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年の始めの 例(ためし)とて
終りなき世の めでたさを
松竹たてて 門ごとに
祝ふ今日こそ たのしけれ
 
初日の光 明(あきら)けく
治まる御代の 今朝のそら
君がみかげに 比(たぐ)へつつ
仰ぎ見るこそ たふとけれ
 
 
この歌は『一月一日』と書いて「いちげついちじつ」と読みます。
 
戦前は正月に登校して「元旦拝賀式」の奉唱歌として歌い続けてきた唱歌である。
 
しかし戦後、唱歌『1月1日』は学校の教科書から消えてしまった。
 
理由は「軍国主義の復活につながる」ということである。
 
ちなみに、この唱歌は大正2年に2番の歌詞が次のように変わる。
「初日の光 さし出でて 四方(よも)に輝く 今朝のそら」
 
明治天皇の「治まる御代」がなくなるのは名残惜しいが、大正天皇の御代として歌詞が変えられた。
 
さて、この唱歌の何が軍国主義につながるのでしょうか?
 
それは2番の「君」が『君が代』の「君」と同じで、天皇に忠節を誓うのは戦争を思わせるからいけない、ということである。
 
反日左翼というのは何でも戦争と結びつけて、日本の伝統や文化を壊したがるのだ。
 
ここでいう「君」は「天皇陛下」であり、唱歌『11日』は国民が御皇室の弥栄をお祈りして祝賀する歌なのである。
 
一方、天皇陛下は元日の日が昇る前に、野外の暗く寒い中で「四方拝」という祭祀をされ、年頭に神々へ「日本の安寧と世界の平和」をお祈りされる。
 
このような天皇陛下と国民の間柄こそ、教育勅語にある「我が國體の精華」である。

日本の国柄を考えれば歌い続けることこそ日本人として大切なことである。
 
そして日本の国柄を踏まえれば、正月に神社にお参りする時には、自分のお願いという小さなことではなく、御皇室の弥栄と国家国民の繁栄に感謝してお参りいたしましょう。


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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」


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レーダー照射で…米が韓国へ怒りの“警告” 米軍関係者「世界の軍関係者が『韓国が悪い。日本は悪くない』と理解している」
米軍が韓国軍への怒りをためている。韓国海軍の駆逐艦が海上自衛隊のP1哨戒機に、攻撃寸前の火器管制用レーダーを照射したからだ。
 
米軍であれば即座に韓国艦を撃沈しかねない「敵対行為」「軍事的挑発」であるうえ、「北朝鮮の非核化」に向けた日米韓の連携を崩しかねない暴挙といえる。
 
「従北・反日」の文在寅大統領がレーダー照射事件について沈黙を続けるなか、世界の軍関係者はあきれ果て、韓国への信頼度をさらに低下させそうだ。
 
ある米軍関係者は、夕刊フジの取材に、こう冷静に言い切った。
「当事国ではないので黙っているが、内心は『韓国軍は何てひどいことをしたのか』『非常識だ』と思っている。火器管制用レーダーの照射は、戦争の引き金となりかねない危険な行為だ。訓練ならともかく、予告なしの照射はあり得ない。今回の件は、世界の軍関係者が『韓国が悪い。日本は悪くない』と理解している。日本はもっと怒るべきだ」
 
海自哨戒機は今回、日本海でうごめく中国海軍の潜水艦などを探知する任務にあたっていたとみられる。もちろん、海自と米海軍は連携しており、韓国駆逐艦の行動は事実上、米国への妨害・挑発ともいえる。米軍に警告されてもおかしくない。(平成301228日 夕刊フジ)
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防衛省が映像を公開した。
 
これを韓国政府が公表しないように要請してきたが安倍政権は断った。
もし今、民主党政権だったら公表させなかったろう。
 
 

