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読売本日投書欄より
いい話。
震災前5年、震災後5年というところなのでしょうね。
震災は悪いことばかりではない、と聞いたことがあります。
この方もそうなのでしょうね。
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がんばっぺない!福島
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昨日の朝の読売に、福島県の全面広告がありました。
県外の私たち向けかな??
と、思ったら、全国紙だけでなく地方紙にもだそうなので、福島県内の方もご覧になったのでしょう・
県民の方どう思われましたか。
私は、いいと思いました。
検索しても、文章を貼れないので、私が文章を打っておきます。
検索したら、なんかこの広告を批判するブログしかヒットしてこなかったので、それは癪なのでね。
ちょっとつっこんでみます。
福島県という名前を変えないと、復興は難しいのではないかと言う人がいます。→初耳ですが、そんなこと、だれが、どこに言ってくるんですかね・・・・・
失礼しちゃうわね。何様かしら。
どちらかといえば、こちら?
福島第一原発という名前を変えないと、復興は難しいのではないかと言う人がいます。う〜む。
でも誇りを持って廃炉作業に当たっている方の魂をぶち抜くような冷たい意見でもあります。
あっそうか、
福島をフクシマと言う人がいます。こっちじゃないの?
それではあまりにもど真ん中すぎるので、変化球にしたのではないか??(深読みしすぎか?)
それから、大丈夫かなあとちらっと思ったのはここ。
避難区域以外のほとんどの地域は、日常を歩んでいます。これはその通りだと思います。
震災特集というと、この「(全体)−(ほとんど)=(一部)」の(一部)にスポットを当てた報道がされます。
映像の力は恐ろしいもので、(一部)≓(全体)と、人々は受けとめがちだということですから。
脱線しますが、私は、津波で母親を失った幼女の、毎年の変遷を記事にしたのを見て、「この子は報道される自分は特別であると勘違いしないだろうか」と思いました。成長、進歩を写真で示すという新聞記者の意図はわかるのですが、この子の人生への影響の副作用というものを考えているのかな。というかすかな不安です。
福島県内の通常の生活を送っているほとんどの方は、この「避難区域以外の・・・・」のくだりは「そのとおりです」と思うでしょうが、避難生活を送っていたり、故郷が様変わりしてしまった、たとえ少ないにしても、一定数存在する県民の方にとっては、この部分は、悲しみをもって読んだだろうと想像します。
浪江出身の方から、震災5年にあたり、「復興とか、前に進もうとかが前面に出て
置き去りにした悲しみもあるのに」とメールいただきました。。。 お時間があれば今度ぜひいらしてくださいね。来週末、長男が郡山引っ越しですから、行きますよ。!!圏央道つながったから、もしかしたらうまいこといったら、飛ばしたら(?)、5時間ぐらいで着かないかなあ?
いろいろな声によって誇張された福島はそこにはありません。いろいろな声
いろいろな声
いろいろな声
いろいろな声!!!
原発の廃炉は、長い作業が続きます。ほんとにありがどない。(^^)/
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「いいたてミュージアム」、巡回展が近くで行われているというNHKニュースを見て、行ってきました。
いいたてミュージアムは、「いいたてまでいの会」主催。同会は、2011年7月、「までい大使」や県内外の支援者によって、設立されたそうです。「までい」という言葉は、飯舘村の象徴です。ちなみに「までい」は漢字で書くと「真手」と、どこかで読んだことがありますが、「飯舘真手の会」でも「飯舘までいの会」でもなく「いいたてまでいの」会であるところにも意味があるのかなと思いました。
いいたてミュージアムの展示としては、飯舘村の特産物や伝統工芸のような、いわゆる村立博物館の常設展に展示されているようなものはもちろん、飯舘村の農業やなりわいに結びついた、各御家庭にあるいろいろな品、写真、はたまた記憶を想起させるものがずらっと並べてあります。毎年わずかずつ増やしているようで、巡回展ではその一部を並べているようです。
それらの数々の展示物は、震災前にはごく普通に飯舘村の方が使っていたり、飯舘村に出回っていたものでしょう。でも今は、全村避難が続いているので、飯舘村の中ではなくて、避難された村民の方が村外に持ち出されたものということになりますね。
そしてそれを眺めると、震災前の飯舘村の豊かな農村の暮らしの風景がしのばれました。
私が見たのは、20点ほどだったでしょうか。
◆ポスト型はがき飯舘村の玄関口にある二枚橋郵便局が作ったはがきです。小さな特定郵便局が、オリジナルのはがきをつくるということに、驚かされました。
そして、私、福島で働いていたころ、通りがかりに、ここに行ったことがあるような気がするのです。あとで地図で確認してみますけれど・・・。
◆飯舘村特産凍豆腐の箱立派なお酒の箱みたいな感じ。先日lこちらに講演に来られた菅野宗夫さんが作られたもののようです(知らなくて、行けなかったのが残念)。私にとっての凍豆腐といえば、立子山の凍豆腐。あちらはわらかなんかで縛って、透明な袋に入っているのですが、こちらはこんな作りなのかと、文化のわずかな違いを見た思いです。味はどうなんでしょうか。立子山のとどう違うのか、食べ比べてみたいです。お雑煮には、私は必ず実家の母から送ってもらった凍豆腐を入れます。菅野さんは米の試験栽培などもされているようです。
