リスト/超絶技巧練習曲 第4番 ニ短調 「マゼッパ」S.139(サール番号)
さて、前回お話ししたとおり、この「マゼッパ」は全部で4つの版が存在します。
その一つ一つを聴き、さらに譜面を見ると、色々なことが見えて来てとても面白いです。
「なるほど、そういう事だったのか!」
本当のところ、その推察が正しいのかは分かりません。しかし、そういう空想の旅こそが、クラシック音楽を楽しむ醍醐味なのです。
まず、「マゼッパ」に入る前に、この曲が収められている「超絶技巧練習曲」について少し触れておきましょう。
(タイトルに「24の〜」「48の〜」と付いていますが、実際は12曲です。これは、リストが24の調性で作品を書こうと思ったものの、全曲完成しなかったため)
1826年、リストが15歳の時に(作品.1)「すべての長短調のための48の練習曲」(実際に収められたのは12曲)という名で初稿を出版しました。(「12の練習曲」)
第2稿が出たのが1837年、26歳の時。タイトルは「24の大練習曲」ですが、これも実際に収められたのは12曲。リストの唯一の師である「カール・ツェルニー」に献呈されました。
そして3年後の1840年、第4曲 「マゼッパ」を改作。
1852年、リスト41歳の時に第3稿が出版され、現在我々が一番耳にするのは、この「第3稿」となっています。
ラ・カンパネラもそうでしたが、難易度で言うと、最終稿「第3稿」より第2稿「24の大練習曲」の方が難易度は高いです。
しかし、これもラ・カンパネラと同様に「演奏効果」が高く、「ピアノの魅力を弾きだした」と言う点では、第3稿の方が優れていると思います。
ちなみに第2稿は「演奏不可能である」と、クラウディオ・アラウや偉大なピアノ教師ゲンリフ・ネイガウスの共通見解のようです。
では、何故そんなに難しい曲を書いたのでしょうか。
まず、ピアノの鍵盤が当時はとても軽くて弾きやすく、細かい音を早く弾く事が容易でした。ですから現代のピアノでは限界を超えている様に見えても、そうでは無かったのです。
その後、1850年代に入るとピアノの構造が現在のものと近くなり、その特性に合わせて改稿して行ったと思われます。勿論、音楽的に洗練させながら。
ではいよいよ「マゼッパ」です。
先ほど書いたように、この曲の第1稿は『12の練習曲』の第4曲。
まだリストが15才の時で、先生であるツェルニーの影響が見られます。
曲の骨子として形づけられたのは第2稿の『24の大練習曲』。フランスの文豪ヴィクトル・ユゴーの叙事詩「マゼッパ」に触発され、第1稿を原曲に作曲しました。
そして2年後、1840年に改作した際に『マゼッパ』と命名し、単独で出版。その後、1851年にこれを「交響詩第6番」として編曲。同年にもう一度ピアノ曲として改作も行い、『超絶技巧練習曲』の1曲にしました。
ちなみに「マゼッパ」とは、叙事詩に登場するひとりの英雄の名前です。
それでは曲に入りますが、この4つの版を比べるにあたり、その導入部を見るだけで面白いです。まずは分かりやすいように、良く聴かれる「最終稿」の譜面を見てみましょう。
曲の導入部ですね。
両手で不穏な和音が12回現れます。それに続いて通称「音のカーテン」と呼ばれる両手でのスケール。非常に劇的ですね。譜面を見ているだけで伝わってきます。
この魅力的で曲の性格まで決定づけてしまう様な導入部ですが、実は初めから付いていたわけではありませんでした。段階を経て付け足されたのです。
たとえば不穏な和音が付いたのは2度目の改稿「マゼッパ」、劇的な「音のカーテン」は最終稿まで出てきません。
しかし、だからこそ色々見えてきてリストの凄さを感じるのですよ。
導入部が終わるとすぐに主題に入ります。
この第3稿「超絶技巧練習曲集」では、高音・中音・低音部の三段譜で書かれていますが、まず低音・高音の和音(下段・上段の譜)でメーマを弾き、即座に両手が中音(中段の譜)にオクターブ移動、しかもこの中段の譜面の全ての音を左右2と4の指だけで弾かなくてはなりません。
鍵盤上を広い範囲で行き来する上に音の強弱も激しいですから、高度な技術が必要となります。
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