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日本平から歩く事90分、【草薙神社】に到着。
道を間違えて取って返したとか、取って返す途中でさらに道を間違えそうになったとか、そんな事は無い。
無いったら無い。
うおっ!まぶしっ!!
「これが本当のサン(太陽)シャイン(神社)!(≧∇ノ■ゝ☆」
などといった調子で写真を撮って遊んでいるあたり、歩き疲れもせず元気だったようですこの日の私。
草薙神社の祭神は日本武尊。
漢字変換でも一発で出てくるほどの有名人です。
景行天皇の第二皇子であった日本武尊は父から疎まれ、ほとんど勘当ついでに日本各地を転戦させられた挙句、故郷に戻る願い叶わず病死してしまうといった悲劇の人です。
当節アニメ化されれば、色白の美少年にキャラデザされる事請け合いです。
色白美少年だと、素手で兄をつまみ殺してしまったというエピソードに無理が出てきますが、まあ細かいことは気にしない。
今時の色白美少年は、細身でも究極超人並に強いのです。
※画像はイメージです 日本武尊 「やめてよね、本気でケンカしたら大碓(おおうす)兄が僕に敵うはずないだろ!」実写ならジャニタレ確定です、女装シーンにファンが狂喜乱舞です、本当にありがとうございました。
「どうせ『ヤマト』ならこっちの方にしておけばまだ見れたのに」というのは何の事だか自分でも分かりません。
美しすぎる皇子、日本武尊像。
「髭オヤジで何が悪い」
神社の由緒によると
逆賊が尊を殺そうと原野に火を放った際、佩刀で草を薙ぎ払い、火を逆賊の方になびかせて難を逃れた。
この佩刀【天叢雲の剣】を【草薙の剣】と名を改め、草薙神社に神剣として奉った、とある。 こういう神社であれば、私の凶運も払ってくれるに違いありません。
お賽銭を奮発して、一心に祈ります。
「(御賽銭が)50円で何が悪い」
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神社・お寺
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訪れた神社や寺院について
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『東照宮』と言うと、何といっても【日光東照宮】が有名ですが、静岡県は久能山にも東照宮があります。
由来からすると、むしろこちらの方が本家ですね。
久能山の由来は推古天皇の御世にまで遡り、久能忠仁が初めて山を開き一寺を建てた事から始まります。
寺の名を【補陀落久能山】と称した事が、久能山の名称となったと考えられている。
寺は隆盛を誇ったが後に衰退し、戦国時代には武田信玄が山頂に城(久能城)を築くに至って移設された。
武田家滅亡後、駿河一帯は徳川家の支配下となり、久能城も徳川家の管理下に置かれる。
元和2年(1616年)に駿河城で隠居生活を送っていた徳川家康が亡くなると、遺命によりその亡骸は久能山に葬られた。
江戸幕府二代将軍秀忠の命により、元和2年5月より東照宮の造営が始まり、翌年12月には完成している。
拝殿に行くためには、1159段の石段を登らねばならない。
元が山城を築くような天然の要害である、結構登らないといけないんだね、仕方ないね。
東照宮に行くには、この石段登るか、日本平方面からロープウェイで渡ってくるかの2ルートしかない。
その為、東照宮で働く人は毎日この石段を昇り降りしているそうな。
登ってくると、なかなか景色が良い・・・と言いたいところなのですが、この日は霞みがかって遠くまで見通せませんでしたorz
ちなみにここの石段、微妙に傾斜していて降りる時がキツイです。雨が降ると、足を滑らせるんじゃないでしょうか。
境内には、久能城築城の際、武田家家臣の山本勘助が掘らせたという【勘介井戸】があります。 表札によれば、井戸の奥まで見れるように装置を取り付けたとか…。
早速見てみましょう o(^-^)o
・・・って、オイ ( ゚Д゚)
【楼門】(重要文化財)
【御社殿】(重要文化財)
【唐門】(拝殿側より)
豪華絢爛と言う以外言葉が浮かばない、そんな感じです。
お金が掛かっているというか、手が込んでいるというか・・・。
これでも日光東照宮に比べれば地味と言われるのだから、驚きです。
ただまあ、なんと言うか落ち着かない空間でもあります。
個人的には、お寺や神社と言えば、寂れた感じの雰囲気に慣れ親しんでいますからね〜。
【神廟】
家康公の墓所です。
ここは周りを木々で囲まれた、落ち着いた雰囲気の場所です。
徳川家康という人物に付いては色々思うところがある訳ですが、好き嫌いはともかくとして含蓄のある言葉を遺し
ていて、感銘を受ける部分が多々在ります。
ちょっと引用↓
