関東大震災

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【関東大震災】 虐殺朝鮮人遺族2人が来日「真実が明らかになれば、日韓関係は改善し、東アジアの平和につながる」
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2018/09/08/20180908k0000m040135000p/9.jpg
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▲記者会見する関東大震災時の虐殺犠牲者の遺族、権在益さん(左)と曹光換さん=東京都新宿区で2018年9月7日午後1時13分、井田純撮影

 関東大震災(1923年9月1日)で虐殺された朝鮮人の遺族2人が来日し、東京都内で7日、記者会見した。韓国で昨年8月に遺族会が結成されてからメンバーの訪日は初めて。「埋もれている事実は多い。遺族にとっても過去について改めて知るのはつらいが、真実は明らかにされるべきだ」と訴えた。

 来日したのは、祖父を殺害された権在益(クォン・ジェイク)さん(61)と、祖父の兄が犠牲になった曹光煥(ソ・ガンファン)さん(57)。

 権さんの祖父(当時30歳)は震災の2カ月前、出稼ぎのため日本に入国し、群馬県で働いていた。韓国の除籍謄本には、震災の4日後、群馬県の藤岡警察署で死亡したとの記載が残されている。17人が殺害された「藤岡事件」の被害者の一人だ。権さんは「日韓の市民の多くは虐殺事件について知らないのではないか。埋もれている真実がもっと明らかになれば、日韓関係は改善し、東アジアの平和につながると思う」と語った。

 曹さんは、9月1日の朝鮮人犠牲者追悼式典への追悼文送付を小池百合子東京都知事が取りやめたことについて「だからといって虐殺の事実がなくなるわけではない。日韓双方が発展的な見地から協力して事実を明らかにし、追悼することが大事だ」と話した。

 2人は8日、墨田区で行われる民間団体主催の追悼行事に参加。9日には権さんの祖父の名前が刻まれた追悼碑のある群馬県藤岡市を訪れる。

 関東大震災では「朝鮮人が攻めてくる」「井戸に毒を入れている」などのデマが拡大。信じた自警団らによって朝鮮人、中国人ら数千人が虐殺された。【井田純】

ソース:毎日新聞<関東大震災 虐殺朝鮮人遺族2人が来日「真実は明らかに」>

https://mainichi.jp/articles/20180908/k00/00m/040/088000c


引用元:http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1536333378




真実をもう一度載せておく
これがデマと言う者は新聞
『嘘だ』と言っているのですね




関東大震災〜朝鮮人暴動の真実!!

強制連行や従軍慰安婦という言葉も歴史的事実も、
今や確認されていない、捏造だったということに固まりつつあります。

そして、この関東大震災時の朝鮮人虐殺ということに関しても、
様々な事実がわかってきています。

東京は言うに及ばず、横浜一帯も酷い被害を受けていることが
様々写真や文献からも伺い知ることが出来ます。

まず、不思議だったのは工藤美代子氏の「関東大震災 朝鮮人虐殺の真相」という
本の冒頭で描かれている灼熱地獄の模様ですが、如何に大きな地震だったからといって、

家屋の倒壊などに比べて猛火で焼かれて亡くなる人がこんなにも多かったか、
どこもここもが火の海で覆われ、結局何百何千何万の人がこれほど多く焼かれて亡くなっいます。
それが、あとで
自然発生的に起きた火事でないことがわかってきました!
朝鮮人の放火により、いったい何万人の命が亡くなったのでしょう?

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京橋の第一相互ビルヂング屋上より見た日本橋及神田方面の惨状
大正12915日(1923915日) 大阪毎日新聞社

関東大震災(大正12年)時、デマに惑わされた日本人暴徒が多数の朝鮮人を虐殺した。
学校教育等で、近現代史の汚点として、このように教えられますが、

実際は、不逞鮮人によるテロに等しい集団暴力事件の多発。軍も出動。
日本人は自身や家族を守る為に、自警団でそれに対抗。

不逞鮮人と自警団・軍隊の激突で双方に被害者がでた、一般鮮人にも死者がでた。
不逞鮮人と左翼系組織との連携があり、偶発的な事件ではなく計画性があった。

事後に、左翼学者による不逞鮮人の暴動の隠蔽工作、一般鮮人被害者数の水増し工作。
無実の一般鮮人を巻き添えにしたという日本人の良心の呵責を利用し、
疑問や反論も許さぬ「タブー」として、日本人が悪いと印象操作を行うことで、
お人よしで人を疑わない日本人を騙し、世論は朝鮮人と左翼の狙い通りになっていった。


当時の新聞などを調べると真実が見えてくる。

不逞鮮人益々広大 
不逞鮮人300余名が手に手に爆弾を携え、之を投じ、或いは放火し
全暴徒の一隊が爆弾を投じ放火せりを目撃
(庄内新報(号外) 九月三日)

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鮮人一味 上水道に毒を散布
囚人三百名脱獄し鮮人と共に大暴状
(下越新報 大正1293日)

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不逞鮮人各所に放火 石油缶や爆弾を携えて
(小樽新聞 号外 大正1293日)

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鮮人の陰謀 震害に乗じて放火
発電所を襲う鮮人団
不逞鮮人1千名と横浜で戦闘 歩兵一個小隊全滅か
(新愛知新聞 大正1294日)

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朝鮮人が暴徒となって放火していると伝える
大阪朝日新聞(192393日号外)

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屋根から屋根へ鮮人が放火して廻る
鮮人が盛んに悪いことをしているのは憎むべき事で
屋根から屋根へ渡って火を放っている居る様な有り様で
(新愛知新聞)

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鮮人浦和高崎に放火
列車爆破を企つ 不逞鮮人の自白

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在日韓国人などはこの報道は捏造と発言していますが
報道規制が解かれ世の中が落ち着いて来ても
鮮人の行った事件を報道していますので新聞の記載内容は真実です。

報道規制が解かれた翌日
震災の混乱に乗じ鮮人の行った凶暴 
略奪、放火、凶器、爆弾毒薬携帯、婦人略奪 
(読売新聞 大正121021日)

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記事差し止め解除を受けて朝鮮人の事件を伝える
東京時事新報(19231022日付)
関東一帯を騒がした鮮人暴動の正体はこれ
放火殺人暴行掠奪につぎ橋梁破壊も企てた不逞団





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政府による記事差止めが解除されたことを受けて事件の正体を報じる
10
22日(大正121022日)付東京時事新報[21]

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関東大震災の時に流言蜚語(ひご)に惑わされた日本人自警団が何の罪もない
多数 の朝鮮人を虐殺した。多くの日本人はこの事件にある種の後ろめたさを感じ、
きちんと検証してみようとしなかった。

大震災から86年、工藤さんが初めてこの困難な作業に挑んだ。
まず、当時の日韓関係の中で朝鮮人のテロ、日本人襲撃が決して根拠のない
流言蜚語 ではなかったことを多くの資料・新聞記事から立証。
工藤さんは〈朝鮮人による襲撃があったから、殺傷事件が起きた〉
〈テロリストの襲撃から家族や町内を守るのは正義といっていい〉と断定している。

(略

圧巻は虐殺された朝鮮人の数を検証する部分。当時、吉野作造は2613人と書き、
上海に亡命した大韓民国臨時政府の機関紙「独立新聞」は6419人と書いた。

今回の取材中、工藤さんはロンドンのナショナル・アーカイブスで朝鮮独立運動派が
諸外国の外交官にばら撒(ま)いた謀略宣伝用小冊子を発見した。
そこに書かれた数字はなんと2万3059人。

それでは当時東京に何人の朝鮮人がいたのか。政府統計によると東京に約9千人。
近県に 約3千人なのである(全国で約8万人)。
そして、警察署などに保護された朝鮮人は6797人。

この数字だけからでも虐殺されたとされる朝鮮人の数がいかに根拠のないものかわかろう。
先に挙げた謀略宣伝用小冊子は虐殺の模様をこんなふうに書いている。

〈彼ら(日本人自警団や民衆)は朝鮮人を電柱に縛りつけ、
眼球をくり貫(ママ)いて鼻をそぎ、腹を切り裂いて腸が飛 び出るままにした(以下略)〉
どこかで聞いたり読んだような記述ではないか。
『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』 の 評:花田紀凱(『WiLL』編集長)


(庄内新報(号外) 九月三日)

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(新愛知新聞 大正1294日)

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横浜から品川方面へ朝鮮人の集団が刀や爆弾を持ち、暴れまわって婦女を強姦していた
という事実を追求して行くとこの騒動の実態が見えると思われます。


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一連の調べで習志野と江東地区で間違いなく不穏な動きがあった事は間違い無いと思われます。
この記事もその証拠の一つです。
「震災で泣き叫ぶのを聞いて革命歌を歌っていた」と言うのが、いかにもです。


(読売新聞 大正121021日)
司法当局が朝鮮人の犯罪を報道する事を規制し圧力を掛けた決定的証拠。
10
20日、ようやく自由報道が解禁され、真実を記載し始めた。
幾多の報道されてきた犯罪は事実である
と、
さらに下には四ツ木で朝鮮人が少女を輪姦した上に殺害し、
荒川に放り投げ逃走したという恐ろしい記事が書いてある。

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(読売新聞 大正121021日)
日本橋の倉庫に朝鮮人が火を放って逮捕。 深川の食糧倉庫が時間を置いて火が立った
のも朝鮮人の同時多発テロだったと言う事を裏付けるひとつの事実である。

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引用元「SAPIO/2008/5/28

関東大震災時の政治世相

大正六年にロシア革命が発生すると、
ボルシェビキ指導による共産主義の出現が我が国にも大きな衝撃波となって襲ってきた。
(中略)
昭和二年、関東大震災の余韻も冷めぬ夏、
大正時代の苦悩を一気に背負ったかのように芥川龍之介が自殺した。
大震災にも劣る事なくじわじわと迫っていた「不安」。
それがロシア革命によって齎されたものだということを、芥川は如実に語って死を選択したのだった。
(「関東大震災 朝鮮人虐殺の真実」P32より)

この文献によると、芥川龍之介は個人的な厭世観によって死を選んだのではなく、
ロシア革命の台頭、その日本への侵蝕に恐れを抱き、
菊池寛などのそういった危機感を敢えて取り上げもしない
野蛮なる文学家などに対する憤怒の行方として、自殺を選んだといっている。

芥川とは外れるが、甘粕事件で殺された
アナーキストの大杉栄などが日本国内の裏舞台で暗躍し、
特高に目を付けられていたのも、この時代である。

国内の急進的共産主義者などの過激な政治活動もある不安定な大正時代、
同時に、朝鮮半島でも民族解放運動が起きて、その余波が日本にも及ぼされつつあった。
社会主義者が裏で暗躍し、朝鮮人の暴動と連携して、
日本に暴動を起していたというのは、周知の事実である。