米軍関係者は「予告なし照射は戦争の引き金になりかねない。日本はもっと怒るべきである」と言っている。
 
それを知ってか知らぬか、韓国国防部はこう言ってきた。
 
「映像公開は深い憂慮と遺憾を表明する。駆逐艦は北朝鮮船舶を正常に救助中だった。わが軍が日本の哨戒機に追跡レーダーは運用しなかった事実に変わりない」(聯合ニュース)
 
この場になってもまだとぼける韓国。

韓国側は「北朝鮮船舶の捜索のためにレーダーを運用」と言っていたが、今は救助になっている。
 
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映像を見ると北の船は目の前にいて捜索しなくてもわかるだろう。
 
これは能登半島近くで韓国と北朝鮮が「瀬取り」(船から船へ荷を積み替える)をしていたとも言われているが、映像はそう見える。
 
今回、海自哨戒機は米海軍と連携してシナ潜水艦の探知をしていたのを韓国軍に妨害された形となった。
 
今までの日本だったら韓国側がこのような嘘をついてきたら、韓国を庇うために韓国の要求通り公表せず、場合によっては日本が友好のためにお詫びしたかもしれない。
 
しかし今の日本は違う。
 
いくら嘘をついて誤魔化しても、日本側はきっちり反論して真実が世界に拡散され、逆に「朝鮮人はとんでもない噓つきだ」という事実を世界の人達が知り、慰安婦も徴用工も東海も、朝鮮人が言うことは“嘘だらけ”ということが理解されるかもしれない。

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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」


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平成の御代最後の年末を迎える。陛下がお言葉で述べられた通り、平成は「戦争」はないが「大災害」が多かった。
 
特に印象にあるのが東日本大震災である。
 
東日本大震災発生から4か月後の724日、被災した岩手県や宮城県の子供達が2週間、ポーランドへ招かれることになった。
 
子供達は知らなかったが、これは日本の先人達への”恩返し”でもあった。
 
1795年、ポーランド王国はプロイセン、ロシア、オーストリアに3分割されて国を失ってしまった。
  
屈辱に耐えかねたポーランド人は国を取り戻そうと、地下に潜って独立運動を始めるが、その都度逮捕されてシベリアに送られた。
 
第一次世界大戦後のベルサイユ条約で、ポーランドは独立を回復して、シベリアに流されていたポーランド人も祖国に帰れると思った。
 
しかし、ロシア革命によりソビエトが誕生し、ポーランドとソビエトで戦争が始まったため、シベリアのポーランド人は帰れなくなってしまった。
 
ポーランドは世界に向かって救援を要請したが助けてもらえず、シベリアの酷寒と食糧不足で飢餓と伝染病がポーランド孤児達の命を奪っていった。
 
絶望の中、救いの手を差し伸べたのが日本人であった。
 
当時、シベリアに出兵していた日本陸軍と日本赤十字の看護婦が、酷寒の中、体力が弱って死を待つポーランドの孤児達を救出した。
 
3年間で765名もの孤児を東京に救出した。しかし救出した孤児は重い伝染病と飢餓で衰弱しきっていた。
 
看護婦の松澤フミさんは、腸チフスで衰弱していた子供の看護をして「せめて最後は私の胸の中で」と子供を抱いて寝ていたため、自分が腸チフスに感染して亡くなった。(下画像)
 
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これを知ったポーランドは松澤フミさんに「赤十字賞」と「名誉賞」を授与した。
 
ポーランド孤児を救出した話が日本中に広まると多くの寄付金が届けられた。

大正11年には貞明皇后が日本赤十字社病院に行啓され、孤児の頭を幾度も愛撫され、胸に抱きしめ、孤児を激励し、「健やかに育つように」とお言葉を賜れた。
 
こうして健康を回復した子供達は祖国ポーランドへ帰国することになった。
 
横浜から出港する時、孤児達は面倒を見てくれた日本人から離れず、泣いて乗船を拒んだ。
 
しかし孤児達を船に乗せ、船が動き出すと、孤児達は日本で覚えた「君が代」を歌いながら日本を離れて行った。(下画像)

