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だれが言い出したんだろう。
誘われて行ったラウンジを、同じく誘われて来た顔だけを知っている誰かが席を立ち、その後につづいて、また、誘われて来た同じ年の誰かが席を立ち、また誰かが席を立ち、誰かが立ち、誰かが立ち、俺も立つ。誰が誘ったのかわからないまま、この奥のコーナーには誰もいなくなる。
誰だか全くわからない、細身のスーツを崩し着た誰かの飛び跳ねた金色の髪が、やけに、街灯に光りキラメいているのに目を奪われて、いつの間にか、人込みに紛れて、混じり、人込みになる。
もう、終電には間に合わない。
金は無い。
あても無い。
キタの街を歩いている。
筋肉が10。循環する渇望が20。残り70は思い出せない記憶。
すべてが痛んでいる。
先月習い始めた英語で言うなら“No Problem.”
人に尋ねる。“No Problem?”
俺に尋ねる。“No Problem?”
回答を得る。“No Problem.”
答えを重ねる。“No Problem.”
安心してみる。“No Problem.”
No. Problem.
痛みを忘れると、ざわめきが聞こえてくる。“うるさいな。”
ざわめきを見て探す。一人として同じ人間がいない雑踏を、見回して探す。見つめる誰かを見つけられずに、果たせなかった渇望が楕円を描いて、舞い戻る。ぐるぐる回すうちに、ふと、なにもかもが消えたように思えて、瞬く。
何も見ないように、視線を歩く数歩先に置いて、塞ぐことはできても、閉じることができない耳だけで感じている。
深夜の盛り場で、ざわめきが聞こえる。
まるで、隠れて鳴くムシの声のようだ。
実は、疲れきっている。
耳の痒みが気になり始める。
痒くてかゆくて、痛くなる。
すべて刺激は、痛みとなる。
すぐに、痛みだけなになる。
ほんとうに、痛い。
痛いのは、皮膚か筋肉か関節か。内臓か血管か脳ミソか。感じる痛みは、痛覚が刺激を感じとっているのか、こころが作り出しているのかわからない。心が宿るのは、脳でなく、心臓でなく、身体全体であるように思い始める。
身体の中でゴングが鳴る。第1ラウンド。
もっと色んなナニかを感じているはずだ。考えてもいるだろう。ただ、そのほとんどを捨てている。今、目を向ける何かを見つけられたら、その他はすべて、取り除き捨てる。拾い上げて捨てる。捨てる。捨てる。見つけて捨てる。
浮かんでくる、Johnny CashとしてのJoaquin Phoenixの灰色の顔。
“俺の歌をつくる。死を前に俺が歌う歌”
そんなことを言ったか言わなかったか?
「あのー。すみません。写真、お願いできます?」
若い二人。差し出される手。
いろんな出会いがあるものだ。
手に握られた、街の灯りをギラと照り返す銀色の重みを、俺は受け取る。二人から一人へ移動したのは140g。
「シャッター押して頂くだけですんで」
この二人には、そうでもして残したいナニかがある。
残りの自分に残すもの。記憶の代わりとなる写真。記憶を呼び覚ます二人の写真。もし、手に取ることなく保存されるJPEGデータが消失したら、二人に何が残るだろう?
二人の笑顔の大きさを眺めながら、140gの重みの軽さを、手の内でもてあそぶ。
軽くなっていく命すら支えられないこの俺は、いったい、ココに何を残す?