朝鮮民族の大量移入
在日朝鮮人の人口推移
明治42年 790
大正4年 3989
大正5年 5638
大正6年 11501
大正7年 22262
大正8年 28272
大正9年 3175
大正10年 35876
大正11年 59865
大正12年 8617
大正13年 12238
大正14年 13710
大正15年 158503
昭和2年 175911
昭和16年 1469230
昭和19年 1938413
(但し、密航者や住所不定者もいることを考えると、これよりは多い可能性が大)

摂政宮ご婚礼前

摂政宮と言えば、後の昭和天皇のことである。
当時は、病弱であらせられた大正天皇の時代。

天皇陛下は現実にいらっしゃいましたが、その病状から公務をお出来になりにくい状況下、
社会に招く影響を考えて、後の若かりし昭和天皇が摂政宮として公務を果たされていらした。
しかも、ご婚礼前の大切な時期であった。

朝鮮半島は火薬庫

当時は、ロシア革命以後、共産主義者などの台頭もありながら、
韓国では李朝末期の混沌とした時代。
絶え間なく民族開花の嵐が巻き起こる不穏さも、大陸から流れてきた。

日韓併合を越えて13年余り、国としては成長する礎が出来てきたが、
それにより、朝鮮人の中からは、日本に対する反発を持つものもいた。

その一つの大きな動きが、「三・一独立運動」で、京城中心部の公園で、
キリスト教、仏教、天道教などの各派の
代表三十三名が「朝鮮独立宣言」を読み上げることから騒ぎは起きた。

この宣言に刺激された学生や労働者が過激なデモをしながら、
警備する日本側官憲と衝突。すさまじい事態に広がった。
そして、その過激さは、海を越えて、日本に上陸してくるのである。

社会主義者と朝鮮人

政治的な不穏な様相は、この朝鮮人の襲撃だけではなかった。
ロシア革命以後、日本の知識層にも共産主義思想が広がってくるにつれ、
日本の国家転覆を狙う点で両者は結びつき、
社会主義者・共産主義者の一派と朝鮮人によるといったものも増えていくようになる。

関東大震災直後の暴動の頻発

それは横浜から始まった。
東京の新聞社はすべて倒壊し、
とても一朝一夕に新聞をまた発行出来る状況ではなかった。


一刻一刻と燃やされ倒壊していく街の中、
逃げ惑いながらも最後は火に巻かれ焼かれ死んでいく住民たち。
そのような中、頼れる情報は口から口に伝わる情報のみ。
不穏なニュースは、瞬く間に広まっていった。

大震災は一日の正午頃に起きた。
驚いたことに、朝鮮人の襲撃は、その夜には既に始まったのだった。

如何に、首都が壊滅した頃を好機と見計らって襲撃に乗り込んできたか、
その意気込み
(と言っては語弊があるが)が如実にわかるデータである。

不逞鮮人は日本を壊滅させるべく乗り込んだきたのだ。

横浜における目撃者の談話からその一端を見ておきたい。

「一日の大地震に続く大火災に辛ふじて身を以て免れた私は
何等かの方法でこの悲惨極まる状況を知らしめたいと焦慮したが
大崩壊に続くもうかには遺憾ともすることが出来ず、
二日迄絶食のままで諸所を彷徨した(略)交通機関の全滅は元より徒歩さへも危険極まりない。

況んや不逞の鮮人約二千は腕を生んで市中を横行し、略奪を擅にするは元より、
婦女子二三十人宛を拉し来たり随所に強姦するが如き非人道の所行を白昼に行ふている。


これに対する官憲の警備は東京市と異なり、軍隊の出動もないので行き届かざること甚だしく、
ついには監獄囚人全部を解放し看守の指揮によりてこれが掃蕩に当たらしめたので大戦闘となり、
鮮人百余人を斃したが警備隊にも十余人の負傷を生じた模様である。

以上の如き有様なので食料飲料水の欠乏は極に達し、
然も救援の何ものもないので生き残った市民の全部は天を仰いで餓死を待つばかりである」
(大日本石鹸社専務:細田勝一郎談「河北新報」大正十二年九月五日)

(略)
「事務長は「陸上は危険ですから御上陸なさることは出来ない」といふ。
何故危険かと問へば「鮮人の暴動です。

昨夜来鮮人が暴動を起し市内各所に出没して強盗、強姦、殺人等をやって居る。

古都に裁判所付近は最も危険で鮮人は小路に隠れてピストルを以て通行人を狙撃して居るとのことである。
若し御疑あるならば現場を実見した巡査を御紹介しましやう。」といふ。」
(「横浜地方裁判所震災略記」バリー丸船内、部長判事長岡熊雄)

(「関東大震災 朝鮮人虐殺の真相」より)

戒厳令発令

こういった状況の中、日本国民を守るために、政府は漸く戒厳令を敷いた。
戒厳令下で、不穏な動きをするものを厳しく捕らえるのは、よもや当たり前のことである。

後藤新平は、不逞鮮人襲撃のニュースを敢えて掲載することを止めて
彼等の暴動が後の昭和天皇に向けられることからお護りした


台湾総督府で民生長官を務めた後藤新平が内務大臣になり、
当時まだご結婚されていなかった摂政宮(後の昭和天皇)の御身を案じ、
終わることなく起きる朝鮮人暴動を沈静化させる意味で、
一斉に朝鮮人の襲撃に関する情報が新聞などが書かれることをストップさせた。

朝鮮人による暴動があったと新聞が書くことで、日本人の自警団が朝鮮人に対する報復が苛烈を極める。
それにより、更に朝鮮人(または其の背後にいる、社会主義者たち)の暴動が摂政宮に向かうことを恐れたのだ。


実際、それ以後、新聞からは「朝鮮人襲来」の類いの記事は抑えられ、
逆に日本人に向けても、「朝鮮人いい人」キャンペーンが始まったという。

現実にあった朝鮮人襲撃のニュースを報道せず、事態を沈静化させたという手法そのものは、
その当時としては仕方が無かったかもしれないが、それにより、
朝鮮人が暴動を起こしたという確固たる事実が消えてしまったのだ。

それにより混乱したのは、日本人の自警団だ。
これまで自分の家族・地域・日本を護ろうと蹶起して立ち上がったのに、
政府から梯子を下ろされてしまったのだ。

こういった手法は、今後日本の歴史の随所に登場する。
それが我が国の国民性なのかもしれないが、
時間が経ってしまうと、その時代を記憶している人間もいずれ死ぬのだから、
新聞記事などの記事が、歴史的な事実として後世に記憶されてしまうことに、
もっと注意を払うべきときがあると思う。

そこで書かれなくなったり事実と違うことが書かれてしまったら、
その時代の実際の姿は浮かび上がってきはしない筈なのだ。

朝鮮人が大挙して襲来し、強盗や強姦、放火などの
暴動を起こした、その事実が根本から消え失せようとしていた。


こういった事実が「流言蜚語」と長い間思われ、「朝鮮人を虐殺した」ということが事実と成り代わり、
逆に[朝鮮人が襲来して暴動など起さなかった]ということの方が歴史的事実であるように浮上してくる。

「戒厳令」を敷かねばならない事態であることをもっと注視しなければならないと思う。
「戒厳令」が敷かれた状況で、暴動を起こしたら、
外国人であろうと日本人であろうと、取り締まりを受けるのは当たり前のことだ。
それでも収まらない暴動は鎮圧されても仕方がない。
その最中、例え人が死んだとしても、それは致し方がないことではないか?
「朝鮮人虐殺」という、それこそ「流言蜚語」は、こうして成り立ってしまった。


関東大震災において朝鮮人が暴動・放火を
行ったのはデマと捏造したのは社会・共産主義の学者


SAPIOの連載によると、つまり朝鮮人と社会主義者=アカが結託して
クーデターを 起そうと準備していた。そこに関東大震災が起き、
混乱に乗じて朝鮮人が暴動・ 放火・強姦行為をやった。

特に横浜方面から品川にかけてのエリアで物凄い人数で襲い掛かってきた。
横浜方面だけでなく、深川、墨田他のエリアでどうみても火災が
起きるはずの無いエリアで爆発や火災が発生した。


その情報が警察とかに上がって
丸の内とか外国の要人が居るので朝鮮人の暴動に 備えて厳戒態勢で備えていた。
この朝鮮人の暴動に怒り狂った日本人の自警団が
そいつらをとっ捕まえて自衛の 為に殺害した。

なかには無実の朝鮮人と朝鮮人に間違われた日本人も居た。
戦後アカが主導になってでっち上げの人数を6000人とか捏造してデマで
殺されたと言い回った。本当はアカと朝鮮人が結託してテロ行為を起した

事実を知られるとまずいから。
苦し紛れにデマ説を必死で流した学者(吉野作造)は
日本の社会・共産主義の土台を作った一員でも有った
(しかしそのアカの学者でさえ、実際に朝鮮人の暴動破壊行為が合った事を大筋認めている)

つまり、隠蔽工作である。朝鮮人が暴動を起していたという証言は多数であり
リアリティが有り、当時の新聞はそれを伝えている
が、当時の内務大臣、後藤新平が
「朝鮮人の暴動が有った事は事実だが、自警団による自衛行為はやめさせて
この混乱を収拾させるべきだ」と考え、報道規制をして風評の打ち消しに徹した。

「それではアカ朝鮮人から市民の安全を保証出来ない」と読売の正力氏は
後藤大臣の決定に怒り、反発して、9月末に地方へ転勤願いを提出した。

後藤新平は社会主義者と交友が有り、社会主義への知己も持っていた
(後藤は右翼とも関係が有り、いわば両刀使いだった)が、

一連の暴動をきっかけに、これではまずいと、治安維持法が制定され、
社会共産主義者への弾圧へと、政府は政策を見直し、遂行して行った。

これが大筋の事実です。
朝鮮人の暴動から自衛の為に戦ったという事が歴史の真実です。

現在においても
慰安婦問題・高校無償化・教科書への干渉など韓国朝鮮人の抗議・政治的活動・プロパガンダなどは
まったく変わっていない。特に慰安婦問題は日本から金が取れていないので国をあげて運動している。

普通に考えると隣人だったら、どんな時でもに助け合います。
当時は横浜中華街があり中国人も居ましたが、なぜ朝鮮人だけなのでしょう?