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ポーランド人は日本人にしてもらった歴史をきちんと教わる。しかし戦後の日本人は日本のよきことは一切教えないからほとんど知らない。
 
平成7年、阪神淡路大震災が起きると、ポーランドは真っ先に日本に救援活動を行ってくれた。

これはそういう意味である。
 
ポーランドに招かれた被災地の子供達はこういう話を初めて聞かされて、なぜポーランドに招かれたかを理解した。(下画像)
 
シベリア孤児だったポーランド極東委員会副会長は、このような手紙を被災地に送ってきた。
 
「日本人は我がポーランドとは全く縁故の遠い異人種である。日本はポーランドとは全く異なる地球の反対側に存在する国である。
 
しかし、日本人はかつて、不運なポーランド児童達に深い同情を寄せ、心より憐憫の情を表わしてくれました。我々ポーランド人は肝に銘じてその恩を忘れることはありません。
 
我々児童達をしばしば見舞いに来てくれた裕福な日本の子供達が、孤児の服装がみじめなのを見て、自分の着ていた最もきれいな衣服を脱いで与え、髪に結ったリボンや櫛、指輪までも与えてくれた。
 
ポーランド人は高尚な民族であるが故に、いつまでも日本に対する恩を忘れない民族であることを日本人に知っておいてほしい。
 
ポーランド人は日本に最も深い尊敬、最も深い感恩、最も温かき友情や愛情を持っていることをお伝えしたい」
 
我々日本人が、こうして世界から信頼されているのは、我々先人達のお陰であることを知らなければいけない。

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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

【動画】元TBSアナ・鈴木史朗氏「北京と天津に7年いたが南京事件の話は聞いた事がない」@南京戦の真実を追求する会
元TBSの鈴木史朗アナウンサー
「北京と天津に7年間いましたが、日本人からも中国人からも南京事件の話は聞いた事がない」
「日本兵は清潔好きなので、蚤、虱、南京虫が移ってしまうので、女性に乱暴するということは全く無かったと考えて良いと思う」





https://twitter.com/Jon2hz7wo5iQ/status/1073795603157532673
チャンネル写楽TV‏ @Jon2hz7wo5iQ
南京戦の真実を追求する会
第九回講演会
元TBSアナウンサーの鈴木史朗さん


#南京事件 #南京戦 #鈴木史朗 #阿羅健一
(動画)
13:23 - 2018年12月15日



元TBSアナウンサーの鈴木史朗さんによる素晴らしい講演だ!

上掲したツイッターの動画で、鈴木史朗さんは「北京と天津に7年間いましたが、南京事件の話は聞いた事がない」と述べている。

そのとおりだ。

当時は、戦時プロパガンダによるごく一部のデマ報道を除けば、世界中の誰にも「南京事件」「南京大虐殺」なんて認識されていなかった。

相手の支那国民党は南京戦を挟む1937年12月1日から1938年10月24日までの約1年間に300回も外国人記者などに記者会見を開いて日本の悪事を宣伝したが、1回も南京で虐殺があったと言わなかった。

したがって、当時は、支那人も日本人も第3国の外国人も、誰も「南京事件」「南京大虐殺」なんて全く認識していなかったのだ。

南京に居た支那人や日本人や第3国の外国人でさえ誰も南京での虐殺のことなど話題にしていなかったのだから、ましてや北京と天津に7年間居ても南京事件の話なんて全く聞かないのは当たり前のことだったのだ!

事実関係として、当時南京に居て事件などの情報収集に躍起になっていたプロ中のプロたちも、南京での日本軍による虐殺は全く認識していなかった!



一般市民の殺害等については、当時南京で取材していた朝日新聞など多くの新聞社や通信社の記者やカメラマンたちが「虐殺は0件」(0人)、「市民殺害なんて1件も有りえない」、「戦後言われていることは全部ウソ」だと断言している!


