池月映のブログ

合気の発見者 武田惣角 消えた真実の研究

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これまで何度も書いてきましたが、これが最新版です。引用してもかまいませんが、池月映の名前を書いてください。



合気という言葉はどこから生まれたのか(研究)


経過


 一般の辞書には大東流、合気道の関節技・当て身技の記述がある。江戸時代までの文献に合気の文字は見当たらないといわれる。明治になって、会津生まれの武田惣角が合気の技を初めて公開した。会津藩御式内といわれるが、合気の文字や惣角以外に教えた人物は確認されていない。保科近悳の写真(140センチ)が公開され、武術の達人ではない。


最近になって、合気に関する気合術の文献が見られるようになった。早稲田大学卒の「近代武道・合気道の形成―合気の技術と思想」、順天堂大学の修士論文「近代合気道の技法からみた成立過程」もある。


日本国語大辞典


「相気」は競争すること(熊本県方言)。互いに気が合うこととある。


中国の禅密気功


意識における宇宙と一体を目指す「陰陽合気法」の修行がある。


剣術・柔術用語


 小野派一刀流の合気は、相手との構えが拮抗する(松風の事)。柔術の天神真楊流は敵の意図する状況(敵と一体一気)になり、いずれも避けるべき状態とされる。


 小野派一刀流笹宗宗家の話として、「相機から相気になり、合気は当て字」とされる。


明治以降の合気の文献


 近年、国立国会図書館が次の文献をインターネットに公開した。


『武道秘訣 合気之術』(無骨居士著・明治25年)は著者不明、合気は気合術と読心術で得られ、楠木正成、真田幸村、御子神典膳(小野派一刀流小野忠明)が使い手とある。


 楠木正成、真田幸村は忍者と関係が深く、著者は元忍者の可能性がある。


活殺自在 気合術』(熊代彦太郎著・明治44年)は、気合は有心気合、動的方向、顕熱で、合気は無心気合、静的方向、潜熱とされる。(最も信ぴょう性が高い)


『気合術独習法』(精神研究所・大正5年)は、気合術は肉体の力を主、精神力を従とする。


合気術は精神力を主、肉体の力を従とする。人を制する気合の上達から合気へ。


『即席活用 忍術気合術』(武揚軒健斎著・大正6年)は、合気の秘密奥義は読心術と掛け声の気合とされる。


気合術の達人


「浜口熊嶽」は修験者で、明治後期に九字を切り邪気を払い、エイ、エイ、パァパァの気合で、無痛の虫歯抜き、リュウマチの痛み抜き、歩けない人を歩かせた怪人といわれた。


「江間俊一」は衆議院議員を引退し、心身鍛錬法として、腹式呼吸や静座で気合術の霊術師になった。三段目の大錦に気合を掛け続け、座骨神経痛を治して横綱まで出世させた。


その他、出口王仁三郎が合気の言葉を植芝盛平に教えたとされるが、出口は修験道の知識もある。忍者の信仰は修験道の役行者とされる。


武田惣角の合気


「大東流合気武道会報」(昭和34年4月1日)、「武田時宗遺稿集」(月刊秘伝)に、気合法・合気法がセットで述べられている。気合はわが気合によって相手が呑まれてしまう。合気は何の恐れもなく、邪念や構えもなく、攻守変化自在の妙法を発することができる。


武田惣角は真言密教・修験道・易学・医療技術を易師万之丞から学び、九字護身法の呪術・気合術・不動金縛り術・足止め術を会得して合気術を創始した。


文献や人物で共通するのは、修験道の気合術である。修験道は口伝の掟があり、明治5年修験廃止になったことで、文献が世に出るようになった。佐川幸義は大正のはじめに、惣角が合気の言葉を使ったと語っており、合気は気合術から引用した言葉である。


武田時宗遺稿集を全面公開すれば、日本山岳修験学会に認められ、惣角翁の学術的評価も得られる可能性が高い。


2016.3.22                     

                       武道史研究 池月映



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そうイメージ 1

 武田惣角と同じ会津坂下町の郷土史家が自費出版しました。保科近悳の葬式で親戚代表を務めた佐瀬熊鉄(保科の妹の次男)が、保科の遺品分けとして保管していたものです。保科は妹や甥たちとの交流があり、ひとり寂しく過ごした説は誤りだった。
 養子にした西郷四郎は実子ではないと、甥に出した手紙があります。大東流を武田惣角に教えた説も誤りでした。武田惣角に関する資料はありませんから、頼まれて大東流の名前と史実を作ってあげたのでしょう。大河ドラマの時、ヒストリアの特集で140センチの立った写真もなく、あれはなんだったのかということになります。
 歴史は何が真実かわからないという事例でしょう。

