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先日放送された、アニメ映画「時をかける少女」を観ました。
原作はご存知、筒井康隆氏の小説ですが、この話は小説のアニメ化ではなく、その20年後を描いたものとなっています。
原作の主人公「芳山和子」はアニメの主人公「真琴」の親戚「魔女おばさん」として登場し、名前も芳山和子そのままに、自分もタイムリープ(時間跳躍)を経験したと打ち明けていますから、かつて小説やNHKドラマ「タイム・トラベラー」を見た人にとっては懐かしい限り。和子がその当時の話をしている背景で、その仲間だった深町と朝倉と3人で撮った写真がアップになって行くシーンはもう涙物です。
ストーリーは青春ものらしく、元気に明るく展開して行きます。
始めこそ、特殊能力にはしゃいで自分のために使っていたものの、徐々に他人の為に使うようになります。詳しくは解説サイトをご覧ください。
ところで、原作のラストで(魔女おばさん)和子の記憶が消されてしまったのに、何故アニメでは覚えているのか、整合性がとれていないのではないか、などという突っ込みは野暮と言うもの。この作品は全く別物なのです。
多分、ハッキリと「20年後の話」と明言していないのも、そのあたりの整合性より設定の楽しさを優先させたのではないか、私はそう思っています。
さて、和子が真琴に「あなたは私みたいなタイプじゃないでしょ、待ち合わせに遅れてきた人がいたら走って迎えに行くのがあなたでしょ」と言ったシーン。
和子は「いつか必ず戻って来るって言ってた。待つつもりは無かったけど、こんなに時間が経っちゃった」と穏やかに、そして寂しげにつぶやきます。
運命だと納得しながらも、後悔があるのでしょうね。だから、真琴の背中を押してあげたかった。いや、それ以上に自分の思いを真琴に託したかったのかも知れません。
そして別れのシーン。
「未来で待ってる」「うん、すぐ行く。走っていく」
ここで私の涙腺は崩壊。何て切ない物語なのでしょう。
真琴が未来へ行く事も、未来人「千昭」が再び現代に来られない事も分かっている。もう二人が会う事は二度と無い。
ただ一つ、真琴が言った約束。
千昭が見られなかった絵が未来で消失してしまわぬように、壊れないように、焼けないようにする。
「未来で(絵を)待ってる」
「うん、すぐ行く。走っていく(私の代わりに急いで絵を送り届ける)」
これは、現在絵を修復している魔女おばさん・和子の後を継ぐことを意味するのでしょう。ラストで同級生に「私もさぁ。実はもう、やる事決まったんだ」と高らかに宣言していますからね。
前向きに生きる。全力で生きる。今の時代らしい終わり方だと思います。
余談ですが、もののついでに、当時NHKで放送されたドラマの最終回をユーチューブで観ました。
やはりテンポが遅すぎますね。それと、暗い…。
それより、当時感じていたことがまざまざと蘇ってきました。主人公の少年が老けすぎていたことです。とても中三には見えない。下手すると、いたいけな少女とおじさんの「危ない、いけないラブストーリー」に見えてしまい、私はそれが嫌いでした。
原田知世の映画はラストで台無し。ドラマの衣装を着たまま主題歌を歌い始めるのですから。
とにかく一生懸命で全速力の青春ドラマとしても爽やか。ドラマチックな展開と、前向きながらも切ない結末。
原作者「筒井康隆」氏も評価しているというのも頷けます。もっとも、「突っ込もうと思えばいくらでも突っ込める作品」とも言っていますが、致命的な矛盾では無いですし、そもそも「整合性・矛盾点」を厳密かつ厳格に解決しようと思ったら、「タイムリープ自体が絵空事」の一言で終わってしまうのですからね。楽しめるのが最優先なのです。
このアニメを観て改めて思ったのは、私は「色々と解釈できるもの」「考える事、想像力を掻き立てられるもの」にハマる、ということでした。
自分なりにロジックを組み立て、作り上げることに喜びを感じます。
それが、原作者の意に沿わないものであっても一切お構いなし。最終到達点は「自分が書くんだったら…」、、、ですから。
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