全体表示

[ リスト ]

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

戦記 〜鎮魂 特別攻撃隊の遺書 KKベストセラーズ 原勝洋編著、靖國神社協力〜


太平洋戦争、最後の証言や零戦エースパイロットの西澤廣義さんの伝記などを読み終え、amazonで他の書籍を検索していて、ふとこの本が目に止まり本を借りて読んでみました。

靖国神社協力といいますと何か戦争賛美の様に思ってしまい、特攻賛美かと思われ眉をしかめられる方もおられるかと思いますが、本書は全くそうではなく、特攻の現実とその実施記録、遺書などを記し、その悲惨さを著したものです。

特攻隊と言いますと、命を捧げ死をもって国に奉公するという大変軍国調が強くきな臭く感じ、平和な現代にあって私でもちょっと避けてしまいそうな言葉です。
私自身もきな臭く感じられ最初ちょっと避けてしまいましたが、知覧に行き、そして靖国にもいきましたし、避けずにちょっと読んでみようと思い借りてみました。

このタイトルだけで周辺諸国では拒絶反応が起きそうな本です。
平和の時代にこう言う話題はとかく煙たがられ、右寄りであるとか、戦争賛美者かと思われたりする事が多々あるかと思いますが、個人的には日本史世界史などが好きでして、近代史の書物などなど個人的に読んでいて、そんな中の参考の1冊と思い読んでみました。

特攻は悲しむべき作戦命令でありまして、賛美すべきものでは無いと思っています。
兵士である前に一人の国民そして人間であった人々の葛藤や心の揺らめき、無念の気持ち、あとに残る方に託す強い願いがそこに現されています。
一人一人の人間が素となって現代に語りかけた思いを汲み取る事ができれば、亡くなった方も本望なのではないだろうかと思います。

鎮魂特別攻撃隊の遺書

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/b1/f5/icarus777z/folder/1157895/img_1157895_66234501_0?13317851571.戦記の場合、日の丸が国粋的、軍国的に感じてしまいますが、戦後教育の弊害でしょうかね。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/b1/f5/icarus777z/folder/1157895/img_1157895_66234501_1?13317851572.銀河です。突入寸前で被弾、米軍空母の上を通過しています。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/b1/f5/icarus777z/folder/1157895/img_1157895_66234501_2?13317851573.米艦船突入前の対空砲火の凄まじい弾幕です。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/b1/f5/icarus777z/folder/1157895/img_1157895_66234501_3?13317851574.東京出身、植村眞久海軍大尉の遺書です。学徒出陣で召集された予備学生ですね。泣けてきます。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/b1/f5/icarus777z/folder/1157895/img_1157895_66234501_4?13317851575.以前読んだ戦記で空母バンカーヒルに突入した小川清さんの遺書です。この方も予備学生です。別途伝記本がありますのでご覧下さい。

ついには涙が溢れてしまいました。
知覧や靖国で見た多くの遺書を再び目にし、最愛の家族を残し家族や日本の将来を残された者に託し、将来を信じて死に赴かざえる得なかったその複雑な心境を思い、目頭が熱くなります。
あまりに悲惨な戦争でした。日本人であるならば決して忘れてはならないと思います。
特攻について知っている方も知らない方も是非ご一読される事をお勧めいたします。


戦争に負け、既に終わった過去の事、経緯はどうあれ戦死された方は戻ってこない、今更それを調べ、語って何になるという意見もあると思います。

太平洋戦争では軍属200万人、軍民合わせて340万人の方が亡くなっています。
大半は戦争後半の昭和19年以降の負け戦で亡くなっていると言われています。

開戦の経緯は当時植民地経済の帝国主義の時代で、半ば止むおえない事情があったにせよ、多くの戦死者を出した戦争の負け方に関しては日本側に大きな原因、問題があります。

極端な話、昭和19年頃で戦争を止めておけば数百万の犠牲を出さずにすんだわけで、大局を見通せず、終戦を決断できず、ずるずると敗戦を重ねてしまったのは日本側に原因があります。

