十日町市地域おこし実行委員会

ブログ移転しました。新ブログはこちら⇒http://ameblo.jp/iketaniiriyama/

ボランティアの視点から

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全16ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

新潟で地震のあった日(3月12日)
 
池谷では12日の早朝4時に震度6弱の大きな揺れがありました。今回は、このときの池谷の様子を、分校を中心にしながら紹介していきます。(ちょっと長くなってしまいましたが、多くの方が池谷のことを心配してくださっていたので、細かく記録しておきたいと思います。)
 
 
イメージ 1
「地震によりひびの入った雪の壁(分校へと上る坂)」
 
 
<1、地震の発生直後>
前日にも池谷では少し大きめの地震がありましたが、ほとんど被害もなく、いつもと同じように分校の2階で寝ていました。
するとドーンと突然大きな揺れに襲われ、私はバッと目覚めました。目覚めたと同時に、これはもしかしたら外に非難しなくてはいけないかもしれないかと思い、急いで洋服を着替え1階に降りていきました。
1階にいたS下さんも地震で目覚めたようで、部屋から出てきました。強い揺れは治まり、ざっと見た限りでは分校に被害がなかったため、二人で保健室で暖を取っていました。(また揺れる可能性もあったので、ストーブをつけずに布団に包まっていたため、けっこう寒かったです。)
 
<2、突然の電話>
二人で顔見て少し落ち着いたので、自分たちの状況の報告と、すべきことを把握するために、同じ集落に住んでいるT田さんに連絡することにしました。しかし、携帯でいくら連絡を取ろうとしても、携帯は使えない状態でした。
と、そのとき分校の電話が鳴り響きました。急いででると長岡に出かけていたM山さんが心配して分校に電話をしてくれたものでした。そこでお互いの安全を確認し、さらに分校にいる私たちは何をすべきかを聞きました。すると、「集落長さんに連絡してみて下さい」ということだったので、電話を切ったあとすぐに集落長さんに電話をしました。
集落長さんに電話をかけているのですが、なかなか出ません。何かあったのではと心配していると、電話から声が聞こえてきました。集落長さんによると、集落の人も地震で飛び起き、今家から出てみんなで集まっていて、そのため電話に出るのが遅れたようでした。そして集落は全員無事ということでした。(私が電話しているころS下さんのもとへJENからも電話があり、JENの緊急時の対応の早さにとても驚きました。)
 
<3、次の余震に備えて>
分校にいる私とS下さんは、「そのまま分校で待機していて下さい」と集落長さんに教えられていたので、保健室で待機することにしました。いつでも逃げられるように、玄関も部屋の扉も開け、ストーブをつけていなかったので、とてもとても寒かったのを覚えています。
このとき、私たち二人はさらなる地震に備えての準備をしていました。S下さんは携帯とパソコンを使い、今の地震の規模や避難情報を調べていました。私は、懐中電灯や非常食、暖かい洋服などを集め、袋につめていました。
準備も終わり、二人で保健室で座っていると、外からサイレンのようなもの(アナウンス)がかすかに聞こえて来ました。急いで外へ出て耳をすませてみますが、遠くから発せられているものらしく、何重にも音が重なり合っていて、よく聞き取れません。真っ暗の中、聞き取れないサイレンの音が鳴り響いてる光景は、かなり不気味なものでした。しかし、その後は朝まで強い揺れもなく、無事に過ごすことができました。
 
<4,地震で気づいたこと>
しばらく時間が経って朝になったころ、車に乗ってWなべさんが分校まで様子を見に来てくださいました。さらに、池谷に住むS下さんのもとへは、安否を心配したメールや電話がどんどん来ていました。池谷に関わっている方々は本当に優しい方たちだなと思い、またそうした方々に囲まれている池谷は本当にいいところだなと改めて実感しました。

「集落の宝物」

イメージ 1
昨日紹介した「ナポリタン」です。
 
 

 

