話題満載 池ちゃんの 『破常識』で行こう!

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算数・数学

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かつて、インドで「0(ゼロ)」の概念が生まれるまで、世の中にはその認識がありませんでした。
私たちの生活にしても、平成元年は「平成1年」だし、21世紀の始まりも2001年。ものの始まりは全て「1」。
子供の年齢も、かつては生まれた時点で「1歳」から数えました。

この「ゼロの概念」だけでも沢山の書物が書かれています。
ゼロは「無」、「無」は「空」。
「無」は「無」であるが、「無という空間」が存在しているのであるから、それ即ち「有」である。
勿論「空」は仏教に通じ、この「ゼロ」というものは、哲学や仏教に絡む奥深いものなのです。

さあ、そんな難しい「ゼロ」の観念を、小さい子供に理解させることは至難の業。
「ゼロとゼロ、『無』と『無』を足す、或いは引く」
それこそ「雲(空)をつかむような話」に他なりません。

ちなみに「0(ゼロ)」は整数、そして偶数です。
ゼロにゼロを足しても引いても掛けても「ゼロ」であり続ける、特殊なゼロ。
ゼロが「無」である限り触れることもままならず、よって長きにわたって確認も認識も出来ずにいた人類。
子供が太刀打ち出来るはずがありません。

<「無」を「有」にする>


さて、それではどうすれば良いのでしょう。
私もさすがに考えました。
「無」をどうすれば認識出来るのだろう。
「無」と「無」を足す。これをどうやって子供に実感させられるのだろうか・・・。

ピカリ! 閃きました。
理屈は簡単。『ゼロ』を『無』から『有』にすれば良い。
「有」なら手で掴めるし、足すことも引くことも実感出来る。
一つ掴めば「1」、二つ掴めば「2」。
「ゼロ」を一つ掴めば「0」、二つ掴んでも「0」。

<ゼロをつかむ>


「卵とヒヨコ」で考えてみましょう。
ゆで卵でも紙に書いた卵でも構いません。ヒヨコの絵と一緒に、実際に手にとって数えてみましょう。

ヒヨコが卵から生まれた(かえった)ら、1匹2匹・・・。
「卵」はまだヒヨコが生まれていないから0匹。
つまり、「卵1個」は、ヒヨコ「ゼロ匹」。

箱の中に卵が3個。
「今ヒヨコは何匹?」
「ゼロ匹。・・・ゼロ匹が3つ」

「2つの卵からヒヨコが生まれたら?」
「1匹が2つとゼロ匹が1つ」


大人の頭では、余計な知識が邪魔をしてしまうでしょう。
でも、この発想が肝心なのです。こうすると良く分かります。

(ヒヨコの絵を2枚持たせて)
「1匹(ヒヨコ)と1匹を足すと、ヒヨコは何匹?」
「2匹」

「2匹から1匹を引くと、ヒヨコは何匹?」
「1匹」

(卵2個を持たせて)
「ゼロ匹(卵)とゼロ匹を足すと、ヒヨコは何匹?」
「ゼロ匹」

「ゼロ匹卵2つからゼロ匹卵1つを引くと、ヒヨコは何匹?」
「ゼロ匹」


「ゼロの観念」は大人でも非常に難しいものです。
まずは子供の手に「ゼロ」を触れさせることによって、ゼロの計算を「視覚的」「触覚的」に感じさせましょう。

えっ、何ですか?
それにしても、何故『卵』なのか?

だって、ほら・・・。

「0」をじっと見ていると・・・段々「卵」に見えて来ませんか?


別のやり方


ブロ友さんから御意見をいただきましたので、もっと分かりやすい方法を考えてみました。

コップと卵を用意します。

卵を入れたコップを「1個」と呼び、空のコップを「0個」と呼ぶ

これでも「0個」を手に取る事ができます。
可愛い可愛いヒヨコの「ぴよ」ちゃんも捨てがたいですが・・・。

※古い記事でも毎日チェックしておりますので、コメントしていただけると嬉しいです。
息抜きに、軽く「確率」のお話と参りましょう。

「必勝法!」とは少々大袈裟ですが、「勝ちやすいじゃんけん」を確率的に考えてみます。

ずっと『パー』?

