それぞれの「一握の砂」

自分自身の「一握の砂」(551首)の歌をつくってみませんか。

第2回 小林長太郎まつり

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ある方のブログで
転載された
第2回「小林長太郎まつり」開催のお知らせ
という記事を読みました
転載元のブログに行きました

「2007年8月15日のエントリーを最後に,
 忽然と消息を絶ったブロガー小林長太郎さん」
生死は分からないが・・・もしかしたら
「1度目の死を迎えてしまったのかもしれません」
と書かれていました

「しかし小林長太郎さんは,私たちが想起する限り,
 「負荷」を訪問して記事を読み続けている限り,
 生き続けています。」
そして小林長太郎さんの「負荷」というブログの記事に
コメントをたくさん残すことを呼びかけています

それが第2回「小林長太郎まつり」なのです
私もいくつかの休止中のブログに
コメントを書き続けています
ブログが生きつづけることは
心の中に誰かが生きつづけることになります

なお
この書庫に「負荷」から転載した記事は
私がコメントした記事です
その記事のあとにでも
読んでいただければと思います
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そろそろ・・・また
「小林長太郎まつり」の時期かな?・・・と
この書庫の記事のリンクから
「負荷」を訪問すると・・・
ブログが無くなっていました

そのことを知らない状態ですから
長い間訪問していなかったことになります
更新されなくなったブログを
存続させようというブログファンの願いから
「小林長太郎まつり」が始まりました

それを呼びかけられた方のブログを訪問してみました
ブログが削除されることを危惧され
ご自分のブログに記事を転載し
「負荷」別館という書庫をつくられていました
そして他の方にもその方法を呼び掛けておられました

その呼びかけに応えて
「負荷」別館をつくられているブログを紹介されていました
削除されたブログの記事のすべてではないでしょうが
そのかなりの作品を読むことが出来る
その記事にコメントすることもできる

縁あってまつりに参加して
文学の世界には縁がないのだけど
自分なりにコメントできるところにはコメントしようと
コメント0の記事をピックアップする作業を始めたりしました
記事がぼう大なだけに・・・その作業はけっこう大変でした

が・・・
それをどうにかやり上げて
そこでコメントを残していけばいいものを
その作業が終わったことで
このブログとの縁が切れてしまいました

それほど私には難しい内容の記事ばかりでしたから
でも気になって
そろそろ「まつり」の時期かな・・・っと
「負荷」のリンクをたどったのですが・・・
そこで「まつり」を呼びかけ・・・「負荷」別館をつくられた方のブログを紹介します


BUNGAKU@モダン日本
http://blogs.yahoo.co.jp/nonakajun
 転載「負荷」別館
 http://blogs.yahoo.co.jp/nonakajun/folder/1494862.html


       書くということ



52/どうしても書かなくてはならないもの



「人は、どうあっても書かなくてはならないものだけを、書かねばなりません」

 次に挙げる本の冒頭で、フランツ・カフカはグスタフ・ヤノーホに対してこう述べている。

 解釈はさまざまに可能だが、単に気まぐれに、どうでもいいものを書くことに対して諌めていると考えてもよいだろう。

 しかし、改めて考えても見れば、人間にとって、「どうあっても書かなくてはならないもの」など、果たしてあるのだろうか。

 野間宏などは過酷な戦争体験から、「これを書かねばならない」という意識と「これで小説家になれる」という思いを同時に持ったように告白している。

 大抵の私的な書き物は必要に応じて気まぐれに書かれるのであって、本当に書かねばならないのは仕事上の文章だ。

 ただ、仕事上の文章ほどつまらないものはない。

他人にとってはどうでもいい文章であっても、書いている当人は至って真面目に、「これを書くべきなんだ」と信じているというのが大半ではないか。

 上質のエンターテイメント小説を読ませてもらうと、「ああ、これはいいものを書いてくれた」「こういうものをもっと読みたいな」とは感じるものだが、その程度の需要と、カフカの言う「どうあっても書かなくてはならないもの」とは別物ではないのか。

 そこで用心しなくてはならないのはフランツ・カフカという権威に目が眩み、単なる神秘主義でしかないものを買いかぶってしまうことであろう。

 果たしてフランツ・カフカには、何が「どうあっても書かなくてはならないもの」であるかが本当に見えていたのだろうか。

                             *             


 私は『悪霊』の作家に関するグルーゼンの書物から、「ドストイェフスキーは血なまぐさいメルヘンだ」という一文を引用した。

 フランツ・カフカはこう言っていた。

 「血なまぐさくないメルヘンなどというものはありません。

  メルヘンは、そのひとつひとつが血と不安の奥底に根ざしたものです。


  ここにすべてのメルヘンの血縁があるのです。

  表向きは多種多様です。北方のメルヘンは、アフリカの黒人のメルヘンと同じ豊満な幻想の動物誌に恵まれてはいない。

  しかしその核心、つまり憧憬の深さは同じものです」


 ……後になって、私は彼に、フロベニウスのアフリカ民話・メルヘン集を読むように進められたことがある。

  (『増補版 カフカとの対話 手記と追想』/グスタフ・ヤノーホ/吉田仙太郎訳/ちくま学芸文庫/1994年/p.169)



