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何気なく横になっていると、天井や柱の節目が人の顔に見えて来たりしますね。
これは「シミュラクラ現象」と呼ばれるもので、人間が自然界に生き残るために与えられた能力の一つ。
「3つの点を見たら顔に見えるように」
そうプログラムされているだけなのです。下の図など、キョトンとした顔に見えてしまいますよね。
人や動物は、目と口が逆三角形に配置されていますので、その配置の三つの点を見た瞬間に脳が「顔」と認識し、即座にその目に神経が集中します。
そして、外敵・猛獣なのか、それとも味方なのかを瞬時に判断して身を守るのです。
ところで、皆さんはこんな記号をよく見ますよね?
「^-^」「 ̄∩ ̄」「T_T」「⌒∇⌒」これは、ネット社会でよく使われる「喜怒哀楽」の表現です。
御存知の通り、これらの一つ一つはただの記号でしかありませんが、単なる「点」を「記号」に置き換える事で、「顔」から「感情」にまで認識を進化させてしまいました。現代人は巧みです。
さて、この「シミュラクラ現象」とは少し違いますが、実は私の家には、ひっそりと「牛」と「ワニ」が生息していたのです。
・・・牛・・・
よく見てみると
牛です。
あともう一匹。
・・・ワニ・・・
横から見ると
可愛いワニです。
おあとがよろしいようで・・・。
参考まで。
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錯覚・パズル・トリック
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前回、「美しさ」について書きましたが、今回紹介するのは、私が思う「最も美しい知恵の輪」です。
とにかく美しい。脳がビリビリと痺れてしまいます。
「知恵の輪」というと、御存知の通り「外す、戻す」絡繰りを探すパズル的要素を楽しむもの。
ところが、この知恵の輪は単なるパズルに留まりません。「外れた、戻った」などという結果などどうでも良く、そのプロセスが凄まじいのです。
まずは、その形をご覧下さい。
これは「馬蹄」と呼ばれる中級の知恵の輪なのですが、ひょうたん型の両端の膨らみが、中央に入れられた輪より大きいために外すことが出来ません。一見すると外すことなど不可能です。
外し方は、真ん中を畳み、このように輪を膨らみに向かって引き下ろします。
この絡繰りだけでも感動的なのですが、問題は「結果」ではありません。
初めに折り畳んだ時、脳内の形状認識は「狭められた中央に入れられた輪」です。
ところが、わずか10センチほど動かしただけで、形状認識が「U字にぶら下げた輪」に変貌します。私はいくら思考を繰り返しても、この二つの形状が繋がりません。
こんなに刺激的な知恵の輪が他にあるでしょうか。
では、この「全く認識が繋がらない二つの形状」が、今まさに切り替わろうとする瞬間に、脳はどのような認識をするのだろう。
それがこれです!
輪の左に目を向けると最初の形状に、右に目を向けると外れた形状に。
この状態はどちらでもなく、またどちらでもある形状認識。
脳内は必死に認識しようとグルグル計算を繰り替えし、しかし計算出来ずにパニックを起こします。
この脳のビリビリ状態こそ「美しい」と感じる源。
私はいつもこの状態で四方八方から眺めては、認識出来ずに楽しんでいます。
「美しい」と感嘆しながら・・・。
「この感動を誰かと分かち合いたい」
そう思って、今まで様々な人にこの知恵の輪を紹介しました。
しかし、いつも反応は「外せたよ」で終わってしまいます。
果たして、このビリビリ感を理解してくれる人は私の前に現れるのでしょうか。
無理か・・・。
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その昔、「芸術は爆発だ!」と叫んだ人がいた。そう、かの有名な芸術家「故・岡本太郎」氏である。
生前、氏はこうも語った。
「『綺麗』と『美しい』は反対のことだ!」
当時、私はこの言葉に深い感銘を覚えた。
ともすると、ひねくれた「言葉遊び」に聞こえそうだがそうではない。要は、心がどのような動きをするか、その本質を言い表しているのだ。
「綺麗」には感動などいらない。「綺麗」であれば綺麗である。
しかし、「美しい」は違う。心が揺さぶられ、脳がビリビリと痺れる。
驚き、衝撃を受け、一目見た途端に心を持って行かれてしまう。それが「美しい」だ。
では、具体的に考えてみよう。
あなたは、次のように言われたらどう考えるか。
料理を「綺麗に盛りつけてね」「美しく盛りつけてね」。
積み木を「綺麗に並べてね」「美しく並べてね」。
どうだろう。
『綺麗に』は、「整っている」「均一に」といった『形』を、そして『美しく』は、人を感動させるような『心』を意識し、違う仕上がりにするのではないだろうか。
場合によっては「美しく」するために、「整っている」とは相反する事も行うことだろう。
美しさには『何だこれは』という驚きや衝撃が必要だ。
己の予想の範疇を超え、脳の中で様々な物が音を立てて崩壊し、『認識』が破壊される。それが美しさである。
