話題満載 池ちゃんの 『破常識』で行こう!

アメーバブログに同じブログ名で開設しました。今後はそちらにお越しいただけると嬉しいです。

執筆・趣味

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]

※この本は、ブログ友達である作家、セイラさんが昨年出版されました。
勿論、これは正真正銘本物の書籍です。(「自費出版」ではありません)

緋野晴子著「沙羅と明日香の夏」


あらすじ等はこちらのブログをご覧下さい。
http://blogs.yahoo.co.jp/sailoringalaxy/35129350.html

読んで感じるのが、登場人物の心の内の丁寧な描き方です。
少女達、親、担任の教師。その立場によって感じる思いの違いも見事に綴られ、読む者に共感を覚えさせます。
そこにヒーローは登場しませんが、等身大で描かれる登場人物達に、きっと誰もが自己投影してしまうことでしょう。

また、この物語を通して一貫しているのが「優しさ」です。
優しさゆえに悩み、迷い、傷つき、葛藤が生まれます。
出てくる若者達も、みなどこか変わっているようで普通のようで、愛すべき人間達。
うまく自己を表現出来なかったり、自分だけ周りから取り残されて焦りを覚えたり。
それこそが、ごく当たり前の若者の実像なのではないでしょうか。

「命とは何か」
そんなことを考えながら、「自分という存在」を見つめる時・・・。
いつの間にか通り過ぎていた、この頃の心を思い起こさせてくれます。
若者だけでなく、親となった今だからこそ読んでおきたい爽やかな一冊でした。
ファンさまのデイズにて、以前私が替え歌を載せたことがあります。
今回、それを見た方から「送って欲しい」との御要望がございましたので、いっそのこと記事にしようと思いたちました。

曲はジュリーの「TOKIO」。
これは私が忘年会で演じる定番の替え歌。「トキオ」の部分で私の名前を大合唱してもらいます。
また、すぐに歌詞を覚えられるので、サビ・繰り返しの部分でも合唱を促します。

ちなみに、当然私のオリジナル。忘年会になると、色々な曲を替え歌にしては、同業のお客さんを楽しませています。
それでは、どうぞ・・・。

ジュリー「TOKIO」の替え歌

(前奏部分・・・語り)
皆様こんばんは。
さっそくですが、ここで皆様にお願いがございます。
サビで「トキオ」の所に参りましたら、私の「ハイ」の合図と共に「いけ○」と大合唱をお願いいたします。
それでは、どうぞお楽しみ下さい・・・。


(1番)
毛が抜ける 腹が出る 歩いただけでも捻挫する
腰痛い 膝痛い 腕〜が上がらぬ五十肩

ハイ「い〜け〜○(私の名前)」 いけ○が病院行ったなら
ハイ「い〜け〜○(私の名前)」 全身湿布する

体重もうすぐ 100キロ行くぞと お医者は 言ってたね〜
運動しないと 死にそうだと ジョギング始めて 2分でリタイア〜

ハイ「い〜け〜○(私の名前)」 お茶目で陽気な禿げたデブ
ハイ「い〜け〜○(私の名前)」 今年で51(毎年変わります)

(2番)
糖尿だ 蛋白だ γ−GDPはお友達
血糖値 尿酸値 上がらないのは年収だ

ハイ「い〜け〜○(私の名前)」 いけ○が検査を受けたなら
ハイ「い〜け〜○(私の名前)」 全てが引っかかる〜

酒も煙草も やめぬと死ぬぞと お医者は 言ってたね〜
ダイエットしないと 死にそうだと 3食減らして 夜中にドカ喰い〜

ハイ「い〜け〜○(私の名前)」 お茶目で陽気な禿げたデブ
ハイ「い〜け〜○(私の名前)」 今年で51(毎年変わります)

