やすゆきの朗読・イーハトブの風(雨ニモマケズ・・宮澤賢治の童話)

宮澤賢治作品を朗読しています。朗読や体験を通して感じた事を「イーハトーブの風」に綴ってみます。

賢治紀行

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最近は、毎日のように空を眺めるようになった。
朝、晴れた日などは、ちょっと小高いところに上って、辺りを眺める。
すると、
太陽の昇る東の方は、白く輝いて見え、
真上は、雲がゆっくりと流れて動く。
西の方は、青が濃くなり、澄んだ幕が広がる。
 
こんな天空を見ていると、
自分が丸いドームの中に居る様な気がしてくるから不思議だ。
 
宮沢賢治は、岩手山の上に立ち、夜空を眺めていた。
ドームのように感じていたかは分からないが、
眼の前に降り注ぐ星を、全身に浴びていた。
 
ならば、昼とはいえ、眼の前に映る白から青の天空は、
宮沢賢治の見ていたドームと同じではないかと、
 
そんなことを考えていると
太陽系の地球に住む私達が、ちっぽけな存在に思えてくる。
 
賢治の視線は、いつもドームの外にある。
 
 
 
今年の元日は、快晴で遠く富士山が見えた。
 
上を見上げれば、青く澄んだ空が広がり、
太陽は輝いて見える。
 
これを宮沢賢治は、
「日ハ君臨シ 穹窿ニ ミナギリワタス青光リ」
と詠んだ。
太陽系の中に居る私達は、
太陽の恵みを受けて、生活していることを教えてくれている。
 
太陽の恵みは大地にふりそそぐ。
しかしまた、
そして震災を経験した今、
私達は、揺れる大地に住んで居るのだと・・・・
 
堤防を数メートル高くすれば、安心だと云う人が出てきた。
これも「安全神話」の一つであることをわすれて・・・
安全神話に騙されるなよ。
 
振り込め詐欺に騙されるなよ。
と似ているかもしれないが、
 
人間は、ちっぽけな生き物なのだ。
 
今年2012年は
自分の命を落とさぬ術を、如何にして身に着けるか。
を考えながら、生きて行く年になるのかもしれない。
その原点を探っていこうと思う。
 
賢治は、ちっぽけな人間は、見ていないようだ。
宇宙の中の生命を見ていたに違いない。
 
日ハ君臨シ カガヤキノ
太陽系ハ マヒルナリ
険シキ旅ノ ナカニシテ
ワレラ ヒカリノ道ヲ フム
 
と賢治は、歌ったではないか。
 
 
 
 
日本橋を後にして、兜町を歩いていると
 
兜町を歩いていて感じたのだが、
この町は新しいビルと古いビルが混在していると思った。
郵便発祥の地である日本橋郵便局は新しいビルに替わっていた。
東京証券取引所も近代ビルに替わっていた。
しかし、昔の名残りは、ちゃんと残している。
日本橋郵便局は、郵便発祥の地の碑を置いているし、
東京証券取引所は、ビルの中に往時の繁栄を誇った資料が博物館に保存されている。
ここは無料で見学できる。もちろん厳しいボデーチェックを通っての後だが、・・・
 
賢治が父政次郎の命によって、東京の金融の中心街を歩いただろうことは、
賢治が友人に宛てた書簡から分かったことだ。
日本銀行や三井銀行そして金融の中心街兜町を賢治が悠々と歩いただろうと思えてきたのである。
 
それから、賢治は叔父さんと一緒に宿泊場所であった宿、宮城館まで歩いたのである。
宮城館は東日本橋駅の近くにある。
珍しいことだが
当時の旅館名であった宮城館が、今もなお残っている。
 
今は旅館ではないが、ビルになっている。
ここに宮城館があったことを確認してから、両国橋に向かった。
 
今回参加は、5人。
昔、若かった人達ばかり。
歩く距離が心配だったが、目指すは両国橋
 
三越のライオンを横目に見ながら、日本橋の上に立ちました。
この橋は、江戸城の外堀に掛けられているのですから、
江戸幕府当時の頃を思い起こせば、
如何に江戸城が大きかったが分かります。
 
日本橋で出会った話し好きな方が、話してくれたことが気になりました。
「日本橋を渡って、この道の方向には、赤坂の日枝神社・反対にこの道の方向には、神田の明神様がるんだよ。」
 
なるほど日本橋の内堀方向には、日枝神社があり、
外堀の外側方向には、神田明神があるということなのです。
 
確かに赤坂の日枝神社は、江戸幕府が支えた神社であり、
神田明神は町人たちが支えた神社でありました。
 
日本橋はこいいう観点からみると、武士と町人が行き来していた大事な橋なんだなあと思いました。
 
日本経済の中枢である兜町は、内堀側にあり、職人の住んでいた人形町は外堀側にあるのです。
 
つづく
10月29日、今日は晴天で気持ちのいい朝を迎えた。
賢治ゆかりの地・東京散歩は、3回目になった。
ぶらり歩くコースは、東京日本橋から両国橋まで
地下鉄半蔵門線の三越前で降りて、日本銀行の前に出たら、
貨幣博物館がすぐそこにある。
きょうはこの博物館から見学だ。
玄関前に来ると、何か車らしいものが何台も道路の真ん中や歩道に展示されている。
博物館見学が最初の目的だったが、ちょいとこのクラシックカーを覗いてみた。
あとで分かったことだが、
日本橋100年のイベントで
クラシックカー百数十台展示していた。
とても珍しいものを見ることができた。
ボンネットバスも50数年ぶりに見ることができた。
 
賢治が東京に来たころ走っていたクラシックカーもあった。
東京というところは本当に面白い所だ。
 
賢治が日本橋本石町にある三井銀行界隈を歩いたのは、
大正5年ごろだ。
 
当時の貨幣や紙幣を博物館で見学してから、
賢治も歩いたであろうお江戸日本橋に行った。
 
日本橋100年ということもあってか、日本橋に詳しい男性が声を掛けてきた。
この道路元票は橋の真ん中に埋め込まれているんだよ。
この道路元票は模型で実はアノ橋の真ん中に、ホラ見えるでしょう。
明日は、100年祭で日本橋の真ん中を歩けるんだ。明日来れば本物を直に見られるよ。
 
とまあ、こう解説してくれた。
 
話好きな人も居るもんだ。
そうこう日本橋を見学しているうちに、
昼の時間で、近くの「たいめいけん」というレストランに行った。
 
12時半だというのに、歩道のところに25人くらい列をつくって並んでいた。
 
どうしようかとは思ったが、折角のこの店のオムライスを食べるために
並んで待つことにした。
店の人は、ただいまの待ち時間は約40分くらいです。
と云っていた。
 
まあ、苦労して何とか昼食にはありつけた。
次は、
日本橋まで来て、日本の経済の中枢街を見ないで帰れないので
兜町界隈を散歩した。
 
賢治も父親の用事でこの界隈を散歩していると思われるが、
それより、渋沢栄一や明治の財閥だった三井や後藤などがこの界隈を闊歩していたことを思うと
この散歩は、またすごい所を歩いているんだと改めて認識した。
つづく

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