池月映のブログ

合気の発見者 武田惣角 消えた真実の研究

日記

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全52ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

 津本陽氏が「鬼の冠」を発表した実業之日本社から小説を発表した。「弧塁の名人」「武道夜話」もあり、新たな証拠などをもとに書き始めました。WEB小説で第一回は30ページで、つづくとある。最初に武田惣角が保科近悳に教えられた内容もありますが、佐川は否定しており、今後の内容が注目される。出版社のネットから無料で見れますのでご案内します。
 同じ人物を何度も書かれるのは私も同じです。佐川は易の本を500冊近く持っていて誰にも話さなかった。私の易者万之丞説につながるのかと驚きました。

この記事に

開く コメント(0)

 ホームページの会津坂下町郷土学習副読本について、武田惣角の内容が訂正されました。これまで口伝の史実でしたが、近年の研究で多くの新事実が判明しました。
 大東流合気道?中興の祖、保科近悳に秘術を教えられたとありますが、前人未踏の合気創始者の高い評価になりました。

(訂正後全文)
 惣角は、会津の宮相撲大関(しこ名白糸)だった武田惣吉の次男として町内の御池(現在の御池田)に生まれました。
 目が見えない妹を守り世話をするやさしい兄でしたが、間違っていることには、たとえ相手が大人でも「間違っている」という正義感の強い子どもでした。
 10才のころから藩士佐藤金右衛門に剣術や護身術(柔術)を習いはじめ、20代で易者中川万之丞から修験道の医療技術、易学、気合術、真言密教などを修行しました。
 その結果、気の力を利用した独自の技をたくさん身につけ、惣角はこれを「合気」と呼びました。
 やがて、「大東流合気柔術」を創始してたくさんの人々に教え、日本の近代武術に大きな影響を与えましした。

 これまで発表された作品、人物紹介は見直しになる部分もありますが、指導いただいた有名作家からは、謎を解明したことの賛同を得られております。
 私に抗議をされた方々も、ご理解いただけるものと思います。

この記事に

開く コメント(0)

会津坂下町で講演

7月20日、会津坂下町公民館主催のばんげ大学・文化財講座で、合気の創始者武田惣角、紙芝居「会津の小天狗」の講演をいたしました。作家として、私が最初でしょう。
人物紹介のある会津坂下町郷土学習副読本の内容も、私の調査結果に変更される予定です。多くの人物事典も修正されることを期待します。紙芝居のイラスト修正は、一部再修正が必要でもう少しお待ちください。障がい者団体からはDVDにしてほしいという要望もあり、今後の検討課題です。
イメージ 1

この記事に

開く コメント(2)

 小説の主人公は芦名盛氏の家臣団ナンバー1の金上盛備(かながみもりはる)で、芦名が伊達政宗に滅ぼされる。居住跡がある金上村は、武田惣角の生家御池田村の南隣です。作者は県内居住の佐藤厳太郎(55)で、会津の方ではない。会津は小説になる人物はたくさんいるのに、小説家は生まれない。古文書研究の高齢者がいても、若い人は小説、漫画に関心があるようです。
 大東流史実では甲斐から来た武田国次(国継)が地頭として、芦名盛氏に仕えたとある。しかし、武田国次(国継)の名前は芦名家臣団名簿になく、今回の小説にも出てきません。ここに登場していれば大東流の名誉回復になったのかもしれません。
 現在、会津坂下町で7月20日(木)、「資料と写真が語る武田惣角」の講演予定があります。
 

この記事に

開く コメント(0)

菜の花と武田惣角

 武田惣角が生まれた御池田村の特産物は、菜種油の菜の花です。現在はほとんど栽培されていませんが、近くの阿賀川の土手、河川敷に自生しています。おそらく、種が飛んできて何十年も花を咲かせています。青木村の渡し舟があったところから、若松方面の土手を走ってみました。何キロも見事な菜の花です。惣角翁は妹、妻と花街道を歩いたのでしょう。
 紙芝居は、学生さんの希望で見直し作業もあり、6月末完成の予定、もう少しお待ち下さい。7月の会津坂下町での講演会には間に合いそうです。
イメージ 1

この記事に

開く コメント(0)

全52ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


.


みんなの更新記事