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高野山学林長、仁和寺門跡、御室派管長、真言宗各派連合総裁、高野派管長などを歴任。 熊楠とは、1893年のシカゴの万国宗教大会に真言宗代表として出席した後に渡欧して立ち寄ったロンドンで出会う。 <10月30日 月
南方熊楠「ロンドン日記」夜、土宜師を中井氏宅に訪、11時前同師は帰る。余、中井氏方へ宿> <10月31日 火 午後、ブリチシュ博物館に之く。これは土宜師同館文庫を見るに附前ぶれ也。夜、土宜師を訪、就て宿す> <11月1日 水 朝九時過ぎより土宜師と(二人共僧帽僧衣)ブリチシュ博物館に之き、部長フランクス氏案内にて、宗教部及書庫を見る。夜、土宜師方に宿> <11月2日 木 終日、土宜師方にあり、議論す> <11月3日 金 土宜師方を辞し、帰る> もともと好悪の情の激しい熊楠だが、この13歳年長の法龍の人柄、学識によほど魅かれたのであろう。わずか五日間の滞在中、三日間も法龍の宿に転がり込み、夜を徹して大乗仏教を論じ、耶蘇教とジャイナ教を比較し、かと思うと一転してティールの「宗教科学」やクラークの「十大宗教論」を論じ合った。 法龍も熊楠に緋の僧衣、錦の帽子を贈り、二人して絢爛まばゆい法衣で大英博物館を訪れたりしている。 法龍はその著「海外漫筆」のなかで熊楠のことを 「ロンドンのブリチス・ミュージャムに数年間出入りし、彼の書籍館に在りて梵学の調べを為し居る紀州の南方熊楠という人あり。博学の人にして実に卓見宏識の人物なり」 と称賛し、「初めて面会し(以来)旧識のごとく一生文通を絶たざりし」というほどの親交を結んだ。 ☆ 次号に続く。。。かな?
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南方熊楠の生涯
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2009年10月23日
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コメント(10)
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祝日の今日、行楽・観光、運動に絶好の日和でしたが、皆様いかがお過ごしだったでしょうか^^ 小生は午前中ベーコンのスモーク、午後はこの展覧会に行って来ました。 熊楠フリークの小生にとっては貴重な珍しい資料、標本、書簡なんかがたくさん展示されていて、ワクワクの2時間でした。 そのなかのいくつかを紹介しますね。 マ、興味のない方にはドーでもいいクソオモシロクモナイ写真ですが。。。^^ 早熟の天才、神童と呼ばれた熊楠の面目躍如たるものがありますね。 同校に数人いた日本人留学生に見せていたようです。 3号発刊して、現存するのは1、2号だけとの説明がありました。 イラストの左側が熊楠の自画像^^ まだまだスゴイお宝が一杯ありますが、続きは後ほど(^▽^)
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