東京朝日新聞・橋本登美三郎上海支局長の証言

「南京での事件ねえ。
私は全然聞いてない。
もしあれば、記者の間で話に出てるはずだ

記者は少しでも話題になりそうな事は話をするし、それが仕事だからね。
噂としても聞いた事もない。
朝日新聞は現地で座談会もやっているが、あったのなら、露骨ではないにしても抵抗があったとかそんな話が出るはずだが。
南京事件はなかったんだろう。」





同盟通信・前田雄二記者の証言

「虐殺とは戦争に関係ない住民や婦女子をむげに殺害することだろう。
ところが殺されなければならない住民婦女子は(難民区)内にあって、日本の警備司令部によって保護されていた。
私の所属していた同盟通信の旧支局はその中にあった。
入城四日目には私たちは全員この支局に居を移し、ここに寝泊まりして取材活動をしていた。
つまり難民区内が私たちの生活圏内で、すでに商店が店を開き、露天商や大道芸人まで出て、日常生活が回復していた。
この地区の情報はちくいち私たちの耳目に入っていたのだ。
こういう中で、万はおろか、千、百、あるいは十をもって数えるほどの虐殺など行われようはずがない。
もしあれば、私たちが見逃すはずがない





東京日々新聞カメラマン 金沢善雄氏の証言

「戦後、この時、何万人かの虐殺があったといわれていますが、不思議でしようがないのです。私は南京をやたら歩いていますが、虐殺を見たこともなければ聞いたこともありません」
ここ(南京)には1ヶ月ほどいましたが、戦後言われているような事は何も見ていなければ、聞いてもいません。ですから虐殺があったと言われていますが、あり得ないことです。松井大将が絞首刑になったのも不思議でしょうがないのです」





報知新聞従軍記者 田口利介氏の証言

―― 南京で虐殺があったといわれますが?

「当時聞いたこともなかったし、話題になったこともありません」




読売新聞技師 樋口哲雄氏の証言

「自転車を持っていたので、毎日あっちこっちに行きました」

―― その頃、日本軍による虐殺があったと言われていますが?

「どこで何があったのか知りません」

―― 見たり聞いたりしませんか?

全然解りません。だいいちそういう形跡を見たことがありません。あったとよく言われますが、どこでどんなものがあったのか。中山陵など荒らされていないし、きれいでした。
やらなきゃこっちがやられるからやったのを虐殺といっているのだと思います」




大阪毎日新聞 五島広作記者の証言

―― 第六師団は北支で感謝状をもらってないから、中支で残虐行為をやったと言う人もいますが……。

はじめて聞いた話です。第六師団でそんなことはありませんでした
先ほどの話同様、谷中将が処刑されてからの作り話でしょう。
戦後、中国の言い分に合わせた話がよく作られています

―― 南京陥落後の第六師団の行動はどうでした?

十三日、十四日は城内掃蕩で、残虐行為などありません

(中略)

―― 五島さんはいつまで南京にいましたか。

「翌年の一月十日頃までいました。
この間、南京のあちこちに行きましたが、虐殺といわれることは見ていません。
また、強姦もあったといわれますが、すでに慰安所ができてましたから、戦後いわれていることは嘘です。(後略)」





東京日日新聞 佐藤振寿カメラマンの証言

―― 虐殺があったといわれてますが……。

「見てません。虐殺があったといわれてますが、十六、七日頃になると、小さい通りだけでなく、大通りにも店が出てました。
また、多くの中国人が日の丸の腕章をつけて日本兵のところに集まってましたから、とても残虐行為があったとは信じられません。

―― 南京事件を聞いたのはいつですか

「戦後です。アメリカ軍が来てからですから、昭和二十一年か二十二年頃だったと思いますが、NHKに『真相箱』という番組があって、ここで南京虐殺があったと聞いたのがはじめてだったと思います。
たまたま聞いてましてね。
テーマ音楽にチャイコフスキーの交響曲が流れた後、機関銃の音キャーと叫ぶ市民の声があって、ナレーターが、南京で虐殺がありました、というのですよ。
これを聞いてびっくりしましてね。嘘つけ、とまわりの人にいった記憶があります
 十年ほど前にも朝日新聞が『中国の旅』という連載で、南京では虐殺があったといって中国人の話を掲載しましたが、その頃、日本には南京を見た人が何人もいる訳です。
何故日本人に聞かないで、あの様な都合よく嘘を載せるのかと思いました。
当時南京にいた人は誰もあの話を信じてないでしょう。
(略)」



石川達三(「生きている兵隊」作者)の証言

「私が南京に入ったのは入城式から2週間後です」

――そのときどのような虐殺をご覧になられましたか?

