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7月19日、北海道に帰って参りました。千葉に住む娘とその友人を訪問したり、旭岳へ家族旅行したり、砂川市内の書店さんを囲む学習会に出たり、卒業生に再会したり、家の中にたまったゴミを捨てたりしているうちにあっというまに夏休みが終わります。
8月18日には早朝の飛行機で新潟へ、イミグレーションのあと中国南方航空でハルピンへ。
今回の夏休みの用事はもう1つ、ありました。
増えすぎた身の回り品の「整理」であります。
まず、バイクを売却しました。8月18日に中国へ戻れば次にバイクと再会するのは2014年7月、配偶者様のビラーゴ250はともかく、私のZX9Rのようにデリケートなバイクはまるまる1年の乗らない期間、激しく劣化することが予想され、家族とも相談、バイク王さんに電話。
この買取業者さん、いろいろな評判は聞いておりましたが、とても親身に相談に乗ってくれ、まずまず無理のない金額を提示され、円満に引き取ってもらいました。
1995年初期型(B型)、走行距離39000km、あまりこちらも強いことは言えません。
次は、ライフル。
こればっかりは何ヶ月も考えました。何しろ、11年の期間を経てようやく交付された免許です。思いとどまるよう説得する人もいました。
しかし、もしかしたら北海道への帰還は2014年でなく2015年であるかも。ライフルは委託保管ですが、それにも応分のお金がかかります。何より長期間撃たないライフルを札幌の銃砲火薬店さんに預け、帰ってきてすぐの射撃試験でちゃんとした点を取れるかどうかわからない。
思い切ってこれも処分。
来年はじめに免許が切れるアマチュア無線局と海技免許は、更新することにしました。
そんなわけで。
バイク乗りじゃなくなりました。ハンターでもなくなりました。
私は誰?
写真は、家族と出かけた旭岳温泉近くの水源地(とてもおいしいお水です)それと、遼寧省、大連市近くのお寺を訪問したときのものです。中国のぶっとい線香になんとか点火しようと苦労する私の手元を心配そうに見つめているのはエスコートしてくれた大学生。更にもう1枚、インコウという街の早朝、とある公園風景。お年寄りがおおぜいあつまり、このようにダンスを楽しみます。
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クルマ、ドライブ関係
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皆様、遅くなりましたが明けましておめでとうございます。中は1月2日の中国南方航空便でハルピンを離れ、日本に帰って参りました。ずいぶんたくさんの方々にお気づかいいただきました。ありがとうございました。
反日デモの心配をはじめ、食品の安全性のこと、水のこと、交通事情の不安(じっさいにハルピンに滞在中、大学のすぐ近くの橋が落ち、トラックの運転手さんが1人死亡した)、……多くの皆様から、「大丈夫生きてるか?」
というメールを多数いただきました。ありがとうございました。
ハルピンは近代化された町で、住んでいる人は商店の人々も食堂のかみさんも普通に道を歩いている通行人さんもみんなみんな優しくて良識に富み、何も不安、ありませんでした。さすがに反日デモが盛んな頃には大学側から「校門から外にはなるべく出ないように」「出るときには複数の生徒を連れて行くように」「不測の事態に備えて携帯電話をいつも離さず、安全担当教員(日本人教員には全員、割り当てがあります)と連絡を取り合うように」というような指示がありましたが、実際には何も不安なこと、怖いことありませんでした。
ただある日本人先生が食堂に入ったら従業員全部がエプロンに「釣魚島は中国の領土だ」と大書して働いており、「韓国人か?」と質問し、つい「そうだ」と答えてしまったところ従業員が「そうか、俺たちは釣魚島でがんばる、あんたたちは独島でがんばってくれ」とまくし立て、嫌な気持ちで食事を終えた、というお話は、聞きました。
交通道徳や食堂で皿に盛られる食べ物の量について、「もう少しここをこうしたらいいのに」と思うことは、もちろんあります。たとえば信号と横断歩道をもう少し増やすとか絶対に食べられないとわかっている量を盛りきるとか、そういうことです。でも中国人にとってはこれが最良なんだろうなぁ、と思ってしまうと、何も気になりません。日本にだって同様の問題はいっぱいあるにちがいない。
いずれにしても無事に4ヶ月、授業してきました。そして2月28日には第2学期の授業がはじまります。元気に7月まで働きます。中国の大学生はとても熱心で人なつこくひたむきで嘘をつかず約束は絶対に秒単位で守り(そのかわりこっちも大変に緊張する)老師、老師と慕ってくれ、本当に気持ちよく授業できます。
12月29日に前期の期末考査があり電光石火の早業で採点し成績を付け(コンピュータ入力は若い女の先生が担当。こっちはサインするだけ)12月31日には盛大に1年生が餃子パーティーを開いてくれ、そして1月2日、上記のように日本に帰りました。まず新潟で1泊、福島で1泊、岩手で1泊、戦中で1泊。赤平帰着が1月7日。
で、ジープとご・た・い・め・んっ!!
意気揚々とスタッドレスタイヤに履き替え、幌を着けようとしたら寒さでカチカチ! 無理に幌を着けようとして、3箇所、破っちゃいました!
