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そもそも親が使っていた万年筆を見つけたのが始まりかもしれません。
中学に上がってすぐの頃だったと思います。
ただ、当時は、ネットもありませんし、クリーニングするなんてことも知りませんでしたから、古いプラチナやセーラーにインクカートリッジを差し込んでも、さして書き味の良い物ではありませんでした。
その後、大学に進学後、半額処分という言葉につられたのと、きれいだったことからプラチナ#3776梅(蒔絵)や、ペリカン#700TOREDO(まだ当時はM700ではなかった)を入手したりしておりました。
ラピタやサライの影響もあったと思います。
ただ、当時は、古陶には興味があったものの、筆記具にはそれほど深い興味はありませんでした。
平成8年ぐらいだったでしょうか。
京セラ本社ビルがあるすぐ南側の京都府総合見本市会館パルスプラザという建物であった催し、京都骨董祭にひやかしに行ったとき、数多くのわけのわからない(失礼!)お店が並ぶ中、ある店主が、展示机の下からアタッシュケースを取り出し、常連さんとおぼしき客に、中味を披露するところが横目で飛び込んできました。
中味は、1950年代のクラッシックモンブラン。
現在でもラインナップがあるマイスターシュティックの149や146等がずらりと並んでおりました。
いや〜、凄かったです!
なんでわかったかと言えば、ラピタという雑誌にて多少の事前情報を持っていたからです。
さすがに高価であることは知っていたので、周りをうろうろするぐらいが関の山で、とてもじゃないですが、当時のわたしに手が出せる代物ではありませんでした。
その代わりといってはなんですが、同じ会場にて他のお店が出していたパーカー75クロスハッチグリッドやアメリカ製の茶縞のペンシル(メーカー名が急に思い出せない)をついつい購入してしまいました。
これが万年筆蒐集を始めたきっかけです。
その時は、目を奪われるばかりの事でしたが、数年前、その店主の正体を知ることが出来ました。
万年筆クロニクルでしたでしょうか?それとも違ったかもしれませんが、そのなかに回答がありました。
現ユーロボックスの店主、藤井氏でした。
当時はユーロボックスというビンテージ万年筆専門店を開業する以前のことで、一部の方向けにビンテージ筆記具を販売していらしたようです。
現在、愛好家団体に所属されている方々も、その当時に藤井さんにお会いした方は、案外、少ないのではないでしょうか?
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いままでヤフーIDそのままの”idesituki”でやっていましたが、バナー作成にてようやっと本来のハンドルネームである「二右衛門半」(にえもんはん)と変更することになりました。 |
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