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2017/2/19(日) 午前 7:40
毛沢東は生涯にわたり「南京虐殺」に言及せず
戦後になって東京裁判(極東国際軍事裁判)で「20万人」、南京での軍事裁判では「30万人」といった死者数が一方的に持ち出された。
ちなみに東京裁判で証言したことに対し、ベイツは中華民国政府から勲章を授けられている。「南京虐殺」を何としても捏造したかった戦勝国側の事情が垣間見える事実だ。
このころまでは「南京虐殺」のプロパガンダを主導していたのは中国国民党だったといえる。
一方の中国共産党はといえば、中華人民共和国建国の父・毛沢東が生涯にわたって「南京虐殺」には言及していないなど、この時期は目立った活動をしていなかった。
毛沢東は南京戦の5カ月後に当時、中国共産党の本拠地だった延安で「持久戦論」の講義をした際、南京戦に触れているが「日本軍は包囲は多いが殲滅が少ない」と、むしろ日本軍は生ぬるいという趣旨で批判していた。
その後、20年ほどは南京事件は国際的にほとんど問題とはされなかった。
『周易』について
易経
[ pre*e*n41* ]
2014/12/20(土) 午前 3:11
初コメントです
まずは最初にスミレ荘さんにありがとうと言いたいです。(◎>U<◎)
実はここ数日何度も落ち込むことがあって、なんだか元気がなかったんです。(◎>∀<◎)
ブログをみて、こんな風な価値観もあるんだと思ったりd(・∀<)
共感する部分があったりして色んな意味で自分自身前向きになれたんです。(・∀・)
実際に事実でスミレ荘さんのおかげで今の自分がいるんだって思えます
私自身このブログの管理者であるスミレ荘さんのことがだいぶ気になっちゃってるんです(*´ー`)
もしもOKだったら、スミレ荘さんに直接相談したいことがあったりしちゃいます。。。
ayundamon@i.softbank.jp
正直突然のことなのにいきなり連絡しちゃったら絶対引いちゃうかなって思ったんで…ごめんなさい。・*:..。o○☆*゚(・ェ・人) ・*:..。o○☆*゚ゴメンЙЁ!!
『周易』について
易経
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播磨の国一揆(はりまのくにいっき)は、室町時代の1429年(正長2年)2月、前年の正長の土一揆の影響を受け起こった政治的要求に基づく一揆である。播磨の土一揆とも。
播磨国(兵庫県南西部)の守護赤松満祐の配下の軍兵の国外退去、荘園代官の排除を要求して蜂起するが、赤松満祐に鎮圧される。国一揆の始まりとも言われる。
中山定親の『薩戒記』に記述がある。
「…或る人曰く播磨国の土民旧冬の京辺の如く蜂起し、国中の侍悉く攻むるの間、諸庄園代、加之守護方軍兵彼等の為に、或ひは命を失ひ、或ひは追ひ落とさる。一国の騒動希代の法なりと云々。凡そ土民、侍をして国中にあらしむべからざる所と云々。乱世の至なり。よりて赤松入道発向し了んぬ者」
『周易』について
易経
[ 二次元も悪くないけど・・・ ]
2012/1/5(木) 午前 6:31
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