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諏訪湖のお神渡りが、今年はできた。
とニュースで報じられた。
なかなか見ることができない湖で発生する自然現象がそれだ。
都市をすっぽり呑み込んでしまう大きな湖の諏訪湖で
今年は「お神渡り」ができた。
オホーツク海で発生する流氷と違って、
ここ諏訪湖で発生するのは同じ結氷ではあるが、
比べれば上品な氷だ。
いかにも諏訪大社が結氷を上品にさせているとしか思えない。
今年は諏訪神社の上社から下社に向かって、お神渡りができたようだ。
もちろんはじめて見る光景に、感動した。
お神渡りは、強い寒気が日本に入り込んで、零下14・5度連日続いたり、
暖かくなったりすると、氷が収縮したり膨張したりして
湖面の氷に亀裂が入り、表面が捲り上がる現象だそうだ。
今年の諏訪湖は、全湖面が結氷した。
そして、この間の寒波到来で、湖面に亀裂ができた。
上社から下社に向かって、一本の白い亀裂が入り、
途中途中が捲り上がっている。
神事だから、神官が湖面に乗って
できたかどうかを判定するのだそうだ。
湖畔には、氷に乗ると危険だという赤い旗が立っていた。
しかし、先ずは、湖面全部が結氷することに驚いた。
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思うことさまざま
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日ハ君臨シ カガヤキハ
白金ノ雨 ソソギタリ
ワレラハ黒キ 土ニ俯シ
マコトノ草ノ タネマケリ
この歌は、花巻農学校の精神歌であるが、
今もなお、現岩手県立花巻農業高等学校の第二校歌として歌われているものだ。
4連の歌ではあるが、
各連の冒頭に、
「日ハ君臨シ」が出てくる。
太陽の偉大さを、「君臨シ」と
叫びとも思えるように、
歌っている。
この歌の第2連と4連には、賢治の宇宙観が出てくる。
「気圏ノキワミ」という「宇宙の果て」が出てくる。
そして、「太陽系ハマヒルナリ」
と、我々人間は太陽系の中にあり、
そして、大宇宙の摂理に支配されている。
と歌っている。
地球と太陽と月との関係も、大宇宙の摂理に支配されていることは知られているが、
このように考えて暮らしている人は、少ない。
この3.11の地震と大津波もまた、
大宇宙の摂理に支配されていると考える人は、そう多くはない。
人間の作ったものは、大自然の力には勝てない。
と教えてくれたのは、あの三陸大津波だ。
原発も人間が作ったものだが、
あたかもエネルギーを支配したかのように思い込んだ人間の愚かさが
原発事故を招き、右往左往している人間を描いてくれた。
それでも懲りずに、堤防をもっと高く作り直せば、
安全だと主張し始めた人も出てきた。
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話の中に出てくる感情部分を、気持ちを込めて読んだとしても、
聴いている人たちが、潮の引きのように、目の前に居なくなっていることがある。
これはよくあることだ。
一生懸命に客を惹きつけようと思えば思うほど、
目の前の客が遠くに言ってしまう現象だ。
むしろ、気持ちも声高にせずに、淡々と声を出していた方が
客は近くによってくるような気がする。
声の強さもそうだ。
聞こえるか聞こえないくらいな声の強さで、
ぼそぼそと読んでいる方が、客は耳をそばだてる気がする。
朗読する人と観客の間は、そんなに離れていないんだよ。
離れていると意識すればするほど
焦ってしまい、
声高になる。
早口になる。
やっぱり、母親の語りが一番だからね。
赤ん坊に話しかける声は、ゆりかごのようだ。
そういうお母さんの語り口は、赤子を眠りに誘うんだよ。
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明治29年(1896年)6月15日,
三陸海岸が大津波に襲われました。
「明治三陸大地震」です。
震源は釜石市の東方沖200kmの海底で
マグニチュード推定8.2〜8.5の規模で巨大大地震です。
大津波の第一波は、地震発生から約30分後に記録されています。
死者:2万1915名・行方不明者:44名
(合計・2万1959名→北海道:6名、青森県:343名、岩手県:1万8158名、宮城県:3452名)
