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新春、霊園に行く
神社やお寺の初詣は一般的ですが、お墓に初詣するのもなかなかよい、ということを知っている人は・・・・・
いたいた!
新春明けのTOKIOの国分君がラジオで、言っていました。年明けにお墓に行ったと。それがとっても気分がよいものだった!というようなこと。
私も、なんとなく年末の仕事の失敗を引きずってたり、いろいろな悩みの種をもてあましたりして、どうもむさくさしたので、お墓に行きました。死んだばあちゃんとじいちゃんがいるのです。
心の上澄み
この霊園はうちが建てたころは、まばらだったんだけれど、今はいっぱいになってて、いつのまにか構内一方通行になっている〜。
それに、干支の石像が入口からずっと続いているんだけど、なんか今回見たら、なんか新たな置物も増えていたみたい。
買い物の途中に軽い気持ちで寄ったのですが、ちらほら、花が各お墓にあったりして、・・・うちのお墓のお花は立ち枯れしている!これはいかんと思って、ヨークベニマルに急行しお花を買いました。1つは仏前用だけど、1つはちょっと普通の花束みたいな(かすみ草とか薔薇とか)のにしました。
そいで、水を汲んで、花瓶とか石の水たまりとかに水を入れたり、なんか植わってる木(最近こんもりしてきて、隣の敷地に入りそうでひやひやだ)に水かけたり、お墓の石にかけてみたりした。お線香はない。
心が鎮まりましたねぇ
ドロドロに濁っていた水の、濁りの泥が下の方に沈殿して、上のほうから心が清くなっていくような感じです。「上澄み」とはよくいったもの。
これが「神さま仏さま」の、「仏さま」の力でしょう。死ねば仏さまになります(恐山みたい)。
お花
周りのお墓の花瓶を見てみると、きれいな花の色もあれば、黒い立ち枯れのもありまして・・・
造花もけっこうありました。
確かに、モノトーンのお墓に、色があるのは仏さまへの慰めになるし、参る方もなんか安心な気がしますね。当分お参りしなくても、なんかカラフルで、まるで生花をいけたばかりに見えて。ちょっと怠惰な感じだけど。
でも私は造花を置こうとは思いません。もう、お墓に入ったj人が誰も生き返っては来ない風景を、造花はそっくり象徴しているからです。永遠に同じ風景。
もう永遠に死の世界であるお墓の中に、きれいに咲いたり色あせたり枯れたりしている存在があるのが、心の慰めになります。造花を置いたお墓は、死んでいるお墓に見えます。
と、考えると・・・・お墓というのは、残された者のためにあるんだな。
このお墓に入りたいけどね・・・
と、考えると、私はこのお墓に入りたいが、嫁いでるしダメだろうな。
といったら、婚家のお墓は青森にある・・・。
青森も好きだけど、いったい誰が祀るのか
![]() 残された人のために、墓を移すという選択も、今多いそうで・・・
散骨とか鳥葬とか?そういうのは、本人はいいかもしれないけれど。
お墓に行くと、ばあちゃんやじいちゃんを体いっぱいに感じられて、気持ちが鎮まることを知っている私は、お墓があってよかったと思う。
幸せなお墓
飯坂霊園の土地を買って、1年ぐらいして、まさかまだまだ長生きをと思っていた祖母が死んだ。
その後、お墓に行ったときに、婿である父が「ばあちゃんが、この場所いいって言ったんだ。すぐわきに水も流れてて、風が吹いてきて、木がさわさわ・・・って。んだがら、今ごろ、よがったなって思ってんだべって思うしかねーな」って言って言葉を詰まらせて泣きそうになっていたのを見た。
ばあちゃんも、たぶんじいちゃんも、ここで眠るのならいいと思っていたことだろうし、残された私も、ここが好きだ。双方、幸せなお墓というのは、これから、親子が別れて住むことが多い以上、なかなか難しいことだろうと思います。
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2017年正月 福島&郡山
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帰省のラストに郡山に2泊したことを書くのを忘れていました(ただの日記です)。
まだ長男が浜松にいたので、1泊目は私が一人で長男のアパートに泊まりました。
昼は、高校時代の友達とランチです。
30年ぶりです
友達は、郡山本社の大企業で働き続けていて、転勤した話や、会社の内情、子供を保育園に送りながら(実家は福島)、頑張った日々のことや、お子さんが有名な合唱の小学校中学校で、いったいどういうすごさか〜とか、いろいろ聞きました〜〜
20年ぐらい前となると、子育てしながらフルタイムって本当、大変だと思います・・・
今はお子さんは高校生で、せっかくのお休みだけど「友達とごゆっくり」って言ってくれたというなんという成長物語
途中、吹雪になってきて、いやー、福島にいたときはあったかかったのにいったいどうした
それから夜は、前の会社の上司と後輩と飲み会です。これも、後輩の方は10年ぶりだけど上司はやっぱり20年ぶりぐらい??
