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久しぶりに来たら、なんだか、承認制コメントもふつうに承認関係なくなっているし、新着が赤で示されるのもなくなっているし、ナイスは前からなくなっていたし、コメント欄がめっちゃ字が小さくて、なんだ?と思います。ヤフー段階的に機能外しってえげつないわね。
なかなか移転の準備が進みません。焦っています。
他のブログもコメント欄を本文中に移動しなければなのですが、あっちこっちのままになっています。
長男から、「安西監督にもらったよ〜」と、直近の全国男子駅伝の色紙が送られてきましたよ!
うちの玄関に飾りましたが、夫が帰宅して「??〇〇の名前がないじゃん」、て・・・・・、当たり前じゃないか!!
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★★
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いつのまにか、ブログ記事の「ナイス」機能がなくなりましたね。
私、この「ナイス」「いいね」機能って、いまいちだなと思っていたのですが。
やらなければやらなければと思いつつ、ヤフーブログが大量にあるため、あっちこっちに手を付けつつ、なかなか1個完結にまで至っていなかった、「コメントの本文中移動」・・・やっと、このブログ、初めて終了しました〜は〜ちかれた〜
それにしても、昔は交流した人と、自然に離れたり、拒否されたり、はたまた、この作業に応じて連絡を取るようになったり、ずっと細々ながらも続けてこられたり。ありがたいことです。
その中で、震災後、一時期、福島のことに関してコメント交わし合っていた人が、どうも自殺したらしいことに、きょう知りました。予定投稿で長い長い遺書がありました。私は途中で疎遠になってしまっていたのですが、はっきりとした保守論壇であり、福島に対し、「東京のために、福島の方々よ、ごめんなさい」という考えの方で、印象に残っていました。
鬱病によるものらしいのです。「やっぱり」という気がしました。
突っ込んだブログを書ける人は、リアルでもそういえるのではなくて、ブログだからいえるという側面があるのでは、と、私は感じることが多いのです。
まぁ私も、震災後は、福島のことに関し、リアルで訴える人が誰もいないために、ブログに書きまくっていたという経緯もあります。
書き続けられるほどのパワーを外に向けていれば?と思うことはあります。
だから往々にして、そういうメッセージ性のあるblogを書いている方々は、今現在はやめている方が多いようです。ほかのSNSに移行したかもしれませんが、やはりブログは長文であるということから、より、重い、強い感情がないと続けられないですよね。
そういう意味では、私もそう。
このブログは、飯坂温泉の共同湯廃止問題を長男が自由研究にしたものを、ネット上に備忘録にしておこうと思って軽い気持ちで始めたものです。それが、いつのまにか、私のほうがノッてしまって、飯坂温泉とか飯坂、福島、温泉のことについて、郷土愛から、筆が進んでしまった。それで震災が来て、震災後書きまくったけれど、今はほとんど書いていません。ツイッターで、反福島の報道等を断罪している方々のツイートを見ると、こういう人が続けてくれているから安心だと思っています。
といっても、私の主戦場は、ヤフーの別のブログで、当時問題になっていた医療崩壊について、まあいろいろと何様かのつもりで、調べたり書いたりしていました。医療関係者や、詳しい方ともやりとりし、非常に充実していました。そちらのブログもコメント移動の作業中ですが、本文よりも人の意見が重要だわなとしみじみと思っています。
でも、全身全霊をかけて書いていたそのブログは、どこか無理があって、凍結しました。つまりは「しょせんブログ」なのよな、と思います。
ここで飽き足らない人が、ブログの外に出て、リアルで活動していくのではないでしょうか・・・
だからその方が自殺と知り、ああ・・・・わかる・・と思ってしまったのです。
でも、廃止となるから、そのブログはもう完全に消えてしまます。
でも「終了」ではなくて「完成」だと、その方は書いていましたよ。そういう考え方は潔いですね・・・
でも私は、少年野球地獄ブログを閉鎖してしまって、後悔しているから、地道にほかのブログも残していこうと無駄な抵抗をしています。
しかし移行先がまたブログ廃止とかになったらどうしよう!って思いますよ・・・・
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野口晴哉「風邪の効用」について、それ以外に付箋をはっていたところをとりあえず、うつしておきます。