負傷者:4398名
家屋流失:9878戸
家屋全壊:1844戸
船舶流失:6930隻
その二ヵ月後の明治29年(1896年)8月31日、「陸羽大地震」が発生しました。
この震源地は秋田県と岩手県の県境。
マグニチュードは7.2の内陸直下型地震でした。
この陸羽地震の4日目前に、宮沢賢治が花巻で生まれていますから、
当然に、賢治は赤ん坊のときに花巻市で被災しました。
賢治の母親が、我が子を守るために取った行動として、
エピソードが残されています。
また、賢治が亡くなったのは、昭和8年9月21日
半年前の昭和8年(1933年)3月3日
今度は、「昭和三陸地震」が発生したのです。。
震源は釜石市東方沖200キロ、
震度はマグニチュード8.1(8.3とも)の地震が起こりました。
ここでも津波が発生し、
波の高さは、北海道襟裳岬4m、岩手県(宮古市14.6m、山田町10.5m
釜石市8.2m、大船渡市22.4m)、宮城県女川町で3.1m
この地震による被害は、
死者1522名、行方不明者1542名
負傷者1万2053名
家屋全壊7009戸、流出4885戸、浸水4147戸、焼失294戸に及びました。
後付けの話になるのですが、
37才で亡くなった宮沢賢治のの人生が、
明治三陸大地震と昭和三陸地震の間に在った
ということになる訳ですから、
宮沢賢治は、地球規模で語られなくてはならないと思うのです。
宮沢賢治の年譜を調べていると、
今回の東北関東大地震の津波とその被害が、
過去二回の三陸地震による津波に似ているように感じます。
昔と違っているのは、
私たちはテレビなどの映像で、
地震発生と同時に、
津波が襲ってくるところを
茶の間で見ていたということなのです。
賢治の時代は、地震発生が夜間であったばかりでなく、
テレビなどの映像がなかったものですから、
その津波に呑み込まれた当事者でしか、
大津波を見ていないということなのです。
ほとんどの人は、人の話でしか津波を知っていないということになります。
宮沢賢治は、地震の申し子であり、
地震の恐ろしさや人々の苦しみを伝える
語り部の一人であったと思うのです。
災害を受けた人達の悲痛な叫びを
物語や童話にして、我々に伝えていたと思うのです。
東北関東大地震の被害を目の当たりにして、
被災された人達の
助けて欲しいという訴えや悲痛な叫びを聞いて、
そう思うようになりました。
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栃木は蔵の町として知ったのは、確か4・5年前だった。
そのときは、日光いろは坂の紅葉を見に行く途中、車で栃木の市内を通った。
蔵の多い街だったので、ちょっと興味が湧き、
短い時間だったが、市内に駐車して街を歩いた。
市内の中心に「山車会館」があって、その中を見学した思いでがある。
栃木市で山車祭りがあることを知ったのは、そのときだった。
今年の11月14日は、那須方面に紅葉を見に出かけた。
温泉にでも浸かって、のんびりしたかった。
東北自動車道に乗って
栃木インター近くまで来ると、渋滞情報があった。
鹿沼手前で事故。
渋滞は、初め鹿沼から4キロだったが、走っている間に6キロ、8キロとどんどん伸びてくる。
これは、渋滞にはまってしまうぞ。
身動きできなくなってしまったらたいへんだ。と思って、
鹿沼インターの手前、栃木インターチェンジで降りた。
これから那須まで一般道かと思って時間を計算すると、
那須まで結構時間がかかることが判明。
そうこうして、栃木市内のバイパスを走っていると、
臨時駐車場、シャトルバス運行という看板が、やたら目に付く。
何かイベントでもやっているのかなと思いながら、走らせていたが、
以前に立ち寄った、あの栃木の「山車祭り」じゃないかと思い始め、
遠い那須に行くのをやめて、近くの祭りを楽しもうと決めて、急遽、栃木市内に引き返した。
案の定、市内に行けば行くほど祭りの雰囲気が伝わってきた。
有料ではあったが、街の中心にある駐車場に停める事にした。
歩いて5分で祭りの中心街に出た。
道路は通行止めにしてあり、
山車が練歩きの準備だったらしく、
中心街に7台くらい並んでいた。
これは、紅葉見物よりおもしろい体験ができるぞと思った。
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