会社の状況や、震災の時の苦労話・・・今、もう管理職となった後輩の話や、息抜きのことなんか、いろいろお話しましたね〜〜
焼き鶏の美味しい店だった(名前忘れた)
駅前はイルミネーションで美しかった、「楽都郡山」。
(浜松も楽都っていうんだよ)
ともかく風が強いのは、猪苗代のあいだのところを通って風が郡山盆地に吹き込むからだそうで、体感温度は福島よりも数度低いんだ、と上司から聞きました。初めて知りました。
(浜松も風がつよいんだよ 似てるな浜松と郡山)
ランチと飲み会の間のわずかな時間を利用して、郡山市役所にも行きました。歩いて行けるかなと思ったら、友達によると絶対無理とのことで、友達に市役所まで送ってもらいました。
長男が陸上で一緒に練習し、世話になっている人が市役所に勤務されているので、ごあいさつ
帰りは、市役所前のバス停は必ず全部駅に行くからそれに乗ればいいと言われたので、バスに乗りました。
(ちょっとバスって緊張するよ小銭とか)
夫が前、虎丸町のあたりに住んでいたのですが、風景はだいぶ変わっていました。ヨークベニマルもなかったと思う。
翌日は、洗濯したり掃除したり(でも部屋がとてもきれいで、あまりやることはなかったが)、ヨークベニマルに買い出しに行き、いろいろ料理しました。
クルマがないので、買い出しもひとくろうで、ものすごい荷物を歩いて持って帰りました。母の愛だ・・・と自画自賛で
それにコンロはIHのめっちゃ火力弱いイライラするブツで、あと携帯ガスコンロを併用しながらいろいろイライラしながら(台所がほんとにおままごとのように狭すぎる)、作りまくりました
夜は長男が帰ってきて「お母さんが来たら部屋が散らかった」と言われました
朝は、長男が研修があるというので、研修服に着替えて一緒に出発。
ほんとは私は新幹線の指定の時間が遅いので、遅く出てもよかったのですが、一緒に出た方がいいと言ったら最初嫌がられました。カバンを持ってくれたのですが「お母さん、これ、コロがついてる意味ない(ほど軽い)よ」と笑われました →
でも無理無理i出て「お母さん時間があるから、先生に挨拶していぐがな」と言ったら「それだけはやめて!」と言うので「でも市役所の人には挨拶してよくてなんで先生はだめなんだ」などといろいろ食い下がったらしぶしぶ認めたのですが、
学校に着いたらドアがあかないガーン
そう。。。翌日だったのです、研修日は××
それで私を振り向きもせずぶちぶち文句言いながら去って行った長男でしたよ
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穴場の時間帯年末年始の飯坂温 それでも、特に女は食事の支度があって忙しくて、5
お正月も、時間は短縮されるのに、湯守のおじちゃんによると、通常の入浴数よりも多かったとか。それは混みますね・・・
温泉通の母によると、「だいたい終了時間前1時間が空いている」。その法則に従って行くと、確かに貸し切り状態です!(^^)! 過って子供の湯札を投入昔と違って、共同湯には券売機があります(前は、契約の小売店で買ってこないとならず、観光客には不便だった)。今回、湯札が切れたので、母が買いました。2000円を投入すると、200円券が12枚出てくる回数券をいつも買うのです。
で・・・母はいつものとおり買ったつもりで、それを湯守のおじちゃんに出したら・・・・
それが子供の湯札だったのですね。子供は100円なので、「おつりがほら、1000円戻ってきてっつぉい」とご指摘。「子供券2枚出して、大人1枚分でいいがら」と言われました。
母も「あれ、なんだべね〜(゚Д゚)」な〜んて言ってて。そしたらおじちゃんが「ど〜見でも、子供には見えねがんね〜(^O^)」ですと!これが母はえらくツボにはまったみたいで\\\\「はっはっはっは、確かに子供には見えねべない!」と笑っており、上がってからまでも、また「子供には見えねぇって言わっちゃがんね〜」といつまでも言っていました。
孫に連れられて今回は実家に来たのは二男だけだったのですが、同い年のいとこと一緒に、父とおふろに入りにいきました。父もあんまり長く歩けないし、これまで家の風呂にばかり入っていると思っていたのですが、このごろは、3日に1回ぐらい、一番近くの共同湯に行っているということです。母が行くときはついて行って、帰りも見計らって迎えに行っているみたいです。父は「だいじょぶだがら」と言うそうですが。待ってるほうは心配だから。
時間短縮でものすごく混んでたみたいだけれど、大晦日の日にゆっくりと入ってきてすっきりしたようです。昔はちっちゃくて面倒みてきた孫たちが、でっかくなって逆に頼ることができるのは、こでらんにぃことだったでしょう。やっぱ温泉はいいもんだがらない
