写真は、飯綱町で出土した「土偶(どぐう)」です。今から約5千年前、上赤塩遺跡(かみあかしおいせき)の縄文人が残した最古の町民の「顔」です。穴の点だけで表現した目や口の表情は素朴そのものです。
土偶は素焼き粘土の人形で妊婦像が多く、ほとんどは壊れて発見されます。そもそも頭や足が胴から分離しやすく作ってあり、どうやらバラバラにすることに意味があった人形だと考えられています。
その意味は?
謎のヒントといわれるのが、日本神話の古典『古事記(こじき)』の説話です。
「高天原(たかまがはら)を追放されたスサノオは、オオゲツヒメという女神に食べ物を乞(こ)い求めた。オオゲツヒメは鼻口や尻からおいしい食物を取り出してスサノオに進めたが、汚らわしいと思ったスサノオはオオゲツヒメを殺してしまった。すると女神の頭から蚕(かいこ)、目から稲(いね)、耳から粟(あわ)、鼻から小豆(あずき)、性器から麦(むぎ)、尻から大豆(だいず)が生まれた」
これが五穀(ごこく)や養蚕(ようさん)の始まりだという伝説です。
縄文時代の農耕は実証されていないので、伝説と結びつけるのは短絡的ではありますが、土偶の破壊は縄文人が豊かさを祈った造形と考えるのが自然かもしれません。
(「公民館報いいづな第3号」より)
|