                               *

 この本はカフカ好きの間ではかなり有名なものである。

 庄司薫さんが『白鳥の歌なんか聞こえない』の中で、主人公が読んだという設定になっていた本の一つであろうと思われる。


 庄司薫さんの小説では、他にもロベルト・ムシルの『特性のない男』、トルーマン・カポーティの『冷血』など、題名がはっきり示されていないが、明らかにその本を指すと思われるものが読まれたとしてほのめかされるものがいくつかあるが、こういう点に気がつくというのも読書の楽しみではあるものだ。

 さて、そしてここで触れられているドストイェフスキーに対するカフカ観というのも独特だが、カフカ作品に親しんだ経験のある人ならば、もう一つ、二つ改めて引っかかる点がある筈だ。

 一つ目は「メルヘン」という言葉、二つ目は「幻想の動物誌」である。

 これは二つとも初期の村上春樹作品のうち特に短編小説において重要な要素であり、当然にカフカ作品においてもしばしば見られる特徴である。


                             *


 前世紀末、池内紀さんが岩波文庫から『カフカ短編集』『カフカ寓話集』という二つの本を出した時、「寓話」と「短編」の違いとはなんだろう、と考えた人はいないだろうか。

 短編とはまずは作品の長さに与えられた区分であり、大抵は長編ではないという意味である。

 しかし寓話とは、短編より短いと言う意味ではなかろう。

 寓意を含んだ短い話…と書いてみても説明にはならない。

 短編小説にも寓意を含むものがあろうし、村上春樹さんや小島信夫作品に代表されるように長編小説であっても寓意だらけということもけして珍しくない。

 時間がないので、話は飛ぶが、

 メルヘンに少し理屈をつければ寓話ということになろうか。

 しかしどちらも空想による奇妙な物語である。



                            *


 『海辺のカフカ』に関する多くの読後感がブログにもあふれているが、その中で、「面白いのだが、意味が解らない」というものが多く見受けられた。

 部分部分ではリアルに語られているが、ありふれた推理小説のように完全に事件が解決するわけではない。

 犯人が見つからない。

 犯人が見つからなくても仕方がないような物語になっている。

 表面的な事実、被害者某を刺したのが誰であり、凶器は何であり、動機は何か…、

 物語の関心はそういう新聞記事的事実関係を離れて、深い憧憬へと続いていく。 

 一部ではいかようにも解釈されうるところが素晴らしいのだ、という評もある。

 それも一理あるだろう。

 ただ、解釈をどこまで掘り下げても『カフカの海辺』は、新聞記事的事実関係には収めることができない。

 そして今更のように『海辺のカフカ』には「血なまぐさいメルヘン」という言葉がぴったり重なるように私には感じられるのである。

                                   *

 フランツ・カフカはいくつもの奇妙な生き物を創作したと言われていた。

また、いくつもの奇妙な職業を創作したと言われていた。

村上春樹がまだフランツ・カフカに関する思いを告白するはるか以前から、このカフカ流のやり方を取り入れている点については、正確には存じ上げないが既に多くの方々が指摘していることだろう。

宇宙人やおばけが出てきた瞬間にSF小説という枠組みに押し込まれてしまいかねないところを、フランツ・カフカと村上春樹はどうにか切り抜けた。

それは彼等の作り出した奇妙な生き物が、血なまぐさいまでのリアルさを持っていたからではないか。

 ただ、どうもこんなことが解ってきた。

 カフカの「オドラデク」や「バケツ乗り職人」「断食芸人」などは、創作ではなかったかもしれない。

 少なくとも「断食芸人」なる見世物は実在したらしい。

 そしてこういうことも考えられる。

 村上春樹の「やみくろ」や「カエルくん」「計算士」は、創作された当時はまだ架空の存在であったが、やがて実在することになるのであろう。

 
                               *

 昨日テレビジョン放送で『ライアー・ゲーム』というドラマをちらりと観た。

 前回までの流れを知らず、今回たまたま初めて観たので、筋は解らない。

 過激なギャンブルの設定から、つい『カイジ』などで知られる福本伸行氏の原作によるものかと勘違いしてしまい、今、インターネットと言う便利な機械を使って、それが甲斐谷忍さんという人の作だということを確かめた。

