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「風の又三郎」を朗読
6月30日(土)「定例6月朗読会」 遊楽亭参加者4人
遊楽亭で朗読したのだが、1時間半で朗読できると思ったのが予想が外れた。
四人の人が聴いてくれたが、よくぞ我慢してくれたと思った。
朗読はもともと聴く側に立って考えないと独りよがりのものになってしまう。
そうならないようにと思っているのだが、たまたま「風の又三郎」を朗読することになった。
この作品を選んだのは、
宮沢賢治の作品では有名な作品なのに、朗読する作品には選ばれないのが常識だ。
なぜなら、この童話は長編だからだ。
朗読には、普段は決して選ばれない。
だからこそ、朗読してみたくなったのである。
これは独りよがりの考えだ。
どこまで一気に朗読できるか見当もつかない。
一番不安だったのは、声枯れだった。
咽喉を潤す水は脇に用意してあったのだが、
どこで声が涸れるのか分からなかったのである。
半分やけくそに涸れたら涸れたで水を飲めばいい。
こんな程度で朗読を始めたのである。
しかし、二時間というもの水を飲まずに、一気に朗読ができた。
自分でもよく声枯れせずにやれたものだと思ったのが正直な気持ちだ。
今回の場合、朗読の中味の問題ではない。
終わった瞬間、自分自身もため息をついた。
よくぞ、あ声枯れしないで、朗読できた。
これが本当の気持ちだった。
風の又三郎、よくぞ最後まで聞いてくれたものだ。
感想は、よく途中休まずに一気に朗読したと・・・
どこで休むのだろうかと思っていた。
宮沢賢治ってすごいね。
かなりの部分で私への同情が入っている。
それでもいいかな。
二時間続けて朗読できたのだから。・・・・・・・・・
こういうのを自己満足という。
自己満足の朗読をしてはいけないね。
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