風邪の話。この手の話は私としては核心をついているのでは?と思うが、西洋医学的・現代医学的には、世迷言と言われるのかもしれない。
科学を味方につけた福島県民にとって、デマ・フェイク・非科学・ニセ化学・疑似科学・トンデモは大敵なことはわかっているけれど。
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私に定期的に送られてくる「ふくしま夢通信」ですが
↑ (申し込むと無料で福島市から送られます)
「送りましたよ」っていう紙が1枚入っているんですけど(形式的なやつ)
「福島市広報課長」と普通に印刷してあり。。。なんか違和感
今まで「福島市長 小林香」(名前だけ毛筆の自筆っぽい感じで印刷してある)だったのだったと
気づきました。
震災後から始めたはずだから、小林さんが始めた事業ではないんだから、別に新しい市長の名前が書いてあってもよくないか
というより。。。
どんな人なんでしょうか、新しい市長さんは、いかがなんでしょう。
小林さんは、飯坂電車を年寄りをただにしてくっちゃって母は言ってましたが、
いまさらですが、なんで1期で終了だったんでしょうね
肝心の夢通信の内容ですが矢野目だるま職人さんは、女性の方なんですね!初めて知りました。どうも、旦那さんの急逝で引き継いだそうですが、跡継ぎはいるのでしょうか?それがとても気になる気になる
かやぶき屋根の特集もありました。大笹生のお寺は、フルーツラインの角のところで、ここに立ってる星の宮かなんかの石碑に刻まれた文字を調べたことがあったが、お寺の屋根には全く気付かなかった私・・・・
佐藤家というのも飯坂線の近くなのも知らない。
民俗学好きの私にしては・・・・。
さらに、かやぶき好きの方々が作った小さいものが、諏訪出身の有名な人が作った有名な建物に似ている、しかし今、時間切れなので、また後日です
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先日、中学時代の恩師が亡くなったことを知りました。
2年ほど前の同級会では、入院中とのことで、出席されなかったのですが、いなくても存在感があったというか。同級生と会って語る懐かしい昔のその場面には、いつもA先生がいたので。
私は地元を離れているし、飛んで行けない状況なので、こういうときに何もできません。友達によると、同級会の会費の残りで、「●年度卒業生一同」という盛大な花輪をかかげてくれたとのこと。ありがたいです・・・・
人にとって、「死」は3種類あるそうです。
第一の死は、自分にとって大切な人が死ぬこと。
第二の死は、自分が死ぬこと。
第三の死は、自分を知っている人がこの世から全部死ぬこと。
だから、A先生を大好きな私たち教え子がいる限り、先生は死なないということだ。
だから、先生の思い出を、書いておこうと思いました。
精神棒もう、A先生の代名詞です。いつも手に持っていた木の棒。精神を鍛えるから精神棒。悪いことすると、「ケツ出せ!」って・・・おしりを叩かれるのです。まぁ、いった〜いのです!!
でも、そんな先生を悪く言う人はいませんでした。先生が叱るのは、「怒る」とか「切れる」ではなくて、「愛」だからって、みんなわかっているからです。何わりごどしてただがっちゃんだっけがな・・・。なんかすぐに思い出せないけれど。女の私でも関係なしです。
今はなんでも体罰って言われる世の中。昔でよかったよね〜と、同級会でもみんなで笑いあいました。名前も、もちろん呼び捨てです。これも、今ならなさそうな・・・・。
白衣(ちょとくすんでる)中学は3クラスで、私は2、3年のとき担任していただきました。理科の先生なので、担任うんぬんにかかわらず、みんな教わっています。だいたいは、先生は、白衣を着ていました。マッシロなのじゃなくて、なんかきばんだような、汚れたような、そんなやつです。スリムで、頭は短髪で半分白髪、目はぎょろっとしてて、やくざみたいな雰囲気でこわ〜い感じです。ちょっと渡哲也似。ちょうど、私たちのいたころ、うちの中学は荒れていて・・・。いろんな名物先生がいましたが、A先生もそのキレ加減では筆頭でした。
たらこ嫌いの原因理科の先生ですから、A先生は、理科室が似合います。先生は理科の中でも生物の先生だったのでしょうか。ある日の理科室で、たらこの数を数えるという授業のこと。「だれか、カッター持ってるやつ、いっかー」と言ったので、私、たまたま筆箱に入っていたため、手を挙げました。
たらこを何個か同じ大きさに切って、そのうちのひと固まりを、柄付き針で数えて、たらこはこのひとふくろに何個の卵があるかっていうのを調べるんです。それを班ごとにやるんですよね。細かい作業です。
で・・・・先生がたらこを切りまくったカッター、返してもらったのですが、それがめっちゃたらこくさ!!!洗っても洗ってもにおいが消えん!!
