JK8FNQのブログ…バイク、中国、ジープにアマチュア無線…

還暦を過ぎた北海道赤平市のアマチュア無線局。8月から中国暮らしです。

取扱注意の教科通信

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 「別れた男のことが忘れられない、どうしたらいいだろう」という話を聞く。相談というわけじゃない、彼女たちも、まさか中から答えらしい物が引き出せるなんて思っていない、単なる世間話である。でも、考える。
 つきあって、別れた。また同じ男とヨリを戻して付き合って、やっぱりダメで別れた。
 忘れられないのだという。
 「忘れる必要なんて無いじゃん」と、中は言う。「人生の中で、忘れられない男と出会った、別れた後も思い続けることが出来るほどいい男と出会ったということを、密かに誇ればいいじゃないですか」と、中は思う。それほどの男と「出会えない」女もいるわけだからさ。
 すると彼女たちは、「そんな単純な話じゃないのだ」という。
 とにかく思い続けてもどうにもならないのだ、相手の男はもう他の女と付き合っているし、自分の所に戻ってくることなんかあり得ない、自分はそれでもまだ彼のことが好きで、このままじゃ次の恋愛もできない、という。
 よっぽどいい男だったんだ、と中。返事は「いえ、それほどじゃない」むしろ、友達からは、あの男のどこが良いの? と言われるらしい。自分とつきあっているときでも他の女にちょっかいをかけるし約束は破るし嘘つくしごまかすし私から金を借りて返さないし。
 じゃぁ、セックスがすごかったとか? と、中。彼女は首を傾げて「それもたいしたことない。むしろ下手かもしれない」ただガツガツしてるだけで、と彼女は憂鬱そうに目を伏せる。
 でも忘れられないんですか? と、中。「忘れられない、どんどん苦しくなる」と、彼女。ここだけの話だけど、しょうもない男というのは始末が悪い。理由はいくつかある。生活能力がない男は女に「私がついててなんとかしなきゃ」と思わせるし、ある種の劣等感を持ったまま男とつきあっている女にとって、自分の欠点を隠してくれる存在であるからだ。このことは案外重要である。自分で問題をどんどん解決していける生活能力旺盛な男は、言ってみれば女のケアなんか必要ないわけだから、よほど向上心のある女でないと相手はつとまらない。ズバリ言うと、きちんとした男と(なかなかいないが)つきあうということは、女が常に自分を振り返っていないといけないということだ。プライドの高い女で、そのプライドが女の内実とちゃんと連動していないといけない。どんな美人でもどこかに不安というか劣等感を持っている。だからダメ男にもてる余地が芽生える。
 わかりやすいでしょ?
 例の女性に話を戻す。「つきあっている間はとにかくイライラさせられ通しだったのに、別れてみると毎日彼のことばかり考えている。」
 忘れる方法? あるよもちろん。本当に楽になりたいと思うなら。
 「どんな方法?」と彼女たちは聞く。
 「好きだ」という気持ちを、消費すればいいのですよ、どんな感情だって、有限です。誰かとラブラブで、「ずっと一緒にいようね」と言い合っていても、たいていのカップルは別れます。感情は有限で、補充していないと、枯渇します、消耗します、消えてなくなります、あなたはとにかく、この男を好きだと思わないようにしようと、無理なことを自分に言い聞かすから、たっぷりとした『未練』は消費されないまま残ります。
 好きだという感情を消費してしまいましょう。私は彼のことが好きだ、好きで好きでたまらない、あんなにいい男はいなかった、あんな男と出会えて、なんて私は幸せだったんだろう、
……毎日毎日そう思う。口に出して言う。白い紙に、彼の名前を丁寧に書く。何百回も何千回も書く。
 あっという間に、彼への未練は、消費されます。忘れることができます。でも、そのことが現在の状態よりもあなたを幸せにするかどうかはわからないと、私は思います。
 「なぜ?」と彼女たちは聞く。
 誰かを好きだと思う、好きな人がいるというのは実は至福の時だからです。自分自身の中に生体としての基本的なエネルギーがないと、誰かを好きになることができません。好きだということは、エネルギッシュな私を確かめる、そういうことであるからです。そして誰かへの気持ちというのは何度も言いますが有限です、消費されていきます。誠実に相手との関係性を大事にしようと思うなら、好きという感情は毎日『補充』しないといけません。補充というのは相手の魅力を新規に発見し続けることにつきます、そして自分も努力する必要があります。毎日変わり続ける、変わる努力をする、そうやって消費されたぶん、補充する。そうしないと、一つの恋愛を2年、3年と続けることは出来ません。
 あなたは彼のことを忘れようとしているわけで、彼はすでにあなたのものではありませんから、あなたのために魅力的に変身し続けようと努力なんかしてくれません、ということはあなたが自分を押さえつけない限り、好きだという感情は消費され続けるしかないということです。上に書いたような方法によって、簡単に忘れることが出来ます。
 でもまぁ、もったいないとは思いますけどね、と、中。
 彼女は、どうするでしょうか?
 白い紙に、好きな男の名前を何百回何千回と書くでしょうか?
 わかりません。わからないけど、中はここまで書いて、あの都はるみの『北の宿から』を思い出す。都はるみという歌手の名前を知らない人もいるだろう、30年ちょっと前にレコード大賞を取った歌手だから明らかに今の人ではない。
 彼女はこう歌ったのだ。

