線とマチエール

このBlogの日記は私小説風の体裁を取っています。そのため、出来事、登場人物の心境には作者の主観も含まれます。予めご了承ください

全体表示

[ リスト ]

イメージ 1

 
 
7月1日の閣議決定後、集団的自衛権に関する憲法解釈の変更について、5月の「総理記者会見」および「質疑応答」全文、7/1の「閣議決定」に関する文書全文、閣議決定後の「総理記者会見」および「質疑応答」の全文を通読してみました。

そうして見て思うこと、ひとつ、ふたつ。

「積極的平和主義」という視点から、もはやどの国も一国のみでは平和を守ることができないとする政府見解が、世界の共通認識であるという考えと、そしてあくまでも、そうした国際情勢を踏まえたうえで、集団的自衛権の限定的行使を容認することが、積極的に国民の自由と平和を守るための、戦争「抑止力」になると、現在の日本国政府が、そうした強い思いを抱いていることが、今回の「閣議決定」に関する文書からくみ取れます。

並びにその武力行使も、あくまでも「自衛の措置」であり、決して同盟国の戦争に参戦するモノではない旨も、テクストの読みのレベルでは理解されました。

しかしながら、政府の掲げる戦争「抑止力」を別の視点で見れば、個別的自衛権に対し、集団的自衛権までも容認することで、限定的とはいえ、武力衝突の起こる可能性が拡大されるという見方もできます。仮に日本国政府はそのことを「戦争」と表現しなかったにしても、衝突した他国において、「戦争」状態であるとみなされる危険性が、可能性において有り、かつその視点において、日本が戦争に巻き込まれる恐れも拡大します。

     *     *     *

安倍総理は5月の記者会見において、次のような具体的事例も提示しています。同盟国であるアメリカが突然おこった紛争から逃げ遅れた海外の日本人を救助、輸送しているとき、日本海近海で攻撃があるかも知れない。もしかしたらその船には、子供や母親がたくさん乗っているかも知れない。そうした際に「集団的自衛権」は必要になると。

それはもちろん人情としては助けたいし、決して助けないという結論にも至らないだろうと思います。しかし次のような視点も重要ではないでしょうか。

それは、限定的武力行使をおこなうであろう「自衛隊」は、決して映画の中に出てくるヒーローではありません。彼らにも、もちろん子供や母親がいる。それは「生身の人間」であるという視点。

その点において、政府の見解からは、限定的武力行使の「主体」である「自衛隊」も生身の人間であり、かつ家庭に帰ればなお更ひとりの個人であるという様子が、テクストの読みのレベルからは伝わってきませんでした。

     *     *     *

仮に政府の見解も、一つの「理念的立場」として正しいと考えてみましょう。百歩譲って「憲法9条」の平和主義的思想を、「積極的」なレベルで実現しようとしている、と。

(確かにこの点に関し、安倍総理も立憲主義にのっとって政治を行っていくことを当然としています。)

しかしながら僕はこのようにも考えます。

「集団的自衛権」の限定的行使を積極的な戦争「抑止力」とする考えに対し、日本はかつて大きな負の戦争を行い、世界で唯一の「被爆国」となった。その特殊な歴史性を踏まえて描かれた、「戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という高い理想を、あらためて世界へ「積極的」に発信してゆくことで、かえって、そのことが強い戦争「抑止力」となるのだ。そしてこのような「戦争抑止」は、かつて世界に前例がないからこそ、日本が守るべきなのだと。

もちろんこの国の国民が、いったいどちらの立場を最終的に選択してゆくのかはわかりません。しかし僕は、日本国というマクロな単位ではなく、個人というミクロなレベルで、このような考えを堅持していきたいと、今回改めて思った次第です。

おしまい

閉じる コメント(0)

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事