うう……ごめんごめん、僕のJ53……。
でも、走りは快調そのもの! さすがジープ! 4ヶ月のブランクもなんのその、直噴エンジンは「ぶるん」と一発で始動! さっそく、滝川、新十津川、砂川とドライブしました。
約40日の北海道暮らしです。
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日曜日の国道38号線。
私は赤平から富良野方向へ走行しておりました。
自慢の三菱J53。
と、はるか向こうからめちゃくちゃにかっこいいシルバーのスポーツカーが走ってきました。
異様に大きなエアインテークを持ち、地に吸い付くように走る、姿も走りもなめらかなクルマ。
日産のGT−Rです。
300m離れていてもわかります。
呆然とみつめる私。あっというまに迫り、GT−Rは滝川方面へ走り去りました。
ところが、ちょうどすれ違ったその場所に、自転車を止めて休んでいるおじいちゃんがいました。
おじいちゃんが、GT−Rとジープとどっちを、ずうっと目で追っていたかというと……。
ジープの勝ち!!!!!!!!!!
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例年よりうんと早く、ジープをフルオープンにしました。
とはいえ、すぐにビキニトップ(兵庫県からネットで取り寄せたサントップ)をつけますので、フルオープンでいるのはいっとき。
実は、ホロをつけていてはできない作業が。
引っ越してきて以来、ずっと片付けていなかった家の中には、永遠に使わないもの、どうみても捨てるしかないゴミが、大量に散乱しています。高さ178cm重量77キロの生ゴミもあるけどそれはまぁ捨てられない。
ジープの荷台にダンボールをしき、ガムテで固定し、そこに手当たり次第に袋に詰めたゴミを放り込みました。江部乙にあるゴミ処理センターと自宅を往復。
やっぱり、フルオープンのジープはそれなりに目立つようで、見知らぬ赤平市内の住民の方から「かっこいいですね」と、声をかけられました。
素直に嬉しく、感謝の返答をするのですけど、ジープはまぁいいとして運転してる男はひどいもんです。
ジーパンは日曜大工でペイント塗りにも使用しているものなので汚いのなんの。運転すると風で帽子が飛ぶのでつばを後ろ向きにしてかぶります。ジープのハンドルは細いので作業手袋をしていますがこれまた何にでも使用しているのでボロボロ。
それで年齢は還暦。ふつうその年齢だともう少し落ち着いた行動を取るもんですが。
とにかく銀行の窓ガラスに映った自分を信号待ちでふと見ると、公園の浮浪者が盗んで乗っているようにしか見えない。
でも楽しいです。作業が終わっても「降りる気がしない」。
本日は奥さんの車のタイヤ交換で、卒業生が勤める苫小牧のスタンドへ行きます。冬→夏への交換ではなくて、夏タイヤを新しくするものです。19万キロ走った奥さんのプレミオ、いったいどこまで走る?
ジープはまだ61000キロ。
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1958年から(古いね、どうも)6年間通った小学校の裏です。
南天の実、「宝蔵町」の文字、古い自転車……。
この路地が、遊び場でした。そして、かなり大きくなっても(高校生とか)友達とらちもない話をしながらぐるぐる歩いたの、やっぱりこの路地でした。
「太宰治、読んだ?」
「人間失格と斜陽は読んだ」
「坂口は?」
「青鬼の褌を洗う女は読んだよ」
「堕落論読まなきゃ」
「ねぇ、やっぱり体の不自由な人の施設で仕事するの?」
「うん」
「高校の教員免許とったのに?」
「その前から決めてたから」
「大変だよ」
「大変だから俺がやらなきゃ」
……昨夜、古い友人からこのブログに書き込みをもらい、とつぜん気付きました。
40代、50代、そして60歳になる今日まで、高校生に向かい「友達なんていらない」と言い続けた私。
べたべた依存し合う(トイレも1人じゃ行かない)高校生にいらだち、「俺には親しい友達なんかいないけどそのほうがよっぽど気持ちいいぞ」と言い続けたのでした。それはいったいなぜか。
バイクのツーリングは1人が良いぞ、と言い続けたのはなぜか。
テニスやサッカーは集まらないとできない、そりゃわかるけど『モーツァルトを聴く会』とか『アンドレ・ジイドを読む会』とか、ばっかじゃないの。そんなの1人でやれや。
なんでそんなことを言い続けたのか。
わかった。
子どもの頃から、素敵で刺激的なともだちがいっぱいいたからだ。
前向きでひたむきで自分が今一番考えるべきこと、それから目を逸らさないで一心に見つめ考え続ける、そのことで私(中)に影響を与え続ける、人間として尊敬できる、
ともだち。
が、実はいっぱいいたからだ。
私は恵まれ、満たされていた。だからそれ以上求める必要がなかった。昨日の書き込みのともだちと、最後にあったのはなんと40年近く前だ。でも、会わない期間がなんぼ長くても、会っていたときの充実と興奮は、ずっと私の中にあった。
だから、「友達なんて」と言い続け、じっさいに多くのことを1人でしても孤独じゃなかったのだ。
暴言をはいてごめんなさい。現在高校生である皆さんが、そういう友達に出会うことをあらためて願います。
思い出は、いつも路地に。
金を持って歩いた場所のことは、実はろくすっぽ憶えていない。でもあてもなく高校の放課後、「山本周五郎ってなんで文章うまいのに教科書に載らないんだろうね」と言いながら歩いた記憶は、この路地に鮮明であります。
それに気付いた。色んなことに気付いた。
歳を取る、それは案外いいことなのであります。藤木君ありがとう。喫茶フルフルも白十字もとうの昔にないけど、また会おうね。
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