|
2 昼間見る夢。
壁に映る影。
輪郭をなぞる。
だれかの笑顔ができる。人を思い出す。
何かをしている人たちが目の前を流れていく。頭の中を通り過ぎていく。猫や犬、鴉やセキセインコ、多くの動物たちも何かしている。生きている。
テーブルが見える。手が触れる。木を感じているのか手を感じているのか。生死不明の木。
テーブルに置かれた手は自分の手で、体温でぬくもった木は温もった死体のようで気持ち悪く、頭が重い。
“テーブルよりデカイ頭”浮かんだイメージに、思わず笑う。
くだらなくても笑える現実。過食やクスリ、よりマシだと考える。
それでもなにもしないよりはマシか。とも考える。動くから始まる。
ああ、失敗続きでじっとしてるんやったな。思い出す。
景色が変わる。
二、三階建ての小さなビル。俺は地べたに倒れていてビルを見上げている。
若い奴等が何人かでお絵かき中。ああ、どつかれて倒れているんだな。男と目が合う。歩いてくる若い男。あ、またどつかれるな。壁が真っ黒に。腹を踏みつけられた俺はうつ伏せになる。アスファルトは石の集まりだと思う。焼けただれる顔を想像する。暑くないとな。夏は。見えるビル。つま先でへそを蹴られて膝を抱えるように横になる。あとの二人が小走りでやってくる。笑顔だ。
ひんやりと湿る頬、腕、足の甲。寝返ると頬から土が落ちて唇に。口に。
土?
頬に土。手に土とめり込む石。爪に土と草の青い匂い。顔を上げて見る一面の森。熱帯雨林。
生きたことはない。借り物の空想。
生温い風がめぐり、見えないが蠢いている小さな蟲を感じる。アタマの周りをめぐるのはざわめきなのか蟲なのか。求めているのは気付かずにいられる騒々しい環境。つまり安心。
すごい逃げ足だ。安心して、ゆっくり目を閉じる。
手はまさぐる。掘るように土を掴み握りしめる。なんて気持ちがいいんだ。
そうか、抱き心地も作れるんだな。俺が脳で望んだ環境を作る。拳を鼻にかざし匂う。思った通りの土の匂い。
実はどんな匂いなんだろう?
土は、固い岩や石と、生物の亡骸、そして生物そのものだったと思い出す。
一生かけてわかることの、あまりにも少ないことに、改めて驚く。
ゆびでもてあそぶ土に喜びを感じることができる。幸せを感じることができる。
土になる俺を考える。毛布でくるまれ、ドライアイス漬になった娘の死体を思い出す。
娘は焼いてしまった。日本だからという理由で。土ではない。灰だ。
瞼を開けても見えなくなる目。聞こえていても感じられない奪われた音。
触るものを探す肌。逆立つ毛。銅の鐙を押し込まれ唾液が失われていく舌。
鼻はずっとつまっている。
こすりつける額は、小石で皮膚が破れ、痛みに感覚を奪われる。もうそこにはなにもない。
こんな顔では、裁判所いかれへんな。うきうきしてそんなことを思う。
脳が価値づける。脳に信用をよせる。逃れようと現実がすり替わるが、環境に適応していると考える。
与えられる感覚データから現実を選択し、生き残り戦略をたてる。身体に任せておけば。
だから心臓がどきどきするのか。
心臓が振り回す手足は、無数の小さな虫を圧殺し付着させる。
潰れていないように見えるが、動かない虫。なんだこれは? 弱すぎやしないか?
波にさらわれ溺死する人を連想する。
見ても形にならない。叫んでも聞こえない。
記憶を失い、知らない誰かから自身の観察記録を与えられた。
命の設定。具体的な表現とはこういうことだろう。
とにかく動いて様子をみるという身に付けたやり方。身に付いていたやり方。
ときおり感じる、なにかをひらめいたような感覚。
ただ辻褄が合うことだろうか。でかすぎて聞こえない音を感じて興奮しているのか。
言葉を並べる。論理で守る主張。安心を託された論理。
辻褄が合えば、その論理に人は納得する。簡単に。
言葉の他にあるものは、努力を続ける自分。正当な自分?
