JK8FNQのブログ…バイク、中国、ジープにアマチュア無線…

還暦を過ぎた北海道赤平市のアマチュア無線局。8月から中国暮らしです。

白黒写真への挑戦

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 誰かにとってぜひ必要、という情報をもって成立しているのではないこのブログ、お立ち寄りくださるのは私の健康を案じてのご親戚知人の方のみ、と承知しておりますので、甘えて四方山話、政治のお話。
 政治家ほど、揶揄されちゃかされることの多い職業はございません。まぁそもそも、数週間にわたって車上から自分の名前を連呼する人間としての恥がまずおかしい。それと、「何が何でもオレの方が人間が優秀で仕事もでき約束も守るのだから次の日曜日には小学校に出かけていって紙に俺の名前を書け」という暴力というか脅迫の、その対極の所に私の愛する日本文化があったのでございます。そんな人間が信用できるわけないじゃないですか。以前あるところでそれを言ったら、「あんたは子どもだ」と言われました。開き直るわけじゃないですが、それなら私は子どもでけっこう、大けっこうでございます。
 政治家の行動と発言は、時に笑えるのでございます。良かった子どもで。
 でも政治家のファルスが、毎回「笑える」かというとそんなこともないのであります。時に、不愉快になります。
 閣僚まで経験された方が所属政党を離脱し、新しく結成する新党の名前が「立ち上がれ日本」であるというのを聞き、イヤ〜な気持ちになりました。
 理由はいくつかあります、新党結成に参画する議員の平均年齢が70歳、そのオジンが(何度も言いましたが私も十二分にオジンですが)繰り返し政策から置いてきぼりを食らった若者や、立ち上がろうとしても踏みつけにされてきた(たとえば首都圏近くで子どもを身ごもったばかりの若い女性とか)国民に向かい、あるいはこの国そのものに向かい、「立ち上がれ」と命令したり励ましたりする資格も器量も、何より実力もないだろうと思うことが1つ。
 そして、かつては政党や派閥のおかげで潤沢、ではないにしろまぁ一定の選挙資金も手にしていた連中が、野党になってしまったその母体から、沈む船から飛び降りるように離れていく、その際になんらかのもっともらしい理由を付ける姿がみっともなくて見ていてイヤだということが1つ。
 せめて、「決まってるじゃん、自民党員のままでいちゃ選挙で勝てないからだよ」ぐらい言ってくれると賛同はできないまでも納得はできるのですが、こんな時に執行部を押しつけられてそれでも奮闘している(あるいは『少なくとも自党を見限ってはいない』)京都出身の若い議員を名指しして、「執行部が変わろうとしないからだ」などとイチャモンを付けるようでは、見苦しいを通り越して、もう良識の気絶状態でございましょう。
 イヤ〜な気になった理由は、他にもあります。「立ち上がれ」はニュアンスとして「がんばれ」に通じ、私はその手の励ましが、何より何より、もう本当に嫌いである、ということにつきます。
 誰かを鼓舞する、励ますときには、注意が必要であります。そして、本当に支えが、寄り添いや見守りが必要な人には、それは絶対に言ってはいけない言葉であるのでした。私自身がそうです、倒れて立ち上がろうともがいているまさにその時、横から「立ち上がれ」という人がもしいたら、そこに金属バットがあれば私は、殴ります。
 ある若い先生が、ぽろりとこぼしたことがありました。自分の吐いた言葉が、もしかしたらある人の自死に影響したのではないかということです。数年持ち続けておられた悩みを、ある時本当にただ一度、漏らされたのでした。
 彼女は自分より更に若い先生から、心中の苦しみを打ち明けられたのだそうです。生徒との、父母との、同僚教員との人間関係の不調。授業の不調。それに対し、「まぁがんばりなよ。それしかないんだし。」とアドバイス。言葉は、正確にこの通りです。
 その瞬間、相手の顔が、実にイヤ〜な感じに変化したので、「しまった」と思ったが、もう遅い。そしてその夜、相談者は自殺してしまいます。
 以来その先生は、消せない悩みを抱えて教員生活を送ることになります。敬愛する長崎県出身の作家も書いております、「がんばれ」などという言葉は、すでに充分がんばっていてとっくの昔にそんな『励まし』の必要じゃなくなっている相手に対する以外、使ってはいけない。やらなきゃ、自分を駆り立てなきゃ、と強迫観念を抱いて(しまって)いる人間に対し、「がんばれ」などという言葉は禁物なのだと。私もそう思うし、判断力のある人なら誰でもそう思うはずであります。
 新党の名前は、どこまでも錯誤であります。「立ち上がれ」は「がんばれ」とはもちろん違う単語であるし、使われるシチュエーションも微妙に違う、それは承知しております。しかし新党を立ち上げようとしている人の中に、無自覚に共通のニュアンスが抱かれていることは明白であります。日本の何かは(どこかは、誰かは)今なお「座って」いると思っている、その点がすでに錯誤であります。生存の本能を抱いた人間は老いも若きも、危機感の量に応じてすでに立ち上がっているのであり、それを示す徴候はいくつだってあります。海外留学をもくろむ人の多さ、英語や中国語を初めとする外国語ブームの定着、あるいは高名な作家が500人のスタッフと共におそろしい時間をかけて作った職業紹介本が、サイズの大きさと価格にもかかわらず130万部も売れるということからして、のどかな時代が過ぎ去り生き残りをかけて、あるいは『仕事』という、生活の糧と人間の誇りという無二の重大物を約束するものの獲得に向けて闘うことが必要な時代が来ていること、それが自覚され言い換えれば人びとがこの時代に『立ち』むかおうとしていることを表しているのであります。
 「立ち上がれ日本」。
 売り言葉に買い言葉で応じるとしたら、「あなたには言われたくない」のであります。