人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し、急ぐべからず。 没後400年近く経つんですね〜。
思えば、明治維新の頃によくぞ破壊されなかったものです。
(一部の建物は、神仏分離の観点から解体されましたが)
どこかの国ではありませんが、ドサクサで略奪されたりする事もある訳ですし。
まあ、明治維新が、いわゆる市民革命であったなら、こうも行かなかったのかもしれません。 |
功山寺は、嘉暦2年(1327)、伊勢国(三重県)の虚庵玄寂禅師によって開かれた臨済宗の寺で、山号を金山、寺号を長福寺と称していた。 また、幕末は志士の謀議所となった所で、元治元年(1864)三条実美等七卿が潜居中に高杉晋作が門前で義兵の旗挙げをした維新発祥の地でもあります。
この功山寺挙兵に、奇兵隊など長州諸隊が呼応して藩内の俗論党(考えてみると、ひどいネーミングである)と戦って勝利し、藩論を尊皇倒幕に導いた。
奇兵隊とは、長州藩の正規兵以外で組織された軍隊です。
1863年高杉晋作が下関の豪商白石正一郎の後援を得て組織。農民や町人らの志願兵を身分にとらわれず登用した武士階級との混成部隊で、隊員の約3割が庶民であったとされる。
いわゆる民兵組織ではなく、長州藩の正規常備軍であった。
第二次長州征討・戊辰戦争で倒幕軍の主力として活躍した。
先日東行庵に行ったその足で、長府の功山寺に行って来ました。
休日という事もあって人が多かったですが、意外に若い女性が多かったですね。
下関市では、市街地であっても滅多にうら若い女性(というか、若者)を見掛けないものなのですがねぇ…w
過疎、怖いよ過疎。
若い女性がお寺参りというのは、今流行りの烈女というやつですかね(*^▽^*)
・・・え?
歴女?ああ、そうでしたか(´・ω・`)
功山寺山門
山門は二重櫓造りで、安永2年(1773)長府藩主10代毛利匡芳の命を受けて建立された。
昭和45年、下関市指定有形文化財。
功山寺仏殿
嘉暦2年(1327)の創建と言われているが、仏殿の内陣柱上部には「比堂元応2年(1320)卯月5日柱立」との墨書きがある。
いずれにしろ、構造様式から鎌倉時代に建てられたものであることには相違ない。
何気に国宝。
功山寺を訪れるのは、もう何回目でしょうか。
すでに見るだけ見尽くした様なものですが、なぜか気が付くと足を運んでしまいます。
「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し、衆目駭然、敢て正視する者なし。これ我が東行高杉君に非ずや…」
こう伊藤博文に評された高杉晋作ですが、百数十年経て今なお、この地に刻み込まれた彼の気魂が私を惹き付けるのかもしれません。 決してネタに困ってフラフラする時に足が向きやすい場所とか、そんな事じゃないんだからね!
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平城宮跡を後にして、薬師寺に到着。
こちらに来るのは実に3年ぶり、徳永英明さんのチャリティーコンサートがここで行われた時以来です。
その時の模様↓
薬師寺は、天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒の為に発願したもので、本尊は薬師如来。
もとは飛鳥の藤原京に造営されたが、平城遷都にともない現在の西の京に移転した。
創建当時の建物は火災や兵火によって多くが失われ、当時のまま残っているのは東塔のみとなっています。
対となる西塔や、金堂・大講堂は昭和に入ってからの再建です。
←西塔 東塔→
ふ、ふふふ
雨が降っていたので、思いっきり軒下から撮ってますね。
もろに庇が写っているぞなもし(-_-)
この度この東塔が本格的な解体修理に入るということで、むこう10年くらいは見納めとなります。
はっしぃさんとも話したのですが、修理したら外観も綺麗に塗りなおされるのでしょうか?
1300年を経たその古びた姿は、そのままであって欲しいのですが・・・。
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姫路城に登った後、バスで30分ばかりかけて書寫山へ行ってきました。
小雨が降る中山に入るのは気が引けますが、滅多に来るところではないので、意を決して向かいます。
以下、wikiより概要
書寫山圓教寺
参道より
霧が出ていますね〜(^^;)
マイクロバスもあるのですが、東坂を歩いて進む事にしました。
仁王門
壽量院(入れず)
摩尼殿 ちょっと清水寺を思い出しました(*^^*)
大講堂と食堂 どこだっけ(オイ
本尊木造阿弥陀如来坐像
文化遺産と自然遺産が上手く交わりあった、いいお寺でした。
「ラスト・サムライ」のロケ地に選ばれたわけもわかります。
映画自体は何の印象も残っていませんが(´・ω・`) |





