真っ赤な血が。養父が悲鳴を上げた。僕はもう一度、腕に刃を立てた。見て、おとうさん。僕は口に出さないまま、養父に合図を送った。おとうさんのために、大きな、長い傷をつけているんだ。見て。これが僕のしていること。わかった、おとうさん? これが僕。これが、いつもの僕なんだ。
 けれど、急に包丁を握っていた手が止まった。それは僕ではなかったから。今ではもう。今では、僕は、ゲンやリョウやユキやマリアといった名前の友だちを持っている子。何でもセラピストに言葉でもって言える子。
 包丁の刃は肌にあてられていた。これで、もう一度切ってしまうかもしれない。けれど、初めて僕は、そうしたくないと思った。本当は血なんか流したくない。本当は傷みなんか感じたくない。
「自分ひとりで戦うことになるんだよ」セラピストはそう言っていた。「きみには仲間が必要なんだよ」
「マサヤ、こんなこと、やめろ」養父が叫んでいる。
「ぼく、もう、病気でいることに疲れちゃった」セラピストに言ったっけ。
「マサヤ!」養父が叫んだ。
 そう、僕はマサヤ。自分が誰なのかわかっている。そして、もう自分を傷つけたりなんかしたくない。
 結局、僕は自分で始めたことを、自分で止めることができなかった。けれど、二回目の傷はとても小さかった。それから、僕は包丁を下に置いた。


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    第一印象に、「よくぞ、こんなにも吐露できたね」と。
    何度も拝見拝読しました。
    深く理解するのに時間かかります。
    再度読み返ししています。
    貴男に勇気がある点に注目しています。

    [ マイリス ]

    2016/10/17(月) 午前 9:05

Masaya Isemiya
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