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写真は暗くて小さくてよくわからないのですが、私の中国出発に向けて集まってくれた旧砂川高等学校、平成20年度入学『D組』のみんなと、一緒に担任をしたT先生、A組担任のY井先生です。
苫小牧で車関係の仕事をしているO山君から「8月×日と△日はあけておいてください」という連絡を受けたのが、7月下旬。そして、会場となったお店につとめるS藤さんから「8月8日夜8時スタートです」という電話受けたのが、直前の6日。
そんなに大きなお店じゃないので、7〜8名も集まってくれてるのかな、と思ったら、なんと先生を合わせて、23人! 「仕事中なのですが」といいながら、ちょこっと顔をだしてくれた人も。中には一度も担任したことのない人もいました。
当然お店は満杯!
卒業した人が時々集まっているのは知っていましたが、そっかぁ、こんな楽しい会なのかぁ。
別れを惜しむ話は、初めと終わりだけ。真ん中は、「仕事どう?」「臨床実習はどう? 注射なんかするの?」「あの車で、ミッション故障するかなぁ」「なんで日本にはいい男いないんですかぁ」「それはあなた方女が、男にちゃんと『要求』しないから」というような話がずっと続きました。「チャラい男に私だけは特別、って思わせるためにはどうしたらいいんですか?」というような、中国と関係のない本質的(笑)な話が続きました。
規定では2時間ですけど、大幅に延長して23時、お店の方は非常な好意を示してくださり、何もおっしゃらず。でも、何人かの同窓生はハラハラしていたようでした。
「先生がマイクで何かしゃべらないと終わらない」という指摘で、短い挨拶。
1人の女性が泣き始めました。
新潟から2時間15分のフライトでもうハルピンです、すぐそこです、それに帰ってくるのは来年7月です。あっというまです、と何べん説明しても、泣き続けます。中国と日本との距離感は、物理的な説明では無理なのかもわかりません。
あらためて、私は幸福な教師(もと)幸福な人間だと思います。
私は、何一つ、「教える」ことなどできませんでした。私は23人にとって「恩師」などではありません。私には恩師と呼べる方はいますが、私は恩師にはなれませんでした。23人の顔を見てから旅立てる、そのことは、どこまでも砂川高校にまつわる人々の、「人情」です。
人情。
そうすると、T田さんが、私が何べん「すぐ隣の国です」と説明しても泣きやまなかった、その理由がわかります。
自分と仲間の「人情」という物語に、彼女は感じていたのです。まさにそれが、砂川高校の、そして平成20年度入学者の財産なのでした。
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北海道砂川高等学校関係
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衣類を選ぶことにかけては、「日本人の中で最悪のセンスの持ち主」というかたい評判を得てきた私。
独身時代、襟と袖口が真っ赤、その他の部分が真っ黒、ボタンは金色、というポロシャツを着て街を歩き、今は私の配偶者様となった女性から、「こういう人が日本語を話す不思議と違和感にくらくらした」と言わせてしまいました。
その配偶者様が、「これならまぁまぁね」と、ある日シャツを買ってくれました。なるほど着心地いいし、サイズもぴったり、だいいち着て歩いても誰も道をよけない。
こりゃいいわ、と言って、配偶者様が買ってくれた店へ行き、まるっきり同じものをあと5着、買って来ました。
配偶者様、怒るのなんの。
なんで怒るのか、今でもわからないですけど。
親戚A「あなたと街を歩くと、恥ずかしい」
親戚B「あなたと街を歩くと、臭い」
親戚C「あなたと街を歩くと、怖い」
親戚D「私に話しかけたら承知しないからね」
どれも的確な対応であります。それほどひどいセンスの私。
見かねた砂高生の皆さんが、お金を出し合い、シャツをプレゼントしてくれました。自分で選んだんじゃないから、大丈夫でしょう。
さぁ〜これを着て〜どこへ行く〜。
ちなみに、そばに置いてある花は、職員室の隣の席の先生がくださったもの。さすが女性は違う。
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なんと、私が着任した年に新入生だった人たちが、7名来てくれました。
もう、彼女たちも成人しています。
私が抱いている子どもは、写っている中のおひとりのお子さん。
思わず、孫も悪くないな、と思いました。私の子どもは3人ともまだ独身ですが。
でも、次の瞬間、まだまだ自分には早いと思い直しました。
それにしても。
まだ看護学生さん、社会人、大学生、主婦、専門学校生、と多彩です。で、砂川高校のみなさんは、本当に話していて楽しく、良識とわきまえがあります。ただ、人生の様態は、人によっては波瀾万丈のようです。「ねぇ聞いて聞いて。彼ったらさぁ、彼の母親ったらさぁ」と、堰を切ったように話を始められました。また、教科通信(あ、もう終わったんだった)にして?
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北海道砂川高校で、私の32年数ヶ月の教員生活が終わりました。
驚くべき事に、かつて担任した、今は社会人&学生&看護学生の人たちが、20名も来てくれました。シフトが入っていたんだけど休みを取った人、ちょうど今日から大学/専門学校が休みなのでという人、仕事あるけどこれからでも間に合うのでという人……。
退任の日に、かつての担任学級の人たちが……。
そんな恵まれた教諭もそんなにはいないと思います。みなさん、ほんとうにありがとうございました。
中には、1年生の時だけ担任した人も。
皆さんのご多幸を、心から祈ります。
写真の人たちが思い出話をして去っていった後、「離任式に間に合いませんでした」と、更に数名の人が来てくれたのでした。
なんでか、学校まで来たのに駐車場にとめた車の中にいた人……。(なんでだろう)
夜は送別会。
5年しかいなかった砂川高校でしたが、基本、平成20年入学生についての話題に花が咲きました。
なつかしい、あまりになつかしい。
でも、すべてが終わりました。
次のステージ!
バイクにジープ、射撃に中国語勉強、カナダのバス旅行にピアノの調律に……
ブログの更新!!!!
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すばらしい学校で、すばらしい生徒に出会え、素晴らしい先生方と一緒に仕事がさせてもらえて、自分はなんてラッキーなんだろうと、思っています。
まぁ仕事の総量ってのは決まってますので、私が楽すると他の人がよけいに仕事するんですけど。
でも私は、許されない失敗を2回、砂川高校で犯しています。
2007年5月、連休明け。私は1人の女生徒に暴力をふるっています。スカート丈を注意したその生徒が返事をしなかったという、それだけの理由で。
生徒は泣きながら親に電話。
親は「相談できそうな先生を見つけて話を聞いてもらいなさい」
私は、クビを覚悟しました。
その時私をかばってくれたK地先生、K玉先生、両方とも転勤して、砂川高校にはいません。
もう一回は、2009年10月22日。
こともあろうに、修学旅行引率団の一員として、体調不良者が出たらどうするかというその対策を説明している職員会議のその場で、私は倒れてしまいます。
この時も、真剣に退職を考えました。
実はこのことは、今なお私の配偶者様は、知りません。でも砂高の先生はみんな知っています。
いろいろなことがあって。
でも、退職の日まで、現職であることを許してもらえた。
あらゆる局面で私をかばい、矢面に立ってくださったかた、すべての皆様に、深く、深く感謝申し上げます。
写真は、ある秋の日の登校風景。
生徒が、楽しそうに笑いながら登校してこない学校って、なにか変だと思います。
砂高、最高!!
海より深く、感謝!
明日は短い退任の挨拶を、心がけるぞ!!
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