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遠く慶ぶ「宿縁」とは

「たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ」と教行信証の始めに言われている「宿縁」とは

遠い過去世からの阿弥陀仏のお導き。

弥陀のお導きがなければ、誰一人、選択の願海に出ることはできない。

どういう弥陀のお導きがあったのか。



信心決定して知らされる、弥陀の御恩を

親鸞聖人は「三願転入の御文」で明らかにしておられる。

すべての人が、遍照の光明に照らされて、導かれる久遠劫からのお手回しを

「久しく万行諸善の仮門」と言われている。


「おほよそ過去久遠に、三恒河沙の諸仏の世に出でたまひしみもとにして、

自力の菩提心をおこしき。恒沙の善根を修せしによりて、

いま願力にまうあふことを得たり。」(唯信鈔文意)

「自力の菩提心」「恒沙の善根」と言っても、

阿弥陀仏のお力によって起こされた心、

させられた行、それ以外には何も無い。

宿縁の無い人には「阿弥陀仏の浄土に生まれたい」という心が起こらないから

「弥陀の浄土に生まれるにはどうすればよいか」という思いも起こらない。

この「阿弥陀仏の浄土に生まれたい」という心の出ない人には

捨てるべき、自分の自力の心がわからないから、救われない。


すべての人を、この仮門から二十願を通して十八願の世界に導き入れるのが

阿弥陀仏の決められた選択の願海までの道筋だから十九願を要門と言われる。

要門を通らずに十八願の世界に出る事は誰もできない。

それが弥陀のお手回しであるからだ。


「遠く」「久しく」とは一生や二生ではない、

ましてや30年や50年ではない、無始からの永劫の過去世。

十九願、二十願、十八願の三願のお手回しがあったからこそ

今、無碍の一道に出ることができた、

すべては阿弥陀仏の一人働きであった、という祖師聖人のなまなましい告白である。






ここをもつて愚禿釈の鸞、論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化によりて、

久しく万行諸善の仮門を出でて、永く双樹林下の往生を離る。

善本徳本の真門に回入して、ひとへに難思往生の心を発しき。

しかるにいまことに方便の真門を出でて、選択の願海に転入せり。

すみやかに難思往生の心を離れて、難思議往生を遂げんと欲す。

果遂の誓、まことに由あるかな。(化土巻)


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