現在の在日韓国・朝鮮人の行動を見れば
当時の朝鮮人の様子もはっきりと見えてきます。



これが真実ですね(^^)

転載元転載元: 未来を見つめて 夢の彼方へ!

https://youtu.be/xxQaHNZdAjA

一部抜粋ねずさんのブログより

一般には、地震の発生時刻がお昼どきの炊事の時間帯であったことから、合計136件に及ぶ複数の火災が同時発生し、これに折から能登半島付近にいた台風の余波による大風が重なって被害を拡大させたと説明されています。

逆にいえば、わずか136件なのです。その数は正確に把握されているし、この136件のボヤや、震災後すぐ、消し止められています。にもかかわらず、火は火災旋風を引き起こしながら広まり、鎮火したのは2日後の午前10時頃です。被災した市内の気温は、この間、ずっと40度を超えるものとなりました。火が消されたのに火災が広がったのです。それが鎮火したのは二日後です。いったい何が起きたのでしょうか。

最初の地震では、東京市内の建造物の被害として、たとえば凌雲閣(浅草十二階)が大破。
建設中だった丸の内の内外ビルディングが崩壊して作業員300余名が一瞬で圧死するなどの被害が発生しています。
震源に近い横浜では、官公庁やグランドホテル・オリエンタルホテルなどが、石造・煉瓦作りの洋館であった事から一瞬にして倒壊して、ここでも多くの死者を出しました。

一般の家屋でも、倒壊や倒壊の危険から、多くの人は日頃の訓練に従って、指定避難所に退避していました。
そこは土地が広てく、安全な場所だったからです。
安全だから指定避難場所になっていたのです。
ところがその避難場所が、地震の「翌日」になって火災のために丸焼けにされています。

たとえば、東京の本所区横網町(現在の墨田区内)にあった本所区被服廠は、2万430坪もある広大な敷地内に4万人近い人が避難していました。
ところがその避難所を火炎柱が襲い、ここだけで3万8千人も亡くなっています。

集まっていたのは、もちろん地震による家屋倒壊等によって避難を余儀なくされた人達です。
安全だから、被服廠にいたのです。
そこを震災後まもなく消し止め終わっていたはずの火災が襲ったのです。

それだけではありません。
なんと爆弾を使った建物破壊や放火までありました。

いったい誰がそんな不埒なことをしたのでしょうか。
当時の新聞の見出しを見てみます。

「朝鮮人、隊をなして石油・爆弾使い放火」 
 (小樽新聞 大正12年9月3日号外第一)
「朝鮮人、各所暴動検束数千名」 
 (小樽新聞 大正12年9月3日号外第三)
「朝鮮人、横浜〜王子放火」
 (大阪朝日新聞 大正12年9月3日号外)
「朝鮮人、爆弾・放火・王子横浜で軍隊と衝突」 
 (荘内新報 大正12年9月3日号外第十八報)
「朝鮮人、屋根から屋根へ放火 婦人凌辱 略奪」
 (新愛知 大正12年9月4日号外)
「朝鮮人浦和高崎に放火検挙 爆弾所持し唯氷峠列車爆破自白」 
 (名古屋新聞 大正12年9月4日号外第二)
「朝鮮人、殺人虐殺凶悪ぶり 進行中の列車に爆弾投げつける」 
 (福岡日日新聞 大正12年9月4日号外)
「朝鮮人、爆弾・掠奪・鮮人・銃殺」 
 (小樽新聞 大正12年9月4日号外第一)
「朝鮮人捕縛 爆弾其の他押収。
 軍隊が治安維持に出動したため、
 不逞鮮人は爆弾を携帯しながら各地方へ退散、鎮圧鎮静化へ」
 (九州日報 大正12年9月4日号外第三)
「朝鮮人暴挙は完全取締を遂行」
 (大阪毎日新聞 大正12年9月4日号外第二)

関東の地震なのに、報道は地方のものばかりとなっていますが、これには理由があります。
当時、新聞社は、東京に一局集中していました。
この頃の新聞は、活版印刷といって、一文字ずつ文字を手作業で拾って並べて新聞紙の印刷です。
このため東京にあった新聞社では、活版印刷のための活字ケースが地震で倒れて活字が散乱し、印刷機能が停止してしまっていたのです。
これに加えて、東京日日新聞、報知新聞、都新聞を除く13あった新聞社が、すべて社屋を焼失してしまっていました。
このため、最も早く復旧した東京日日新聞が9月5日付の夕刊を発行するまで、首都の報道機能は、印刷という行程において完全に麻痺してしまっていたのです。

そこで大手新聞社の記者や、地方新聞の東京、横浜などの支局員が、関東大震災の模様を取材し、それを地方にある新聞社に連絡し、それを営業できる地方の新聞社が印刷して、各地での号外となっていたわけです。

当時の新聞記事を見ると、震災後の混乱の中で、在日の不逞朝鮮人たちが連続放火を繰り返したり、略奪、暴行、婦人凌辱等を行い、それらの証拠隠滅のためにさらに放火を繰り返すといった、悪さの限りを尽くしていたことがわかります。
中には、爆弾まで使って放火や略奪、窃盗をしていた者まであり、これにはやむなく陸軍が出動して鎮圧を行っています。

このときの内閣は、山本権兵衛内閣です。
山本総理は震災の翌々日に「公式発表」を行っています。
「不逞な朝鮮人については、
 三々五々群を為して放火を遂行、
 また未遂の事実があるが、
 既に軍隊の警備が完成に近づきつつあり。
 国民のみなさんは、恐れないでください。」
これが「公式」に行なわれた発表です。
在日不逞朝鮮人たちによる、略奪や暴行、放火は「事実だった」ということです。

最近では関東大震災において「朝鮮人による凶行はデマであった」という風説がまかり通っています。
けれどそれがデマでなかった証拠には、
「警視庁、不逞鮮人暴動を沈静化」
「不逞ではない朝鮮人保護のため、
 警視庁は取締りを完全に遂行せよとの急告通達を出した」
(大阪毎日新聞)などの報道があります。
実際に軍も警察も暴動の鎮圧に乗り出しているのです。

現代を生きる同胞には申し訳ないけれど、いまよりも、はるかに人々の徳性が高かった時代です。
その時代に、東日本大震災に匹敵する大地震が起きたとして、普通の日本人がそこで暴行や傷害、窃盗、放火、強姦、殺戮などの凶行をするでしょうか。
軍隊の出動が必要なほどの凶行など、果たしてはたらくでしょうか。

当時、警察には、繰り返し多数の不逞朝鮮人による事件通報がはいりました。
一方、不逞在日朝鮮人たちによって身内を殺され、家を焼かれ、財物を奪われ、女子供を強姦された多くの日本人たちは、青年団を中心に自警団を編成しました。
朝鮮人たちの暴行に備えたのです。

一方、山本権兵衛内閣は、「不逞鮮人では無い鮮人」の保護を閣議決定し、彼らの収容を決定しました。
警察では、警視総監の赤池濃(あつし)氏が、
「警察のみならず国家の全力を挙て、治安を維持」
するために、水野錬太郎内務大臣に「戒厳令の発布」まで建言しています。
戒厳令というのは、いっさいの法の執行を停止して、すべてを「軍の管制下におく」というものです。
これを受けて内務省警保局長後藤文夫が、各地方長官に向けて以下の内容の警報を打電しています。

「東京付近の震災を利用し、
 朝鮮人は各地に放火し、
 不逞の目的を遂行せんとし、
 現に東京市内に於て爆弾を所持し、
 石油を注ぎて放火するものあり。
 既に東京府下には一部戒厳令を施行したるが故に、
 各地に於て充分周密なる視察を加え、
 朝鮮人の行動に対しては
 厳密なる取締を加えられたし。」

更に警視庁からも戒厳司令部宛に
「朝鮮人の中の不逞の挙について、
 放火その他凶暴なる行為に出る者ありて、
 現に淀橋・大塚等に於て検挙したる向きあり。
 この際これら朝鮮人に対する取締りを厳にして
 警戒上違算無きを期せられたし。」
と打電しています。

暴徒と化した朝鮮人を、日本人は恐れました。
そして自然発生的に若者たちを中心とした自警団が生まれたのは当然の成り行きです。
そして自警団は、町に「関所」を設けて、町内や、避難所の安全を確保しました。

そして関所では、朝鮮語に語頭に濁音が来ないことから、「十五円五十銭」とか「ガギグゲゴ」などを言わせ、うまく言えないと朝鮮人として追い払ったりしています。
なかには方言を話す地方出身の日本内地人や聾唖者まで追い払われてしまったという不幸な出来事も起こりました。
そして発音のできない者たちが、集団で関所を強硬突破しようとして、争いが起こったり、関所を避けて避難所内に侵入した凶行犯と、自警団がもみ合いになったりという事件が、そこここで起こっています。

以前にも書きましたが、世界中どこの都市でも、何事もない平時においては、人々は普通に仲良く暮らしています。町には笑顔があり、歌や音楽があり、買い物客があふれ、ビジネスマンが忙しそうに働いています。
そんな光景や姿は、世界中、どこも同じです。

問題は、震災などが起きた異常時です。
世界中どこの都市でも街の治安が一気に破壊され、略奪や暴行が日常化するのです。
そうならないのは、日本くらいなものです。

ところがその日本で、略奪暴行傷害強盗強姦放火が多起こったのです。
それは日本人の行動パターンでしょうか。
そして日頃おとなしい日本人が、自警団まで組んでいます。
これは、震災直後の日本人が、そうしなければならないほどまで「追いつめられた」ということです。

横浜の鶴見警察では、署長の大川常吉氏が、朝鮮人約300名を保護しました。
普通なら、警察がいっぺんに300人も保護するなどということはあり得ません。
1 一部の不逞朝鮮人が悪行を働いた。
2 やむなく日本人が自警団を組んだ。
3 朝鮮人居留区への報復攻撃が行われると、事態がさらに混乱する虞れがあり、やむをえず警察が朝鮮人を保護した、という流れです。

案の定、警察が保護したことを知った地元の自警団約1000人が、犯行を行った朝鮮人たちを差し出せ、と警察にやってきました。
署長の大川氏は、
「朝鮮人を諸君には絶対に渡さん。
 この大川を殺してから連れて行け。
 そのかわり私が諸君らと命の続く限り戦う」
と言って自警団の人たちを追い返しています。
さらに大川所長は、
「毒を入れたというなら、その井戸水を持ってこい。
 その井戸水を俺が飲んでみせよう」
とまで言って、その場で一升ビンの水を飲み干したりもしています。

こうして署長は、朝鮮人たちを守りました。
たとえ、同胞が殺されたとしても、あくまでもそれは個人の犯罪であり、民族で十把一絡げにしてはいけない・・・これは古来変わらぬ日本人社会の姿勢です。

軍隊も多くの朝鮮人を保護しています。
また警察は、朝鮮人・中国人などを襲撃した日本人を逮捕しています。
殺人・殺人未遂・傷害致死・傷害の4つの罪名で起訴された日本人は362名にも及びました。
これは、当然のことであろうと思います。
手を出せば、その手を出したことについて、取締がなされる。それは治安を維持する上で、当然のことだからです。

