池月映のブログ

合気の発見者 武田惣角 消えた真実の研究

全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索
 第2回目の随想です。どうして易者が教えたのか。怪我の後遺症に苦しむ武田惣角が、医者でも治せない病を治す近村の易者万之丞に治療してもらった。霊感が強い才能を見抜いた万之丞は、消えてしまう秘術を惣角に教えた。惣角の後継者時宗の幼名は惣三郎ですが、易者の名前も惣三郎で同じです。

 合気の意味は、大東流では宗家の専権事項のため研究していない。合気会のウィキペデアをみると、『合気之術』(無骨居士・明治25年)から引用して、読心術と気合術とした。間違ってはいないのですが、著者の正体が不明。楠木正成・真田幸村・小野忠明が使い手とあり、信ぴょう性は低いと思われる。
 早稲田大学、順天堂大学の論文も『合気之術』と同じです。

 ところが、近年国会図書館が明治以降の文献を公開し、『活殺自在気合術』(明治44年)『気合術独習法』『忍術気合術』に、合気術がある。
 忍者は修験道の気合術を使う。万之丞は修験道の大家ですから、気合術、金縛り術も使う。
 文献で、最も信ぴょう性が高いのは『活殺自在気合術』(気合は、動的有心気合。合気は、静的無心気合)です。これは、大東流合気武道会報2号(昭和34・4.1)と同様の内容です。ネットで全文が読めて、コピーもできます。
イメージ 1
 

この記事に

開く コメント(0)

イメージ 1

 本日から、福島民友新聞の「みんゆう随想」に掲載されました。毎週火、木、土の3回、15人が輪番制で書くので、5週間に1回、1年で10回程度になります。

 歴史小説「合気の武田惣角」は4作目の作品、武田惣角を中心に、登場人物、取材による新事実、具体的な証拠、エピソードなどを書きます。
 次回は5月28日(土)です
 なお、著書は初版完売で、再販になったらお知らせいたします。

この記事に

開く コメント(0)

佐川幸義宗範の顕彰碑

 佐川幸義宗範没後18年、門人の佐門会、作家津本陽氏の尽力で、東京高輪の高野山・東京別院(監主鈴木英全大僧正)に、立派な顕彰碑が建ちました。
本日発売の「月刊秘伝」に詳しく書いてあります。師範木村達雄氏「透明な力」、作家津本陽氏「孤塁の名人」で知られております。
 一般の知名度は低いが、火葬場の職員が佐川宗範の骨を見て、とてつもない偉人だと言った。95歳まで鍛えた体は火葬されても、骨の形は変わらなかったのだろう。武道家は死んだ時に骨を残す。まさに本物の武術家であった。

 津本先生の小説で、北海道の白滝村に武田惣角門人植芝盛平(合気道開祖)、武田惣角の顕彰碑が建っています。

 大東流発祥、武田惣角の故郷には顕彰碑が建っておりません。宗家を名乗る子孫の方が3名いても著書は書かない。史実の信ぴょう性が低い。昨年、宗家大東流の著書が発表された。史実は宗家の専権事項とされ、戸籍と不一致(先祖・身分・実母・妻)で実際の調査をしていない、故郷への情報提供、演武もない、指導者が育たないとすれば、地元の協力は得られない。惣角翁は偉大な人物と認められても、顕彰碑が建つことは難しい。

 ことわざに三代目がある。初代が偉大な業績を残し、二代目は初代の業績を守ろうとして努力する。3代目は何も努力をすることなく、先祖の財産を食いつぶす。
 大東流はまさに3代目の状況と似ている。佐川道場は賢明な努力をしている好例でしょう。他の流派は指導者交代の時期で、口伝の史実を主張するだけで生き残れるだろうか。もはや、口伝や秘密主義の時代ではない。賢明な指導者が現れることを期待したい。

イメージ 1

この記事に

開く コメント(0)

 武田惣角のノンフィクションは、福島県内であまり理解されなかった。大東流発祥といわれ、有名作家三名が書いても、映像化されなかったことが理由かもしれません。合気とは何かすらわからない。なんとかわかってもらいたいと、小説「合気の武田惣角」を書いて専門家の理解は得られたと思います。