「大殺戮の痕跡は一ぺんも見ておりません」

<br />
『「南京事件」日本人48人の証言』阿羅健一(2001/12/1)


『「南京大虐殺」はこうして作られた――東京裁判の欺瞞』冨士信夫著より

東京裁判
弁護側立証


●塚本浩次(陸軍法務局で中支派遣軍検察官、予審官、裁判官)
検察官は幾つかの殺害事件について訊問したが、塚本証人は「そのようなことは全くないと思う」との証言を繰り返した。


●中山寧人(中支那方面軍参謀として情報収集を主務としていた人物であり、その宣誓供述書の内容は、松井軍司令官の旗下部隊に発した命令の内容、南京城攻撃前に執られた措置、南京攻略の模様、南京入城後に執られた措置等詳細に亘る)

南京事件のことを私が聞いたのは、実は終戦後である。
私は南京事件なるものは、次の4つに区分して考える必要があると思う。

第1 市民に対する虐殺事件。これは絶対にそういうことはないと信じている。
第2 俘虜の虐殺。先述したような誤り伝えられた外に、これもないと考える。
第3 外国権益、特に財産に対する侵害。これは一部にあったと思う。ただし、これは中国兵がやったのか日本兵がやったのか、その点は今に至るまではっきりしない。
第4 婦女子に対する不法行為および掠奪。これは小規模においてはあったと考え、はなはだ遺憾に思う。


以上のとおり、当時、南京に居て情報収集に躍起になっていたプロ中のプロたちでさえ、南京事件や南京虐殺については1件たりとも聞いていないのだから、子供の時に北京と天津にいた鈴木史朗さんが南京事件のことを聞いた事がないのは当然なのだ!





また、上掲したツイッターの動画で鈴木史朗さんは「日本兵は清潔好きなので、蚤、虱、南京虫が移ってしまうので、女性に乱暴するとは考えづらい」と述べている。

真実だが、より厳密に言うと、日本軍への通報記録や軍関係の裁判を司る法務部長の証言などによれば、買春(売春の客)や和姦かもしれない事案も含めて全部で約7件〜10件のいわゆる「強姦事件」は認識されていた。

逆に言えば、買春(売春の客)や和姦かもしれない事案も含めても、当時の南京ではせいぜい約7件〜10件の強姦事件しか認識されていなかったということだ。

これは、古今東西、世界中のいかなる戦争でも考えられないほど、当時の日本軍の軍紀が厳正だったということだ。

また、日本軍は、道端で拾った靴を持ち帰っただけで掠奪事件として軍法会議にかけられたりしていた。

それほど、当時の日本軍内部では、強姦、略奪、殺人などの犯罪について、厳しく取り締まっていた。

それほど厳しく軍隊内部を取り締まっていた南京の日本軍においても、殺人事件はゼロ(0件)だったのだ!



南京における日本軍による強姦犯罪については、きちんとした当時の資料が存在する。
(南京安全地帯の記録より強姦の事例を紹介)

そこで、記録者名のある強姦(未遂)事例61件のうち、日本軍に通報された事例を挙げると、それは次のように分類される。

①日本兵逮捕の事例は、右の「事例167」の1件のみであった。
②日本兵が憲兵に引き渡されて事例は、右の「事例227」の1件のみであった。
③憲兵に連絡された事例は、「事例426」の1件のみであった。
④日本兵が連行された事例は、「事例168」と、「事例220」の、2件であった。
⑤被害者が証人として同行を求められたのは、右の「事例146」の1件のみであった。
⑥日本兵と被害者(未遂)が連行されたのは、「事例216」の1件のみであった。