かつて、研ナオコが「21世紀の美女」と言われたが、あながち冗談とは言えぬのかもしれない。
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今まで書きたくても書けずに封印していたマジックの記事。しかし、いよいよその封印を解く時がやって来ました。 今回は「BGM・テーマ曲」。演出には欠くことの出来ない重要なツールです。 私が小学生の頃に活躍していたマジシャンと言えば「初代・引田天功」でした。 大道具を使った脱出トリック、そして催眠術。 当時からマジックに没頭し、将来マジシャンになる夢を見ていた私にとって、この手のものは決して好みとは言えません。大仕掛けものが一世を風靡していたのは確かですが、私は今で言うクローズアップ・マジック(テーブル・マジック)が好きだったのです。 また、ステージで繰り広げられる華やかな「マジックショー」も花盛りでした。そんな時に流れていた印象的な曲と言えばこれでしょう。 かつて日本で「手品・マジック」と言えば、ステージで道具を使ったものでした。 そして、そのBGMと言えば誰でも思い浮かべるのがこの「オリーブの首飾り」。 どうやら最初に「松旭斎すみえ」がステージでこの曲を使い、それから「手品」と言えばこの曲と、イメージが浸透したようです。 50代以上の方ならピンとくるでしょう。 そしていよいよクローズアップ・マジックです。 「ユリ・ゲラー」のスプーン曲げから日本でも脚光を浴びた「クローズアップ・マジック」。その先駆者と言えば、大ブームを巻き起こした、言わずと知れたあの「ミスター・マリック」。 この「アート・オブ・ノイズ」の曲で華々しく登場し、並はずれたテクニックを披露、一世を風靡しました。 「マリック」という名前は「マジック」と「トリック」の合成。そこからも「上等なマジック」であることが伺い知れるのですが、ある時「トリックだ」「本物だ」と客席が揉めだしてしまい、困ったマリックがとっさに「これは『ハンドパワー』です」と言って場内をおさめたとか。そこから、あの「ハンドパワー」という言葉が生まれたそうです。
当時、このテのものを徹底的に批判していた上岡龍太郎も、初めは冷たく横目で見ていたものの、マリックの「ハンドパワーです」の一言に納得。マリックの実力を認めて握手を交わしました。それほど、このマリックのステージがエンターテイメントとして卓越していたという証なのです。 |
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1974年、「世紀の念力男ユリ・ゲラー」が放送され、日本中に大ブームを起こしました。 当時の私は中学生。番組でユリ・ゲラーが「あなたの家にある、動かなくなった時計を動かす」と言うので、素直に準備をしてテレビの前に座っていたものです。 この番組は生放送でしたので、念力を送り始めた途端に「動いた」という電話がジャンジャン鳴って、それはもう大変な騒動でした。 さて、これは本当に超能力なのでしょうか。 では、前回の「予知夢」同様、早速「壊れた時計が動く確率」を計算してみましょう。 まず、対象となる時計の数ですが、当時テレビのある家が2500万軒。 この番組の視聴率が30%でしたから、見ていた家は約750万軒。 その中で、時計を準備したのがその内の5%だとすると、37万5千個となります。 次に、動いた時計の数を計算してみましょう。 「動いた」とテレビ局にかけられた電話が約100件でしたから、動いた家の5%が電話をかけたとすると、実際に動いたのは2000軒となります。 この二つの数字をまとめてみましょう。 準備した数が37万5千個に対し、動いた数が2000個。つまり、0.5%、187個に1個の時計が動いた計算になります。 最後に「動かなくなった時計」の状態です。 当時は「ねじ式の時計」が殆どでしたので、古くなってくると汚れや油が固って動かなくなる事が多く、そんな時は握って温めたり振動を与えると、また動き出す事もしばしばでした。 もうお分かりですね? そんな時計が引っ張り出され、強く握られたり揺すられたりしたらどうなるか。握らなくても、久しぶりに温かい茶の間に運ばれて動かされたらどうなるか。 確率的に考えなくても、187個の内1個くらい動いて当然なのです。 それどころか、当時の記憶を遡ると、友達の誰に訊いても放送を見た家は時計を出していましたし、その数も1個どころではありませんでした。つまり、ユリ・ゲラーではなく誰がやったとしても、同じ結果が得られるという事なのです。 世の中には、確かに彼を「いかさま師」と呼ぶ人もいます。しかし、私はそうは思いません。最高のパフォーマーだと思っています。 インチキだと言う人は、大抵マジックを「タネがあるからくだらない」と言う種類の人。物事を楽しむことが出来ない可哀想な人なのですよ。 実は、「超魔術」で一世を風靡したミスター・マリックも、彼のハフォーマンスを参考にしたと言っています。
誰も傷つけず、不安を煽らず、不利益を与えずに夢を見させる。その摩訶不思議な空間に誘う手法は、最高の芸術とも言えるでしょう。 もっとも、力任せに子供にスプーンを曲げられた家は「不利益を被った」と言えるのかもしれませんが・・・。 |