身体だけで安心できない。不安であっては生きづらい。正当な評価。社会の保証。保証ある人生に安心する。未来の保証?
きっと、評価するのは評価に値しないという確信からだ。
与えられたベットで、多くの機能が失われていく身体。
そんな身体である脳が読み取る過去は、ただ、今この時を感じない為に見る連想。
どきどきは心臓。正夢だ。
手掛かりに触れる。そういや同志。どーし、ドーシ、、、
まだ渦を巻いているコーヒーに口をつけ、足りないまま、言葉にする方法はいくらでもあると考える。
たとえば、辞書を牽く。社会が認める定義に倣う。
些末事のようだが、ほんの数十秒で過去を消して未来が保証される。わからなかった過去は消える。観察し続けていた過去は消える。
ページをめくる指はセロファンのように薄いページをぺたぺた張り付け、目は、インクのシミを見つめる。それで未来が約束される。
指を濡らすコーヒーを滲ませて、さらにぼやかすシミ。言葉の定義とは約束じゃないか。
ぐしゃぐしゃにシミを弄んで、ページにささくれた穴をあける。落ちかけた穴を埋める。
定義を理解しようとする試みは、即効性の劇薬を腹に流し込むことだ。
バイアグラ。ハルシオン。いや、ロキソニン、ボルタレン。あ、エンドルフィン。
手に持つコップの中では反応せず、身体の中で作用する。腹はふくれない。
場面展開。自分が、腐れ舞台の重たい小道具でないことを祈る。
「血い出てるわ。ちょぉおいで。」性転換した関西弁の女が現れる。
世界は広い。愛し合いながら生きられる場所があるという。
ぼやけた意識で彼女たちの肩越しに薄明りを見る。
広いという世界は、でかい胸と蒸せかえる首すじ。
ブンブン唸る黄金虫の羽音。這いまわる蠅を感じる顔。
雑踏が消え、土埃の立たない濡れた夜の街。
小便や油。酒や糞。腐敗する肉、生きている部分が餌になり糞になり、死体に近づく。
にじみ出た体液でぬかるむ路地に横たわり、廃屋の柱に凭れかかり、身体を横たえる。踏みしめる土は、死体だったとようやく思い出す。
刺激臭を阻むつまった鼻と、ようやく力が抜けて、空いた口と目。大きく吸い込み、吐く。見るものを定める。
折り曲げた足と肩を抱いて見る夜。
煙を上げる油を浴びせかけられ、機能が失われていく身体で、社会の小道具となる。
見えないのは目が無いから。歩けないのは足が無いから。話せないのは口を閉ざすから。
抱きしめるのは怯えているから。曲げた足と肩を抱くのは一人だから。
のめり込んでる。一滴の水で潤う。
暗転。
突然、フラッシュがたかれる。目がチカチカ。明るすぎる暗闇。
ゆっくりと形を獲得する舞台は、ほんのり明るく雪だとわかる。
雪。きれい? 冷たい。体が動かない。
首から下、雪に埋もれている。まだ奪われる熱がある。雪でなく身体を感じる。届かない声。白く見える。骨が折れると頭を回す。肩を揺する。届かない仕草。どうにかこうにか腕が出る。
伸ばした手が暗闇に消え、途端に触れるなにか。誰かがそこに置いたのか。
指先にさくさくと、握るとギュッと固まる。雪。雪の壁。
見上げる空は、吸い込まれそうなすぐそこにある闇。どこまで続いているのか。どこまでも続いているのか。でも、ただの穴かもしれない。
光があれば。身体が動けば。よじ登れる穴なんじゃないか。簡単に。
温かく膨れた手袋のような手で壁を掻く。
触れる、雪でない何か。固い。今いちばん何がほしいかな。
まさぐる。
本だ。本の背表紙だ。そして壁だ。背表紙は横になって積まれていて、一つ抜き出そうとしてもびくともしないだろううず高く積まれた本の壁。ほんの二三冊の背表紙を感じて創造する。
学ぶために?凍えながらアタマの中で生きるために?