昭和20年7月になりますと、特攻や迎撃に上がる飛行機も欠乏しだしており、富山も昭和20年8月1日200機のB29に爆撃され、無抵抗のまま成すがままに爆撃をされ市街が灰燼に帰し2000人の方が亡くなっています。そして6日に広島、9日に長崎に原爆が投下されています。
民間人の殺害は戦争犯罪で、無差別爆撃は当時も許されない行為です。
この点で連合国は責められるできですが、しかしこの様な状況で戦争を継続できる訳がなく、継続していい訳がなく、もっと早く降伏すべきだったのに戦争を継続し無駄に死者を増やした大きな責任は明らかに日本の側にあります。


特攻といいますと、飛行機による自殺攻撃でとかく象徴的ですので目立ちそれがいつの時代も取り上げられやすい事象だと思いますが、軍国教育の当時にあっては、志願だろうが、徴兵だろうが、入隊=天皇や国のためその命を捧げると言うのが常識となっている時代で、陸軍であっても攻撃の時は正に特攻と同じで、死を覚悟しながらの突撃であった様です。
平和な現代では全く考えられない事ですがそういう時代ですので、陸軍の兵士も特攻の航空機搭乗員も気持ちはほぼ同じだったろうと思われ、特攻だけを特別な攻撃で特別扱いするのではなく、当時一億総特攻とも叫ばれましたが、日本軍や日本全体が半ば自殺攻撃的であったろうと思われる記載が、戦記物を読みますと良く分かります。

陸軍の地上部隊にあっては上官の命令は絶対で、逆らって逃げたり、退却でもしようものなら抗命罪で死刑、敵に捕まって逃げ帰っても死刑でして、結局は死ぬまで前進するなり戦うほか無かった様です。

特攻の場合は、軍上層部が志願制を指導していましたが、実質的に「特攻希望者」と言われれば上官に逆らえない以上は命令と同じでしたし、昭和20年に入り大規模になってからは実質的に特攻者を調べリストアップし、組織的に特攻に赴かせた記載が戦記に見られます。

特攻は、昭和19年10月のフィリピン レイテ沖での海軍によるものが最初で、その後陸海軍合わせて約4000人の方が特攻で亡くなっています。
昭和19年、マリアナのグアム、サイパンが落ち絶対国防圏が破られ、敗戦色が濃くなり、終戦を睨んで最後に一勝して講和に持ち込みたい軍部がフィリピンで最後の必勝を期し海軍の大西中将が発案しました。
ただそれまで特攻作戦は無かったかといえば、昭和16年の真珠湾攻撃時、特殊潜航艇での真珠湾への攻撃は、実質的に特攻作戦ですし、また、日清、日露で二百三高地での屍累々の白兵突撃などすでに特攻状態で、そういう攻撃方法が日本に根深く内在していた様です。

もともと日本軍は、兵の命は天皇陛下のもの、生きて捕虜になる前に自決と決められており、兵士の命は半紙の赤紙の如くで軽く扱われてた所が大半だった様です。

ですから勝ち戦の無くなった昭和19年以降でも、敵に降参する事はなく、最後まで白兵突撃をし玉砕で全滅する事がほとんどでした。

陸軍の万歳突撃の場合、遺書などほとんど残らない様ですが、特攻の場合は出撃までは安全で時間に余裕のある後方にいますので、多くの遺書や写真、遺物が残っており、隊員の気持ちなどをこまやかに知る事が出来、それだけに現代にあっても多くの人々涙を誘います。
知覧、靖国神社はじめ、全国にある護国神社などに特攻隊員などの遺書や遺物が展示してあり、それを見る事ができます。

日本の国やそこに住む国民、そして家族のことを思う気持ちがこれら遺書にしたためられており、生と死と、日本や家族、そして自分自身のはざまで心が揺れ動き葛藤しているであろう兵士の気持ちが推し量られ、遺書を読むものの心を揺さぶります。