ただし、それが有罪であるか否かは、また別な問題です。
毎度書いていることですが、「挑発」を受けて、つまり先に被害にあって、これに対応して武力を行使するのは、暴力ではなく、正当な生存権保持のための自衛行為です。
喧嘩を売られて、やむなく相手を殴り倒して怪我をさせたとしても、そもそも因縁つけて喧嘩を売ってきた方が悪いのです。あたりまえのことです。

本来、震災時にあっては、互いに助け合い、被災者の救助や火災の延焼をみんなで協力して防がなければなりません。
また怪我人を救出したり介抱したり、老人、婦女、子供たちの安全を確保し、食料や水の確保や、安心して用便ができる環境をつくったり、風呂などの用意をしたりと、互いに協力しあって、ひとりでも多くの人が救出され、また安全を確保できるようにしていかなければなりません。
けれど、そういうことがあたりまえに出来るということが、日本にとっては常識だけれど、これまた世界では非常識です。

さらにいえば、生き残った日本人が互いに助け合おうと努力しているところを、一緒に助け合うどころか、逆に暴徒となって日本人を襲い、食料を奪い、暴行を働き、あるいは人殺しをし、婦女を強姦し、放火する。
あるまじき行為ですが、そういうことを、混乱時だからこそ、喜んでやってしまう人たちがいたということは、今後においても、しっかりと考え、対応しなければならないことだと思います。

横浜の鶴見警察では、大川署長の男気で、日本人自警団たちも、納得し解散しています。
けれど、似たようなケースで、戦後の混乱期には、警察署そのものが襲撃され、放火されて丸焼けにされたというケースが何件もありました。

このときの関東大震災の問題が再燃したのは、関東大震災から30年経って、人々の記憶から当時の不逞朝鮮人の凶行のの記憶が薄れはじめた昭和28年のことです。
タイミングとしては、ちょうど日本がサンフランシスコ講和条約によって主権を回復した翌年にあたります。

それまで占領統治の、というか植民地統治のセオリーである、「その国内にいる少数民族を手なずけ特権を与えることで、言葉の通じない当該国の民衆を支配する」という古来変わらぬ植民地統治の手法で、朝鮮人たちが厚遇され、また、この頃に終わった朝鮮戦争によって、大量の朝鮮人難民が日本にやってきていました。

難民たちは不法入国者ですが、朝鮮戦争当時の日本には主権はありません。
難民が押し寄せてきても、これを武力を用いて追い払うことも、逮捕投獄することもできません。
ですから、数十万人が日本に上陸していました。
そうした人たちは、本来であれば不法入国者ですから、朝鮮戦争が終わり、半島内の治安が回復した時点で、朝鮮本国に送り返さなければならない人たちでした。

ところが朝鮮半島は、身分差別の著しいところです。
帰れば、「こいつらは俺たちが戦っているときに敵前逃亡して逃げた奴らだ」とののしられるし、戦争が終わったと言っても、いつまた政府によって殺されるかわからない不安な状態にありました。
だからなんとかして日本に残りたかった。
そのために、自分たちはもとから日本にいて、日本人によって差別されてきた弱者だと、突然、本末転倒の主張を繰り広げ始めたのです。
それが当時の在日朝鮮人たちによる、「関東大震災のときに朝鮮人達がいわれなく6000人も殺された」と言うデマです。

そもそも6000人という人数自体、いきなり降ってわいたような何の根拠もない数字です。
それをいうなら、6000人という曖昧な数字ではなくて、具体的に何名が殺されたのか。
そのひとりひとりはいかなる状況で亡くなったのか、具体的に特定をしていただきたいものです。
もっというなら、不逞朝鮮人によって、12万余の日本人が殺されているのです。

人は、極限状態に置かれたとき、それぞれの本性というか、同じパターンの行動をとります。
小さな例では、たとえば同一人の泥棒は、必ず毎回同じ手口で泥棒をします。
喧嘩でも、大声を出す人は必ず大声で怒鳴りちらすし、黙って手を出す人は、やはり毎回モノも言わずに手をあげます。
日本にはない習慣ですが、何かあったら大声でウソ泣きをして泣き叫ぶ。これまた特定の出自の人たちの特徴です。

ところが日本人は、過酷な情況になればなるほど、我が身を犠牲にしてでも、周囲を助けようとします。
旧日本軍の軍人さんたちがそうでしたし、近くは東日本大震災や、阪神大震災、新潟地震等でも、同様の行動パターンがみられます。
むしろ自分よりまわりの人を助けようとして、多くの人が命を落としたりします。
教育とかそういう次元の問題ではなく、これは民族的DNAのはたらきとしかいいようがないことなのかもしれません。

ひとつ大事なことを書いておきます。
関東大震災の歴史を通じて、私は朝鮮人が民族として全部がおかしな人たちとは思わないし、そのように主張する気もありません。
朝鮮人でも、日本人よりも立派な人はたくさんいるし、現に関東大震災の際でも、不逞でない朝鮮人達の方が、むしろ数の上では圧倒的に多かったのです。

けれども日本人のなかの、たった数名がテルアビブでハイジャック事件を起こしただけで、後々まで日本人はハイジャックをすると言われ続けなければならないのです。
悪行は、犯行を犯した者が、たったひとりであったとしても、あとあとまで「◯◯人は」といわれてしまうものなのです。
だからこそ、本来なら彼ら自身のコミュニティにおいて、彼ら自身がよりまっとうな日本での生活者として身を律することを学んでいただきたいと思うのです。

歴史は学ぶためにあります。
なぜなら歴史は「繰り返す」ものだからです。
だからこそ民族の記憶、経験として、学ぶ必要があります。

繰り返しになりますが、関東大震災で問題を起こしたのは、「不逞在日朝鮮人」です。
そうでないまっとうな朝鮮人もたくさんいたのです。
終戦直後、朝鮮半島を経由して日本人が帰国するとき、日本人に対して居丈高になって酷い仕打ちをした朝鮮人もたくさんいました。
がその一方で、必死になって日本人を助けようとしてくれた数多くの朝鮮人もいました。
だからこそ、多くの日本人が日本に帰ってくることができました。

現代でも日本国内で悪いことをする在日朝鮮人がいます。
すぐにカッとなり、激情に駆られやすい半島の人は、悪意ある人達には利用しやすいという側面もあるようです。

その一方で、日本人以上に日本的価値観を学び、一生懸命生きている在日朝鮮人もいます。
問題は、彼らのコミュニュティや、彼らの本国である韓国が反日であることを是としている反日の在日朝鮮人たちです。
彼らは日本人に対する犯罪行為を、むしろ煽り、彼らの行う犯罪行為までも正当化してきました。
そして日本人がこれを指摘すると、「ヘイト」だの「差別」だのといい出しています。
これはおかしなことです。
なぜなら、犯罪は犯罪でしかないからです。




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朝鮮人がからむと、こういう争いばかり起こる

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関東大震災「慰霊の日」、騒然 朝鮮人ら追悼式典と疑義を唱える慰霊祭 
関東大震災の犠牲者を悼む東京都慰霊協会主催の大法要が1日に営まれた東京都立横網町公園(墨田区)。
 
公園内では同じ時間帯に、震災時に「虐殺」されたとする朝鮮人らを追悼する式典や、その犠牲者数に疑義を唱える団体の慰霊祭も行われた。
 
警察官や都庁職員らが厳重警戒する中、小競り合いが散発し、「慰霊の日」の公園内は騒然とした空気に包まれた。
 
日朝協会など複数の団体で構成される実行委員会主催の「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」では、関東大震災で犠牲となったとされる朝鮮人らに鎮魂の舞や、黙祷がささげられた。
 
追悼式をめぐっては、これまでの歴代都知事が追悼文を送っていたのに対し、小池百合子都知事や山本亨墨田区長が今年から追悼文の送付を取りやめた経緯がある。
 
式典のあいさつや哀悼の辞では、小池氏らの追悼文送付取りやめに対し「到底容認できない。流言飛語で命を奪われた犠牲者や遺族に寄り添う姿勢がまったく見受けられない」として批判の言葉が述べられた。
2017.9.1 産経新聞)
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慰安婦、徴用工、原爆被害、関東大震災と、昔のことばかりを真実のように言い出して、まるで自分達が「日本の被害者」だったような顔をして、それでも日本に居付く朝鮮人。
 
しかし彼らの主張は「嘘」ばかりだ。
 
関東大震災の朝鮮人虐殺。朝鮮人が言う“虐殺数”は6000人。朝日新聞は1〜数千人である。
 
まず彼らの言う「虐殺」からして違う。朝鮮人は虐殺ではなく日本人を守るために争い殺されたのだ。もちろん日本人も殺されている。
 
朝鮮人が言う「6000人」は、当時上海にいた大韓民国臨時政府の機関誌『独立新聞』によるもので根拠はない。上海にいて正確な数字がわかるわけがないのだ。
 
また朝日新聞の「1〜数千人」は中央防災会議を根拠にしているが、これも「震災の死者数の1〜数%」という根拠がない数字で、朝日はこれを使って「数千人が虐殺され」たと書く。
 
当時の司法省公表では殺された朝鮮人は「233人」である。
 
また、よく「不逞鮮人は流言飛語で殺された」と言う「流言飛語」も嘘である。
 
震災直後、東京で発行された新聞や地方紙には朝鮮人による集団暴行の事実を示す記事や目撃談が多数掲載されていて、日本人を守る自警団は流言飛語で動いていたわけではない。
 
それ以上に、一切語られないが大事な事実がある。
 
実は大震災の混乱に乗じて首都で大暴動を起こす動きがあった。これは在日朝鮮人と共産主義者が結び付いて政府転覆の動きであった。
 
関東大震災の当日、加藤友三郎首相が急死した。首相不在をチャンスとして共産党と朝鮮人が暴れまわる。
 
その翌日、山本権兵衛内閣が発足し、戒厳令を敷いて陸軍がこれら不逞鮮人のテロ集団を撃退したが、2個師団が精鋭な武器を持っていた朝鮮人に壊滅された(警視庁資料より)。
 
「朝鮮人虐殺」を騒ぎ立てるのはこの不都合な事実を隠すためである。
 
関東大震災の2日後の混乱時には、反日運動家の朝鮮人・朴烈と金子文子が大正天皇と皇太子(昭和天皇)の暗殺を計画した朴烈事件が起きた。
 
朴烈は上海の大韓民国臨時政府とつながっており、天皇陛下を殺害する爆弾と資金を依頼していたのだ。
 
今、「朝鮮人虐殺」という嘘だけが独り歩きして、日本人が知っておくべき真実が隠されていることを、日本人はよく知っておくべきである。

・・・・・
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

【韓国崩壊】安倍首相「働かない在日生活保護受給者は強制送還するwww」外国人生活保護受給に対する政策がいよいよ実行へ!!!

