震災地「仙台」より
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今回の地震や津波は、とんでもない数の犠牲者となった。 合わせて19,488人。 阪神淡路大震災が6,434人だから、その3倍強。あまりに多すぎてピンと来ないだろうか。 例えば小学校の教室で考えると、1クラスの平均生徒数は25.5人で764クラス。 1つの教室の長さは大体8〜9m。8mで計算すると、764教室で6.1km。 つまり、6.1km続く教室の生徒の数と同じなのだから、いかに大きな数であるかが分かる。 こうなると、避難所にいる人はみな、犠牲者に関わりを持つと言っても良い。 極度のストレスと、行き場のない絶望的な悲しみが感情を歪めてしまう。 必死に悲しみに耐えて平静を保とうとしている時に、悲しみを隠せずにいる人を見ると苛立ちが募る。 「自分は子供を亡くしたのだ。あの家が亡くしたのは年寄りじゃないか」 「まだ二人も子供が残っているじゃないか。私は三人とも失ったんだ」 「犬や猫なんかどうだっていいだろう。みんな家族を失っているんだ」 集団には必ず仕切る人が現れ、その言動が鼻につく。 みんな同じに見えても格差が生まれている。 「あの人は資産家だ。お金持ちなんだよ」 「あの家の勤めは親方日の丸。潰れもしないし、何の心配も無いはずだ」 「あの人は年金に恩給も貰っている。こうしていても毎月通帳にたくさん年金が振り込まれているんだよ」。 「助けた・助けない」でも軋轢が生まれる。 「自分だけ逃げて生き延びた」 これがどれだけ悲惨な状況を生んでいることか。 状況によって様々だ。自分の身一つで逃げたからこそ生きながらえたのだ。実際に誰かを助けようとして亡くなった方も多い。 しかし、もし隣人が津波に気付いて助かり、気付かなかった奥さんが亡くなったとしたらどうか。 「一声だけでいい。何故隣にいる家内に知らせてから逃げてくれなかったのか!」 そうも言いたくなるだろう。 生き延びた方も最悪だ。 「自分は家族と一緒に死ぬべきだった」 一人だけ生き残った事を悔いる。これは年齢が高くなるほど多くなる。 「助けようと思えば助けられたのではないか」 これは一生心に抱えて離れないだろう。 避難所から仮設住宅に移り、ほとんどが一人でいる時間となって孤独死する人も出てくるだろう。 心のケア。阪神淡路のケアも未だに続いている。 国も行政も忘れて欲しくないものだ。 今回の津波は予想が出来なかった。誰もがここまで大きい津波が来るとは思わなかったはずだ。 だから、今度もしまた地震が来たら、すぐに高台に逃げるだろう。 そう思うだろうが、果たして本当にそうだろうか。 もし津波が来る所に自分の家があり、子供がまだ小さかったとしたら・・・。 自分が今いるのは高台まで5分の場所、逃げれば確実に助かる。 家までは車で10分。津波は10分かそこらで来るだろう。助けに行けば自分も死ぬかもしれない。 しかし、年老いた親を連れ出そうと、家族はまだ家にいるのではないか。遊びに行った幼稚園の子供が帰ってくるのを待っているのではないか。 小学校は教訓を生かせず、生徒全員を一斉に避難させるため、生徒を校庭に整列させているのではないか。 もし最悪の予想通りだったら悔やんでも悔やみきれない。 「考えている暇は無い。今ならまだ間に合うかもしれない」 私は間違いなく、巻き込まれるのを覚悟で車を飛ばすだろう。 しかし、家族が全員避難出来ていて、私だけ犠牲になったとしたら。 「何故、わざわざ戻った?!」 悲しまれるだろうな・・・。 今でも、そんなことを考えては出口が見えなくなる夜がある。
あれから8ヶ月、まだ1年も経っていないのだ。 |
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ネットを覗くと、全国での認識の違いに驚かされる。 「地震があった時、まず何をしましたか?」 そんな質問が多いが、地震の最中は「まず」もなにも、立ってさえいられなかった。 家具は飛び、「家が壊れる!」と本気で思った。仕事柄、丈夫に作った筈の家でさえ、柱や壁がしなるのが分かったのだから。 「逃げる」なんて、経験していない人間の発想である。 先日、数ヶ月ぶりに津波で跡形も無くなった被災地の真ん中を車で通った。 瓦礫が大分片づいた被災地と報道されている場所である。 実際は何も変わっていなかった。 それでもこの地域は綺麗になった場所と言える。しかし、車で通れるようになったものの、まだまだ建物も残っているし、手つかずの場所もある。 どこもかしこも一面に残るコンクリートの基礎。