繰り返し・・・

※内容に合わせて身振り手振りを付けます。

さて、よくあるこの「対象年齢」というのが曲者であります。
クラッシックのレコードを「老後の楽しみに」と聴かずにとっておく人がいますが、果たして吉と出るか凶と出るか。
クラッシック音楽に対象年齢は無いとも思うのですが、ワルターやフルトヴェングラーは良しとしても、トスカニーニのタクトを老後に初めて聴くのはいかがなものか。
そうでなくても耳の老化も進み、可聴周波数の帯域も狭くなる。あのモノラル独特の響きが「聴きづらい」或いは「耳障り」ともなりかねません。
その上あの演奏です。若ければ一緒に血を滾らせ、激しさに身を焦がすことも出来ましょう。ですが、果たして年寄りについて行けるのか?
ひとつ間違えば、血管が切れて本当に火葬場で「身を焦がす」のがオチであります。

住宅の場合の対象年齢、これが難しい。
当然の事ながら、設計時点で予想される将来の家族構成・ライフスタイルがベースとなります。
将来・・・雲を掴む様な話しです。全て予定通りとは行きません。
「バリアフリー」。そこで、この平たい響きが問題となって来ます。
この考え方は人それぞれ全く違い、どこまで突き詰めても答えが出ません。
家族構成も年齢も症状も違うので当然なのですが、何かしらの指針を持たなければ「将来」を見据える事は出来ない。
とりあえず介護が必要になったら1階が生活の場。これを基本に考えるのが良いでしょう。

音楽の場合ですが、段々心拍数も脳が動くスピードも鈍くなって行きます。若い時に「ちょっと遅めかな」と思った演奏も丁度良くなってくるかもしれません。
先だって聴いた「チェリビダッケ」も痛く感動しましたが、10代の血がたぎる頃に聴いたなら「遅い」と感じていただろうな、そんな気がするのです。

「音楽と小説と建築」。
これらにはとても共通項が多い様に思います。
これだけに限らず「全ての分野」に言える事ではありますが、何事にも「ひらめき・発想」が重要であり、またそれを具現化する技術がなければなりません。
これを持たぬ者は「素人」であり、目映いばかりのアイディアも単なる「絵に描いた餅」、或いは何の進歩もない旧態依然の化石となるのです。

日々の仕事に追われ、技術の向上すらままならぬ状況だとしても、ひらめき・発想に磨きを掛ける努力は忘れてはなりません。
これを怠ると、それこそ柔軟性に乏しい「素人以下の玄人」となってしまうのです。

音楽と小説と建築−2

今回も前回同様、色々と絡めながら無計画に話を展開してみましょう。

世の中どんな仕事であれ、最終的には全てお客様、依頼者の為であります。
受け入れられなければお蔵入りとなり、「何故この世界が分からんのだ」と息巻こうが、客が呼べなければその譜面も図面も埋もれるだけなのです。商品なら売れずに残ってデッドストック化するのみ。

誰のために物・作品を作るのか・・・。
本を書く場合、特定の人間に献呈する場合もありますが、大抵はジャンルを絞るにせよ不特定多数の人間を対象にします。
よって、ブランド名が羅列されるだけの無内容であろうが、ただ情けない男女をナイーブと言い換えて現実逃避を崇高化していようが、無駄な言葉が多すぎて枕にしかならない分厚い冗漫・冗長な大作であろうが、好きなファンがいて売れればそれでよいのです。

音楽の場合はどうでしょう。
教会や貴族のお抱えだった頃は、勿論教会での演奏やパトロンの為に書きました。
貴族の前での演奏は別として、オペラやオペレッタとなると、今度は大衆がターゲットとなります。
建築で考えるとこれは商業施設でしょうか。
客が入らなければ失敗。数字に表れる分、かえって潔いと言えます。
一方、公共施設は「役人受け」であったり「自己顕示」である場合もあり、大衆がターゲットとは言い難いです。
例え賞を獲ったとしても審査員はプロ(身内)集団。一般投票でもあるのなら話しは別ですが、そういう種類のものではありません。
この世界、音楽で連想するのは、シェーンベルグの「無調音楽」であるとか、一時期流行った「偶然性の音楽」。
「素人は分からなくても宜しい」とでも言いたげで、どこか胡散臭さを感じてしまいます。