 あなた変わりはないですか
 日ごと寒さがつのります
 着てはもらえぬセーターを
 寒さこらえて編んでます……

 最初聴いたとき、中はなんて女って怖いんだと思った。
 別れた男はもう絶対に自分の元へは帰ってこない、なのにその人のサイズでセーターを編む。旅先の『北の宿』でだ。自宅ではない。彼女は死ぬつもりなのだろうか? 2番の歌詞は、「あなた死んでもいいですか、胸がしんしん痛みます、窓に映して寝化粧を、しても心は晴れません」と続く。
 これを、あのゴリラの赤ちゃんみたいな顔をした京都出身の歌手が朗々と歌うのだ、なんて暴力的なのだろうと思う。もう帰ってこない男のセーターを編む、男が目の前にいるわけではないが、それでも女は目の前の空間に叫ぶ、死んでも良いですかと。しかも場所は、遠い旅先なのだ。
 暴力だ。男がこれを聴くわけはないのだろう、男はどこか知らないところで自分の生活を展開しているのだろう、でもこれはれっきとした暴力である。なんて恐ろしい女だ、なんて恐ろしい歌詞なんだと、思っていた。
 しかし、実は違うのかもしれない。
 女は、思い続けるつらさを解消するために、セーターを編んでいるのではないだろうか。セーターはどんなに見事に編みあがっても、男は着ない。着ないどころか、そんなこと知りもしない。でも女にとっては、セーターを編む、という行為が、大事なのだ。
 消費である。
 好きという感情は、そうやって消費される。女は死なないだろう。女は編みながら一心に男のことを考える。出会いから別れまでを繰り返し思い出す、考える。その間じゅう、恋慕の感情はどんどんと消費されている。セーターが編みあがるとき、はじめたっぷりとした『それでも好き』という感情は、かなりの部分消費されているだろう。そして女は再出発に向かうのだろう。
「あなた死んでもいいですか」という歌詞はそれだけ聴けば強烈である。しかしそんな風に暴力的に男に迫れる女というのは、絶対に死なないのだろうと思う。このセリフを聴いてひるまない男はいない、困らない男はいないが、すでに男と女とは『一体』ではないのだから、男がどんなに困ろうが混乱しようが女にはどうでもいいのだ。
 つまり、感情の消費は完了したのである。