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 3月14日(日)は、森山大道さんが東川町の文化ギャラリーでアーティストトークをする日。
 どうしてもそれを聴きたくなり、ふたたびこの「写真の町」へ。
 スピードの出ないジープで雪融けの進む国道12号線、国道237号線をごとごと、どしんどしんと東川町へ。赤平から旭川周りで1時間45分。
 午後1時半からのトークショーなのに、到着したのは12時前。いくらなんでも早い。
 「電話で参加申し込みをした赤平のナカですが」とチェックインし、時間をかけて森山さんの写真を見ていました。
 そうすると、前回は見えなかった色々な物が見えてくるのです。

 ところで、受付では、「森山さんに質問のある方はこの紙に書いて箱に入れてください」と言われました。
 ワタシは、「暗室作業は森山さんのお仕事のかなりの部分を占める、作品完成のための重要なパートだと思います。印画紙も手に入りにくくなるこの時代、暗室作業がまた趣味の世界でポピュラーになる日は来るでしょうか?」と書いて、箱に入れました。
 入れてすぐ、「それは間違いだ」と、気付きました。
 暗室作業がポピュラーになる日が来る、そのことが誰にとってどう必要なのか、ワタシはわからないまま、質問だけを書いています。
 そんな失礼な、というか曖昧な質問を、芸術家である森山さんにしてはいけないのでした。
 暗室作業が、世界にとって必要だという風にワタシは考えていたのでしょうか?
 全世界に必要なものだとしたら、そんなもの芸術ではありません。
 世界がどうであれワタシにとって必要なのだ、という意味でその復権を夢想したのなら、それもまた、間違いです。自分にとって必要だと思うなら、森山さんにそんなこと聴かないで、自分でとっとと暗室用具を昔のようにそろえればいいのでした。

 つまり徹底的に無意味な質問であるのでした。
 後悔したのでしたが、もう質問用紙は投入したのですから、取り返しはつきません。

 トークショーは盛況でした。200の席はぎっしり埋まったのです。
 司会者の方が、「森山さんへの質問を読んで、今から答えてもらいます」とおっしゃいました。
 ワタシは、自分の質問は読まれるのだろうか、と、ドキドキしていました。
 意味のない、とんちんかんなワタシの質問用紙に、森山さんはそれでも、誠実に、丁寧に、答えてくださいました。

 「月光というメーカーが印画紙の供給を辞めたとき、私は私なりにショックでした。しかし、暗室作業にこだわりを持つ人がいる間は、その作業は可能である、どうにかして続けることができる、と思っています。日光写真のようにして画像を創るのもいいし、薬品なんか自分で調合してもいい、必要な人がいれば、なんでもできます。そういうものではないでしょうか。」