「集落の宝物」

325日に2年間分校に滞在していたM山さんが、奥さんと一緒に茨城へと旅立って行きました。私はM山さんには、池谷の分校に滞在している1か月の間、ずっとお世話になりました。M山さんはいつも分校で生活している私たちを温かく見守ってくれていました。そのおかげで、分校はとても居心地がよく、いつ帰るか未定で来ていた私は入社式のぎりぎりまで滞在してしました。
19日には、M山さんの送別会を集落で行いました。そこでの集落の人からのM山さんへのコメントを聞いていて、M山さんが池谷にとってどれだけ大切な存在であったのかが、1か月しか住んでいなかった私にもよく分かりました。その会の中で、特に印象的だったのは、「お前は俺達の宝だ。」という集落の人からM山さんへの言葉でした。
これはとても深みがある言葉だと思います。誰かにとっての「宝」になるというのは、なろうと思ってなれるものではなく、日々の積み重ねが評価され、それが最大限に認められたときに初めて使われる言葉なのではないかと私は考えています。集落にこんなにも愛されているM山さんは、やはり集落にとって特別な存在だったのだと思います。
 
25日の出発の日には、いつものM山さんらしくぎりぎりまで出発の準備をしていました。分校にあった荷物を積み終わったころには、車はもうぱんぱんでした。この後に、送別としてもらった米一俵をどこにつんでいったのか、未だになぞのままです。
 集会所には集落の方々が集まっていて、そこでM山さん・S鶴さんとの挨拶をしました。集落の方々は笑顔で、一人ずつ握手をしながらM山さん・S鶴さんと言葉を交わしていました。そこでは誰も「さよなら」とは言わずに、まるでM山さんが明日には帰ってくるような雰囲気でした。さよならといわなかったのは、これがM山さんとの最後の別れではなく、これからもずっと池谷とつながっていて欲しいという想いがこめられていたのではないかと思いました。
 
M山さんは農業学校で教師をするため茨城へと戻っていっていきました。しかし、籾山さんが築いた道は新たに分校に来る若者へとこれからも引き継がれ、池谷はどんどんよくなっていくのだと思います。
 
M山さん、2年間ほんとうにありがとうございました。
 
 
イメージ 3
「集落の方々によるお見送り」
イメージ 2
「一人ひとりとの握手」
こんばんは。D正です。諸事情によりストップしていたブログをまたアップしていこうと思います。
読んでいただいた方がちょっとでも、ほんわかとした明るい気持ちになれるようなブログをアップしていきたいと思います。
 
新潟の名物と言えば!そう、「ナポリタン」!
池谷に来るまでまったくその存在を知りませんでした。せっかく新潟に来たのだからと、S鶴さんが買ってきてくれるというので、どきどきわくわくしながらその到着を楽しみにしていました。
このなぞの「ナポリタン」についての前情報ですが、新潟の若い人にとっては、都民のマックのようなものらしく、「今日、ナポリタン食べに行こっか?」という女子高生が多いらしいです。
また、「ナポリタン」とは、麺の上にミートソースがかかっている食べ物だそうです。それはずばり「ミートソーススパゲティのことではないのか!?」と一人突っ込みながら、到着を待っていました。
 
そして、待ちに待ったナポリタンがついに分校に届きました。ふたを開けてみてビックリ!どうみても、普通のスパゲティに見えます。で、いざ実食。。。もぐもぐ。。。麺はパスタではなく、焼きそばのようです。ミートソースはいたって普通。何口食べても、私には「麺が延びきってしまったミートソーススパゲティ」にしか思えませんでした。なので、味の感想はここでは控えさせていただきます。(一緒に食べたS下さんはどこに売ってるか何度も聞くほど気に入ったようでしたが。)
ちなみに買ってきてくれたS鶴さんは大好きなようです!!が、ダンナさんはあまり好みではないようでした。
 
みなんさんも、新潟に行った際にはぜひご賞味くださいませ。
(写真は次回のにのっけておきます。)

分校の郵便事情

イメージ 1

イメージ 2

「分校の郵便」

 こんばんは。分校に1か月くらい住んでいるD正です。

ここ分校にはよく郵便が届きます。分校の入口までは車で来れないため、坂の下から分校までいつもとどけて頂いています。今日もはあはあと息を切らしながら届けて頂きました。こんな山の上のほうまで届けていただいて、ほんといつも感謝してます。