とある実験データーによると、「グー」が35.0%、「パー」が33.3%、「チョキ」が31.7%という結果だったそうです。(被験者700人以上、1万回以上)
ということは、単純に考えると一番出る確率の高い「グー」に勝つ「パー」を出し続けるのが一番有利ということになりますね。
しかし、ことはそう単純ではありません。

タイマン勝負! まずは『パー』

まず、一対一の勝負を考えてみましょう。
最初に出すのは勿論「パー」ですが、「あいこ」になったらどうするのか。

統計では、同じ手を続けて出す確率は4分の1以下とのこと。
であれば、次に「グー」か「チョキ」の確率は75%以上となります。
「勝つ確率」で考えれば「グー」が出る確率の方が高いので「パー」を出せば良い事になりますね。

計算してみましょう。
「グー」か「チョキ」が出る確率が75%。
「グー」の比率は35.0/(35.0+31.7)=52.4%。
「チョキ」の比率は残りの47.6%。
つまり、次に相手が「グー」を出す確率は、0.75*0.524=39.3%以上。
チョキは同様に35.7%以上、パーは25%以下です。

あいこで『パー』・・・いやちょっと待て!

しかし、負けてしまっては元も子もありません。
勝たないまでも、負ける確率を下げて「あいこ」覚悟で勝負する方法もあります。
確かに「あいこ」の後に「パー」を出せば、39.3%の確率で勝ちますが、「グー」を出せば勝つ確率が下がっても、75%以上という確率で負ける事は無いのです。
整理してみましょう。

<「あいこ」の後にパーを出した場合>
勝つ確率(相手がグー):39.3%
負けない確率(相手がグーかパー):64.3%

<「あいこ」の後にグーを出した場合>
勝つ確率(相手がチョキ):35.7%
負けない確率(相手がグーかチョキ):75%以上

最初のあいこは『グー』を出す

どうでしょう。勝負に行くか、それとも「あいこ覚悟」かでは、出し方が違ってきますね。
ここは「グー」で「負けない確率」を上げ、最後の勝利に辿り着きましょう。
では次に、再び「あいこ」になった場合はどうでしょう。

次のあいこは『チョキ』を出す

「グー」であいこだったので、次は「パー」か「チョキ」が出る確率が75%。
「パー」の比率は33.3/(33.3+31.7)=51.2%。
「チョキ」の比率は残りの48.8%。
結果、次に相手が「パー」を出す確率は、0.75*0.512=38.4%以上。
チョキは同様に36.6%以上、グーは25%以下。

<「グーであいこ」の後にチョキを出した場合>
勝つ確率(相手がパー):38.4%
負けない確率(相手がチョキかパー):75%以上

<「グーであいこ」の後にグーを出した場合>
勝つ確率(相手がチョキ):36.6%
負けない確率(相手がグーかチョキ):60.6%以上

ここは「チョキ」しかありませんね。
では、次も「あいこ」になった場合はどうでしょう。

次のあいこは『パー』を出す

「チョキ」であいこだったので、次は「パー」か「グー」が出る確率が75%。
「パー」の比率は33.3/(33.3+35.0)=48.8%。
「グー」の比率は残りの51.2%。
結果、次に相手が「パー」を出す確率は、0.75*0.488=36.6%以上。
グーは同様に38.4%以上、チョキは25%以下。

<「チョキであいこ」の後にチョキを出した場合>
勝つ確率(相手がパー):36.6%
負けない確率(相手がチョキかパー):61.6%

<「チョキであいこ」の後にパーを出した場合>
勝つ確率(相手がグー):38.4%
負けない確率(相手がグーかパー):75%

ここは「パー」しかありません。
これで一通り、「グー・チョキ・パー」であいこだった時の想定が出来ました。
おや? 何か法則が見えてきましたよ。
では、最初から何を出したか見てみましょう。

「パー」→「グー」→「チョキ」→「パー」・・・


そうです。「パー」で始まり、次からはそれに負ける手を出して行く。これで決まりですね。

最後に、とっておきの必勝法をお教えいたしましょう。

この記事をさりげなく見せて「チョキ」を出す

いかがでしょうか。

※計算ミスがあったらごめんなさい。
勉強の話ではありません。ご安心を(^^)

さて物理と数学ですが、どちらも数式が出て来ますね。
どちらも似たものに思いがちですが、実はこれらは決定的に違う性質を持っています。時には闘いすら起こしてしまうのですよ。
面白い話を一つあげましょう。

