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彼岸だったので、墓参りをしてきました。
麻布十番駅から歩いて10分の所に麻布山善福寺があります。
この寺には、日米通商友好条約を結んだ頃の初代米国公使館跡地の碑もありました。
この寺に行く道すがら麻布十番街を歩いていると、
赤い靴を履いている女の子を見つけました。(写真参照)
この石像は、野口雨情の童謡「赤い靴」に登場する女の子でした。
野口雨情といえば宮澤賢治が生きた時代の童謡作詞家ですね。
雨情は、実在した女の子をモデルにして書いたというのです。
このモデルになった女の子はどうも悲劇のヒロインでもあったようです。
この子は、明治44年に麻布十番の稲荷神社付近にあった孤児院で、
わずか9歳で亡くなったということです。
このとき宮澤賢治は、15歳、盛岡中学校に通っていた頃でした。
ふと賢治と赤い靴をはいていた女の子との接点を探ってみました。
宮沢賢治も東京には何回か足を運んで来ているので、麻布界隈を歩いたと思うのです。
けれども賢治と女の子との接点は、到底無理でした。
女の子が亡くなってから5年後に賢治は、東京に初めて行くのですから・・・
赤い靴の女の子が住んでいた麻布と賢治の接点は、何かあるだろうと考えてみました。
「麻布は風のとおる街」と称した松本隆(ルビーの指輪を作詞レコード大賞)がいます。
東京青山に生まれた松本隆が、青山・麻布界隈を「風街」というのですから、
宮沢賢治はイーハトブの風にのって
いつでも麻布にやって来ているに違いないと思うのでした。。
ちょっとこじつけですかな?
いや、そうでもありませんでした。
柳の葉が芽吹いた善福寺の参道は美しいですね。
まだ、桜が咲けない冷たい風が吹いていたけれど、
マフラーを巻いた赤い靴をはいた女の子をみたら、ほのかな温もりを感じました。
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