 劇作家の山崎正和という男が、こんな事を言っている。
 「世の中には英雄とバカと豪傑がいる。流行を最初に作り出すのは英雄で、それを追いかけるのは単なるバカ、最後まで流行に従わなかった奴は豪傑である。」
 なるほどな、と思う。厚底ブーツも(古いね、中の話題も)ルーズソックスも(もっと古いや)誰かが考えた。考えた奴が英雄だというのは中にもわかる。単に流行を追いかける人間は確かにバカの顔をしている。
 歌志内時代、最後までルーズソックスをはかなかった生徒は1人しかいない。彼女は豪傑だったのだろうか。わかるような気がする。無口で頑固な人だったが、別にいじめられたり仲間はずれにされたりという事はなかった。そもそも群れない人だった。豪傑というなら、豪傑かも知れない。
 今回、中が言いたいのは、痩せブームのことだ。
 廊下で、複数の女子が「どうやったら痩せるか」という話をしている。リンゴダイエットがどうとか、もやしでダイエットしたら栄養失調になってその後かえって太ったとか、色んな事を言っているが、当たり前だが中なんかにはよくわからない。もやしダイエットて何だよ。
 当たり前といえばこれも当たり前のことに、ダイエットの話題で盛り上がっている3人はともども、太ってなんかいない。どちらかといえば平均より痩せている。
 どうしても痩せたいなら、それは簡単だ。
 中はいつも自慢話をしているが、2004年の12月24日(おお、クリスマスイブだ。中はその夜、担当の若くてきれいな看護師さんと、まるまる一夜を共に過ごしたのだ。もっとも中は術後ということで体中パイプだらけ、会話といえば「おしっこは大丈夫ですか?」みたいな、およそクリスマスとは似つかわしくないものだったが、それでもイブはイブだ。あの人はいまどうしているだろう)に、胃袋と胆嚢をとった。癌の患部がかなり下だったので、十二指腸の一部もとった。手術をした医者が驚いていた、「あなた、左の腎臓もないんですねぇ」中は、はい、昔々スキー場での事故で失いました、と答えた。ちなみに右目の視力もありません。心臓肥大で右脚ブロック異常というもあるぞ。どうだまいったか。
 それはまぁどうでもいいのだが、いくつかの臓器をとったらみるみる痩せて、手術前は104キロもあったのが、今じゃぁ78キロほどしかない。
 胃袋をとれば痩せる? もちろん痩せる。とらなくても、食べ物が入らなくなればいいのだから、結搾(けっさく)という方法がある。特殊なヒモで胃袋をバインドするのだ。保険が利かないから何百万とかかる大手術になるが、絶対に痩せる。
 ぱくぱく動く、この口が悪いのよ、ということで、骨に穴を開け、上あごと下あごを縫い合わせてしまうという人がいる。最低限の栄養と水分は歯の間からストローで流し込むわけだ。クシャミをしたくなったらどうするのだろうと思うが、本気で痩せたいと思う人は、そこまで、する。
 そんなことにまったく意味はない、と普通は考える。女性はどういう体形のときに美質を放つか、それは実は時代によって違うのだ、という人もいる。当たり前だ。ルネサンスの絵画に登場する美人たちは、今なら間違いなく肥満体だ、ミュロンのビーナスを見よ、ボッティチェリのアフロディーテ(美の女神)を見よ、もうみんなみんな、今の時代の基準なら目も当てられないような肥満体である。
 時代というか、その国、その国の流行なのだろうか? そうも言える。今なお、フレンチ領ポリネシアでは、女性は動けなくなるほど肥満してずっと椅子に座ってニコニコしているのが最高の美人だったりする。
