|
「別れた男のことが忘れられない、どうしたらいいだろう」という話を聞く。相談というわけじゃない、彼女たちも、まさか中から答えらしい物が引き出せるなんて思っていない、単なる世間話である。でも、考える。
つきあって、別れた。また同じ男とヨリを戻して付き合って、やっぱりダメで別れた。
忘れられないのだという。
「忘れる必要なんて無いじゃん」と、中は言う。「人生の中で、忘れられない男と出会った、別れた後も思い続けることが出来るほどいい男と出会ったということを、密かに誇ればいいじゃないですか」と、中は思う。それほどの男と「出会えない」女もいるわけだからさ。
すると彼女たちは、「そんな単純な話じゃないのだ」という。
とにかく思い続けてもどうにもならないのだ、相手の男はもう他の女と付き合っているし、自分の所に戻ってくることなんかあり得ない、自分はそれでもまだ彼のことが好きで、このままじゃ次の恋愛もできない、という。
よっぽどいい男だったんだ、と中。返事は「いえ、それほどじゃない」むしろ、友達からは、あの男のどこが良いの? と言われるらしい。自分とつきあっているときでも他の女にちょっかいをかけるし約束は破るし嘘つくしごまかすし私から金を借りて返さないし。
じゃぁ、セックスがすごかったとか? と、中。彼女は首を傾げて「それもたいしたことない。むしろ下手かもしれない」ただガツガツしてるだけで、と彼女は憂鬱そうに目を伏せる。
でも忘れられないんですか? と、中。「忘れられない、どんどん苦しくなる」と、彼女。ここだけの話だけど、しょうもない男というのは始末が悪い。理由はいくつかある。生活能力がない男は女に「私がついててなんとかしなきゃ」と思わせるし、ある種の劣等感を持ったまま男とつきあっている女にとって、自分の欠点を隠してくれる存在であるからだ。このことは案外重要である。自分で問題をどんどん解決していける生活能力旺盛な男は、言ってみれば女のケアなんか必要ないわけだから、よほど向上心のある女でないと相手はつとまらない。ズバリ言うと、きちんとした男と(なかなかいないが)つきあうということは、女が常に自分を振り返っていないといけないということだ。プライドの高い女で、そのプライドが女の内実とちゃんと連動していないといけない。どんな美人でもどこかに不安というか劣等感を持っている。だからダメ男にもてる余地が芽生える。
わかりやすいでしょ?
例の女性に話を戻す。「つきあっている間はとにかくイライラさせられ通しだったのに、別れてみると毎日彼のことばかり考えている。」
忘れる方法? あるよもちろん。本当に楽になりたいと思うなら。
「どんな方法?」と彼女たちは聞く。
「好きだ」という気持ちを、消費すればいいのですよ、どんな感情だって、有限です。誰かとラブラブで、「ずっと一緒にいようね」と言い合っていても、たいていのカップルは別れます。感情は有限で、補充していないと、枯渇します、消耗します、消えてなくなります、あなたはとにかく、この男を好きだと思わないようにしようと、無理なことを自分に言い聞かすから、たっぷりとした『未練』は消費されないまま残ります。
好きだという感情を消費してしまいましょう。私は彼のことが好きだ、好きで好きでたまらない、あんなにいい男はいなかった、あんな男と出会えて、なんて私は幸せだったんだろう、
……毎日毎日そう思う。口に出して言う。白い紙に、彼の名前を丁寧に書く。何百回も何千回も書く。
あっという間に、彼への未練は、消費されます。忘れることができます。でも、そのことが現在の状態よりもあなたを幸せにするかどうかはわからないと、私は思います。
「なぜ?」と彼女たちは聞く。
誰かを好きだと思う、好きな人がいるというのは実は至福の時だからです。自分自身の中に生体としての基本的なエネルギーがないと、誰かを好きになることができません。好きだということは、エネルギッシュな私を確かめる、そういうことであるからです。そして誰かへの気持ちというのは何度も言いますが有限です、消費されていきます。誠実に相手との関係性を大事にしようと思うなら、好きという感情は毎日『補充』しないといけません。補充というのは相手の魅力を新規に発見し続けることにつきます、そして自分も努力する必要があります。毎日変わり続ける、変わる努力をする、そうやって消費されたぶん、補充する。そうしないと、一つの恋愛を2年、3年と続けることは出来ません。
あなたは彼のことを忘れようとしているわけで、彼はすでにあなたのものではありませんから、あなたのために魅力的に変身し続けようと努力なんかしてくれません、ということはあなたが自分を押さえつけない限り、好きだという感情は消費され続けるしかないということです。上に書いたような方法によって、簡単に忘れることが出来ます。
でもまぁ、もったいないとは思いますけどね、と、中。
彼女は、どうするでしょうか?
白い紙に、好きな男の名前を何百回何千回と書くでしょうか?
わかりません。わからないけど、中はここまで書いて、あの都はるみの『北の宿から』を思い出す。都はるみという歌手の名前を知らない人もいるだろう、30年ちょっと前にレコード大賞を取った歌手だから明らかに今の人ではない。
彼女はこう歌ったのだ。
あなた変わりはないですか
日ごと寒さがつのります
着てはもらえぬセーターを
寒さこらえて編んでます……
最初聴いたとき、中はなんて女って怖いんだと思った。
別れた男はもう絶対に自分の元へは帰ってこない、なのにその人のサイズでセーターを編む。旅先の『北の宿』でだ。自宅ではない。彼女は死ぬつもりなのだろうか? 2番の歌詞は、「あなた死んでもいいですか、胸がしんしん痛みます、窓に映して寝化粧を、しても心は晴れません」と続く。
これを、あのゴリラの赤ちゃんみたいな顔をした京都出身の歌手が朗々と歌うのだ、なんて暴力的なのだろうと思う。もう帰ってこない男のセーターを編む、男が目の前にいるわけではないが、それでも女は目の前の空間に叫ぶ、死んでも良いですかと。しかも場所は、遠い旅先なのだ。
暴力だ。男がこれを聴くわけはないのだろう、男はどこか知らないところで自分の生活を展開しているのだろう、でもこれはれっきとした暴力である。なんて恐ろしい女だ、なんて恐ろしい歌詞なんだと、思っていた。
しかし、実は違うのかもしれない。
女は、思い続けるつらさを解消するために、セーターを編んでいるのではないだろうか。セーターはどんなに見事に編みあがっても、男は着ない。着ないどころか、そんなこと知りもしない。でも女にとっては、セーターを編む、という行為が、大事なのだ。
消費である。
好きという感情は、そうやって消費される。女は死なないだろう。女は編みながら一心に男のことを考える。出会いから別れまでを繰り返し思い出す、考える。その間じゅう、恋慕の感情はどんどんと消費されている。セーターが編みあがるとき、はじめたっぷりとした『それでも好き』という感情は、かなりの部分消費されているだろう。そして女は再出発に向かうのだろう。
「あなた死んでもいいですか」という歌詞はそれだけ聴けば強烈である。しかしそんな風に暴力的に男に迫れる女というのは、絶対に死なないのだろうと思う。このセリフを聴いてひるまない男はいない、困らない男はいないが、すでに男と女とは『一体』ではないのだから、男がどんなに困ろうが混乱しようが女にはどうでもいいのだ。
つまり、感情の消費は完了したのである。
|