本書に記載されている遺書を読みまして、知覧へ言って読んだ遺書なども思い出し、書いた本人の心情を思いますと思わず目を熱くしてしまいました。

特攻はじめ、昭和19年からのニューギニアやフィリピン50万人、ビルマのインパール19万人、そしてマリアナなどでの数万人単位での玉砕戦死は、兵士の命を軽んじた戦法をとった日本側の責任が大きいかと思います。

特攻を指示した海軍大西中将は、終戦直後、特攻隊員にお詫びして自決し上官として責任を取り命をもって償ったのは、インパールで責任を逃れ戦後も講演で言い訳をして回った牟田口中将に比べればまだいい方だったかもしれませんが、木の葉の様に扱われ亡くなった方は戻ってきません。

自国軍に大変大きな犠牲を強いながら、戦後連合国による戦争犯罪追及もされずに戦後も安穏と過ごされた方は多く、そういうあってはならず悲しむべき自己反省しない無責任体質が、先の大震災時の政府などの対応をみますと現在もこの国に流れているのではないかと思われ憤りや悲しみを感じることがあります。


以下参考に。
召集令状
戦時における陸軍の召集のうち召集令状等はその色から赤紙などと呼ばれた。 以下は召集令状の各色・種類である。

赤紙=充員召集、臨時召集、帰休兵召集、国民兵召集、補欠召集
白紙=教育召集、演習召集、簡閲点呼 
青紙=防衛召集
青紙の「防衛召集」とは、空襲などの際に国土防衛のため、予備役・補充兵役・国民兵役(在郷軍人)を短期間召集すること。

用紙は、縦15.5cm、横25.7cm。黒のインクで印刷され、紙の厚みが半紙のように薄い。召集令状(赤紙・白紙・青紙)は陸軍省が作成した動員計画に基づき連隊区司令部で対象者を指定(名簿からランダムに該当者を抜き出す)して発行し、警察署の金庫に密封保管され、動員令が発令されると警察官が市区役所・町村役場にこれを持参し、役所役場の兵事係吏員が応召者本人に直接手渡し(不在の場合はその家族に)交付した。その際受取人は受領日時(何時何分)を記入し押印する。令状は本記と受領証からなり、本記には応召者氏名、住所、召集部隊名、到着日時等が書かれ、これは部隊までの交通切符代わりになる。
受領証は、職員が市区町村役場に持ち帰り、「召集令状受領綴」という記録簿に保管する。
令状表面には、召集される者の氏名、配属される部隊名、部隊に出頭する日時などが記載される。

一般に赤紙が「一銭五厘」と呼ばれるのは、応召者本人が本籍地から離れて暮らしている場合、実家から郵便で令状が来たことを知らせたのが原因という説もある。直接本人が令状を受け取った場合も合わせれば、郵便で知ったケースは少数派と想像され、少数派の事例をもって徴兵制度への一般的な揶揄となったのかには疑問も残る。
第二次世界大戦頃の日本海軍の充員召集令状は「紅色」であった。


ICARUS

閉じる コメント(11)

字数制限により以下追記。

ちなみに召集令状の赤紙が1銭5厘であったので、兵士の命も同じく軽いものと見られたとの記載がありますが、実際赤紙が郵送で送られることはほとんど無く、役場が直接手渡したことがほとんどだった様です。

2012/3/15(木) 午後 2:36 ICARUS

木の葉のヨウニ扱われる命・・・

悲しい言葉デスネ。。。

私達は今こうして当たり前の平穏なマイニチは過去の悲惨な戦没をされた方々の上に成り立ってイル。
毎日を生きる、生きていれる事に感謝シテ、幸福な時代に生まれた今を精一杯生きて行くだけです

2012/3/16(金) 午前 5:22 [ あある ]

顔アイコン

特攻につきましては、日本国民は正しく知り、そして決して忘れてはなりませんね。それが平和な現代日本に生きる私たちのせめてもの誠意でしょうね。戦後教育では、過激で好戦的な危険思想のように取り扱われ、搭乗員の心情についても実に皮相的な悲劇として一様に片付けられてきました。
殆んどの作戦が無駄な作戦であり、その作戦を立案・命令をした者は戦後も責任を取らず生き続けました。
その一方で、故郷を守る為にとかけがえの無い命を捧げて散華した彼らのことを、彼らの犠牲の上に現在の平和があることを、決して忘れてはいけませんね。