突然ですが「ドストエフスキー」。これ、対象年齢は青少年でありましょうか?
あまりにも多い登場人物。少しずつ読み進めて行くならば、相関図を書いてそれを見ながら読まければ頭が混乱してしまいます。
もし記憶力が乏しくなった今読むとすれば、1週間も空ければ誰が誰なのか分からなくなるでしょう。
個々の人物像が書き分けられていないのも原因の一つではありますが、そこは翻訳本の悲しさ。異言語のニュアンスまで期待するのは無理な話しであります。
原語で読めば良い? そんな事は重々承知之助。残念ながら日本語しか読めぬのである。
その日本語とて、大正まで遡るととても辛い。昭和初期でさえ、微妙なニュアンスや、時代背景、当時の流行から来る行間まで読み取る自信など無い。

話が逸れましたが、この「対象年齢」というのが曲者であります。
次回はそのあたりを探ってみましょう。

よく物事を様々な形で関連づける論法がありますが、実は私もそれが好きで色々と関連づけて発想します。
例えば、推理小説を書く時には音楽で言う「ソナタ形式」に則ってみます。
まず「序奏」で事件が起こり「提示部」で物語の骨子を語りながら捜査を進め、「展開部」では事件が予想もしない展開をして行き詰まってしまいます。
「再現部」で捜査は振り出しに戻り、もう一度初めからやり直すととんでもない思い違いに気付き、「コーダ」の結末へと突き進む。

何気ない日常を描く場合には、3つのエピソードを交互に並べた「ロンド形式」がスッキリしていいですね。
Aに食卓の風景、Bに再会した昔の恋人、Cにちょっとした事件を描いて「ABACABA」と並べ、最後の「A」で「やはり家が一番」とハッピーエンド。
これが嫌ならAに孤独な老人、Bに粗暴な若者との同居、Cに事件を描いて繰り返される「A」の性格を、順に「平穏」「苛立ち」「画策」「空虚・絶望」と位置づけると、あれ? これではルキノ・ヴィスコンティの「家族の肖像」ではありませんか。

同じ音列の通奏低音(ベース)が繰り返され、その上に乗って音楽が展開される「シャコンヌ」や「パッサカリア」であれば、日常の変わらない描写がベースとして流れ、その上にストーリーを展開させる「スーパーマン」や「寅さん」の様なものがしっくり来ます。
最後に寂しいコーダを付ければ、小津安二郎の世界も描けそうです。

「建築」を絡めてみましょう。
何の変哲もない形、独創的・奇抜な形でも、シンメトリー(左右対称)にしてみると何となくまとまり、落ち着いてしまうから面白いです。いわゆる「形式美・様式美」というやつですね。これを見ていると反射的にバロック音楽が頭に流れますが、これも形式美だからなのでしょうか。
横長のシンメトリー、例えばヴェルサイユ宮殿の真ん中に近づいて行くと、両手を拡げた胸の中にスッポリと包まれるような感じを受けます。
そう、人体の外見も基本的にはシンメトリー。拡げられたものが腕であれば乳房への羨望、脚ならば母胎回帰? ちょっとこれは飛躍し過ぎでしょうかね。

部屋の間取りを考える時、狭小であればある程頭を悩ませます。
動線や建物の収まりを考える。妥協を排除するに比例して悩みは膨らみます。
何かを変えれば他に影響を及ぼし1からやり直し。
つじつまを合わせたつもりでいると、最後の一こまが収まらない。これをやっていて感じるのは、「フーガ」と付き合う時の頭の痛さ。
聞いているだけで、その美しい旋律の裏に完成された計算に頭痛を起こします。ましてや自分でそれを書こうとすれば、3声どころか2声ですら行き詰まる。
多重フーガで同じメロディーを次々重ね、引き立てるどころか魅力を増幅させ、整然とまとめて行きます。良い旋律が浮かんだからと言ってチャレンジ出来るほど甘くはありません。
それは辻褄を合わせながら書けば確かに書けますが、最優先はやはり「美しい旋律」。
流れを犠牲にしてまで「収まり優先」では順序が逆。その旋律を生かしてどう収めるか、それが重要なのです。
しかし、そうは言っても収めるのが不可能な流れでは形式からは外れてしまう。
「無形式」にするのか、その他の形式にするのか。或いは別の曲の中で使う為に温めておくか・・・。
むむむ。音楽? 設計? どっちの話だったっけ・・・。

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]


.
池ちゃん
池ちゃん
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

過去の記事一覧

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!
話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事