安倍政権が進める
生活保護受給に対する政策が
いよいよ実行されてきています。

日本に滞在する外国人に対し、
働くことをせず
生活保護受給する場合には、
東京入国管理局が3年ごとの
滞在許可期限にあわせ
延長の申請を却下し、
祖国への強制送還となります。

まだ個別対応ですが
実例を増やし積み重ねます。




働かなくても日本に害悪をもたらす、在日は強制送還でいい。
 理由などいらない。
日本に害悪だから。
 在日の永住権など速攻で廃止。
与える意味はない。
 日本が住みにくくなってるのは、永住権が簡単に与えられるから。
 簡単に永住権、国籍与えた結果どうなったか?
蓮舫みたいな国籍不明の人間が日本の政治家になって、犯罪集団の政党がいくつも生まれて、これは否定・あれも否定で毎日狂ってるwもう待ったはなしだ。
要因の一つでしかないが、国外追放・永住権剥奪・生活保護の不正排除すれば、日本は浄化され、ちゃんとした日本人のみで国を動かせる。





関東大震災〜朝鮮人暴動の真実!!

強制連行や従軍慰安婦という言葉も歴史的事実も、
今や確認されていない、捏造だったということに固まりつつあります。

そして、この関東大震災時の朝鮮人虐殺ということに関しても、
様々な事実がわかってきています。

東京は言うに及ばず、横浜一帯も酷い被害を受けていることが
様々写真や文献からも伺い知ることが出来ます。

まず、不思議だったのは工藤美代子氏の「関東大震災 朝鮮人虐殺の真相」という
本の冒頭で描かれている灼熱地獄の模様ですが、如何に大きな地震だったからといって、

家屋の倒壊などに比べて猛火で焼かれて亡くなる人がこんなにも多かったか、
どこもここもが火の海で覆われ、結局何百何千何万の人がこれほど多く焼かれて亡くなっいます。
それが、あとで自然発生的に起きた火事でないことがわかってきました!
朝鮮人の放火により、いったい何万人の命が亡くなったのでしょう?

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京橋の第一相互ビルヂング屋上より見た日本橋及神田方面の惨状
大正12年9月15日(1923年9月15日) 大阪毎日新聞社

関東大震災(大正12年)時、デマに惑わされた日本人暴徒が多数の朝鮮人を虐殺した。
学校教育等で、近現代史の汚点として、このように教えられますが、

実際は、不逞鮮人によるテロに等しい集団暴力事件の多発。軍も出動。
日本人は自身や家族を守る為に、自警団でそれに対抗。

不逞鮮人と自警団・軍隊の激突で双方に被害者がでた、一般鮮人にも死者がでた。
不逞鮮人と左翼系組織との連携があり、偶発的な事件ではなく計画性があった。

事後に、左翼学者による不逞鮮人の暴動の隠蔽工作、一般鮮人被害者数の水増し工作。
無実の一般鮮人を巻き添えにしたという日本人の良心の呵責を利用し、
疑問や反論も許さぬ「タブー」として、日本人が悪いと印象操作を行うことで、
お人よしで人を疑わない日本人を騙し、世論は朝鮮人と左翼の狙い通りになっていった。

当時の新聞などを調べると真実が見えてくる。

◆不逞鮮人益々広大 
不逞鮮人300余名が手に手に爆弾を携え、之を投じ、或いは放火し…
◆全暴徒の一隊が爆弾を投じ放火せりを目撃
(庄内新報(号外) 九月三日)
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◆鮮人一味 上水道に毒を散布
◆囚人三百名脱獄し鮮人と共に大暴状
(下越新報 大正12年9月3日)
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◆不逞鮮人各所に放火 石油缶や爆弾を携えて
(小樽新聞 号外 大正12年9月3日)
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◆鮮人の陰謀 震害に乗じて放火
◆発電所を襲う鮮人団
◆不逞鮮人1千名と横浜で戦闘 歩兵一個小隊全滅か
(新愛知新聞 大正12年9月4日)
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◆朝鮮人が暴徒となって放火していると伝える
大阪朝日新聞(1923年9月3日号外)
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◆屋根から屋根へ鮮人が放火して廻る
鮮人が盛んに悪いことをしているのは憎むべき事で
屋根から屋根へ渡って火を放っている居る様な有り様で…
(新愛知新聞)
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◆鮮人浦和高崎に放火
◆列車爆破を企つ 不逞鮮人の自白
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在日韓国人などはこの報道は捏造と発言していますが
報道規制が解かれ世の中が落ち着いて来ても
鮮人の行った事件を報道していますので新聞の記載内容は真実です。


報道規制が解かれた翌日
◆震災の混乱に乗じ鮮人の行った凶暴 
◆略奪、放火、凶器、爆弾毒薬携帯、婦人略奪… 
(読売新聞 大正12年10月21日)
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記事差し止め解除を受けて朝鮮人の事件を伝える
東京時事新報(1923年10月22日付)
関東一帯を騒がした鮮人暴動の正体はこれ
放火殺人暴行掠奪につぎ橋梁破壊も企てた不逞団
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政府による記事差止めが解除されたことを受けて事件の正体を報じる
10月22日(大正12年10月22日)付東京時事新報[21]
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関東大震災の時に流言蜚語(ひご)に惑わされた日本人自警団が何の罪もない
多数 の朝鮮人を虐殺した。多くの日本人はこの事件にある種の後ろめたさを感じ、
きちんと検証してみようとしなかった。

大震災から86年、工藤さんが初めてこの困難な作業に挑んだ。
まず、当時の日韓関係の中で朝鮮人のテロ、日本人襲撃が決して根拠のない
流言蜚語 ではなかったことを多くの資料・新聞記事から立証。
工藤さんは〈朝鮮人による襲撃があったから、殺傷事件が起きた〉
〈テロリストの襲撃から家族や町内を守るのは正義といっていい〉と断定している。

(略

圧巻は虐殺された朝鮮人の数を検証する部分。当時、吉野作造は2613人と書き、
上海に亡命した大韓民国臨時政府の機関紙「独立新聞」は6419人と書いた。

今回の取材中、工藤さんはロンドンのナショナル・アーカイブスで朝鮮独立運動派が
諸外国の外交官にばら撒(ま)いた謀略宣伝用小冊子を発見した。
そこに書かれた数字はなんと2万3059人。

それでは当時東京に何人の朝鮮人がいたのか。政府統計によると東京に約9千人。
近県に 約3千人なのである(全国で約8万人)。
そして、警察署などに保護された朝鮮人は6797人。

この数字だけからでも虐殺されたとされる朝鮮人の数がいかに根拠のないものかわかろう。
先に挙げた謀略宣伝用小冊子は虐殺の模様をこんなふうに書いている。

〈彼ら(日本人自警団や民衆)は朝鮮人を電柱に縛りつけ、
眼球をくり貫(ママ)いて鼻をそぎ、腹を切り裂いて腸が飛 び出るままにした(以下略)〉
どこかで聞いたり読んだような記述ではないか。
『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』 の評:花田紀凱(『WiLL』編集長)


(庄内新報(号外) 九月三日)
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(新愛知新聞 大正12年9月4日)
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横浜から品川方面へ朝鮮人の集団が刀や爆弾を持ち、暴れまわって婦女を強姦していた
という事実を追求して行くとこの騒動の実態が見えると思われます。

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一連の調べで習志野と江東地区で間違いなく不穏な動きがあった事は間違い無いと思われます。
この記事もその証拠の一つです。
「震災で泣き叫ぶのを聞いて革命歌を歌っていた」と言うのが、いかにもです。


(読売新聞 大正12年10月21日)
司法当局が朝鮮人の犯罪を報道する事を規制し圧力を掛けた決定的証拠。
10月20日、ようやく自由報道が解禁され、真実を記載し始めた。
幾多の報道されてきた犯罪は事実である
と、
さらに下には四ツ木で朝鮮人が少女を輪姦した上に殺害し、
荒川に放り投げ逃走したという恐ろしい記事が書いてある。
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(読売新聞 大正12年10月21日)
日本橋の倉庫に朝鮮人が火を放って逮捕。 深川の食糧倉庫が時間を置いて火が立った
のも朝鮮人の同時多発テロだったと言う事を裏付けるひとつの事実である。

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引用元「SAPIO/2008/5/28」

関東大震災時の政治世相

大正六年にロシア革命が発生すると、
ボルシェビキ指導による共産主義の出現が我が国にも大きな衝撃波となって襲ってきた。
(中略)
昭和二年、関東大震災の余韻も冷めぬ夏、
大正時代の苦悩を一気に背負ったかのように芥川龍之介が自殺した。
大震災にも劣る事なくじわじわと迫っていた「不安」。
それがロシア革命によって齎されたものだということを、芥川は如実に語って死を選択したのだった。
(「関東大震災 朝鮮人虐殺の真実」P32より)

この文献によると、芥川龍之介は個人的な厭世観によって死を選んだのではなく、
ロシア革命の台頭、その日本への侵蝕に恐れを抱き、
菊池寛などのそういった危機感を敢えて取り上げもしない
野蛮なる文学家などに対する憤怒の行方として、自殺を選んだといっている。

芥川とは外れるが、甘粕事件で殺された
アナーキストの大杉栄などが日本国内の裏舞台で暗躍し、
特高に目を付けられていたのも、この時代である。

国内の急進的共産主義者などの過激な政治活動もある不安定な大正時代、
同時に、朝鮮半島でも民族解放運動が起きて、その余波が日本にも及ぼされつつあった。
社会主義者が裏で暗躍し、朝鮮人の暴動と連携して、
日本に暴動を起していたというのは、周知の事実である。

朝鮮民族の大量移入
在日朝鮮人の人口推移
明治42年 790人
大正4年 3989人
大正5年 5638人
大正6年 1万1501人
大正7年 2万2262人
大正8年 2万8272人
大正9年 3万175人
大正10年 3万5876人
大正11年 5万9865人
大正12年 8万617人
大正13年 12万238人
大正14年 13万710人
大正15年 15万8503人
昭和2年 17万5911人
昭和16年 146万9230人
昭和19年 193万8413人
(但し、密航者や住所不定者もいることを考えると、これよりは多い可能性が大)

摂政宮ご婚礼前

摂政宮と言えば、後の昭和天皇のことである。
当時は、病弱であらせられた大正天皇の時代。

天皇陛下は現実にいらっしゃいましたが、その病状から公務をお出来になりにくい状況下、
社会に招く影響を考えて、後の若かりし昭和天皇が摂政宮として公務を果たされていらした。
しかも、ご婚礼前の大切な時期であった。

