池月映のブログ

合気の発見者 武田惣角 消えた真実の研究

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 武田惣角と同じ会津坂下町の郷土史家が自費出版しました。保科近悳の葬式で親戚代表を務めた佐瀬熊鉄(保科の妹の次男)が、保科の遺品分けとして保管していたものです。保科は妹や甥たちとの交流があり、ひとり寂しく過ごした説は誤りだった。
 養子にした西郷四郎は実子ではないと、甥に出した手紙があります。大東流を武田惣角に教えた説も誤りでした。武田惣角に関する資料はありませんから、頼まれて大東流の名前と史実を作ってあげたのでしょう。大河ドラマの時、ヒストリアの特集で140センチの立った写真もなく、あれはなんだったのかということになります。
 歴史は何が真実かわからないという事例でしょう。

追記、NHK歴史秘話ヒストリアに情報提供した結果、すぐに返答がきました。以前の大邸宅に比べ、狭い長屋暮らしで寂しい暮らしだったと説明がありました。
 私も著者も、交流支援がなく寂しい生活をしたと受け止め、間違いではないかという主張とはニュアンスが異なるものの、情報提供には感謝されました。
日光東照宮で松平容保と保科が和解したことを放送すれば、大河ドラマも盛り上がったのに、惜しかったというのが私の感想です。
 

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 大東流琢磨会の「合気之術」が掲載されている「武道」(日本武道館)を見ていると、合気道は世界百三十カ国に普及し、一年間に10カ国拡大している。

 ヤフー知恵袋を参考にすると、外国人からみると侍スピリット、五輪書、ラストサムライをイメージさせる。柔道は有名だが、合気道は試合がなくとも格闘技的で実践に使える。
 野球、フットボールのハーフタイムで実演され不思議な技のイメージがある。
 勝敗のスポーツ、格闘技とは正反対に位置して、クールジャパンに見えるそうだ。愛とか和という哲学的なことには関心はない。(キリスト教も同じ意味がある)

 日本人は外国生まれの勝敗のスポーツ(プロスポーツ、オリンピック)に関心が深く、日本の武術文化には関心が低い。合気道は指導者として生活できる指導体系がすぐれているのでしょう。大東流発祥の地の福島県では指導者が育っていない。情報公開、公開演武、指導者カリキュラムの充実が必要なのかもしれない。

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忍者と気合術

 大河ドラマ「真田丸」を見ていると、懐かしい忍者猿飛佐助が出てきた。BS番組には忍者の信仰は修験道の役行者とある。役行者は呪術の気合術と金縛り術を使った。修験者は密教とも関係が深い。明治後期、修験者と忍者の子孫が、気合術を使って医療行為を行い、マスコミにも取り上げられた。
 合気という言葉は、明治になって「活殺自在気合術」(熊代彦太郎)で、気合(有心気合)と合気(無心気合)の説明がなされた。しかし、合気は修験道の言葉とは断定していない。修験道は口伝の掟があり、江戸時代までの文献にはなかったのだろう。

 早稲田大学の「近代武道と合気道の形成」の目次では、おそらく私のような説明はしていないと思われる。引用した「武道秘訣合気之術」(武骨居士)は作者がペンネームで、楠正成、小野派一刀流開祖などの記述があるものの、小野派一刀流の相機・相気・合気(当て字)の解説がない。合気が柔術・柔道の文献に出てくるのは大正になってからで、「活殺自在気合術」を引用したものと思われる。
 学者は文献中心主義が多く、修験道と書いていないので触れないのでしょう。

 武田惣角が学んだ易師万之丞は、修験道(気合術)・真言密教・易学・医療技術を会得した天才です。合気の語源(本来の意味)は、修験道の気合術だと改めて感じました。

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 昨年12月発刊、早稲田大学出版部(5200円)、著者の工藤龍太氏はまだ20代、早稲田大学で合気を学術的に研究した。目次を見ると、合気の意味に関しては「武道秘訣合気之術」、大東流なども記述がある。
 私の研究は「大東流合気武道会報」「活殺自在気合術」、琢磨会の「合気之術」、宗家の「大東流合気武道百十八カ条」などを参考にしている。
 目次を見ただけなので、合気道の記述が多い。元になった大東流、合気の意味をどこまで調査したのかわかりませんが、最新の情報ではないような気もする。
 いずれ、著書を見る機会があればコメントしたい。
  これまで、東京大学教授の鎌田茂雄氏の「禅と合気道」の著書があった。大東流は佐川幸義の証言「透明な力」を書いた大学教授木村達雄氏もおられた。
 武田惣角は多くの資料を残してきた。秘密主義のため、宗家の著書もなく、惣角翁の遺言も全面公開ではない。これまで少しずつ公開されてきたが、私の調査結果(武田惣角の合気創始説)に沿ったものが多い。全面公開すれば、学術的に評価され、故郷に顕彰碑は建つはずである。

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雑誌「大武道」

 書店で、新刊雑誌「大武道」(東邦出版社)を見た。武道の達人の対談の中で、山田英司氏は武田惣角を取り上げている。会津藩に伝わったという伝承は証拠がなく、否定している。しかし、武田惣角は多くの武道家と対戦し、技を残しているとありました。
 戦前は美化された仮託の史実があったものの、現代は情報化社会で歴史の証明は可能である。本音で武道を語る雑誌の姿勢は、評価できると思います。

  ユーチューブの大東流映像には甲斐武田の史実、達人の映像が公開されている。最初に武田時宗氏が書いた大東流由来があり、会津に来て西光寺観世菩薩縁起に記録があるとされる武田国次(国継)は、他家の先祖で位牌と墓碑もあります。  国会図書館の調査では甲斐武田家の文献に該当者はないと、ネットにあります。

  惣角生家の先祖は、男子跡継ぎがなく村内武田家から養子をもらって、武田性を名乗ったという説がありました。幕末は竹田姓、農民なので戊辰戦争で父は武田性をなのれなかった。小野派一刀流の額は竹田宗角で、明治5年の新戸籍から村内の竹田姓4戸は武田性になったと思われます。生家には過去帳や位牌などの証拠は残されておりません。

 小説が有名になって、北海道白滝村に惣角の顕彰碑が建ち、翌年故郷の西光寺に観世菩薩縁起の記念碑が建ちました。大東流坂下支部が建てたもので、武田国次の名前があっても、大東流と武田惣角の名前はありません。現在では字が読みにくくなっており、故郷には武田惣角の顕彰碑が建たなかった。観世菩薩縁起は消息不明ですから、ユーチューブの写真はおそらくコピーで、故郷に提供されれば喜ばれ、関係者の悲願である惣角顕彰碑も建つかもしれませんね。
 

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