 どうして日本の女性は痩せたがるのか。この豊かな、食料豊富な日本において、どうして沢山食べることを忌避する、罪あるこのように認識するのか?
 意外なことに、妊娠のコントロールなのだ。肥った女性は、妊娠しやすいのである。
 時代は、あげて少子化傾向である。昔よくあったような、十人きょうだい、なんてめったにいない。少なく生んでしっかり育てる時代なのだ。たしかに、出産に伴う不安はあるだろう、ごく最近も、いくつかの病院に受け入れられず、妊婦がかわいそうなことになった。病院は「受け入れ拒否じゃない、受け入れ不能だ」としたがり、メディアは今なお「受け入れ拒否」と言いたがる。両者は大きな違いだが、どっちにしろ、これから子どもを生もうという女性にとって、今起こっているような医療事故が恐怖の源であることは想像に難くない。
 女の人が、必要以上に「痩せよう痩せよう」と唱えることは、その時代と無関係ではない。
 結論から書く。
 太っている女性というのは、妊娠しやすいのだ。
 今、女性の体内で、卵子が精子と合体した。卵割が始まる。しかしそれが自動的に妊娠を意味するわけではない。卵子は、自分で、母胎に着床するかどうか、決めないといけない。
 卵子は母体の、栄養状態を調査する。痩せた女性で、体脂肪率は20%しかなかったりする。体脂肪というのは要するにエネルギーの備蓄であるから、これじゃダメだ、赤ん坊になるまで栄養の供給を受けることができないだろうと、判断する。すると、せっかくの受精卵だけど、体外へ出てしまう。
 別の女性は、体脂肪率が32%ある。備蓄は充分だ。すると卵子は、安心して着床する。妊娠がスタートするわけだ。
 考えてみれば当たり前の話で、母胎に栄養が充分じゃないのに妊娠が始まったりしたら、胎児か、母親の体か、どっちかがダメージを被る可能性がある。その片方が損傷を受けるという事は、もちろん両方がダメージを受けるという事だ。
 女性が痩せたがるのは、妊娠の予防である。そんな知識なんか無くても、女性らしい鋭い感覚で、彼女たちはこう決めたのだ。「恋愛はするわよ、セックスだって嫌いじゃない、でも妊娠は、避けたいのよ」
 精子には強さがある。今セックスした女性が複数の男と関係を持っている場合にそなえ、何パーセントかの精子は卵に向けて突き進むことをやめ、尾っぽを絡ませあって網を作り、他の男の精子の侵入を阻んだりする。なんて頭の良いことだろう。でも、頭の良い精子があるということは、馬鹿な精子もあるということだ。それは何の差だろう。それを生産する男の頭脳と関係があるのだろうかないのだろうか。中には分からない。でもはっきりしているのは、痩せた女性でも妊娠させてしまうような『強い』精子の持ち主がもしいるなら、それは外形のどこかに、サインを出しているはずだ。
 どんなサインだろうねぇ。
 さて、少子化傾向の近代において、女性は痩せたがる、妊娠しにくい体になろうとする、という話の続き。
 時代が変われば、つまり沢山の子どもを必要とする時代になれば、彼女たちはダイエットをやめ、ミュロンのビーナスの体型を目指すだろう。
 わからないのは男達だ。できるだけ沢山の女性に精子を振りかけ、できるだけたくさんの子どもを色んな女性に産んでもらわないといけない男が、痩せた女性を珍重するというのはどうういうことだ。バカじゃないか。そう、流行に乗せられたバカだ。
 男こそ、痩せた方がいい。それははっきりしている。痩せた男の方が、ポテンシャルの持続する時間が、長いんだよ。そして、セックスの可能な年数も、長いんだよ。つまり歳を取っても……やめよう、クビになるのいやだし。