 池谷は世帯数がとても少ないため、おおざっぱな宛先しか書いていない手紙もよく届きます。郵便番号も書かずに、十日町市池谷分校とだけ書いてある手紙がよく見られます。それが山傘をかぶったお父さんに届けられているのを見ると、なんかのほほんとした優しい気持ちになれます。

 なんでみんな大体の住所で送ってくるのかなあと考えてみると、そのほとんどは新聞の記事やテレビを見て手紙を送ってくれている方々でした。新聞やテレビでは、「新潟県の十日町市にある池谷分校では・・・」と取り上げてもらっているので、このような住所で送られているのだと分かりました。新聞やテレビなどのメディアの力はこんなにも強いのかと、改めて実感しました。今日もテレビ局の方が取材に来ていただいているので、どんどん池谷のことが広められるので、とても感謝しています。


「千年の湯」
 分校ではたまに「千年の湯」という温泉に行っています。大きなお風呂があり、夜間は400円で入れ、泉質もいいといううわさのいい温泉です。その温泉の中で、私が特に好きなのは、露天風呂です。それも雪が降っている日!。雪が降っている日は、露天風呂には傘が置いてあり、それをさしながら入ります。雪がしんしんと降る中、あったか〜い温泉につかっているのは、風流があり、とても癒されます。今日はお風呂に入ってリフレッシュできたので、明日もまたがんばっていきます!!



行動記録

7:00 朝ごはん
8:00 牛の朝ごはん
9:00 車を雪の中から掘り出す
10:00 プリン、オレンジピール、お昼ごはん作り
13:00 お昼ごはん
15:00 集落のお母さんがお話に来る
16:00 お昼寝
18:00 買い出し、温泉
23:00 分校でミーティング,テレビの取材 をしていたので、少し聞く

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

「お米の精米」

 今日は朝からお米の精米をしてきました。全部で300キロほどのお米の精米をし、段ボールにつめ、全国のお米を買って下さったみなさまへ発送しました。

大きな機械でお米をピカピカにし、袋詰めしていきました。宛先をみると、日本中の住所が書いてあり、池谷のお米を日本全国の人たちが買ってくれているんだなあと感じました。それと同時に、それだけの人が買うほど、おいしいお米なのだなあと感じました。
 こっちに来て毎日このお米を食べているのですが、おいしくてついついおかわりをしてしまいます。そのせいで、ちょっとずつ太っても来ましたが。。。ま、今は体重が足りてないので、もうしばらくは食べ過ぎを続けようかなっと思ってます。池谷のお米である山清水米は、ボランティアなどで遊びに来てくれる方も、みんなおかわりするとってもとってもおいしいお米なので、ぜひみなさんも試してみてください。

「カメラが回る中での生活」

 ここ池谷には、新しく移住することになったS下さんの取材のために、おっきなビデオカメラをかついでいる取材のかた(今日は2社)がいらっしゃいます。私はS下さんと共同で生活しており、ごはんを食べるところも、作るところも、道を歩いているところもいつも撮影されています。


 はじめのうちはなんかずっと監視されているようで、一個の動きごとにカメラを意識していました。だから、カメラをちらちら見ている変な人のように映っていると思います。。。
 でも、やはり毎日やっていれば慣れるもので、最近は意識せずにちょっと普段通りに生活できるようになってきました。私をメインで取材しているわけではないのに、ついついカメラを意識してしまう日々を送っています。
 なので生活が少しぎこちなくなってます。でも、めったにお話する機会がないテレビ関連のかたと毎日お話ができるのが、とても楽しいです!テレビは、こんな地道な取材を通してできているのだなあと日々関心しています。

<5日の結婚式の様子は、今日のテレビ新潟、新潟日報(新聞)に載りました>


今日の行動記録

7:00 朝ごはん
8:00 お米の精米
13:00 集落の人の家で、お昼をごちそうしてもらう。16:00までそこでおしゃべり。
16:30 牛の夕食
17:00 夕食づくり
18:00 夕食
18:30 おとなりさんのお風呂をかりに行く
19:00 あわせおけさ(伝統舞踊)の保存会の集まり
20:00 ラジオ局が取材に来る

全16ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事