信号も建物も無いから、自分のいる場所がどこなのか分からない。 作業員が立って振ってくれている手旗だけが頼り。幹線道路に出る事もままならない。 「瓦礫が片づいた」 こう報道される事により、すっかり綺麗になっていると思われる方もいるだろう。 だが、現状は全く違う。 全て流されてあちこちに広大な空き地が出来た。学校の敷地も含め、そこに瓦礫を集めただけである。 紙をぐしゃぐしゃに丸めたような車の残骸が、山積みとなってどこまでも続く。こっちを見れば建物の残骸。 私はその光景に写真を撮ろうと思ったのだが諦めた。 あまりに広すぎ、とても写真になど入り切るようなものでは無かったからである。 散らかった部屋で例えれば、とりあえず真ん中に通路を確保し、両脇に雑誌の山、ゴミの山、洋服の山と、分別して物を移動しただけのようなもの。イメージするような「片づいた部屋」では決して無い。 物を無くさなければ、布団を敷く事も座る事も出来ない。 つまり、民間の土地を確保することを優先すれば、学校や病院の土地に瓦礫を集めるしか無い。学校の土地を空ければ、今度は住宅や商業地域が瓦礫に埋まってしまう。 形だけ復興しようにも、どちらが欠けても町にはならない。 ネットを覗くと「瓦礫を引き受けてくれる所なんか、あるわけないやん・・・」といったものや、もっと心無い書き込みが沢山ある。 まるで対岸の火事ばかりにせせら笑っているようだ。(多くの方から応援をいただいています。これはネットの書き込みでのことです) 東京で一部引き受けてくれるそうだが、それに関しても反発の書き込みがある。 「こっちも被災者。甘えるな!」 ネット世界の言葉をまともに受けるつもりは無いが、やはりそのように思う人も確かにいるのだ。 あれから8ヶ月が経ち、コンビニがポツリとプレハブで営業を行っていた。 トイレは勿論仮設ではあるが、沢山の作業員が働く為の大切な1軒だ。周りにはトイレも食べ物や飲み物も無いのだから。 しかし、このペースで行くと、復興など気の遠くなるほど先の話としか思えない。 私は今、休み無しで復旧の仕事に追われているが、まるで自分の歩みがアリの一歩の様に感じてしまう。 先日設計のために調査に行ったのは教育関連施設だ。 人が大量に移動したため、今まで使われていなかった施設を使ってもまだ足りない。 そこで復興までの期間の為に増築を計画したのだが、既存建物の図面も資料も全て流され残っていない。壁や床に埋まっている物を、外から眺めて推察する作業は難航する。とても難しい。 仮設住宅がその団地にも沢山並んでいた。 見るからに断熱などろくにされていないのが分かる。壁や天井が薄い鉄板一枚ではないかと思える程だ。 あれだけの数を短期間に揃えたのだから、いっぱしのプレハブ住宅のように行かないのは仕方のないこと。にしても、これでは本当に夏は灼熱、冬は凍えるだろう。 あくまでも「仮設」なのだ。「新しい部屋に住めていいじゃないか」などという言葉は甚だしい誤解である。 「エアコンがあるじゃないか?」 東北の冬を知らない人にはピンと来ないだろうが、特にこの様な造りでは、エアコンなど暖房にはならない。 その上光熱費は住んでいる人の負担。 仕事を失った人に収入など無いし、使いたくても使えない人が続出するだろう。 増築工事も仮設住宅も「復興するまでの5年10年間」と言うが、とてもそんな短期間で復興できるとは思えない。 これからが被災地の本当の闘いである。 津波で流された場所を過ぎると、今度は地震でやられた場所が見えてくる。家がガタガタだ。 玄関にはボランティアを募る大きな文字があるが、空き家になっている。 本当は助けを借りて家を片付け、家の補修をして住みたかったはずだ。 しかし、なかなか必要なボランティアは集まらない。 家を修理してもらおうにも、頼んでから半年1年待たないと順番が回って来ない。 直せたとしても、周りに買い物できる店も無い。 全国的に、もう震災は報道さえされなくなって来ていると聞く。 もう新しい建物が建ち始め、復興が進んでいると思われても仕方が無いのか。 「もう大丈夫なんだな」 そう思われるのは怖いことである。 追伸。
この記事は、マスコミや一部の心無い人達に対してのことであります。 東西を問わず、多くの方に御支援いただいていることに感謝いたします。 |