追記、NHK歴史秘話ヒストリアに情報提供した結果、すぐに返答がきました。以前の大邸宅に比べ、狭い長屋暮らしで寂しい暮らしだったと説明がありました。
 私も著者も、交流支援がなく寂しい生活をしたと受け止め、間違いではないかという主張とはニュアンスが異なるものの、情報提供には感謝されました。
日光東照宮で松平容保と保科が和解したことを放送すれば、大河ドラマも盛り上がったのに、惜しかったというのが私の感想です。
 

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 大東流琢磨会の「合気之術」が掲載されている「武道」(日本武道館)を見ていると、合気道は世界百三十カ国に普及し、一年間に10カ国拡大している。

 ヤフー知恵袋を参考にすると、外国人からみると侍スピリット、五輪書、ラストサムライをイメージさせる。柔道は有名だが、合気道は試合がなくとも格闘技的で実践に使える。
 野球、フットボールのハーフタイムで実演され不思議な技のイメージがある。
 勝敗のスポーツ、格闘技とは正反対に位置して、クールジャパンに見えるそうだ。愛とか和という哲学的なことには関心はない。(キリスト教も同じ意味がある)

 日本人は外国生まれの勝敗のスポーツ(プロスポーツ、オリンピック)に関心が深く、日本の武術文化には関心が低い。合気道は指導者として生活できる指導体系がすぐれているのでしょう。大東流発祥の地の福島県では指導者が育っていない。情報公開、公開演武、指導者カリキュラムの充実が必要なのかもしれない。

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忍者と気合術

 大河ドラマ「真田丸」を見ていると、懐かしい忍者猿飛佐助が出てきた。BS番組には忍者の信仰は修験道の役行者とある。役行者は呪術の気合術と金縛り術を使った。修験者は密教とも関係が深い。明治後期、修験者と忍者の子孫が、気合術を使って医療行為を行い、マスコミにも取り上げられた。
 合気という言葉は、明治になって「活殺自在気合術」(熊代彦太郎)で、気合(有心気合)と合気(無心気合)の説明がなされた。しかし、合気は修験道の言葉とは断定していない。修験道は口伝の掟があり、江戸時代までの文献にはなかったのだろう。

 早稲田大学の「近代武道と合気道の形成」の目次では、おそらく私のような説明はしていないと思われる。引用した「武道秘訣合気之術」(武骨居士)は作者がペンネームで、楠正成、小野派一刀流開祖などの記述があるものの、小野派一刀流の相機・相気・合気(当て字)の解説がない。合気が柔術・柔道の文献に出てくるのは大正になってからで、「活殺自在気合術」を引用したものと思われる。
 学者は文献中心主義が多く、修験道と書いていないので触れないのでしょう。

 武田惣角が学んだ易師万之丞は、修験道(気合術)・真言密教・易学・医療技術を会得した天才です。合気の語源(本来の意味)は、修験道の気合術だと改めて感じました。

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 昨年12月発刊、早稲田大学出版部(5200円)、著者の工藤龍太氏はまだ20代、早稲田大学で合気を学術的に研究した。目次を見ると、合気の意味に関しては「武道秘訣合気之術」、大東流なども記述がある。
 私の研究は「大東流合気武道会報」「活殺自在気合術」、琢磨会の「合気之術」、宗家の「大東流合気武道百十八カ条」などを参考にしている。
 目次を見ただけなので、合気道の記述が多い。元になった大東流、合気の意味をどこまで調査したのかわかりませんが、最新の情報ではないような気もする。
 いずれ、著書を見る機会があればコメントしたい。
  これまで、東京大学教授の鎌田茂雄氏の「禅と合気道」の著書があった。大東流は佐川幸義の証言「透明な力」を書いた大学教授木村達雄氏もおられた。
 武田惣角は多くの資料を残してきた。秘密主義のため、宗家の著書もなく、惣角翁の遺言も全面公開ではない。これまで少しずつ公開されてきたが、私の調査結果(武田惣角の合気創始説)に沿ったものが多い。全面公開すれば、学術的に評価され、故郷に顕彰碑は建つはずである。

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