今ココで、俺のデータが全て消失する夢を見る。
残るものは、膨らんだ腹が圧迫されて押し上げられ口から漏れる、胃液まみれの何かだろう。
脳幹でゴングが打ち鳴らされる。第2ラウンド。
揺さぶられる。カメラを渡す手に手が触れて、彼の喜びが伝わる。彼女が笑顔になる。黒いスーツで固めた体に、そっと乗せてある頭が揺れる。
転がる。揺れる。転がる。揺れる。転がる。お辞儀。転がり落ちる。
落ちた頭の目に映るものは、すべてが脈打っている。
慣れて、驚くことは無くなった。ただ、忘れていても、消えることは無い。
もう、揺るぐことがない、コノ身体のランドマーク。
迷うことができない。うつろうことができない。
今夜、酒で見失って、眠りながら歩くことができる。
混沌に混迷することはない。なぜだろう。心が安らぐ。故郷に帰ってきたような、不用意に裸になって、いつまでも抱きつこうとする緩みが、パッと広がり、すぐに萎む。
そういえば、故郷ってどこだろう?ここだと思い当たるところは無い。
なにか臭う。雨の匂い。第3ラウンド。
なにかを思い出しそうになる。なにかが胃液と一緒に喉もとまで湧き上がる。
あたまがカラダが腕が手が人が街がアスファルトが、揺れる。震える。勢いのまま蹴り倒され、踏みつ付けられる。両手で口を塞いでも留めることのできないナニかが、手の指の間から、あふれ出る。
頬に冷たいだけのアスファルトが、踏み鳴らされる。小刻みな振動は、手の痺れ体の震えとなって、腹の中で大太鼓の一打ちとなる。一打ちに、浮き上がっては、沈み、のたうつ。浮き上がっては沈む振幅の中で身体は、だんだん、何も、感じなくなっていく。
何かあった。確かにあった。あったはずだ。
「なにがあった?」
途端に、何をしているのかわからなくなる。
“何をしたとしてもわからない”
俺を笑わせる言葉はこんな自虐的な言葉だ。
ゆっくり、ねむりながら歩く。
できることなら、じっくりと歩みたい。限りある人生を、腹を据え、揺らぐことなく、信じる道を、生きていきたい。そう考えてみてはどうか。そんな言葉を思い巡らせながら、生きているだけで現れる、あるがままの興奮を捕まえて、その刺激のうちに、今、歩いている。
“ここ、どこや?”
いつのまにか明日になった深夜の街に、人が歩いている。
“どこ、行く気やった?”
明日になって何が変わるのかはわからないが、多くの人が歩き続ける。
“わからなくなるのは、耐えられなくなるからだ”
ひとり、俺も歩く。
街の夜。
ワイシャツの袖に肩に腕に手、手に持つカバン、靴、ヒザ、かかと。 ぶつけ合いながら、よほど痛みでも無い限り、誰も気には留めない。
始まらず終わる出会いにあふれている。
だから汚されることはない。ふみにじられることはない。
始まって終わる出会いに埋め尽くされる。
ただ、いまさら一人になっても考えることはなにも無い。
見られることを意識しなくなって膨れた顔に、そっと触れる粒にもならない微塵を感じる。
霧雨の夜。
他に、特徴の無い夜。
そんな夜があることを疑ったことは無い。そんな夜がある筈も無いにかかわらず、だ。
特徴を補い始める。
1 同級生の社長就任祝い。
2 ココロの友に借りた飲み代。
3 久しぶりに飲んだ生ビール。
4 浴びるように飲んだ烏龍茶。
5 飲み過ぎた烏龍茶で膨らませたのでは無い、穏やかに波うち揺れて張れる腹。
6 焦がれた夏。
7 知らない街。
その気になればいくらでも見出せる特徴で、埋めたとしても不足が足りることは無い。だからなのか探している。
補いたくなる。
埋めたくなる。
探し続ける。
タクシーを見つける。
喜びを感じることなく、手を上げる。
手が差し出される。
後部ドアが開かれ、招き入れられる。
金と引き換えに与えられる束の間の主従関係。
痛むチューネン、もう取り返しようのない時間をズルズルとヒキズる男に、与えられるベッドは、タクシーのバックシートだ。