このように日本軍に通報された件数は、合計7件であった。右の計算には、あるいは見落としがあるかも知れない。そこで、東京裁判に出廷した塚本浩次法務部長の証言をも紹介しておく。
法務部とは軍関係の裁判を司る部門であった。塚本法務部長は上海派遣軍法務官として、1937年12月から1928年8月まで南京に在勤した。その間に、何件の事件を扱ったのか。サトン検察官から、そう尋問されて、彼は次のように答えた。
 《10件内外であつたかと思います。(略)10件と申しましたのは1人1件ではございません。1件の中には数人を含む場合も相当あります。》

P261
『「南京虐殺」の徹底検証』東中野修道著


上記のように、日本軍への通報記録や軍関係の裁判を司る法務部の塚本浩次部長(上海派遣軍法務官)の証言によれば、南京における日本軍による強姦事件は約7件〜10件だった。

さらに、第十軍法務部長の小川関次郎氏も、1937年11月15日〜12月14日に軍紀及び風紀犯で処罰したのは約20件程度と証言している。

以下、竹本忠雄・大原康男著日英バイリンガル 再審「南京大虐殺」』より。

http://www.ne.jp/asahi/unko/tamezou/nankin/alleged/note.html
[六十四] 日本兵による強姦事件が全くなかったわけではない。東京裁判において第十軍法務部長の小川関次郎は宣誓口供書で次のように証言している(検察は反対尋問の機会を与えられたが、行わなかった)。

「自分は南京に着くまでの間(一九三七年十一月五日から十二月十四日まで)に約二十件くらいの軍紀及び風紀犯を処罰した。風紀犯の処罰について困難を感じたことは和姦なりや強姦なりや不分明なることであった。
その理由は中国婦人のある者は日本兵に対して自ら進んで挑発的態度をとることが珍しくなく、和合した結果を夫または他人に発見せらるると婦人の態度は一変して大袈裟に強姦を主張したからである。
しかし自分は強姦と和姦とを問わず起訴せられたものはそれぞれ事実の軽重により法に照らして処罰した」

(「速記録第三一〇号」『南京大残虐事件資料集 第一巻』二五六頁)


[68] There were a few rapes by Japanese soldiers. As to the rape cases, OGAWA Sekijiro, the chief of Judicial Affairs Department of the 10th Army, testified in his 'affidavit' in the IMTFE as follows :

During my moving to Nanking from November 5, 1937 to December 14, 1937, I dealt with about twenty cases of offenses against military discipline and public morals. In the course of my dealing with crimes or public morals, I found it very difficult to decide whether the cases were fornication with female consent or violation.
The reason was that on the part of the Chinese women some of them were not so rare to take a suggestive attitude towards Japanese soldiers, and once found as having committed adultery with Japanese soldiers by their husbands or other people, they suddenly changed their attitude and asserted exaggeratedly that they had been raped. Whether adultery or rape, however, I punished indictees in accordance with the law, weighing the relative importance of the facts.

(The Tokyo War Crimes Trial, pp.32675-32676.)

上記の資料は、日本語と英語の2か国語で書かれた南京大虐殺の否定本に掲載されており、ネット上で全て読むことが可能だ!


以上のとおり、当時の資料から、南京における日本軍による強姦事件は、買春(売春の客)や和姦に近い事案を含めても10件程度だった。


一方、南京における日本軍による虐殺事件は、0件だった。


「南京戦の真実を追求する会」第9回講演会
~外務省目覚めよ!南京事件はなかった~
これが最後!
元TBS アナウンサーの鈴木史朗氏が語る当時の中国
《私が見た南京》
講師 元TBS アナウンサー鈴木史朗
日時:12月12日(水)