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最近のテレビを見ていると、原発一色の報道がなされ、震災・津波の話題が無くなってきています。 かろうじて出てくる映像も「感謝の笑顔」、芸能人・著名人が訪問した時の笑顔・笑顔・笑顔。心臓をえぐられるような悲しみも絶望もそこには無く、全てが終わったかのような印象を与えます。 連日繰り返される、原発についての不毛なコメントの応酬。 「地震? 津波? もう仮設住宅も建ち始めてるし、一段落じゃないの? もういいだろ。今は原発の話題だよ、原発の」 そんな声が聞こえて来そうでなりなせん。 喉元過ぎれば熱さ忘れる日本人の気質。これは、時には良い事もあるでしょう。 しかし、今回の惨事の場合、報道規制・自主規制によって真実の姿が映されず、多くの国民も「数」としては知っていても、実際にどれほど酷いものだったのかは知り得ないのです。 私が現地を目にしたのは大分経ってからのことですが、未だ車は宙づりのまま、一面の全てが消え去っているその姿は、とても言葉には表せないものでした。 シンと静まりかえった地は、つい数ヶ月前に地獄と化した地。息が詰まり、声も出ません。 このままで良いのか。このまま忘れ去られて良いのだろうか。 そう感じた私は、今回「日本では報道されなかった写真」を集めた動画をアップする事にしました。 しかし、実は先日までの私は、このような遺体が写っているものを出す事に異を唱えていたのです。 「写された御遺体の家族がこれを見てどう感じるか、考えたことがあるのか? 全てを見せる事だけが報道では無い」 時が経つにつれ、「支援物資を送ったら突っ返された」「たらい回しにされた」「支援を拒否する酷い対応」と、逆に「善意を拒否する被災地」という空気が流れ始めています。 「もう物資なんか送らない。支援などするだけ不愉快だ」 こう思う人も出てくるに違いありません。 動画を見れば分かります。 倉庫に積まれた支援物資。この混乱と人手不足の中で、どれだけのことが出来るでしょう。 不眠不休で忙殺されながら、どこまで心穏やかに人と応対出来ますか? 「置き場所がないと言われた」・・・では、場所を確保するのを手伝ってください。 「仕分け出来ない」・・・なら、誰か仕分けを手伝ってください。 「運べない」・・・すぐに車と運搬する人を派遣してください。 役所まで流されてた被災地に降り立ち、 「あなた達は、何も心配せずに被災した人達のケアに専念してください。物資の仕分けや運搬などの作業は我々国が行います」 日本はそういう国ではなかったのでしょうか? 「被災者のエゴ・我が儘」 そう映るのは、真実を知らされないから。それが全てです。 見たくない人は見ない方がいい。確かにそうでしょう。 私も現地を見て、「見ない方がいいかもしれない」そう思いました。 しかし、この動画に書き込まれた非難のコメントを読むにつれ、釈然としない心が沸き上がったのです。 この動画を、子供やお年寄りに見せる必要はありません。体や心の弱い方もそうです。 でも、もしあなたが強い心を持った大人であれば、しっかりと見て欲しい。 そして、一生心に背負って行く子供や大人達を少しでも理解してもらえたら・・・。そう願います。 中村由利子さんが、復興へ向けて曲を書いていますので、最後にその曲を御紹介いたします。 心が静まる、癒される。色々と感じられるでしょうが、私はどちらでもない涙が溢れて来ます。 |
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「大変だ!」 って、何が大変か。 仕事がない。いや、今日は私のことではなく、別の話題。 昨日、妹のアパートで大学4年の甥と話をしていたのですが、いやはや大変な状況です。 昨年は「地元での就職は無理。東京に行くしか無い」と言っていたのですが、それが全く無いのだそうです。東京からの求人も完全に止まっている。 母子家庭と弟の障害という事情から「自宅通学」を余儀なくされ、県外の国立大進学を蹴った甥。 百歩譲って「東京でも仕方ない」と覚悟を決めたものの、西日本では時々帰ってくるにも金がかかりすぎる。 体の悪い母親と弟の人生まで背負う運命。サポートするこちらとしても、やはりこの地に残って欲しい。 どうすべきか、頭が痛い。 友人からのメール。 「ハローワークへ行ってきた。これまでも大行列だったが、今はもう足の踏み場も無い状態だ」 どうなる東北。 これまでが「椅子取りゲーム」であったとすれば、今はもう椅子のない状態。中途採用も無ければ新規採用も無い。頼みの東京も駄目。 どうする? どうなる東北! 先日、区役所へ書類をもらいに行ってきたが、罹災証明の申請の人でこちらもごった返していた。 数々の証明や申請の行列。いつもの「転入・転出」の混雑とは明らかに違う様相。 恐ろしい。
保険・年金・税金の振り込み用紙だけが積み上がって行く。 |