片や、物理学者。相対性理論で有名な「アインシュタイン」。
片や、数学者。ロープを使ったポアンカレ予想で有名な「ポアンカレ」。
この二人の学者が互いにこう言い合いました。

物理学者アインシュタイン:
「私は数学をやろうと思っていたけどやめたよ。数学は現実世界との繋がりを持たないから、何が『重要』なのかを教えてくれない」
数学者ポアンカレ:
「私は昔、物理学者になりかったがやめたのさ。物理学は何が『真実』なのかを教えてくれないからね」

さて、一体彼らは何を言っているのでしょう。池ちゃん翻訳機を通してみましょう。

「物理学は実生活の技術に応用されるが、数学なんかクソの役にも立ちやしない」
「数学は不変だが、物理学は新しい理論でひっくり返る。そんなもの誰が信用するか」

おや、この翻訳機は辛口ですねえ(^^)

この二つの一番大きな違いは「検証方法」でしょう。
物理学は机の上での公式が正しいかどうか、実験や観測を繰り返します。
数学は全て机上。計算に計算を重ねて数式が正しいかを検証。全て机の上で完結します。

この相反する性格、人間性・性質にも言えます。少々乱暴ではありますが、タイプを二つに分けてみましょう(^^)

あるところまで計算が済むと、
「さあ、あとはやってみよう。やってみなけりゃ分からない」
「いや、最後まで計算してみないと分からない」

私がよくこのケースに出会うのは「引っ越し・模様替え」です。
粗方計算し、あとは実際に並べながら考える人がいますが、私は部屋の寸法、家具の寸法を測り、全て収まるかどうかを計算します。
物を作るときもそうで、作りながら考える事はせず、計算上で完璧に仕上げます。
時には、計算が終了した段階で出来上がった気になる事もしばしばですが(笑)

今まで記事に何度か書きましたが、
「辻褄が合わないなら、合うように過去の数式を作り直してしまえ」
これは物理学に何度か登場する逸話です。
しかし、何故それが通用するのかと言えば、作り直された数式が公理では無かったという事であり、これは数学の世界ではあり得ません。

だから面白いとも言えるし、面白くないとも言えるのです。
アインシュタインが量子論を「神はサイ(サイコロ)を振らない」と言ったのもそうでしょう。
しかし、アインシュタインは最後に量子論を認めざるを得ませんでしたし、今「光速を超えるニュートリノ」の問題で相対論自体が見直されるかもしれません。
時代の技術によって揺り動かされる学問、それが物理学なのです。

私はどちらの「派」かと言えば、完全に「数学派」です。
とにかく計算が大好き、と言うより計算してしまう質。パズル好きに多いのかもしれません。

ただし、これは「恋の駆け引き」には応用出来ないようです。
「ああ言ったらこう言われて」と、いくら計算しても答えが出ない。
いっそ「さあ、とりあえず告白してみよう。言ってみなけりゃ分からない」と思えたらどれだけ楽なことか・・・。
ところがそうは行かないのですよね。特に思春期には難しいものででありました(^^)

注)私は無類の物理学ファンです。

イメージ 1

「私は正直者だ」「私は嘘つきだ」
いくらこう言おうと、自分が真実者であることも嘘つきであることも、自ら証明する事が出来ない。これが前回の結論でした。
そして、この「自己言及パラドックス」が、数学においても発生することがゲーデルによって『数学的に』証明されたのです。

・第1不完全性原理
 パーフェクトに見える数学理論の中にも、真とも偽とも決められない命題や、証明・反証が行えない命題が含まれている。
・第2不完全性定理  
数学理論において“証明・反証が不能な命題が含まれる”ということは、真とも偽とも言えない不明な領域が存在するという事であり、「自らの理論体系は完璧に正しい」と証明することなど不可能である。
 
どうです? もうあなたもこの原理を読んで、粗方の事を理解出来るのではないでしょうか。
しかし、これで話は終わりません。

この世の中で、最も『完全である』と思われていた「数学の理論」が完全ではなかった

となると、一体何が起こるのでしょう。
そうなのです。この不完全性定理は、数学の世界のみならず、理論体系の全てに適用出来てしまうのです。
つまりこの世の中の全ての論理に完全なものなど一つも無い、ということが『数学的に証明されてしまった』ということなのです。