で・・・私はその日からたらこ嫌いになってしまったという。あのにおいが、どうしても、ダメなんです
サインは2つ(のみ)私はソフトボール部でした。A先生が顧問。私が3年のときに、ちょうど、3年の部員が9人です。私なんて、2年生よりも下手だったのに、A先生は3年生全員をレギュラーにしてくださいました。これって、今の、勝利偏重の部活とは違いますよね。・・・・もし、私が補欠だったら、つらかっただろうなと思うし、実力主義の今の部活動には、今の子たちは殺伐とした砂漠を生きているのだよなって思いますね。
で・・・
サインがあるんですよ!!サインが!
先生が腕を組む→バント
足を組む→盗塁
なんてシンプル!わかりやすいんでしょう。
そしてホームへ部活は夜7時ぐらいまで練習があって、それを、厳しい(?)うちの親は、「遅すぎる。うちの子は早く帰してください」と、申し出ました(今の私の、親としての感覚とは、ほんとうにかけ離れている・・・でも普通の親なんだけど)。で、みんながまだ練習してるのに、私だけ、グラウンドに「ありがとうございました!」って言って、練習しているみんなに向かっておじぎして、帰ってくるんです。それが悲しくて・・・おじぎしながら、涙うるうるしたこともありました。一人だけ別行動なら、やめてしまいたいって頭をよぎったこともある。
A先生は、そんな私の葛藤、煩悶を察して、「〇〇。こういうときもあるんだ。理不尽だなーって思っても、従わなければならないときもある。でも、おそらく、いっときだ。少し、今は我慢しろ」と、私の肩をポン、ポンとたたいて、励ましてくれたことがありました。
学年が上がるうちに、いつか、親も、一人だけ先に帰すことを撤回しました。何がどういうことでそうなったのか、今はわかりませんが・・・聞いてもないけど。
練習が中盤すぎると、先生がやってきて、ノックとか激を飛ばし、バッティングフォームなど助言したり。それで一番最後は、内野から一人一人ノックをとって、ラストの球はキャッチャーの前に転がす感じでホームに上がってきます。そして、最後に並んで、誰もいない(向こう側の野球部はやってることもあった)グラウンドに向かって、1塁線に並んで「ありがとうございました!」ってみんなでお辞儀する。
練習中は(今と違って)水は飲まないから、みんな走って競ってテニス部の前の蛇口に走って、ぬるいけどめっちゃうまい水をがぶがぶ飲んで。帰りは、山道を、おにぎり食べながら。
途中で投げ出さないで、みんな一緒の楽しさにたどり着けたのも、A先生の励ましがあったからだと思います。
せっかく文字というものがあるのに、先生に手紙出せばよかったな・・・と後悔しています。
中学時代は、A先生とともにあったなぁと思います。たぶん、同級生、みんなそうじゃないかなぁ。中学時代、いいことばかりでなかったと思うんだけど、こう考えてると、いいことしか思い浮かばない。
・・・・と、思うのは、私が年とったからかもな。
思うに、私が先生に教えてもらったころの年って、たぶん、今の私ぐらいの年だと思うんだけど。
全然、自分が、あんなに立派だったとは思えないなあ。
フラフラしている私、精神棒で「根性たんにぞ!」ってぶったたかれそうだなぁ
【コメント】
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