朝鮮半島は火薬庫

当時は、ロシア革命以後、共産主義者などの台頭もありながら、
韓国では李朝末期の混沌とした時代。
絶え間なく民族開花の嵐が巻き起こる不穏さも、大陸から流れてきた。

日韓併合を越えて13年余り、国としては成長する礎が出来てきたが、
それにより、朝鮮人の中からは、日本に対する反発を持つものもいた。

その一つの大きな動きが、「三・一独立運動」で、京城中心部の公園で、
キリスト教、仏教、天道教などの各派の
代表三十三名が「朝鮮独立宣言」を読み上げることから騒ぎは起きた。

この宣言に刺激された学生や労働者が過激なデモをしながら、
警備する日本側官憲と衝突。すさまじい事態に広がった。
そして、その過激さは、海を越えて、日本に上陸してくるのである。

社会主義者と朝鮮人

政治的な不穏な様相は、この朝鮮人の襲撃だけではなかった。
ロシア革命以後、日本の知識層にも共産主義思想が広がってくるにつれ、
日本の国家転覆を狙う点で両者は結びつき、
社会主義者・共産主義者の一派と朝鮮人によるといったものも増えていくようになる。

関東大震災直後の暴動の頻発

それは横浜から始まった。
東京の新聞社はすべて倒壊し、
とても一朝一夕に新聞をまた発行出来る状況ではなかった。


一刻一刻と燃やされ倒壊していく街の中、
逃げ惑いながらも最後は火に巻かれ焼かれ死んでいく住民たち。
そのような中、頼れる情報は口から口に伝わる情報のみ。
不穏なニュースは、瞬く間に広まっていった。

大震災は一日の正午頃に起きた。
驚いたことに、朝鮮人の襲撃は、その夜には既に始まったのだった。

如何に、首都が壊滅した頃を好機と見計らって襲撃に乗り込んできたか、
その意気込み(と言っては語弊があるが)が如実にわかるデータである。

不逞鮮人は日本を壊滅させるべく乗り込んだきたのだ。


横浜における目撃者の談話からその一端を見ておきたい。

「一日の大地震に続く大火災に辛ふじて身を以て免れた私は
何等かの方法でこの悲惨極まる状況を知らしめたいと焦慮したが
大崩壊に続くもうかには遺憾ともすることが出来ず、
二日迄絶食のままで諸所を彷徨した(略)交通機関の全滅は元より徒歩さへも危険極まりない。

況んや不逞の鮮人約二千は腕を生んで市中を横行し、略奪を擅にするは元より、
婦女子二三十人宛を拉し来たり随所に強姦するが如き非人道の所行を白昼に行ふている。


これに対する官憲の警備は東京市と異なり、軍隊の出動もないので行き届かざること甚だしく、
ついには監獄囚人全部を解放し看守の指揮によりてこれが掃蕩に当たらしめたので大戦闘となり、
鮮人百余人を斃したが警備隊にも十余人の負傷を生じた模様である。

以上の如き有様なので食料飲料水の欠乏は極に達し、
然も救援の何ものもないので生き残った市民の全部は天を仰いで餓死を待つばかりである」
(大日本石鹸社専務:細田勝一郎談「河北新報」大正十二年九月五日)

(略)
「事務長は「陸上は危険ですから御上陸なさることは出来ない」といふ。
何故危険かと問へば「鮮人の暴動です。

昨夜来鮮人が暴動を起し市内各所に出没して強盗、強姦、殺人等をやって居る。

古都に裁判所付近は最も危険で鮮人は小路に隠れてピストルを以て通行人を狙撃して居るとのことである。
若し御疑あるならば現場を実見した巡査を御紹介しましやう。」といふ。」
(「横浜地方裁判所震災略記」バリー丸船内、部長判事長岡熊雄)
(「関東大震災 朝鮮人虐殺の真相」より)

戒厳令発令

こういった状況の中、日本国民を守るために、政府は漸く戒厳令を敷いた。
戒厳令下で、不穏な動きをするものを厳しく捕らえるのは、よもや当たり前のことである。

後藤新平は、不逞鮮人襲撃のニュースを敢えて掲載することを止めて
彼等の暴動が後の昭和天皇に向けられることからお護りした


台湾総督府で民生長官を務めた後藤新平が内務大臣になり、
当時まだご結婚されていなかった摂政宮(後の昭和天皇)の御身を案じ、
終わることなく起きる朝鮮人暴動を沈静化させる意味で、
一斉に朝鮮人の襲撃に関する情報が新聞などが書かれることをストップさせた。

朝鮮人による暴動があったと新聞が書くことで、日本人の自警団が朝鮮人に対する報復が苛烈を極める。
それにより、更に朝鮮人(または其の背後にいる、社会主義者たち)の暴動が摂政宮に向かうことを恐れたのだ。


実際、それ以後、新聞からは「朝鮮人襲来」の類いの記事は抑えられ、
逆に日本人に向けても、「朝鮮人いい人」キャンペーンが始まったという。

現実にあった朝鮮人襲撃のニュースを報道せず、事態を沈静化させたという手法そのものは、
その当時としては仕方が無かったかもしれないが、それにより、
朝鮮人が暴動を起こしたという確固たる事実が消えてしまったのだ。

それにより混乱したのは、日本人の自警団だ。
これまで自分の家族・地域・日本を護ろうと蹶起して立ち上がったのに、
政府から梯子を下ろされてしまったのだ。

こういった手法は、今後日本の歴史の随所に登場する。
それが我が国の国民性なのかもしれないが、
時間が経ってしまうと、その時代を記憶している人間もいずれ死ぬのだから、
新聞記事などの記事が、歴史的な事実として後世に記憶されてしまうことに、
もっと注意を払うべきときがあると思う。

そこで書かれなくなったり事実と違うことが書かれてしまったら、
その時代の実際の姿は浮かび上がってきはしない筈なのだ。

朝鮮人が大挙して襲来し、強盗や強姦、放火などの
暴動を起こした、その事実が根本から消え失せようとしていた。


こういった事実が「流言蜚語」と長い間思われ、「朝鮮人を虐殺した」ということが事実と成り代わり、
逆に[朝鮮人が襲来して暴動など起さなかった]ということの方が歴史的事実であるように浮上してくる。

「戒厳令」を敷かねばならない事態であることをもっと注視しなければならないと思う。
「戒厳令」が敷かれた状況で、暴動を起こしたら、
外国人であろうと日本人であろうと、取り締まりを受けるのは当たり前のことだ。
それでも収まらない暴動は鎮圧されても仕方がない。
その最中、例え人が死んだとしても、それは致し方がないことではないか?
「朝鮮人虐殺」という、それこそ「流言蜚語」は、こうして成り立ってしまった。



関東大震災において朝鮮人が暴動・放火を
行ったのは

デマと捏造したのは

社会・共産主義の学者



SAPIOの連載によると、つまり朝鮮人と社会主義者=アカが結託して
クーデターを 起そうと準備していた。そこに関東大震災が起き、
混乱に乗じて朝鮮人が暴動・ 放火・強姦行為をやった。

特に横浜方面から品川にかけてのエリアで物凄い人数で襲い掛かってきた。
横浜方面だけでなく、深川、墨田他のエリアでどうみても火災が
起きるはずの無いエリアで爆発や火災が発生した。


その情報が警察とかに上がって
丸の内とか外国の要人が居るので朝鮮人の暴動に 備えて厳戒態勢で備えていた。
この朝鮮人の暴動に怒り狂った日本人の自警団が
そいつらをとっ捕まえて自衛の 為に殺害した。

なかには無実の朝鮮人と朝鮮人に間違われた日本人も居た。
戦後アカが主導になってでっち上げの人数を6000人とか捏造してデマで
殺されたと言い回った。本当はアカと朝鮮人が結託してテロ行為を起した

事実を知られるとまずいから。
苦し紛れにデマ説を必死で流した学者(吉野作造)は
日本の社会・共産主義の土台を作った一員でも有った
(しかしそのアカの学者でさえ、実際に朝鮮人の暴動破壊行為が合った事を大筋認めている)

つまり、隠蔽工作である。朝鮮人が暴動を起していたという証言は多数であり
リアリティが有り、当時の新聞はそれを伝えている
が、当時の内務大臣、後藤新平が
「朝鮮人の暴動が有った事は事実だが、自警団による自衛行為はやめさせて
この混乱を収拾させるべきだ」と考え、報道規制をして風評の打ち消しに徹した。

「それではアカ朝鮮人から市民の安全を保証出来ない」と読売の正力氏は
後藤大臣の決定に怒り、反発して、9月末に地方へ転勤願いを提出した。

後藤新平は社会主義者と交友が有り、社会主義への知己も持っていた
(後藤は右翼とも関係が有り、いわば両刀使いだった)が、

一連の暴動をきっかけに、これではまずいと、治安維持法が制定され、
社会共産主義者への弾圧へと、政府は政策を見直し、遂行して行った。

これが大筋の事実です。
朝鮮人の暴動から自衛の為に戦ったという事が歴史の真実です。

現在においても
慰安婦問題・高校無償化・教科書への干渉など韓国朝鮮人の抗議・政治的活動・プロパガンダなどは
まったく変わっていない。特に慰安婦問題は日本から金が取れていないので国をあげて運動している。

普通に考えると隣人だったら、どんな時でもに助け合います。
当時は横浜中華街があり中国人も居ましたが、なぜ朝鮮人だけなのでしょう?

現在の在日韓国・朝鮮人の行動を見れば
当時の朝鮮人の様子もはっきりと見えてきます。









http://ccce.web.fc2.com/sinnsai.html


からの転載ではございますが、これだけの当時の新聞記事が残っている。




我々日本人は、

この事実を絶対に忘れて

はなりません!



転載元転載元: 未来を見つめて 夢の彼方へ!



