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感覚器官に配置具合によって、他者に対して私に身体が現れる通りに、私の身体を見ることがきるという「道具・事物」としての身体の現れは、身体についての意識、道具複合としての世界についての意識、他者の身体についての知覚の、後にやってくる。例えば、幼児は、自分で自分の手を握ったり、見たりすることを知るずっと以前に、物を握ったり、引き寄せたり、押しやったり、つかんだりできる。生後2ヶ月の幼児は、自分の手を、自分の手として、見るのではない。自分の手を見つめていても、いったん、それを視野から遠ざけると、今度は頭を回して、まなざしをでそれを探し求め、まるで手を自分の視野に戻すことが自分の能力に依存していないかのようである。幼児が「存在されている身体」と「見られた身体」との間の照合表を立てうるに至るのは、一連の心理的操作、識別と再認という一連の総合によってである。そのためには、幼児が、他者の身体についての認知を自分でやり始めたのでなければならない。私の身体についての知覚は、時間的順序から言えば、他者の身体についての知覚の後に置かれる。
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