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K小学校4年生に朗読指導
雨ニモマケズをみんなで朗読しよう。
一生懸命練習したらしい。みんなよく声が通る。
しかし、賢治の故郷岩手県の花巻地方の方言で朗読したらどうなるのだろう?
雨にもまげず、はい。 ・・雨ニモまけず。
ちがうちがう。雨にもまげず。はい。・・雨にもまげず。
風にもまげず。はい。・・・風にもまけず。
ちがうちがう。風にもまげず。 ・・・風にもまげず。
ゆぎにも なづのあずさにも まげぬ ・・・・ゆぎにも なづのあずさにも まげぬ
丈夫な体をもじ・・・・丈夫な体をもじ
よぐはなぐ けっして ごしゃがねんだ。・・・よぐはなぐ、けっしてごしょぐねんだ。
ちがうちがう。よぐはなぐ けっして ごしゃがねんだ。
よぐはなぐ けっして ごしゃがねんだ。
・・・・・・・
・・・・・・
かくして、この子等は、花巻地方の方言で、雨にもマケズを朗読したのでした。
子供等の感想は、雨にもマケズで方言で朗読できたのが楽しかった。
いろんな読み方があるんだなと思いました。
「注文の多い料理店」は、120名全員集中できて聴いていた。
感想で、
こわかったです。があった。
そうだよね。本当に聴いていたらこわい話なんだよ。
先生達もびっくりしてました。
まるで本物の猟師がいたようでした。話に引き込まれました。
有難う。4年生。
いっつもしずがに わらっている。
・・・・・・・・・・・
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朗読の旅
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12月13日木曜日 18時30分〜一時間
教職員女性部のお招きで7回目の朗読を行った。
「セロ弾きのゴーシュ」
宮沢賢治の作品として、映画にもなった作品だから
誰もがしっている。
一定のイメージを持って聴きに来てくれているので、細心の注意が必要だ。
とはいえ、今回は少々綱渡りみたいな事をしてしまった。
それは、咽喉のイガイガ症状だ。
咳はしないけれど、詰らせた声を出すと咽喉が詰って声が出なくなる。
この作品は登場人物が、入れ替わりたちかわり出てくるから厄介だ。
それでも何とかお終いまで朗読できた。
感想をと、求めたところ
こころよく聴いた感想を述べてくれた。
間の取り方で、情景が浮かんでくるようでした。
今度読んであげるときは、間を取る読み方を試してみたい。
さすが先生達。
朗読をただでは聴いていない。
男の声がやっぱりいいですね。
この作品の登場人物からすれば、女性の声では不利のような気がします。
などなど・・・・癒されるねえーーという声も聞こえてきた。
15人の先生達、頑張ってください。
聴いてくれて、ありがとう。
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なんと美しい題でしょう。
「雪渡り」って分かるだろうか?
東北の雪国の子供等なら分かるだろうと思っても
今の子供等には、理解できないだろうと思われます。
ましてや関東以南の人達は、
雪の上を小動物たちが野原の上を歩いている姿など見ることはない。
でも、この物語は、雪原が一枚の板のようになって、
日の光に照らされてピカピカ光る光景を映し出している。
そこに子狐紺三郎が登場する。
朗読を聴いてくれた保護者の感想が、ピカピカ光る雪原が浮かんできました。
と話してくれた。
小学4年生60数名そして保護者20数名
PTAの企画で親子で聴く会を作ってくれた。
「雪わたり」
30分少々の童話だ。2012年11月27日
今回は、「お酒を飲むべからす」の垂れ幕を、軸にして下ろしてみた。
けっこう貫禄のある垂れ幕になった。
キックキックトントンのリズムも子供達は朗読が終わった後も
口づさんでいた。
Y小学校4年生
ちょうど10歳くらいの子だから
11歳以上の子どもが、狐の学校に招待されないことに
不思議に思ってくれているに違いない
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定例の朗読会2012年10月定例会遊楽亭にて
今日は、「春と修羅」のなかの「小岩井農場」を朗読した。
賢治がこよなく愛した小岩井農場をスケッチした作品だが、
長文でなかなか読みきるのは勇気がいる。
この作品には難しい言葉がたくさん出てくる。
周りの光景をスケッチしているところはいいのだが、
ひばりのブラウンムーブメントと出てきてしまうと
読んでいるときにそこで思考が停まってしまう。
茶褐部落となるとそこの地名だから方向感覚が鈍ってしまう。
それでも、この難儀語が解説で判ってしまうと
賢治の目から見た光景が映像として浮かんでくる。
解説文を※印として付して16枚の冊子になった。
一気に朗読することはできない。
ていねいに言葉の解説を入れながらの朗読である。
言葉の意味が分かると、宮沢賢治の目になったように
小岩井農場の光景が浮かんでくるから不思議だ。
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「風の又三郎」を朗読
6月30日(土)「定例6月朗読会」 遊楽亭参加者4人
遊楽亭で朗読したのだが、1時間半で朗読できると思ったのが予想が外れた。
四人の人が聴いてくれたが、よくぞ我慢してくれたと思った。
朗読はもともと聴く側に立って考えないと独りよがりのものになってしまう。
そうならないようにと思っているのだが、たまたま「風の又三郎」を朗読することになった。
この作品を選んだのは、
宮沢賢治の作品では有名な作品なのに、朗読する作品には選ばれないのが常識だ。
なぜなら、この童話は長編だからだ。
朗読には、普段は決して選ばれない。
だからこそ、朗読してみたくなったのである。
これは独りよがりの考えだ。
どこまで一気に朗読できるか見当もつかない。
一番不安だったのは、声枯れだった。
咽喉を潤す水は脇に用意してあったのだが、
どこで声が涸れるのか分からなかったのである。
半分やけくそに涸れたら涸れたで水を飲めばいい。
こんな程度で朗読を始めたのである。
しかし、二時間というもの水を飲まずに、一気に朗読ができた。
自分でもよく声枯れせずにやれたものだと思ったのが正直な気持ちだ。
今回の場合、朗読の中味の問題ではない。
終わった瞬間、自分自身もため息をついた。
よくぞ、あ声枯れしないで、朗読できた。
これが本当の気持ちだった。
風の又三郎、よくぞ最後まで聞いてくれたものだ。
感想は、よく途中休まずに一気に朗読したと・・・
どこで休むのだろうかと思っていた。
宮沢賢治ってすごいね。
かなりの部分で私への同情が入っている。
それでもいいかな。
二時間続けて朗読できたのだから。・・・・・・・・・
こういうのを自己満足という。
自己満足の朗読をしてはいけないね。
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