【南京戦の真実】元TBS・鈴木史朗アナ「北京と天津に7年いたが南京事件の話は聞いた事ない」
■動画
【北京と天津に7年いたが南京事件の話は聞いた事がない】鈴木史郎講演 〜私が見た南京〜 前半
https://www.youtube.com/watch?v=vcPSAB2LXxM


■動画
【日本兵は中国の民衆のために一生懸命やってきた。その方々を悪く言う事は許せない】元TBSアナウンサー鈴木史朗氏の講演 南京戦の真実を追求する会 〜私が見た南京〜後編
https://www.youtube.com/watch?v=tpC3s8cWDQI




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●南京大虐殺完全否定のまとめ

日本軍による南京市民虐殺事件は、全くなかった(0人)。

まず、南京市民の大半は、日本軍が南京を陥落させた1937年12月13日以前に南京を脱出して日本軍が占領した上海などに避難していた。
南京に残った約20万人の南京市民も全員が安全区に避難し、安全区以外の南京城内に善良な市民は誰一人として居なかった。
南京城内の安全区以外には誰も居なかったのだから、そこで虐殺など起こるわけがない。

次に、南京に残った全市民が集められていた安全区内の状況だが、12月13日に日本軍が南京を陥落させる前と比べ、日本軍占領後の南京安全区の人口は増加した。
日本軍による南京占領後、南京の治安が回復すると、日本軍が占領していた上海などに避難していた南京市民が戻って来て南京の人口は増加した。

陥落から何日か経ち、安全区内で日本軍による約10件の強姦事件や同程度の掠奪事件が発生したが、これら事件は、日本の軍関係の裁判を司る法務部で把握されている。
日本軍将兵は道端で拾った靴を持ち帰っただけで掠奪事件として軍法会議にかけられたりしていたが、「虐殺」事件は南京に居た憲兵隊などに通報されたことも全くなかった。

また、15人の安全区国際委員会メンバーや100人を超す日本人報道関係者などは南京に長期間滞在していたが、誰も1度も日本軍による虐殺を目撃しなかった。
虐殺事件に関しては、目撃が0件で、現地の憲兵隊などへの通報も、憲兵隊などによる発見もなかった。

更に、支那国民党は南京戦を挟む1937年12月1日から1938年10月24日までの約1年間に300回も外国人記者などに記者会見をして日本の悪事を宣伝したが、1回も南京で虐殺があったと言わなかった。
支那国民党は南京戦を挟む1937年12月1日から1938年10月24日までの約1年間に300回も外国人記者などに記者会見をして日本の悪事を宣伝したが、1回も南京で虐殺があったと言わなかった。

支那国民党は南京戦を挟む1937年12月1日から1938年10月24日までの約1年間に300回も外国人記者などに記者会見をして日本の悪事を宣伝したが、1回も南京で虐殺があったと言わなかった。

最後に、戦後しばらく経ってから自白した元日本兵が何人か居たが、これまで本名で証言をした人は例外なくすべて嘘であったことが確認されている。

よって、日本軍による南京虐殺事件は0件だった。


以上のとおり「南京大虐殺」については、事実関係として完全に虚構(捏造)であり、日本軍によって虐殺された南京市民はゼロ(0人)だった。
【平和甦る南京《皇軍を迎えて歓喜沸く》】朝日新聞1937年12月20日掲載「17日河村特派員撮影」
【平和甦る南京《皇軍を迎えて歓喜沸く》】朝日新聞1937年12月20日掲載「17日河村特派員撮影」


また、捕虜の不法殺害については、南京戦に参加した畝本正己が、資料、証言を更に整理し検討し、【昭和63年=1988年】に発行した『南京戦史』(偕行社)で、撃滅・処断推定約1万6千人、うち不法殺害の可能性があるのは歩66第1大隊の捕虜処断最大約8百人の一例のみとの結論を出している。