これは「ゲーデルショック」と呼ばれ、世界中の様々な分野に波紋を広げました。
それまでは、哲学者や科学者や法律家に至るまで、「論理的に突き詰めれば全ての真偽の判定が出来る。最終的には真理にまで辿り着ける」と信じていたのです。
そしてそれが根底から覆されたのですから、どれほどその衝撃が大きいものであったか、想像に難くありません。
「我々が、我々の頭脳によって作り出した理論体系。それによって真理に到達する、解き明かされる事など決して無い」
これは当たり前のようで、実は人間が謙虚でいなければ忘れてしまう、とても難しいものなのでしょう。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

「あ〜あ。私って、嘘が付けない女なのよねぇ・・・」
とテーブルに頬杖付いて溜息をつく彼女。
その言葉が真か嘘なのかは、特別なレクチャーなど無くても、みんなが知っている事なのでしょうね、きっと。
イメージ 1 イメージ 2

クルト・ゲーデル。
1940年にナチスから逃れてオーストリアからアメリカに亡命し、アインシュタインとも交流のあった天才物理・数学者です。
そして、このゲーデルの不完全性定理とは次のようなものでした。

・第1不完全性原理
 自然数論を含む帰納的に記述できる公理系が、ω無矛盾であれば、証明も反証もできない命題が存在する。 
・第2不完全性定理  
自然数論を含む帰納的に記述できる公理系が、無矛盾であれば、自身の無矛盾性を証明できない。

非常に解りにくいですね、少し簡単にしてみましょう。

・第1不完全性原理
 無矛盾(矛盾の無い)理論体系の中には、肯定も否定も出来ない証明不可能な命題が必ず存在する。 
・第2不完全性定理  
理論体系に矛盾が無くても、その事をその理論体系の中で自ら証明する事が出来ない。

大分解りやすくなりました。では、ポイントを整理してみます。

肯定も否定も出来ない証明不可能な命題が存在する
矛盾が無い事を自ら証明する事が出来ない

この二つを具体的に説明しようとした時に、私はある有名なクイズを思い出しました。「正直村と嘘つき村」です。
少しクイズの内容からは外れますが、この設定で話を進めてみましょう。

あなたは村人です。
そこに旅人がやって来て、「ここは正直村ですか?」とあなたに訊いたとします。
もし正直村なら、あなたは正直者ですから「はい」と返事をするでしょう。
しかし、嘘つき村だとしても、貴方は嘘付きなので「はい」と応えます。
つまり、旅人が「正直村か?」と訊いた時点で、その村が正直村であろうと無かろうと、あなたの答えは「はい」に決まってしまうのです。
逆に「嘘つき村ですか?」と訊かれたらどうでしょう。
正直村なら「いいえ」と答えますし、嘘つき村であってもやはり「いいえ」となります。

つまり、村人は自分の住む村が「正直村・嘘つき村」であることを肯定も否定も出来ないし、それを証明することも不可能なのです。
そして、それを自ら証明する事が出来ません。


少し切り口を変えてみましょう。
旅人が「あなたは嘘つきですか?」と訊いてきました。あなたは自分が正直者、或いは嘘つきであることを伝えられますか?

まず、自分を「嘘つきです」と応えた場合を考えてみます。
もしあなたが嘘つきなら、「嘘つきです」と真実を語るのはおかしい。
もしあなたが正直者なら、「嘘つきです」と嘘を言うはずがない。
つまり、どちらにしても成り立たず、「嘘つきです」という回答はありえないという事になります。

では、「正直者です」と応えた場合はどうでしょう。
もしあなたが嘘つきなら、「正直者です」と嘘を言うのは当然。
もしあなたが正直者なら、「正直者です」と真実を語るのは当然。
つまり、どちらにしても成り立ってしまい、あなたの「正直者です」という応えでは、どちらなのか相手に伝える事が出来ないのです。

この様に、「正直村・嘘つき村」「正直者・嘘つき」は肯定も否定も出来ず、自らそれを証明する事も出来ません。
これは「自己言及のパラドックス」と呼ばれ、自分自身を言及しようとしても真偽を明らかに出来ない“パラドックス”として知られています。

肯定も否定も出来ない証明不可能な命題
矛盾が無い事を自ら証明する事が出来ない

自分とそっくりのクローン人間が現れ、「私こそ本物だ。早くこのクローンを捕まえて!」とあなたを指差して追っ手に向かって叫んだとしたら、あなたは一体どうやって自分が本物であることを証明するのでしょう。
考えると恐ろしいことです。

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