教科通信「ダメな女」

 中が現在どうにかこうにか社会生活が送れているのは(送れてねーよ! という人もいるかも知れないですが)村上龍の書籍を全部読んでいるおかげだ。気分が落ち込んだとき、もう何もかもうまくいかないし仕事続けてても生徒にも先生方にも迷惑かけるばっかしだから辞表書いてカップラーメンを大量に買って書斎に引きこもり、誰にも迷惑をかけない生活を選ぼうと思ったこともある、でもそんなときに村上龍を読むと、まぁあと半年だけやってみるかぁ、という気持ちになる。元気が出るのだ。
 まぁ、冷静に考えると10年前にちゃんと仕事を辞めていたら、今ほど周囲に迷惑をまき散らさなかったのではないかと考えるけど、それはまた別の話。村上龍の書籍を読むことが、人間を元気にする、という話だ。
 それにしても、光文社文庫「ダメな女」ってのは激しいタイトルだと思う。
 色んな女のことを話題にしている。道後温泉(四国の奥の方にある、観光地だ)にあるクラブにいた、全身をココ・シャネルのブランド品で固めたホステスさんの話は臨場感がある。こつこつ働いてお金を貯め、月に一度東京に出かけてシャネルを買いこむ、という女性の話だ。村上は「それは間違っている」と指摘する。あなたはシャネルを買い込む代わりに、簿記の勉強をするとか海外旅行のプランを練るとか、つまり内面、知性を磨くのに集中した方がいい……。
 当然、ホステスさんは、「あたしのお金なのだから何に使おうと私の勝手じゃない」と怒り出す。ホステスさんの気持ちも分かるし、村上の指摘の理由も分かる。道後温泉のホステスさんはかわいくもなければキレイでもなく、村上龍の表現によると「トリケラトプスみたいな顔」なのだそうだ。ココ・シャネルで全身を飾るというのは彼女のコンプレックスを物語っている。内実をしっかりと持ったプライド高い女性であれば、ブランド品で武装しようとは多分思わない。本来ココ・シャネルの洋服は、それなりの人生の蓄積がない人が来ても似合わないもののはずだ。
 自分のことをちょっとだけ話すと、中がニッサンのGT−Rを買わない理由も同じだ。800万円あれば買えるのだから、それほどのスポーツカーじゃない。車に関しては高校生の方が詳しいはずで、中がここに何を書いても釈迦に説法になるかも知れないが、4500万円ほど必要なランボルギーニのディアブロや、2億円ほど出さないと手に入らないフェラーリのF355に比べれば安い。でも多くの人は(中も)知っている、GT−Rに乗るには、それにふさわしい人生の蓄積が必要なのだ。授業も下手で忘れっぽく職員会議で口を開けば議長から「中先生、その話題はもう説明済みですよ」と言われてしまうような教師が、コンプレックスをカバーしようとGT−Rというブランドに手を出しても、誰も幸福にはならない、村上はそういうことを言おうとしている。トリケラトプスの顔を持つ彼女はきっとコンプレックスと言うよりもっとはっきりした『恥』の自覚に耐えながら生きていることだろう、それをカバーするのにブランド品を買いあさる、そのために働く人生の寂しさについて言っているのだと、わかる。
 『ダメな女』には色々なタイプの『ダメな女』が登場する。体制に組み込まれてその中でしか自分を主張できないダメ男に追随する女、似合うわけがないのに厚底ブーツでパリ観光に出かけ、派手に美術館で転んで周囲のフランス人から驚きの目で見られる女。一方、生き生きとした、ダメじゃない女も登場する。しっかりと自分の価値観と人生の戦略を持ち、男に依存したりはしない女だ。
 ところで、村上龍は、はじめからなんで『ダメな女』というタイトルでエッセイ集を書いたのだろう?
 どうして『ダメな男』というタイトルで書こうとはしなかったのだろう?
 答えは簡単だ、男は、はじめからダメなのだ。特に変化の少ないこの時代、自ら決断し実行する、その結果についてもリスクをとりつつ責任をとれる、ダメじゃない男は極少なのだ、そもそもそんなタイトルの書籍なんか手に取るわけがないのだ、ということをちゃんとわきまえているのだろう。
 男は、はじめから女に比べて何かしら、どこかしら欠けた存在なのだ。そういうメッセージがあるように思う。同じ村上龍に、もう第10集目ぐらいになるエッセイ『すべての男は消耗品である』がある。それを読むと、消耗品として開き直り、いっそ楽しく生きようと、思えてくる。
 以前、男の不安について皆さんに聞いてもらったことがある。女が10人男が1人の村があったとすると、たった1人の男は10人の女を全員妊娠させることができる、しかし逆に男が10人女が1人なら、たった1人の男が1人の女を妊娠させたら、残り9人の男は無駄である。この不安が生涯、男につきまとい続ける。男は、自分は生態系にとって、この社会にとって、このコミュニティにとって、この女にとって、意味があるのかないのか、永遠に不安を抱き続ける存在なのだ。別れ話も女の方が残酷である。スパッと「こんなことしててもしようがないし、別れましょ」という。別れた後は携帯電話から一瞬でアドレスを消し、再出発する。男はそれができない。嘘だと思ったら男の携帯電話を調べてみて欲しい。別れたはずの女の電話番号やアドレス、画像などが残っている、男だけだ。生態系に対して、ということは生きてる限り、永遠に不安を抱き続ける男にとって、女と別れる、女に振られるというのは大変な体験なのである。中なんか、女に振られるたんびに趣味を1つずつ増やさないといけなかった、その結果、クレーから狩猟からボートからアマ無線からバイクから英検から、もう収拾不能なほど色んなことに手を出すことになってしまった。お金もずいぶんなくなっちゃった。そうやってでしか、人生のバランスが保てなかったのである。
 男は、はじめからだらしない、何も持たないことに不安とおびえを感じ続ける生き物である。
 理屈では納得できなくても、別れ話の引きずり方を見ると、中の言っていることが判ってもらえるはずだ。
 物欲、権力欲、誰かに認めさせたいという思い、金銭欲、みんな男の方が強い、持ってないからだよ。そしてそれは常に男を、『失敗することを運命づけられた自立不全の生き物』に固定し続ける。
 宮崎駿は賢明だと思う。ごく一部の例外を除き、男を主人公にしなかったからだ。「火垂るの墓」の清太は結局何も解決できない。となりのトトロではサツキもメイもすきっと自立しているが、カン太はどこまでも頼りない。もののけ姫のアシタカは、あれは男ではない、あれは子どもだ。紅の豚ではちゃんとした男が登場しているようだが、実は豚だ。何かを決定し、それにどこまでも個人で責任をとる、という当たり前のことができて初めてアニメのヒーローなのだが、それには男はそぐわない。できるのは子どもと女だが、その子どもも大人の男になってしまうと『ダメな男』になる。
 ダメな所から再出発すればいいのだ、それがすべての男の運命なのだと納得してしまうと、むしろ生きるのが楽になる。それは男の、どこか『ずるさ』になるが、ずるくてけっこう、大けっこう、というとみっともない『開き直り』なのだろうか。話を戻す。
 なんで、タイトルが『ダメな女』なのか。それは、ダメな女はいないはずだ、という前提から出発している。そしてそれは、正しい。『ダメな男』じゃ本は売れないのだ。

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