 ……私は深く、反省しました。同時に森山さんに深く感謝しました。何かが必要であると言える自分になりたい、そう、強く思いました。

 また別な人への質問の答えの中で、森山さんは暗室作業の魅力について語られました。
 「現像液につけた印画紙に像が浮き出てきます、それは……その瞬間はエロティックです。ほんとうに、官能的です。」

 その官能から遠ざかって数十年。
 また戻る時が来たようです。
 商業的にはもう、デジタルが全盛だしこれが後戻りする可能性はゼロですけど。
 商業の対極にある何ものかを求める人が、200人集まって、トークショーは成立していました。その場に身を置いている幸福を、私はひしひしと感じていたのでした。

 

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 森山大道さんの写真を見に、東川町へ。
 とはいっても、少し前になるのですけど。
 去年の夏に夕張を訪問しておりますから、北海道で森山さんの写真展をみるのはこれで2回目。
 驚くなかれ、すべての展示写真が、夕張の時にはなかったものでした。

 さすが。

 1970年当時の北海道は、その頃にはまさか北海道に移り住むとは思っても居なかったわたしにとっても、どういうわけかなつかしく、かぐわしく、慕わしく、そしてどこか、もの悲しく。

 夏草の生い茂る駅に停まり、発車を待つディーゼル車の中で、書籍を読む若い女性の横顔。たばこの煙の充満する夜の車内でけむたそうに少女フレンドを読むハイティーンも、今では50代のおばはんとなり、北海道のどこかで気丈に男を叱りとばしていることでしょう。

 驚くべきことに、歌志内の本町の写真を発見。古い看板に、「檜野治療院」とあります。それ、まだあります。家に帰ってから、森山さんの撮ったモノクロ写真に写っていた電話番号を調べてみると、どんぴしゃり、檜野治療院のそれでした。もう、檜野さんも60歳を過ぎました。今でも治療院を経営なさっていらっしゃいます。
 なんとなつかしい。あ、や、私は1970年には本州に居たのでしたが。

 売られていた写真集、「北海道」。
 すんでのところで、買うか! と思いました。配偶者も「欲しそうね。いいわよ」と。
 でもこれを買ったら、帰りの食事代がなくなる!
 今考えたら、そんなことどうでもいいのに、買わないで帰りました。同じ2万円なら、知っている別の本屋さんで、できれば買いたかったのです。

 案の定、後日メールで問い合わせると、書店さんは「取り寄せ不可ですねぇ。すでに古書店でけっこうなプレミアついてます」

 この書店さんにそう言われたら、納得せざるを得ません。

 それにしても、写真展の圧倒的な迫力。「いったいどうやって撮るの?」と言いますので、白黒写真の暗室ワークの説明をしました。要するに覆い焼きです。印画紙の選別からしてかなり厳密なようですから、ネガがあってももう再現できるとは限りません。それでこそ、森山さんの写真ですよね。

 すごい。やっぱり、すごい。

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 コニカC35にトライXを入れて。
 赤平市内を、うろうろ歩き回ってみました。
 市街地の西のはずれには、炭坑跡地があります。
 私がこの街に移り住んだ1991年には、この空中にたくましく突き出す直径20メートルぐらいの車がいつもぐるぐる、地下700メートルに降りてゆく男達を載せる車を導くためにぐるぐるぐるぐる、回転していたものですが、止まってしまって久しいのでした。
 この車が石炭を地上へ運び上げる日は、もう永久に訪れません。

 廃人が撮る、廃墟の眺め……

 あっ、配偶者の怒りが……

 ご、ごめんなさーい!!

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 白黒写真を、思い出したように撮ります。
 手元にあるフィルムカメラを調べたら、使えるのが3台ありました。ニコンFM、リコーGR1(GR21じゃないのが残念)、コニカC35。どれもけっこうな名器ですね。
 お隣さんが庭に積み上げた冬に備えての薪。
 それに初雪が降ったらこうなるかなぁと。

 ちなみに白黒写真は現像料は630円だけどプリントしたらとても高いので、エプソンのフィルムスキャナでパソコンに取り込んでいます。

 下手なので、何が写っているかよくわかりません。

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