 本日の福島民友新聞に、「みんゆう随想」の執筆15名が発表されました。週3回ですから、五週間に一回、一年間で一人10回くらい書くそうです。私が指名をいただいて書きます。
 一般の方に難しい理論をいってもしかたがない。男女双子、視覚障がい者の純真な兄妹愛は紹介したい。これは私が発見した事実で、ほかにも生家に同居した藩士御供番、易師万之丞、夫婦愛があります。
 これまでの史実が見直された保科近悳、西郷四郎も書きたい。
 最初の予定は、4月21日(木)の予定です。ブログにも紹介します。

この記事に

開く コメント(0)

これまで何度も書いてきましたが、これが最新版です。引用してもかまいませんが、池月映の名前を書いてください。



合気という言葉はどこから生まれたのか(研究)


経過


 一般の辞書には大東流、合気道の関節技・当て身技の記述がある。江戸時代までの文献に合気の文字は見当たらないといわれる。明治になって、会津生まれの武田惣角が合気の技を初めて公開した。会津藩御式内といわれるが、合気の文字や惣角以外に教えた人物は確認されていない。保科近悳の写真(140センチ)が公開され、武術の達人ではない。


最近になって、合気に関する気合術の文献が見られるようになった。早稲田大学卒の「近代武道・合気道の形成―合気の技術と思想」、順天堂大学の修士論文「近代合気道の技法からみた成立過程」もある。


日本国語大辞典


「相気」は競争すること(熊本県方言)。互いに気が合うこととある。


中国の禅密気功


意識における宇宙と一体を目指す「陰陽合気法」の修行がある。


剣術・柔術用語


 小野派一刀流の合気は、相手との構えが拮抗する(松風の事)。柔術の天神真楊流は敵の意図する状況(敵と一体一気)になり、いずれも避けるべき状態とされる。


 小野派一刀流笹宗宗家の話として、「相機から相気になり、合気は当て字」とされる。


明治以降の合気の文献


 近年、国立国会図書館が次の文献をインターネットに公開した。


『武道秘訣 合気之術』(無骨居士著・明治25年)は著者不明、合気は気合術と読心術で得られ、楠木正成、真田幸村、御子神典膳(小野派一刀流小野忠明)が使い手とある。


 楠木正成、真田幸村は忍者と関係が深く、著者は元忍者の可能性がある。


活殺自在 気合術』(熊代彦太郎著・明治44年)は、気合は有心気合、動的方向、顕熱で、合気は無心気合、静的方向、潜熱とされる。(最も信ぴょう性が高い)


『気合術独習法』(精神研究所・大正5年)は、気合術は肉体の力を主、精神力を従とする。


合気術は精神力を主、肉体の力を従とする。人を制する気合の上達から合気へ。


『即席活用 忍術気合術』(武揚軒健斎著・大正6年)は、合気の秘密奥義は読心術と掛け声の気合とされる。


気合術の達人


「浜口熊嶽」は修験者で、明治後期に九字を切り邪気を払い、エイ、エイ、パァパァの気合で、無痛の虫歯抜き、リュウマチの痛み抜き、歩けない人を歩かせた怪人といわれた。


「江間俊一」は衆議院議員を引退し、心身鍛錬法として、腹式呼吸や静座で気合術の霊術師になった。三段目の大錦に気合を掛け続け、座骨神経痛を治して横綱まで出世させた。


その他、出口王仁三郎が合気の言葉を植芝盛平に教えたとされるが、出口は修験道の知識もある。忍者の信仰は修験道の役行者とされる。


武田惣角の合気


「大東流合気武道会報」(昭和34年4月1日)、「武田時宗遺稿集」(月刊秘伝)に、気合法・合気法がセットで述べられている。気合はわが気合によって相手が呑まれてしまう。合気は何の恐れもなく、邪念や構えもなく、攻守変化自在の妙法を発することができる。


武田惣角は真言密教・修験道・易学・医療技術を易師万之丞から学び、九字護身法の呪術・気合術・不動金縛り術・足止め術を会得して合気術を創始した。


文献や人物で共通するのは、修験道の気合術である。修験道は口伝の掟があり、明治5年修験廃止になったことで、文献が世に出るようになった。佐川幸義は大正のはじめに、惣角が合気の言葉を使ったと語っており、合気は気合術から引用した言葉である。


武田時宗遺稿集を全面公開すれば、日本山岳修験学会に認められ、惣角翁の学術的評価も得られる可能性が高い。


2016.3.22                     

                       武道史研究 池月映



この記事に

開く コメント(0)


.


みんなの更新記事