もう、死にそうなんだ。
力いっぱい抱きしめる。
それが俺の腕でも。見たい夢でも。無意識の幻覚でも。血でも糞でも。抱きしめた腕の中で、赤ちゃんが泣いている。
なにも証拠は示せないが泣かなくていいとあやし続ける。
抱きしめる。頬ずりする。抱きしめる。頬ずりする。顔を覗き込む。何度でも繰り返す。
でもな。輪廻はないだろう? 俺に尋ねる。
頭を割られれば、意識が失われる。目覚めても俺の意識。誰かの身体に乗り移ることはない。
あ、そうか。
意識が途絶えるだけで、死ねば身体は土になり、屍の土から命が生まれる。有機物は循環する。生と死は繋がっている。分ける癖を人が持つだけ。生だ死だとわけるだけ。
白い灰と骨の娘は、やはり娘だ。
抱きしめた腕の中でほほ笑む彼女。彼女のことばで、父親の俺に、なにか、話している。
彼女は生後2ヶ月。これからもそれはずっと変わらない。だから、社会が認める言葉はなにも話せない。
動く彼女は俺の夢だから、誰も気付かない。彼女が気づく事もない。世界に影響を与えない。
抱きしめた腕を解く。(ただ、瞼を、ふと、上げただけ)
そう仕掛けられたように、人差し指が目玉を突く。(ただ、震えながら指先がコンタクトに触れただけ)
たしか、タンパク質。付着するのも壊されるのも。タンパク質を感じ取れない俺にはそれは無いに等しい。それは愛や正義に等しい。
ただ、指先がすこし湿る。目が染みて少し痛む。少しの血も流れない。まったくの期待はずれ。
世界になんの影響も与えない。気が狂ってもおかしくない。でもジタバタして汗をかいてしまう。
いろんな物事を知っているわけでもないのに、いろんなものがアタマをめぐる。気が狂ってもいい。でも、身体は汗をかいてしまう。感じてしまう。
ざわめきや蠢き、雑音や騒音、痛みや口の中の血の味、胃液の臭い、ぬめり、温もり、酸味。
道端の映像、べちゃべちゃした手触り。ゲロじゃん。
みんなめぐる。頭の周りをめぐり続ける。
あっ。そうか。天使の輪って、これのことじゃん。
べっとりと汚れてる。ただ、天使の輪を感じている。身体のまわりも天使の輪。ゲロだらけ。
起きる。こたつの横の壁際に設えた、白木の祭壇へ這う。骨である娘に触れたい。と思う。白いカルシウムの欠片の娘。
おそろいのものを一緒に持ち歩きたい。そんな子供たちを思い浮かべる。みんなキャーキャーいってわらって世界を手に入れる。そんなこどもたちを思い浮かべる。
彼女に向き直って言う。「同志。こころざしがおなじ。」
彼女の期待に応えられない。「………。恋が、こころざし?」
恋になった。会話が始まった。ゲロだらけになって初めて、始められる。
糖尿病で未破裂動脈瘤である俺が、伝えられることはこれだけだ。
それも、動きき出せない安全志向の君のためだけに。
3 筋肉の収縮
「おわうなうわ」あくび。音写すればこんなかんじ。大きく伸びをして鳴らす喉笛。
じっと見つめる彼女は、のどの動きを観察しているのか、ことばを読もうとしているのか。
「トイレ」寝起きはそんなもんだ。小便がしたい。これで涙ぐめば“上から下から垂れ流し”やな、と考える。
あっ。そうか。生きて俺がすることは、こんなことだ。
|