池月映のブログ

合気の発見者 武田惣角 消えた真実の研究

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忍者と合気

 合気の由来・意味。江戸時代までの文献には見当たらず、明治になって修験道の気合術、忍術気合術の著書に確認される。これは国会図書館が明治・大正の著書が古くなり、写真をデジタル化して、ネットで一冊が読めるというサービスが始まったからです。

 口伝の大東流史実は、古事記の手乞い、相撲節会、新羅三郎源義光が合気創始などは創作された仮託(歴史上の有名人)という、戦前までよくあった事例です。

 合気は世界に誇る日本の武術文化です。史実も武田惣角の人物事典も修正すれば良いのですが、修正することが目先の自分の利益に反するのでしょう。修正しなければ今後の発展はないと知りながらも、じくじたる思いがあるのでしょう。

 修験道の忍者が外国人に人気、三重大学で研究している。忍者の必修科目に「気合術」があり、合気は読心術と気合から会得できるとあり、注目されると思います。
 

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 福島県内では「戊辰戦争150年」として、人物の見直しがされている。西郷頼母は藩主の意向に逆らった人物として、会津の郷土史家は研究されていない。上級武士の家訓・忠・義、逆賊ではないという保守的な考えの方の意見が多い。今回の西郷頼母は県外の伊藤哲也氏が幅広い資料を発掘して書いている。私と同じ会津史学会員で情報交換したこともあります。
 大東流と武田惣角に関しては、新たな真実が発表される可能性があるとして、まったく取り上げられませんでした。おそらく、私の作品を意識・評価されているのでしょう。
 私としては惣角一番弟子の佐川幸義伝「深淵の色は」(津本陽氏)で、武田惣角の新たな証言が出てくる可能性を期待して、夏以降に発表予定です。


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武田惣角の手裏剣流派

 武田惣角の手裏剣の流派はという質問がありました。隣の藩士御供番佐藤金右衛門から教えられたことは確かです。御供番は武芸十八般ですが、流派は秘密にされていたようで子孫の伝記にも記述はありません。
 金右衛門の剣術は神道精武流の可能性が高い。惣角に教えられた門人山本角義がいることから、教えられるのは金右衛門しかいない。
 手裏剣の名人は日新館師範黒河内伝五郎で、白井流手棒手裏剣とあります。金右衛門と伝五郎は親戚です。日新館と御供番の職場は道路向いの隣です。御供番は伝五郎から手裏剣を習っていたと思われます。
 ですから、惣角の手裏剣は白井流と思われます。

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武田惣角の紙芝居

 紙芝居「会津の小天狗」は一部修正中で、コストも低価なDVDを計画しております。今年中完成の予定でしたが、イラストの修正が遅れております。できるだけ早く完成させるよう努力いたしますので、しばらくお待ちください。

 2018年の抱負は、武田惣角の人物紹介は故郷会津坂下町で訂正されました。多くの人物事典も、会津藩御式内を教えた隣の会津藩士佐藤金右衛門、合気を教えた天才易者中川万之丞に訂正されるような活動を行います。

 最も関心があるのは、津本陽氏の佐川幸義伝「深淵の色は」です。ネットで4回目発表で最終は10回ぐらいかもしれませんが、武田惣角の新事実に注目しています。
 残された課題は「合気」「気合術(気合・合気)」が国語辞典に説明がない。広辞苑は1月12日に発売、おそらく掲載はないでしょう。合気道だけでは説明が不十分です。次の発売が10年後、それまで待てない。ほかの辞典に掲載されるよう活動します。イラストは娘子隊の中野竹子(会津坂下町で有名な人物)に剣術を教わる惣角。
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保科近悳の晩年の写真

 これまで、保科近悳(元会津藩家老西郷頼母)の写真は、座った写真しか紹介されませんでした。保科の立った写真は身長140センチ程度で、合気柔術、武術の達人ではありません。明治以降は宮司、学者として活躍しました。56歳の時、日光東照宮で外国人が撮ったものが、西郷四郎資料館にあります。テレビドラマで演じた俳優は、古い順から173、180、174、167センチです。そんなわけで、写真を出しづらくなったのかもしれません。
 晩年の武田惣角、佐川幸義宗範の体を鍛えた表情、顔つきの写真と較べて見れば一目でわかりますね。今後、間違った記述をしないよう紹介しました。
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