正法眼蔵随聞記

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道元(1200〜53)が1230年、建仁寺を離れて、深草の安養院にいた

頃、閑居偶作六首が作られ、その中の一首がつぎである。

「生死憐れむべし、休して又起こる。

迷路、覚路、夢中に行く。

然りと雖も、尚お忘れ難きことあり。

深草の閑居、夜雨の声」

深草の閑居にしとしと降りつづける夜雨の声に、道元はしっとりと耳を傾けて

いたのであろうか。平安に過ぎていく道元の心に、自然の足跡はゆっくりと印

しているようである(玉城康四郎)。

・・30歳代の道元である。時代の激動の渦中に身を投じている人ならば、こ

のような一首はなかった。自分の30歳頃はどうだったか、ひゅーひゅーと風

が吹いている。

坐は自己の正体

「坐すなわち仏行なり。坐は即ち不為なり。これ即ち自己の正体なり、この外

別に仏法の求むべきなきなり。」(三ノ二十八)

「また伝く、得道の事は、心をもて得るか、身を以て得るか。教家等にも「身

心一如」と云ひて「身を以て得る」とは云へども、なほ「一如の故に」と云

う。正(まさ)しく身の得る事はたしかならず。今我が家は、心身倶(とも)

に得るなり。その中に、心をもて仏法を計校(けきょう)する間は、万劫千生

(まんごうせんしょう)にも得べからず。心を放下して、知見解会(ちけんげ

え)を捨つる時、得るなり。

 然れば、心の念慮知見を一向すてて、只管打坐(しかんたざ)すれば、今少

し道は親しく得るなり。然れば道を得ることは、正しく身を以て得るなり。こ

れによりて坐を専らにすべしと覚ゆるなり。」(三ノ三十一)
 

梅華(ばいか)

   梅華(道元『正法眼蔵』)
雪裏(せつり)の梅華は一現(いちげん)の曇華(どんげ)なり。ひごろはい

くめぐりか我仏如来(わがぶつにょらい)の正法眼睛(しょうぼうがんぜい)

を拝見しながら、いたづらに瞬目を蹉過(しゃか)して、破顔せざる。而今

(にこん)すでに雪裏の梅華まさしく如来の眼睛なりと正伝し、承当(じょう

とう)す。

〔訳〕雪の中に花咲く梅の華は、かけがえのないものとして現れる(三千年に

一度咲くと伝説の華)優曇華(うどんげ)であったのか。これまで、春が巡っ

てくると、何度も我が釈迦如来の正しい教えの眼(まなこ)そのものであった

梅華を拝見しながら、釈迦如来が瞬きをして言葉に表せない教えを示していた

のに、その瞬きをうっかり見過ごしていて、にっこり微笑むことができないで

いた。しかし、まさに今、雪裏の梅華が、まさしく釈迦如来の眼であると正し

く伝わり、しっかり受け止めることができた。

・いつも見慣れた雪の中に咲く梅の花を「優曇花」と見ることができた。すな

わち、ほかならぬこの道元自分こそ仏であるということを知り、この自分を仏

として行じつづけてゆく道(只管打坐の道)を見つけることができたのであ

る。

〔解読〕身近な所に、生来自分そのもの中に仏性が備わっているものであっ

て、それに気づくことが大切であると教えている。他所に求めても得られない

自分にとって最も大切なもの(自分の神髄)が、自分の中に存在している。こ

れに気づくことが大切である。

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