◆スズメバチの焼酎漬け「2010年7月採集」というシールが貼ってありました。ニホンミツバチを育てている方が、攻撃にきたスズメバチを捕まえたそうです。焼酎に漬けると半永久的にもつんでしょうか?もしかして精が付くとか?とにかく、目が吸い寄せられました。ニホンミツバチが減っている、という話を以前、「鎌田喜之の目」で取り上げました。飯舘村では、どうなんでしょう。お話を聞いてみたいです。
◆チラシのゴミ箱新聞折り込みチラシで箱をつくり、その中にやはり折りたたんだチラシの箱がぎっしり詰まっています。これは、私の仙台の叔母が昔作って、やっぱりこたつの上に上げておきました。母は作り溜めておきませんが、リンゴをむいたりしたときに、ささっとたたんで作ります。それなのに、私は作り方を知りません=文化の断絶です汗
◆ディスクグラインダーなんか、農業機械みたいです。ドライヤーぐらいの大きさで、最初は何かのミニチュアかと思いました。いったいこれは何に使うんでしょう??作られた方も、小さい頃から、家には数々の農業機械があってよく見ていただか手入れしていたとかいうコメントがあったような。これを見て一気に「問屋制家内工業」のような、普通の博物館でよく見るような感じを持ちました。
などなど。。。
「までい」を説明するのより、「までい」を具現化したものを目の前にする方が、すっと心に入ってきますね。
私は今回の展示を見に行くときに、実は、また、「震災のあたりまえの暮らしを取り戻したいのに」「東電が憎い」というような悲しみに彩られた「いつもの」展示会なんだろうと思っていました。
しかし、違いましたね。これは、浜松にいていろいろ福島県からの避難者の方を支援するイベントに行ってみて、初めて、違ったと感じました。震災5年にして、初めてです。つまりは、いかに「福島」というイメージが、「悲しみでアピールする」存在になっているかということです。それは当然のことだとも思います。そして、県外の人達が「かわいそうな福島県」「助けよう」「寄り添おう」と、奮起する。そういう構図です。勢い、原発反対運動の団体と結びつきます。「悪いのは東電だ」というスローガンに収斂されていくのです。
いいたてミュージアムは、「飯舘村の『までい』な生き方って、いいなあ。飯舘村民ではないけれど、なんか懐かしい感じがするし、自分も似たようなふるさとの生活を思い出せるなあ。今は、全村避難で、生活品が、こうやって芸術品みたいにかしこまって並んでいるけれど また暮らしの中で使われるといいなぁ」と思わせるものでした。なんというか、将来に繋がっていくような感じがしたのです。。明るい、暖色系のイメージを持ちました。
震災のことというと、遠く離れたところでは、なかなか人は行きにくいというのは、あると思います。政治的なにおいもあるかも、とか敬遠されがちです。
でも、そんな中で、小さくともこんな活動がされているのですね。
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西川美和「永い言い訳」より
震災後のさまざまな「喪失」について、重なり、参考になる部分があるような気がするので抜き書きします。大切な人、家、故郷、文化、誇り、自信・・・・目に見えるもの、目に見えないもの、何かを失った方は多いと思います。
実は私、この本の主人公、津村氏の言い分「なるほどなあ。喪失はそうとらえるものなのか」とブックマークしたのですが、その後、一番下の津村氏に当てた編集者の批判手紙を読んで、「そうだったのか、私は借り物の言葉にその通りだと思っていたんだ」と、、自分の考えが浅はかであったことを知りました。
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福島県民健康調査に協力し、福島に住む自分や子供、隣人の健康を守ってください
福島再生への12項目震災1年、福島を愛する方々にお会いし、話を聞き、
人や自然やすべてを愛する女性の映画を見て、帰省から戻りました。 9日は、宇野賀津子先生(ルイ・パストゥール研)とbloomさんを囲む勉強会、昼・夜の部に出て、都合7時間ぐらいみっちり勉強できました。bloomさんの報告、としぼーさんの報告どうぞごらんください。
10日は「ご縁玉」の上映でした。乳がんになってしまった山ちゃん先生の最晩年を、1人のチェリストが癒しにいくノンフィション。前日、宇野先生にお聞きした「がんにならない生き方」とリンクする内容で驚きました。さしずめ、前日の勉強会が理論編で、映画が実践編。どちらか1つだけでは、私にはわからなかったに違いなく、これも「震災1年・福島」のご縁なのかと。 11日、震災の日早朝、はるばる大分からアカペラさんが深夜バスで到着されました。放射線技師として、1年前の3月に郡山でスクリーニングをされたアカペラさんは、前日に観た山ちゃん先生のご友人。そんなお話に加え、放射線についてのお話もいろいろ教えてくださり、前々日の勉強会の話とまさにリンクし、これもご縁なのだなと。 頭の中がパンパンですが、この3日間の3つのできごとは、福島と放射線と震災1年とご縁ということで、すべてつながっているのだと思いました。クロスし、重なり、浮き上がり、「復興にはこれがカギだ」と私が個人的に感じた事項を横断的に取り上げて、以下のようなテーマで書いとこうか?と思っています。(※予定) 参加された方は、題目で「ははぁ〜あのことを書くんだな」と、わかると思います。
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