身体を叩きつけたい衝動にはゆっくりと微笑みを返し、シートの汚れを確かめるかのように静かに室内を見回して、手のひらでパンと叩いて、座るにふさわしいバックシートであると知らしめる。
眠るにふさわしいベットであると、本当に思う。
もう、かなりだらしなくなりがなら、乗り込む。
座ることができる。「UuWaaa〜〜」確かに座ることができる。
昼の荷物を叩きつけてみたくなる。「Nnnn〜〜〜〜」穴という穴を開け広げて、うなる。
「お客さん。」夜にまで影である顔が言う。「どこまで。」
「山。」どこかに繋がる道を伝えなくては。「…越えるんですが。」
伝えられない知らない道を、流れる光のパイプにして、ものの輪郭だけが光る地図を思い浮かべる。
消えそうに揺れるネオン管のように、はっきり他と違うと区別することができない、いくつもの解釈が容易に成り立つあいまいさで、ナニかを隠す意図に、充分に応える手管なく、不明瞭に、太陽の下で淡くイロを消し、焼き付いた太陽から引き剥がされたこの街の夜に、ようやく光となれるナニかでつくった半透明の地図。
俺のフィクション。
視線の先で、地図をランダムに回転させる。
ナニかが、ゆっくりと体の中で回り始める。
パイプは所構わず伸びてゆき、タクシーの低い天井、光を濡らし揺らして歪ませる窓、うっすらと暗い床、いま誰も開けないドアに触れて、夜に溶かす。
俺は、透き通るタクシーのバックシートに溶けていく。街の輪郭が迫る。蒸して暑く、汗ばむ肌のなまなましさで、俺のむき出しの肌に触れるほどに迫る。
“触れるとだめだ”そう直感する。
スピードを表す黒地に白い線、線、線が、ぬめる湿気に呑みこまれてうねる闇となり、光は、はずんで弾け飛び散り、また、はずんで弾力を得るヒカリとなる。タクシーは加速を続ける。すぐ目の前を熱く溶けたうねるアスファルトが流れていく。
“命が失われる”そう感じる。
「死ぬ前にお前、生きてすらいなかった」
俺を笑わせる言葉はこんな自虐的な言葉だ。笑う俺の数センチ先を、アスファルトかナニかが、うねり、弾み、“触れている”よりも抗い拭いきれない“そばにいる”圧力を認めさせられ、連呼し意味を奪いたい言葉は「死んでる、しんでる、シヌシヌシヌ」だ。数分前、フロント・ウインドウだった空間の歪みの向こうに、遠く、空より黒い夜の尾根を見つけて、しがみ付こうと、圧力に吸いつけられた首を引き剥がす。頭を持ち上げる。目に入るものは、幾何層にも入り組み交差する高架橋と、高速道路の洗われることのない煤汚れた裏側であるクロ。折れるほどに首を反り上げ、呑み込まれないようドアポケットに足を伸ばし掛けて突っ込み踏ん張り、両手でシートを鷲掴み、両腕で背凭れを両脇に抱え込んで、暗闇か夜か塗り潰された黒か、なんだかわからないクロを見上げる。
イロを探す。ヒカリを探す。
クロの隙間から、輝く満天の星と、点在し、行き交う人工のヒカリが、あふれでる。
イロがハエル。イロがハエル。
Almighty God. God Almighty!
もみじの葉に似た緑の葉を思い浮かべる。
俺のフィクション。
軽くなる。おそるおそる、カルクなる。
重さのエッセンスは、体に蓄積した“生きてきた記憶”死ぬように生きた生命の記憶。
軽くなりきれず今、ずっしりと重い尻からたるむ腹を絞り上り胸を咽喉を押し開いて口から抜け出る息吹は、言葉になる。
「○○○通り。」 聞き慣れた通りの名。
これが運命だなどと考えることはないが“一生懸命流されよう” そう考えている。
俺のフィクション。
頭の中を掻き乱しながら金を差し出す。「おおきに」
「ありがとうございました」ドアが開かれ、言葉はざわめきに呑み込まれる。
つづく
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