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遠方は気合が入ってよく見える。
「皆様、本日は、ようこそお越しくださいました。
 紅葉が色づき、夜はたいそう寒くなってまいりました。
 喫茶店で飲むブレンドコーヒーに、一層のありがたみを感じる季節でございます。お洒落なカフェや喫茶店も結構でございますが、本日は年に一度の機会ですので、どうぞコーヒーではなくお抹茶を、ごゆっくりお召し上がり下さいませ」

 コーヒーではなく、の部分を少しだけ強調して発した効果か、どっと笑いが生まれる。
 光蟲はいつもの半笑いを浮かべ、浅井も品よく微笑んでいる。
 茶道経験者がこのジョークじみた挨拶をいかに受け取るか不安があったが、幸いにも笑顔を見せており、そこに怒りや軽蔑はないと都合よく解釈した。

「それでは、少々お早めとは存じますが、お手元のお菓子をお取り回しください」
 正客が光蟲に「お先に」と一礼し、光蟲も真似て一礼する。
「本日のお菓子は、『すや』の栗きんとんでございます」

 亭主の東が正客用のお茶を点てるまで、ここからしばらく 間 がある。この間をどのように操り展開するか、半東の腕の見せどころだ。
 昨日は、舞い上がってほとんどまともに会話ができなかった。しかし、今日はそんな気はしない。あれこれと話しまくる必要はないが、客を不快にさせない限りは自由に局面を動かせるこの数分間は、存分に個性を表出できる。

「お正客様も、茶道部の方でいらっしゃいますか?」
 やはり、ここから展開していくのが自然だと感じる。
「はい、武蔵野大学裏千家茶道部二年の三河と申します。いろんな大学のお茶会に伺っておりまして、こちらには昨年もお邪魔しました」
 正客の女子学生が笑顔で答える。
「そうでしたか。二年続けてお越しいただき、ありがとうございます」
 武蔵野大学には、確か高一の男子クラスで比較的仲の良かった人が進学していたなと、思い出しながら笑みを返す。

「茶道の御点前というのは、馴染みの薄い方からしますといったい何をやっているのだろうかとお思いでしょうが、ひとつ、興味深いことがございます」
 全員に視線を送りながら、切り札となるべき筋を切り出す。
「釜のお湯を 掬 うあちらの柄杓ですが、我々裏千家においては、場面に応じて三種類の扱い方がございます」
 三河は当然知っているはずなので自然な顔でうなずいており、他の面々も真剣な表情を浮かべている。

「それぞれ、置き柄杓、切り柄杓、引き柄杓という名称なのですが、“置き”・“切り”・“引き”といえば、お客様でしたら何を思い浮かべますか?」
 右手をすっと出しながら、ちょうど真ん中どころに座っている浅井に尋ねる。
 遠目には気付かなかったが、今日の浅井は珍しくリップグロスをほんの薄く塗布している。厚すぎず薄すぎずの彼女の唇に、それは適度な色気をプラスさせている。

「あっ、えっと…どれも囲碁用語にありますよね」
 自分に振られるとは思っていなかったという様子で一瞬驚くも、すぐに平静を取り戻し的確な返答をする。
「その通りです。偶然にも、“置き”・“切り”も・引き”、すべて囲碁の専門用語にございまして、大変よく使われます」
 一同、声をもらしながらうなずく。光蟲も、感心した様子で同様の反応を浮かべている。

「調べてはみたのですが、特に関連性はないようでした。
 また、私事ではありますが、囲碁部の部長も兼任しておりまして、稽古のときよりこの柄杓の名称については気になっておりました。ちなみに、先ほど答えて頂いたお客様は、同じ囲碁部の後輩になります」
 再度右手を出して浅井を他の九人に紹介すると、 面映 ゆそうに顔をほころばせる。
 不特定多数が集まる茶席で、このように特定の知人を取り上げて話すことが適切かどうかは分からなかったが、とりあえず席の雰囲気を損ねている感はなくむしろ和やかとさえ思えるので、これはこれで良しと肯定的に解釈する。

 私のトリッキーなフリートークが終わるころ、東が正客用のお茶を点て終える。
 立ち上がり、東の横に座る。茶碗を持ち、再び立ち上がり三河の前に運ぶ。

「お茶をどうぞ」
 礼をするとき、指先が乱れず揃っていることを確認する。

「お先に」
 三河が右に軽く一礼すると、光蟲も慌てて礼を返す。
「御点前頂戴いたします」
 彼女の言葉を受け、東と私が同時に一礼。
「本日はまことに勝手ながら、三客様以降は 点出 し(水屋で点てたお茶を出すこと)にて失礼します」

 次客用のお茶も同様にして、光蟲の前に運ぶ。
「お待たせいたしました。お茶をどうぞ」
 互いに一礼。互いに半端な笑みは作らず、目下の状況を味わう。

 さすがに、「お 相伴 いたします」は抜かしていたが、先の三河を真似て「お先に」と「御点前頂戴いたします」の二つをクリアして抹茶を飲む。変に周囲を意識し過ぎず、適度に環境に順応できるところはさすが光蟲だ。
 そういえば以前飲んでいたとき、「俺は人見知りとかいっさいしないわ」と、日本酒で顔を赤くして言っていた。光蟲いわく、繊細さや感受性に欠けている為だと話していたが、私は彼のそういうところを気に入っているし、間違いなく生きていく上でのストレングスであると憧憬の念を抱く。

 次客への提供が終わると、順に水屋から点出しで運ばれた。浅井たちも慣れない手つきで、しかし真剣に茶碗を扱う。茶碗の正面を避けるという理由を知っていたかどうか分からないが、浅井を含めた多くの客が、口をつける前に90度回すプロセスを経ており舌を巻いた。

「皆様。本日は、まことにありがとうございました。どうぞお気を付けてお帰りくださいませ」

 もう当分慣れた人以外とは話したくないなと思い、内心で大きくため息をつきながら、笑顔で客たちを見送った。

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