【フェイクニュースか】朝日新聞「内閣府HPから『朝鮮人虐殺』の記述を削除」⇒ 内閣府が全否定&抗議検討


内閣府、朝日記事を否定 ホームページの「朝鮮人虐殺」削除報道、抗議も検討

内閣府は19日、朝日新聞が同日付朝刊で、関東大震災時の「朝鮮人虐殺」に関する内容を含む過去の災害教訓をまとめた報告書が、
苦情によってホームページ(HP)から削除されたと報じたことに対し、「削除したことはない」と反論した。記事中、担当者の発言として報じられたコメントも否定した。
内閣府は、報告書が閲覧できないのはHP刷新に伴うシステム上の問題だと朝日記者に説明したと話しており、抗議することも検討している。


*リンク


5: イス攻撃(SB-iPhone)@\(^o^)/ [US] 2017/04/20(木) 08:59:07.99 ID:XAXdtZkg0
また朝日ったのか

14: ジャンピングカラテキック(大阪府)@\(^o^)/ [PL] 2017/04/20(木) 09:00:06.84 ID:CnuDtVf80
ええ…またやっちゃったのアカピ…

93: ナガタロックII(dion軍)@\(^o^)/ [JP] 2017/04/20(木) 09:27:16.70 ID:L6bCthbX0
後藤 隆昭? @ryu_ 14時間前
災害教訓報告書をHPから削除との報道の件、担当外ですがスルー出来ないのでので言及しますが、意図的なものではなくHPリニューアル作業時の不具合で一時期的に見えなくなったようです。
お粗末な話でお恥ずかしい限りですが、復旧作業中とのこと。

Twitterでこう云う事を呟いてる人が居たけど、これが本当なら朝日新聞が書いた記事の

>担当者は「内容的に批判の声が多く、掲載から7年も経つので載せない決定をした」と説明している。

これはドコから出て来た話なのか


177: リバースパワースラム(禿)@\(^o^)/ [UA] 2017/04/20(木) 11:08:18.71 ID:DS+jjZWX0
今日は何の日?
朝日新聞珊瑚記事捏造事件
(1989年)
*リンク

178: ニールキック(catv?)@\(^o^)/ [GB] 2017/04/20(木) 11:11:42.24 ID:r4eQwc6f0
批判を受けて掲載を止めたってなんかおかしいと思ったんだよな

148: フェイスロック(やわらか銀行)@\(^o^)/ [GB] 2017/04/20(木) 10:15:11.88 ID:+M/p7fTp0
誤報が有った場合は正しい情報を周知させる必要がある 
最低1週間は元の記事の倍の大きさの紙面で謝罪と訂正を載せる様に義務付けしろ

132: 頭突き(茸)@\(^o^)/ [CN] 2017/04/20(木) 09:57:42.01 ID:2j4PuRyz0
昨日滅茶苦茶拡散されてたけどどう責任とるんですかね

嘘テロだね。
朝日新聞はテロリスト。


引用元: http://hayabusa8.2ch.net/test/read.cgi/news/1492646301/


せっかくですので、関東大震災件の画像張っておきます


関東大震災〜朝鮮人暴動の真実!!

ソース

http://ccce.web.fc2.com/sinnsai.html

強制連行や従軍慰安婦という言葉も歴史的事実も、
今や確認されていない、捏造だったということに固まりつつあります。

そして、この関東大震災時の朝鮮人虐殺ということに関しても、
様々な事実がわかってきています。

東京は言うに及ばず、横浜一帯も酷い被害を受けていることが
様々写真や文献からも伺い知ることが出来ます。

まず、不思議だったのは工藤美代子氏の「関東大震災 朝鮮人虐殺の真相」という
本の冒頭で描かれている灼熱地獄の模様ですが、如何に大きな地震だったからといって、

家屋の倒壊などに比べて猛火で焼かれて亡くなる人がこんなにも多かったか、
どこもここもが火の海で覆われ、結局何百何千何万の人がこれほど多く焼かれて亡くなっいます。
それが、あとで自然発生的に起きた火事でないことがわかってきました!
朝鮮人の放火により、いったい何万人の命が亡くなったのでしょう?


イメージ
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京橋の第一相互ビルヂング屋上より見た日本橋及神田方面の惨状
大正12年9月15日(1923年9月15日) 大阪毎日新聞社

関東大震災(大正12年)時、デマに惑わされた日本人暴徒が多数の朝鮮人を虐殺した。
学校教育等で、近現代史の汚点として、このように教えられますが、

実際は、不逞鮮人によるテロに等しい集団暴力事件の多発。軍も出動。
日本人は自身や家族を守る為に、自警団でそれに対抗。

不逞鮮人と自警団・軍隊の激突で双方に被害者がでた、一般鮮人にも死者がでた。
不逞鮮人と左翼系組織との連携があり、偶発的な事件ではなく計画性があった。

事後に、左翼学者による不逞鮮人の暴動の隠蔽工作、一般鮮人被害者数の水増し工作。
無実の一般鮮人を巻き添えにしたという日本人の良心の呵責を利用し、
疑問や反論も許さぬ「タブー」として、日本人が悪いと印象操作を行うことで、
お人よしで人を疑わない日本人を騙し、世論は朝鮮人と左翼の狙い通りになっていった。

当時の新聞などを調べると真実が見えてくる。

◆不逞鮮人益々広大 
不逞鮮人300余名が手に手に爆弾を携え、之を投じ、或いは放火し…
◆全暴徒の一隊が爆弾を投じ放火せりを目撃
(庄内新報(号外) 九月三日)

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◆鮮人一味 上水道に毒を散布
◆囚人三百名脱獄し鮮人と共に大暴状
(下越新報 大正12年9月3日)
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◆不逞鮮人各所に放火 石油缶や爆弾を携えて
(小樽新聞 号外 大正12年9月3日)

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◆鮮人の陰謀 震害に乗じて放火
◆発電所を襲う鮮人団
◆不逞鮮人1千名と横浜で戦闘 歩兵一個小隊全滅か
(新愛知新聞 大正12年9月4日)

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◆朝鮮人が暴徒となって放火していると伝える
大阪朝日新聞(1923年9月3日号外)

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◆屋根から屋根へ鮮人が放火して廻る
鮮人が盛んに悪いことをしているのは憎むべき事で
屋根から屋根へ渡って火を放っている居る様な有り様で…
(新愛知新聞)

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◆鮮人浦和高崎に放火
◆列車爆破を企つ 不逞鮮人の自白

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在日韓国人などはこの報道は捏造と発言していますが
報道規制が解かれ世の中が落ち着いて来ても
鮮人の行った事件を報道していますので新聞の記載内容は真実です。


報道規制が解かれた翌日
◆震災の混乱に乗じ鮮人の行った凶暴 
◆略奪、放火、凶器、爆弾毒薬携帯、婦人略奪… 
(読売新聞 大正12年10月21日)

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記事差し止め解除を受けて朝鮮人の事件を伝える
東京時事新報(1923年10月22日付)
関東一帯を騒がした鮮人暴動の正体はこれ
放火殺人暴行掠奪につぎ橋梁破壊も企てた不逞団

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政府による記事差止めが解除されたことを受けて事件の正体を報じる
10月22日(大正12年10月22日)付東京時事新報[21]

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関東大震災の時に流言蜚語(ひご)に惑わされた日本人自警団が何の罪もない
多数 の朝鮮人を虐殺した。多くの日本人はこの事件にある種の後ろめたさを感じ、
きちんと検証してみようとしなかった。

大震災から86年、工藤さんが初めてこの困難な作業に挑んだ。
まず、当時の日韓関係の中で朝鮮人のテロ、日本人襲撃が決して根拠のない
流言蜚語 ではなかったことを多くの資料・新聞記事から立証。
工藤さんは〈朝鮮人による襲撃があったから、殺傷事件が起きた〉
〈テロリストの襲撃から家族や町内を守るのは正義といっていい〉と断定している。

(略

圧巻は虐殺された朝鮮人の数を検証する部分。当時、吉野作造は2613人と書き、
上海に亡命した大韓民国臨時政府の機関紙「独立新聞」は6419人と書いた。

今回の取材中、工藤さんはロンドンのナショナル・アーカイブスで朝鮮独立運動派が
諸外国の外交官にばら撒(ま)いた謀略宣伝用小冊子を発見した。
そこに書かれた数字はなんと2万3059人。

それでは当時東京に何人の朝鮮人がいたのか。政府統計によると東京に約9千人。
近県に 約3千人なのである(全国で約8万人)。
そして、警察署などに保護された朝鮮人は6797人。

この数字だけからでも虐殺されたとされる朝鮮人の数がいかに根拠のないものかわかろう。
先に挙げた謀略宣伝用小冊子は虐殺の模様をこんなふうに書いている。

〈彼ら(日本人自警団や民衆)は朝鮮人を電柱に縛りつけ、
眼球をくり貫(ママ)いて鼻をそぎ、腹を切り裂いて腸が飛 び出るままにした(以下略)〉
どこかで聞いたり読んだような記述ではないか。
『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』 の評:花田紀凱(『WiLL』編集長)


(庄内新報(号外) 九月三日)
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(新愛知新聞 大正12年9月4日)
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横浜から品川方面へ朝鮮人の集団が刀や爆弾を持ち、暴れまわって婦女を強姦していた
という事実を追求して行くとこの騒動の実態が見えると思われます。


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一連の調べで習志野と江東地区で間違いなく不穏な動きがあった事は間違い無いと思われます。
この記事もその証拠の一つです。
「震災で泣き叫ぶのを聞いて革命歌を歌っていた」と言うのが、いかにもです。


(読売新聞 大正12年10月21日)
司法当局が朝鮮人の犯罪を報道する事を規制し圧力を掛けた決定的証拠。
10月20日、ようやく自由報道が解禁され、真実を記載し始めた。
幾多の報道されてきた犯罪は事実である
と、
さらに下には四ツ木で朝鮮人が少女を輪姦した上に殺害し、
荒川に放り投げ逃走したという恐ろしい記事が書いてある。

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(読売新聞 大正12年10月21日)
日本橋の倉庫に朝鮮人が火を放って逮捕。 深川の食糧倉庫が時間を置いて火が立った
のも朝鮮人の同時多発テロだったと言う事を裏付けるひとつの事実である。

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引用元「SAPIO/2008/5/28」

関東大震災時の政治世相

大正六年にロシア革命が発生すると、
ボルシェビキ指導による共産主義の出現が我が国にも大きな衝撃波となって襲ってきた。
(中略)
昭和二年、関東大震災の余韻も冷めぬ夏、
大正時代の苦悩を一気に背負ったかのように芥川龍之介が自殺した。
大震災にも劣る事なくじわじわと迫っていた「不安」。
それがロシア革命によって齎されたものだということを、芥川は如実に語って死を選択したのだった。
(「関東大震災 朝鮮人虐殺の真実」P32より)

この文献によると、芥川龍之介は個人的な厭世観によって死を選んだのではなく、
ロシア革命の台頭、その日本への侵蝕に恐れを抱き、
菊池寛などのそういった危機感を敢えて取り上げもしない
野蛮なる文学家などに対する憤怒の行方として、自殺を選んだといっている。

芥川とは外れるが、甘粕事件で殺された
アナーキストの大杉栄などが日本国内の裏舞台で暗躍し、
特高に目を付けられていたのも、この時代である。

国内の急進的共産主義者などの過激な政治活動もある不安定な大正時代、
同時に、朝鮮半島でも民族解放運動が起きて、その余波が日本にも及ぼされつつあった。
社会主義者が裏で暗躍し、朝鮮人の暴動と連携して、
日本に暴動を起していたというのは、周知の事実である。