愛宕山で待つ二男は部活があるので元旦には、家に帰ってしまったので、その後、父が行くときに、私もあとから着いていき、30分ぐらいしたら迎えにいってみました。
ひまなので、愛宕山に登ってみまし
た。が、なんだか声がするから、てっぺんまではいきませんでしたが。
除染も終わってますね、とっくに
山から見下ろすと、除染の土が点在している。
私の家の庭にも置いてあるし、至る所にありますね。
優先順位から考えても、搬送はまだまだ先なんでしょうね。
測っていないからわからないけれど、多分、このシートあたりは少しは高いんでしょう。
この除染の小山を、「小さなホットスポットをあちこちに作っているようなもの」と、言った人もいます。。。
だけど、日常生活に溶け込んでいて、あってもナントモ思わなくなってしまった。それに、搬送するまで時間が経つ間に低減して、どんどん下がってきて、通常泥と同じになってしまうのではないのかという気もします。
私の父が震災後すぐの春、種植えの時期に裏の畑で天地返しをしましたが、・・・それが一番よい方法だったのではないか、と思います。(これまた測ったりはしていないけれど)
愛宕山のこちら方面「立ち入り禁止」札がありました。いつから?落石注意?
30分たっても、父の姿が見えないので・・・・やや不安。
あ〜でてきたでてきた
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「じいちゃーん」と読んで、途中休まずに帰りました。「どっかにすわっぺ」と言っても「雨降ってから」と家まで歩いてしまいました。ちょっと疲れたみたいです。
前言撤回したら母が落ち込んだので飯坂での最終日は、8時45分の電車に乗って長男のアパートのある郡山に行くことになっています。でも、(最後の日も温泉入りたいな・・・)という色気のある私・・・母に言うと「いぐべ!いぐべ!朝ご飯食う前に」とたいそう乗り気です。あげく、そのあと、「ふぐしままで、送ってぐ」と言う。年寄りは飯坂電車がタダになったので(今の小林市長になってから)、いくらでも行く気なのです。
でも、寒いし、大変だしで、「じゃあ、おふろか、ふぐしままで来るかどっちかだよ、おふろ入ったらあとうちであったがくしてればいいげど、出かけたら湯冷めすっから」と言うと、母はだ〜いぶ考えたみたいで、「ほんじゃ、おふろだげ行ぐ」となりました・
でも私も一応「でももしかして、朝起きて行けないかもしんに」と言っておきました。
その夜、地震があったのと、翌日の郡山に於けるハードスケジュールがうまくこなせるか・・・に、どうも安眠できずにいて朝になってしまいました。6時頃、「おかあさん、私、あんまり寝てないからもう少し寝たいから、おふろやめっぺ」と言ったら、「なんだべ・・・・(/_;)」と衝撃を受けていた。
いつも母は8時過ぎに起きるのに、さっさと階下に降りているので、あーこりゃしょうがないなあと、「・・・・ほんじゃ、お母さん、行ぐが?」と言うと、パッと明るくなって「行ぐべ!!(^^)!」
雪の舞う中、行ってきました。7時近くだったのに、私たちが一番風呂だったみたいで、おゆは激烈の熱さ!!いくら水うめてもなかなか入れるほどになりませんでした。
でも母がとっても喜んで、何回も「おまえのおかげで、朝がらふろさはいらっちゃー。幸せだー」と言っていました。こんなに喜んでくれたので、行ってよかったです。
母も、地下のおふろに、一人で行くのは心細いのです
お湯の神様
春か夏にまたくっかんない。
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飯坂温泉共同湯★年末年始時間変更の貼り紙にみるひとてま年末に帰省して、た〜だ毎日温泉に入っていました。最終日は、8時半には家を出ないとならなかったにもかかわらず早起きして雪の降る中6時半から行ってきたほどの温泉好きの私(と、母)。
それで・見つけたことですが、年末年始は、利用時間が短縮になってしまうのですけど、それが、それぞれの共同湯ごとに、そこ専用の貼り紙がはられていました。ほんとにちっちゃなことだけど、毎年そうだったっけ?
普通は、9つのおふろに共通する表を作って印刷して貼るのが、お役所仕事だと思うんです。でも、違った!ほんとにささいなことだけど。・・・私の写真がへったくそで、全容が見えないけど、上部分にそのおふろの日程が書いてあって、下に他の8湯の予定が書いてあります。
切湯
仙気の湯
こういうの「までいな仕事」っていうと思います。
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