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漫画「キリン」は、第1シリーズの第1巻、モヒやチョウースケやマサキが出てくる最初から、愛読しております。スズキのカタナと、ポルシェやGT-Rといった速い車との全く意味のないバトル、それからガルーダという凶暴凶悪なバイク集団が出てきて、それと「走るのを楽しむ」バーンストームトゥルップスやグリフォンといったグループが絡み、カワサキのZ1000mkⅡというマニアックなバイクに乗る大阪弁の寺崎(竿氏)が話を面白く(ある意味では悲壮に)し、ガルーダシリーズが終わると次は三台目キリンが登場して日本のどこにもないごくごくクローズドな海辺の村に舞台が移り……。
その、最後のシリーズ「ハッピー・リッダー・スピードウェイ」も、11巻で終わりました。その第11巻、まだ手に入れてないけど。
最終シリーズ、古くからのキリンファンの皆様にはたいそう評判がよろしくありませんが、私はそれなりに面白いと思っておりました。終わって残念であります。東本昇平師匠は、もうキリンという凄腕のバイク乗りを描くことがないでしょう。この「キリン」が何より魅力的なのは、絶対に群れては走らない、常にソロだということです。私もそうありたい。私の場合は単に友達がいないという、それだけですけど。
ちょっと、65歳になってスズキのGSXR1000、163馬力のバイク(恐ろしくクラッチが重い。首都圏の渋滞路じゃ大変だろうなと思う)がちょっと(ちょっとかよ)しんどくなってきたので、キックペダルのついた125ccのオフロードバイクに乗ろうと思っています。
それはそれとして。
この漫画「キリン」最終シリーズ。
ストーリー展開に何の影響も及ぼさないけど、気になって気になって仕方がないというキャラクターが登場する。
漆黒のセミロングの髪の毛を持つ、女子高生スタイルの女であります。
まさに、「薄幸の少女」という言葉は(そんな言葉があるとすれば)この女にこそ、ふさわしい。
誰にも愛されない、誰にも必要とされない、どこにも所属せず誰の役にも立てない、世界に何の影響力も行使できないで登場し、そのまま、死ぬ。
彼女が登場するのは、第2巻です。ミニバイクを運転していて悪徳警官・ピクルスの運転するパトカーに捕まり、違反切符を切られる代わりにフェ○○オを強制される。
第4巻では海辺で独り物思いにふける街のチンピラ「ヤス」のそばにやってきて「ここに座ってもいいですか」と聞く。ヤスが無言で体をずらすと、彼女はなぜかヤスにピッタリと体をつけて座る。ヤスが「誰だよテメー」と聞くところで、シーンが換わる。次の登場シーンは5巻、ヤスの部屋だ。下着姿になった彼女が両腕で豊満(非常に豊満)な乳房を体の中央に寄せ「どう」「感じるデショ」とヤスに聞く。「ムニュ」という、それ以上ない正確な擬態語が、添えられている。なのにヤスの返事は、「感じねーよ」「キメーよ」「気が済んだんなら出て行けよ」という冷酷なものだ。彼女は「あたしのハダカ、見たいデショ」「見せてあげよっか」というのに(すでに彼女はパンティーとブラジャーしか着けていないが)ヤスの返事はあくまで彼女の魅力に対して否定的だ。
次に彼女が登場するのは6巻だ。人気のない街をヤスと彼女が歩く。彼女は冷淡なヤスの腕にしがみついている。ヤスは自分が悪徳警官・ピクルスにいいように使い廻されることに嫌気がさしている。すでに彼は放火にも殺人事件にも関与(というか主犯)している。ヤスは腕にしがみつく彼女をふりほどき、「オレと一緒にいてもろくなことねーよ」というが、彼女は目に涙をため、「行くとこないモン」とつぶやく。ヤスと一緒に歩くのをやめない。しかしヤスにも彼女と同様、行き先などない。途中、二人が彼女のばあちゃんが孤独死している現場に遭遇するというリアルなシーンもるが、結局、彼女はヤスが街を脱出するために盗んだバイクの、後部座席から振り落とされて、あっけなく死ぬ。しかも、事故を起こしたヤスは彼女を見殺しにして単身逃亡するという、どこまでもみじめで救われないキャラクターでしかない。
彼女はステレオタイプな女子高生のコスチュームで登場するが、実際に女子高生かどうかはわからない。普通の状態で乳房は半分近く見えているし、後ろ姿になると常にパンツが見えている。なのに誰にも注目されず誰にも愛されない。彼女がストーリーを動かすこともないから、原作者である東本昇平がこのキャラクターを愛して描いているかどうかさえわからない。
なのに、私は非常にこの少女が気になる。Amazonのレビューを見ても彼女に言及している人は皆無だが、それでも、気になる。無秩序な街の忘れられた存在として、うさんくさい街のチンピラ放火犯(で、実は殺人者)の腕にしがみつくしか、できることのない、行くところもない彼女は明らかに東本世界の何かを象徴している。低能で無力な女の子の常として肉体を露出してオトコの関心を引こうとするがそれでも邪険にされ続ける存在、たった一度、人に呼ばれたときその呼称は「テメー」だった、たった一度誰かのために何かをしたときそれは片思いのチンピラの盗んだバイクを後ろから「押す」ことだった、しかもそのバイクのために、まさに命を落としたというそこまで幸うすい彼女は、何かを明らかに象徴している。
その「象徴」が現実世界では奇妙に厚みを持っている、それゆえに私はこの、決して出番が多いとは言えないキャラクターを奇妙に愛し、その登場シーンを待ったのだと思える。
その象徴するものとは……?
私はその回答を知っているが、あまりにも無惨でリアルなのでここには書かない。
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