朝鮮民族の大量移入
在日朝鮮人の人口推移
明治42年 790人
大正4年 3989人
大正5年 5638人
大正6年 1万1501人
大正7年 2万2262人
大正8年 2万8272人
大正9年 3万175人
大正10年 3万5876人
大正11年 5万9865人
大正12年 8万617人
大正13年 12万238人
大正14年 13万710人
大正15年 15万8503人
昭和2年 17万5911人
昭和16年 146万9230人
昭和19年 193万8413人
(但し、密航者や住所不定者もいることを考えると、これよりは多い可能性が大)

摂政宮ご婚礼前

摂政宮と言えば、後の昭和天皇のことである。
当時は、病弱であらせられた大正天皇の時代。

天皇陛下は現実にいらっしゃいましたが、その病状から公務をお出来になりにくい状況下、
社会に招く影響を考えて、後の若かりし昭和天皇が摂政宮として公務を果たされていらした。
しかも、ご婚礼前の大切な時期であった。

朝鮮半島は火薬庫

当時は、ロシア革命以後、共産主義者などの台頭もありながら、
韓国では李朝末期の混沌とした時代。
絶え間なく民族開花の嵐が巻き起こる不穏さも、大陸から流れてきた。

日韓併合を越えて13年余り、国としては成長する礎が出来てきたが、
それにより、朝鮮人の中からは、日本に対する反発を持つものもいた。

その一つの大きな動きが、「三・一独立運動」で、京城中心部の公園で、
キリスト教、仏教、天道教などの各派の
代表三十三名が「朝鮮独立宣言」を読み上げることから騒ぎは起きた。

この宣言に刺激された学生や労働者が過激なデモをしながら、
警備する日本側官憲と衝突。すさまじい事態に広がった。
そして、その過激さは、海を越えて、日本に上陸してくるのである。

社会主義者と朝鮮人

政治的な不穏な様相は、この朝鮮人の襲撃だけではなかった。
ロシア革命以後、日本の知識層にも共産主義思想が広がってくるにつれ、
日本の国家転覆を狙う点で両者は結びつき、
社会主義者・共産主義者の一派と朝鮮人によるといったものも増えていくようになる。

関東大震災直後の暴動の頻発

それは横浜から始まった。
東京の新聞社はすべて倒壊し、
とても一朝一夕に新聞をまた発行出来る状況ではなかった。


一刻一刻と燃やされ倒壊していく街の中、
逃げ惑いながらも最後は火に巻かれ焼かれ死んでいく住民たち。
そのような中、頼れる情報は口から口に伝わる情報のみ。
不穏なニュースは、瞬く間に広まっていった。

大震災は一日の正午頃に起きた。
驚いたことに、朝鮮人の襲撃は、その夜には既に始まったのだった。

如何に、首都が壊滅した頃を好機と見計らって襲撃に乗り込んできたか、
その意気込み(と言っては語弊があるが)が如実にわかるデータである。

不逞鮮人は日本を壊滅させるべく乗り込んだきたのだ。


横浜における目撃者の談話からその一端を見ておきたい。

「一日の大地震に続く大火災に辛ふじて身を以て免れた私は
何等かの方法でこの悲惨極まる状況を知らしめたいと焦慮したが
大崩壊に続くもうかには遺憾ともすることが出来ず、
二日迄絶食のままで諸所を彷徨した(略)交通機関の全滅は元より徒歩さへも危険極まりない。

況んや不逞の鮮人約二千は腕を生んで市中を横行し、略奪を擅にするは元より、
婦女子二三十人宛を拉し来たり随所に強姦するが如き非人道の所行を白昼に行ふている。


これに対する官憲の警備は東京市と異なり、軍隊の出動もないので行き届かざること甚だしく、
ついには監獄囚人全部を解放し看守の指揮によりてこれが掃蕩に当たらしめたので大戦闘となり、
鮮人百余人を斃したが警備隊にも十余人の負傷を生じた模様である。

以上の如き有様なので食料飲料水の欠乏は極に達し、
然も救援の何ものもないので生き残った市民の全部は天を仰いで餓死を待つばかりである」
(大日本石鹸社専務:細田勝一郎談「河北新報」大正十二年九月五日)

(略)
「事務長は「陸上は危険ですから御上陸なさることは出来ない」といふ。
何故危険かと問へば「鮮人の暴動です。

昨夜来鮮人が暴動を起し市内各所に出没して強盗、強姦、殺人等をやって居る。

古都に裁判所付近は最も危険で鮮人は小路に隠れてピストルを以て通行人を狙撃して居るとのことである。
若し御疑あるならば現場を実見した巡査を御紹介しましやう。」といふ。」
(「横浜地方裁判所震災略記」バリー丸船内、部長判事長岡熊雄)
(「関東大震災 朝鮮人虐殺の真相」より)

戒厳令発令

こういった状況の中、日本国民を守るために、政府は漸く戒厳令を敷いた。
戒厳令下で、不穏な動きをするものを厳しく捕らえるのは、よもや当たり前のことである。

後藤新平は、不逞鮮人襲撃のニュースを敢えて掲載することを止めて
彼等の暴動が後の昭和天皇に向けられることからお護りした


台湾総督府で民生長官を務めた後藤新平が内務大臣になり、
当時まだご結婚されていなかった摂政宮(後の昭和天皇)の御身を案じ、
終わることなく起きる朝鮮人暴動を沈静化させる意味で、
一斉に朝鮮人の襲撃に関する情報が新聞などが書かれることをストップさせた。

朝鮮人による暴動があったと新聞が書くことで、日本人の自警団が朝鮮人に対する報復が苛烈を極める。
それにより、更に朝鮮人(または其の背後にいる、社会主義者たち)の暴動が摂政宮に向かうことを恐れたのだ。


実際、それ以後、新聞からは「朝鮮人襲来」の類いの記事は抑えられ、
逆に日本人に向けても、「朝鮮人いい人」キャンペーンが始まったという。

現実にあった朝鮮人襲撃のニュースを報道せず、事態を沈静化させたという手法そのものは、
その当時としては仕方が無かったかもしれないが、それにより、
朝鮮人が暴動を起こしたという確固たる事実が消えてしまったのだ。

それにより混乱したのは、日本人の自警団だ。
これまで自分の家族・地域・日本を護ろうと蹶起して立ち上がったのに、
政府から梯子を下ろされてしまったのだ。

こういった手法は、今後日本の歴史の随所に登場する。
それが我が国の国民性なのかもしれないが、
時間が経ってしまうと、その時代を記憶している人間もいずれ死ぬのだから、
新聞記事などの記事が、歴史的な事実として後世に記憶されてしまうことに、
もっと注意を払うべきときがあると思う。

そこで書かれなくなったり事実と違うことが書かれてしまったら、
その時代の実際の姿は浮かび上がってきはしない筈なのだ。

朝鮮人が大挙して襲来し、強盗や強姦、放火などの
暴動を起こした、その事実が根本から消え失せようとしていた。


こういった事実が「流言蜚語」と長い間思われ、「朝鮮人を虐殺した」ということが事実と成り代わり、
逆に[朝鮮人が襲来して暴動など起さなかった]ということの方が歴史的事実であるように浮上してくる。

「戒厳令」を敷かねばならない事態であることをもっと注視しなければならないと思う。
「戒厳令」が敷かれた状況で、暴動を起こしたら、
外国人であろうと日本人であろうと、取り締まりを受けるのは当たり前のことだ。
それでも収まらない暴動は鎮圧されても仕方がない。
その最中、例え人が死んだとしても、それは致し方がないことではないか?
「朝鮮人虐殺」という、それこそ「流言蜚語」は、こうして成り立ってしまった。


関東大震災において朝鮮人が暴動・放火を
行ったのはデマと

捏造したのは

社会・共産主義の学者



SAPIOの連載によると、つまり朝鮮人と社会主義者=アカが結託して
クーデターを 起そうと準備していた。そこに関東大震災が起き、
混乱に乗じて朝鮮人が暴動・ 放火・強姦行為をやった。

特に横浜方面から品川にかけてのエリアで物凄い人数で襲い掛かってきた。
横浜方面だけでなく、深川、墨田他のエリアでどうみても火災が
起きるはずの無いエリアで爆発や火災が発生した。


その情報が警察とかに上がって
丸の内とか外国の要人が居るので朝鮮人の暴動に 備えて厳戒態勢で備えていた。
この朝鮮人の暴動に怒り狂った日本人の自警団が
そいつらをとっ捕まえて自衛の 為に殺害した。

なかには無実の朝鮮人と朝鮮人に間違われた日本人も居た。
戦後アカが主導になってでっち上げの人数を6000人とか捏造してデマで
殺されたと言い回った。本当はアカと朝鮮人が結託してテロ行為を起した

事実を知られるとまずいから。
苦し紛れにデマ説を必死で流した学者(吉野作造)は
日本の社会・共産主義の土台を作った一員でも有った
(しかしそのアカの学者でさえ、実際に朝鮮人の暴動破壊行為が合った事を大筋認めている)

つまり、隠蔽工作である。朝鮮人が暴動を起していたという証言は多数であり
リアリティが有り、当時の新聞はそれを伝えている
が、当時の内務大臣、後藤新平が
「朝鮮人の暴動が有った事は事実だが、自警団による自衛行為はやめさせて
この混乱を収拾させるべきだ」と考え、報道規制をして風評の打ち消しに徹した。

「それではアカ朝鮮人から市民の安全を保証出来ない」と読売の正力氏は
後藤大臣の決定に怒り、反発して、9月末に地方へ転勤願いを提出した。

後藤新平は社会主義者と交友が有り、社会主義への知己も持っていた
(後藤は右翼とも関係が有り、いわば両刀使いだった)が、

一連の暴動をきっかけに、これではまずいと、治安維持法が制定され、
社会共産主義者への弾圧へと、政府は政策を見直し、遂行して行った。

これが大筋の事実です。
朝鮮人の暴動から自衛の為に戦ったという事が歴史の真実です。

現在においても
慰安婦問題・高校無償化・教科書への干渉など韓国朝鮮人の抗議・政治的活動・プロパガンダなどは
まったく変わっていない。特に慰安婦問題は日本から金が取れていないので国をあげて運動している。

普通に考えると隣人だったら、どんな時でもに助け合います。
当時は横浜中華街があり中国人も居ましたが、なぜ朝鮮人だけなのでしょう?

現在の在日韓国・朝鮮人の行動を見れば
当時の朝鮮人の様子もはっきりと見えてきます。


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