2012/3/16(金) 午前 9:02 カッシー

Junkoさん、当時は軍国教育でして、住民も憲兵などで思想や行動を厳しく制限、統制されていました。
平和に暮らす国民一人一人が志願し徴兵され兵士になった瞬間にその命は木の葉の様に軽くなります。そしてアジアや太平洋の島々で、明日の日本の平和と発展を切望し多くの命が木の葉の様に散っていきました。
今も帰国を果たせず異国の丘に多くの兵士が帰国を待ちわびて眠っています。
そうした国や国民を思う方々の命の礎の上に現在発展する日本が成り立っています。
国の発展や歴史は、産業や経済、政治の発展だけでなく、時として形として残らない命と言う礎の積み重ねが必要な時もあります。

今際の際に、ただ明日の日本の平和と発展を願って死地に赴いた多くの兵士が居た事を忘れてはならないと思います。

2012/3/16(金) 午後 7:52 ICARUS

顔アイコン

平和なこの世の中でメイトV50Dのパーツを通販できる
この幸せにマンセー!!!

2012/3/16(金) 午後 8:41 [ akichi ]

顔アイコン

さっき、新品キャブ届いたので
キャブを開けて、フロート高さ測定すると
20mmでしたが何か?

2012/3/16(金) 午後 8:41 [ akichi ]

カッシーさん、おっしゃる通りでしょうね。
戦争に負けた為に、復員した兵士までもが犯罪人の様に白い目で見られたりしたそうですね。
武勲を上げた方など終戦を境に手の平を返した様に、罵られた方もあったそうです。

特攻という悲しい作戦はいけなかったと思いますが、抗いも出来ず死に赴いた純粋に国や国民を思う気持ちは現代の日本人はしっかりと汲むべきだろうと思います。

もちろん戦争はいけないとは思いますが、戦後憲法と戦後教育の産物で、戦争=全否定、の風潮があるのはいかがかと思うときがありますね。
世界中で紛争も絶えないとう現実もありますし。

2012/3/16(金) 午後 9:00 ICARUS

akichiさん、仮に戦争に負けてなかったら、今頃調布じゃ零戦や雷電のヒストリックエアショーが開催されてた鴨カモ。
ヤフオクで零のキャブとか栄のシリンダーやピストンも販売されてた鴨カモ〜〜ん。
北朝鮮ならメイトV50もベンツ並みカモ〜ン!
ウキョーーーッツ!

2012/3/16(金) 午後 9:47 ICARUS

akihciさん、メイトも30年ほど売ってるバイクなのでいろいろ種類がありますが、変更でもあったんですかね。
変更が有った時など補追版サービスマニュアルが発行されます。
YSPで聞いて見る、ちゅうのも手かと。なるべく古いとこがお勧めです。
まぁ、一旦20mmでエンジン始動してみて下さい。
調子良ければそのままでええんでないの?
カブリ気味でダメなら指定25mmっすね。
ウキョウキョ・・・

2012/3/16(金) 午後 10:00 ICARUS

顔アイコン

箱にはマジック手書きで
メイトV50N用
と書かれてました。ちなみに
ワシの整備しているメイト50は未だに
何かワカリマセン。キャブに加温装置が
ついているのですが今回入手したキャブは
加温装置の部分が、デカイビスになってました。

2012/3/17(土) 午前 5:33 [ akichi ]

V50Nってニュースメイト=配達専用マシンで’85年からっすね。
ちゅうても前カゴ、大型キャリア、ヘッドライトが違う程度で車体はV50と同じかと。
デカイビス・・・ 脱落対策っすかね。’85年以降の新しいモデル用じゃないでしょうか。
ま、問題ないかと。
中古でフロートにガソリン跡が残ってれば、大体の高さの推測がつくんですが、新品ならそのまま行けば〜

2012/3/17(土) 午後 11:00 ICARUS


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事