つまり、「捕虜の不法殺害」の犠牲者は、0人〜800人というのが結論だ。(関連記事


一方、支那軍は、支那事変のあった8年間で、投降したり負傷したりして捕まえた日本兵を捕虜として保護したことは全くなかった。

支那軍は、「反戦兵士」(違法)にする極めて少数の日本兵を除き、1人残らず日本軍将兵を惨殺した。

まさに「皆殺し」だった。

日本軍が南京だけでも1万人以上の支那兵を捕虜として保護したのとは、対照的だった。










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≪石破茂氏は1217日、東京都内で自身の政治資金パーティーを開き、次期総裁選への出馬に意欲を示した。(平成301217日 読売新聞)≫

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「怒れるスリーメンpart11」(平成301216日)で「石破茂がまた問題発言!!」をやっていた。
 
番組で金美齢氏はこのように言った。
「今年の総裁選前に『そこまで言って委員会』に石破さんがゲストで出演したんですよ。そこで私は石破さんにこう言った。
 
『あなたは先の戦争は悪い戦争だから編⊃声劼帽圓ないと言っているが、戦争にはいいも悪いもないのよ。そんなことを言うならば総理大臣になる資格はない!』と。
 
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すると石破さんは何も言わないでプンプンして怒ったんですが、そこはカットされた。石破さんは最後まで機嫌が悪かったとスタッフから聞きました」。
 
それに対して加藤清隆氏はこう言った。
「石破さんは『近い将来総理大臣になっても私は編⊃声劼砲論簑仍欧蠅泙擦鵝戮噺世だ擇辰燭鵑任后
 
すると金美齢氏が言い続ける。
「安倍総理みたいに行きたくても行けないということはわかる。ぐっとこらえている姿勢が見えてくる。しかし石破さんのように最初から私はあの戦争は悪い戦争だから行きませんと言うのとは天と地ほどの差です。
 
だから石破さんに『そんなことを言うならば総理大臣になる資格はない』と断言したの。左右の思想に関係なく、お国のためにたった一つの命を捧げたのよ。日本人としてその方達に対する敬意がこれっぽっちもないとしたら、総理大臣になる資格はない。総理大臣どころか、国会議員も辞めるべきですよ」。
 
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その通りである。
そして、これは日本人全員が考えるべきである。

石破茂氏が言う「あの戦争は悪い戦争だった」の根幹には、戦後占領政策から続く自虐教育と反日左翼マスコミによる日本人を”敗北主義者”にされてきたことにある。
 
この”敗北主義者”たる日本人の歴史観は、常に日本だけを非難して、他国のやったことは考えないというものである。日本がアジア諸国や米国やシナに対して一方的に戦争をやっていたと思っている。
 
そして「戦争責任」と言えば必ず日本の戦争責任だけを追及する。
 
過去の問題で批判されるのは常に日本であり、過去の日本の行動を非難することが正義であるかのように日本人も思い込んできた。
 
だから日本人は戦後、戦争に関して米国の責任を追及するという発想で歴史を検証したことがない。日本は原爆投下した米国の指導者が裁かれないことに疑問さえ持たなかった。

これが洗脳教育なのである。
 
勝てば官軍、負ければ賊軍。しかし歴史の真実は勝者の言い分のみではない。一度の戦争に敗れたくらいで、いつまでも貶められることはない。
 
国際法上では戦争は犯罪ではなかったが、戦争に負けた日本人は戦争をしたことで犯罪者とされ、戦争に勝った米国人は戦争をしても、国際法に違反しても罪を問われない。
 
こういう矛盾がネットの普及で広く認識され、おかしいことはどんどん指摘され、多くの日本人が反論できるようになり、日本の立場を主張できるようになった。
 
日本が戦ったから白人の植民地支配が終わったのである。
英霊達が命を捧げたから日本は白人の植民地にされずに今の日本がある。。

戦後はやむなく占領されたが占領解除後から先は日本人自身の問題である。
 
日本を戦後体制のまま戦えない国にしておく方が都合がよいと思っている国がある。
 
それを日本国内で押さえ込んでいるバカな連中がいる。
 
しかし、我々は本来の強い日本を取り戻すために戦うのだ。

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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」


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