 改めて言うまでもなく、ギャンブルには人間の欲深さや弱さ、薄情さや残酷さなどのあらゆる負の要素が現れる。

 だから『ライアー・ゲーム』も、その設定のありえなさを感じさせない、血なまぐさいドラマであった。

 今回までは「少数派ゲーム」、次回は「リストラゲーム」というギャンブルで争うことになる。

 参加者がイエスとノーの二枚のカードを持ち、少数派になったら勝ちというのが「少数派ゲーム」。

 「リストラゲーム」は参加者が一人にリストラするゲームであろうか。


※ 正確にはフジテレビの公式サイト等で内容を確認していただきたい。

 こういうゲームは現実においてしばしば参加させられているものである。

 例えば株取引。

 みんなが買っているときに売れば儲かり、みんなが売っている時に買わなくては儲からないという少数派を目指すゲームだ。

 もっと些細なものでは、「人と違うことを言って美味しい思いをする」というテレビタレントのような駆け引きもあろう。

 俳句などでも、少数派の方が偉いようなところがある。

 リストラゲームなどは、さまざまな組織でほとんどそのまま、日々行われている遊びであろう。

 だからいくら設定が子供だましでも笑えない。

 身につまされてしまうということになるのではないか。

 だが、それは必ずしも「どうしても書かなくてはならないこと」ではなかろう。

 
                               *

 我々が現在目にすることのできるカフカ作品の大半は建前上故人の遺志を無視して、その文学的価値ゆえに発表されたものだ。

 カフカの遺作には、ほんとうに落書きに過ぎないものがある。

 それらのいくつかは、『カフカ短編集』と『カフカ寓話集』に収められている。

 芥川龍之介の全集に、件の河童の自画像が載るようなものか。

 世界を変えはしないが、つい見てしまうもの。

 それは酔っ払って道端でおっきいおちん○んを出して寝ているおっさんのおちん○んのようなものである。

 ちがうかな。

 ちがうな。



                                        未

転載元転載元: 負荷

このブログについて

 何しろ2/19にネットに接続したばかりであれやこれやの設定ができません。一つ目のホームページはできましたが、メールもまだ打てません。ブログはライブドアでもやっています。知らず知らず失礼があると思いますがお許しください。fc2に二つ目のホームページを作ろうとして、壁にぶち当たっています。だいたいブログって何ですか。
 目白と大塚の間ですか。

転載元転載元: 負荷

どのパターンでいくか

               どのパターンでいくか




 これはちょっとしたメモのようなもの。

いわゆる修善寺の大患の際、漱石は盥に吐血し、ドストエフスキーに思いをはせる。

大岡信の『永訣かくのごとくに候』(弘文堂/平成二年)の中で取り上げられていたエピソードだ。

村上春樹さんも何か深刻な事態に遭遇するとドストエフスキーを思い出すような気がするが気のせいか。

                            *


昭和の終焉、崩御の直前においては、津波や地震、または選挙の開票速報のような血圧報道が行われた。

普通の人の死は、もっと静かな、情緒あるスタイルを望む。

ある人はもっと密やかに「白骨化」や「腐敗」してしまうのだろう。

 辞世の句は早めに準備すべきかなとも思いつつ、あれ、芭蕉は発句で、漱石は漢詩か…と気が付いてしまった。

 これはとりもなおさず深澤七郎の『風流夢譚』で取り上げられている曖昧さなのである。

どうも辞世の句とは、俳句でも和歌でなく、「短い詩」とでも翻訳されうるものであるものであるらしい。

 私の場合はやはり「ないときゃっぷす」になるのだろうか。


                        *


 十二時間も寝てしまうと、起きた瞬間実に驚く。

「ハッ‼ もう少しで死ぬところだった…」と驚くのである。



                                 未

転載元転載元: 負荷

混ぜる

               《 混ぜる 》



  昔、性欲の強い和田君(仮称)は練り歯磨きにアクアフレッシュを使っていた。

  しかし買うとすぐにチューブを揉む。

  きれいなストライプが台無しだ。

  カレーライスも混ぜる。

  うな重も混ぜる。

  チラシ寿司も混ぜる。

  納豆も混ぜる。


   

   何故そんなに混ぜるのが好きなのか、とある日ぼくは尋ねた。


  「馬鹿だなあ」

   性欲の強い和田君(仮称)は答えた。

  「エントロピーは増大するしかないんだよ。俺が混ぜなくても誰かが混ぜるんだ」


   エントロピーってそういう風に使うのかな?



kuromaku | 2005年 11月 25日

転載元転載元: 負荷

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