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朝鮮に日本と戦って建国した歴史があったか?


先日、日韓議員連盟を退会した城内実議員に、退会理由を聞いた時にこのように言われた。
 
「韓国にもまともな人は1割いる」と。
 
元外務官僚でアジア局の韓国を担当した経験でそう言われた。
 
ということは韓国人の9割はまともじゃない、ということである。
 

10割でなく9割だったのだ、日本人はここを理解しておこう。

 
 
そしてもう一つ、日本人に認識しておいて頂きたいことがある。
 
全斗煥大統領の頃、名越二荒之助氏が韓国を訪問して、ある大学の学長にこのように言われた。
 
 
私は平素から学生に対して、韓国人としての自覚を促している。日本の韓国併合に抗議する前に、韓国人自身が考えなければならないことがある。
 
日本の韓国併合に対して米国も英国も誰一人反対しなかったことである。世界は当然のような顔で受け止めていた。
 
それは何故か?
 
日清戦争の時、清国軍がソウルを占領しても韓国人は戦わなかった。だから日本軍が戦って清国を追い払った。
 
ロシアが入って来た時も我々は戦わなかった。日本軍が血を流して戦い、朝鮮からロシアを追い出した。
 
だから日本はこれ以上トラブルは嫌だと、朝鮮併合してしまった。これに対して世界の列強は、日本がそうするのも無理はないとして一言も文句を言わなかった。
 
このことを忘れてはならない。
 
韓国は自ら併合されて滅んだのだ。
 
日本の悪口を言い、責任を日本に押し付ける前に、我々韓国人は戦わなかったから滅びたことを知らねばならない。
 
 
これに反論できる韓国人はいないだろう。図星だからである。

冒頭画像の「朝鮮は日本と戦って建国した歴史があるか?」についてである。

「大韓帝国」は上にあるように日本が戦って建国された。

今の「大韓民国」は日本統治の後、米国に統治された後に米国から独立させてもらった。

つまり韓国には他のアジア諸国のように戦って独立した歴史はない。

だから韓国には他のアジア諸国のような「独立記念日」がないのだ。

にもかかわらず「日帝」と戦って独立して、「光復節」と言っている。

嘘である。

嘘を言わなければ日本に感謝しなければならなくなるから嘘を言う。

これでは「民族の誇り」ではなく「民族の埃」である。

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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」


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26:15〜


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日本はハルノートを無視して天皇陛下とルーズベルトが首脳会談すれば戦争にならなかった 〜青山繁晴〜
そもそも70年前に300万人死んだのは何のためですか?これは政治の結果ですよね。

しかもその政治の結果というのは、日中戦争とかアジアにおける戦闘ではなく、アジアには欧米の帝国主義勢力がいっぱい入ってきたわけですから、日本としては戦わざるを得なかった。
 
しかしアメリカとアメリカ領土であるハワイで戦う必要があったかというと、基本的にないんです
 
ハルノートなんて、そんなものはただの一外務大臣のノートに過ぎないんですから、「あっ、そうですか」と言って“ピン”とこれやっておけばいいんですよ
 
これをやった上で天皇陛下とルーズベルト大統領が首脳会談をやっていれば日米戦争の回避は十分にあり得たわけです
(平成301130日 「答えて、答えて、答える!」)
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青山繁晴議員のこの認識はどうか?
 
その前に「日中戦争」という言葉は戦後出来た言葉で、当時日本は「支那事変」又は「日華事変」と呼んで戦っていた。
 
これは日本と支那(国民党)は、戦争当事国には武器を与えない中立法のある米国から武器等を輸入していたため“戦争”ではなく“事変”と呼んでいた。
 
「日中戦争」という言葉には悪意がある。日本がシナ共産党と戦ったようにして日本がシナを侵略したようにされているが大きな間違いである。
 
さて、青山議員の「ハルノートを無視して天皇陛下とルーズベルトが首脳会談すれば戦争にならなかった」である。
 
なぜ日本が大東亜戦争を戦わざるを得なかったのか?
 
これは天皇陛下の「開戦の詔書」をよく読むと理解できる。
 
本来は学校の教育で「開戦の詔書」を読ませて、そこに書かれていることをしっかり教えれば、日本がやむにやまれず戦争に追い込まれたことが理解できる。
 
青山議員の言う”天皇陛下とルーズベルト大統領の会談”は、昭和16年に日本側から提案(近衛首相が陛下より全権委任)していたが、すでに日本と戦争を決めていたルーズベルトは、この時期に英国チャーチル首相と大西洋会談で対日参戦を話し合っていた。
 
この大西洋会談後、チャーチルは「ルーズベルトが平和か戦争かの問題を議会にかければ討論に3ヵ月はかかる。彼は戦争はやるが宣戦はしない。益々挑発的態度をとるようにする、と言った。戦争を起こすために何でもやることになったとルーズベルトが言った」と報告している。
 
また昭和17127日の英国議会でチャーチルは「極東において日本から攻撃を受けない場合でも米国は戦いを始める。そうすることで対独戦争を確実なものにするとルーズベルトと協議した」と述べている。

つまり米国の対日戦は決定していたのである。
 
昭和161126日のハルノートの段階で、米国は日本に禁輸や日本資産凍結、ABCD包囲網でケンカを売っていたのである。
 
日本は売られたケンカをいつ受けるかというだけであった。
 
たとえハルノートを無視しても、事態は米国有利になるだけである。
 
対日戦を決めていた米国は軍備増産を行っていたため、時間が経てば経つほど米国がより有利になっていくだけで、日本の不利は一層大きくなるだけであった。
 
この時、日米戦争を一番望んでいたのは苦しい戦いをしていた英国チャーチルではなく、対独戦をしていたスターリンであったであろう。
 
いまでは「ヴェノナファイル」や「クレムリン文書」「バシリエフノート」でルーズベルトの周りはコミンテルンスパイだらけであったことが明らかになっている。
 
にもかかわらず学校では「コミンテルン」を教えない。
 
コミンテルンを教えずに「なぜ日本は無謀な戦争に突き進んだのか」と言ってもわかるわけがないのだ。
 
そしてその裏にはユダヤ人がうごめいていた。
 
このことは元満州特務機関の門脇朝秀先生(昨年104歳で死去)と3年前と2年前に長時間対談した時に当時のことを詳しく教えて頂いた(下画像)。

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満州を仕切っていたのもユダヤ人であった。その名は「フェッテ」という。
(詳しくは保守の会会報『保守』第三号に書かれている)
 
戦後しばらくこの名前を出すことが出来なかったという。殺されるからだ。今もこの名前はどんな本を読んでも、ネットで調べても出てこない。

ゾルゲと会っていた門脇朝秀氏の動画→ https://www.dailymotion.com/video/x9m93c

昭和1610月、米国務次官補から「米国が凍結している日本の保有ドルは恒久的に封鎖される」と言ってきた。これにより横浜正金銀行ニューヨーク支店が破綻した。
 
横浜正金銀行ニューヨーク支店の破綻は日本の国際貿易の終わりを意味する。
 
参戦したい米国は完全に締め上げた日本と対等な日米同盟を結ぶはずがないのだ。

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『大東亜戦争 失われた真実
―戦後自虐史観によって隠蔽された「英霊」の功績を顕彰せよ!
著者 葛城奈海 奥本康大

転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

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