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五濁の時機いたりては 道俗ともにあらそひて
念仏信ずるひとをみて 疑謗破滅さかりなり
菩提をうまじきひとはみな 専修念仏にあだをなす
頓教毀滅のしるしには 生死の大海きはもなし(正像末和讃)
五濁増のときいたり 疑謗のともがらおおくして
道俗ともにあいきらい 修するをみてはあたをなす
本願毀滅のともがらは 生盲闡提となづけたり
大地微塵劫をへて ながく三塗にしずむなり (高僧和讃)
阿弥陀仏に救われていない人は、死んでも浄土へ往って仏のさとりをうることはできません。
だから「菩提をうまじきひと」と言われている。
自分が救われていないから、本願を信じて慶んでいる人をみて
疑ったり、謗ったり、破滅させようとしたりします。
本願を疑っている者は本願に救われた人を見て慶ぶことができない。
慶ぶことができるのは、信心決定した人だけ。
「有情の邪見熾盛にて 叢林棘刺のごとくなり 念仏の信者を疑謗して 破壊瞋毒さかりなり」
とも仰る。
未信が「私はまじめに親鸞聖人の御教えを求めている」なんて邪見驕慢の親玉。
それに気付かないと仏法の入り口にも立てません。
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南無阿弥陀仏
2011/4/8(金) 午後 2:02 [ bjd*g4*0 ]