若不生者

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伝統と己証

親鸞聖人は、伝統的に「念仏往生の願」と言われていた阿弥陀仏の王本願である十八願を

「本願三心の願」「至心信楽の願」「往相信心の願」と言われて

死後の浄土往生を十一願に配当し、

「十八願は、『信心を与える』というお約束である」と仏意を明らかにされた。

これが親鸞聖人の御己証、教行信証の五願開示の真髄である。

伝統的解釈の真意を開き、表されたから一願該摂と五願開示は開合の関係であり

伝統と親鸞聖人の御己証には全く違いはない。

「親鸞、私無し」の常の仰せのとおり。














若不生者のちかひゆゑ (わがちかいをしんぜんもの、もしうまれずは、ほとけにならじと
            ちかいたまえるなり)

信楽まことにときいたり(ねがう。こんごうのしんじんなり。このたりきこんごうのしんじんさだまる
            とき、あみだ仏のおんこころにかなうとしるべし。)

一念慶喜するひとは(しんをえてのちよろこぶとなり。)

往生かならずさだまりぬ


「若不生者」等の左訓「もしうまれずば」というは、第十八の願一願にかぎる。

余の願は「若不爾者」「若不如是者」等とあり。

「生者」とは十八の一願のみなり。

「不生者」、これ極楽に生まれずばというにはあらず、

もし信心が生ぜずばと誓いたもうことなり、故に左訓も云々。

そのちかいゆえに信楽のときいたり一念慶喜のありさまとなるなり。(相伝義書浄土和讃分科)

阿弥陀仏が、極楽浄土へ往くことが決定したひとに与えてくださるものが

三つある。

弥陀の行と、弥陀の心と、弥陀のさとりである。

1. 阿弥陀仏の十七願には「私の行いを与える」と誓われている。

  救われた人が、ありがたさに称えずにおれないご恩報謝のお念仏である。

2. 阿弥陀仏の十八願には「私の心を与える」と誓われている。

  無明の闇を破り、信楽の一心に生まれさせる、と誓われている。

3. 阿弥陀仏の十一願には「私のさとりを与える」と誓われている。

 生きている現在は正定聚(仏に必ずなることに定まった位)にして

 肉体が死ねば極楽浄土へ往って、阿弥陀仏と同じ仏のさとりをひらかせてみせる

 という難思議往生が誓われている。

阿弥陀仏の仏心(十八願の信楽)を獲た人が正定聚の位(仏に必ずなることに定まった位)に

定まるのは十一願に誓われていることである。
 



往相の回向につきて、真実の行業あり、真実の信心あり、真実の証果あり。

 真実の行業といふは、諸仏称名の悲願(第17願)にあらはれたり。
称名の悲願、『大無量寿経』にのたまはく、「設我得仏 十方世界 無量諸仏
 不悉咨嗟 称我名者 不取正覚」

 真実信心といふは、念仏往生の悲願(第18願)にあらはれたり。信楽
の悲願、『大経』にのたまはく、「設我得仏 十方衆生 至心信楽 欲
生我国 乃至十念 若不生者 不取正覚 唯除五逆 誹謗正法」

 真実証果といふは、必至滅度の悲願(第11願)にあらはれたり。証果
の悲願、『大経』にのたまはく、「設我得仏 国中人天 不住定聚 必至滅度者 不取正覚」
 これらの本誓悲願を選択本願と申すなり。
 この必至滅度の大願をおこしたまひて、この真実信楽をえたらん人は、
すなはち正定聚の位に住せしめんと誓ひたまへり。 (如来二種回向文)

尊号真像銘文の本願文の解釈を一願該摂といいます。

この本願のやうは、『唯信抄』によくよくみえたり。
(この本願の解釈は唯信鈔にある一願該摂の解釈である)

とある通り。

十八願の御文がそれぞれ11、12、13、17、18願のそれぞれの願意を表している、

という解釈です。

五願開示とは、11、12、13、17、18願の意味を明らかにされた、ということです。

「十八願が18願の意を表している」とはどういうことでしょうか。

十八願と18願が同じものなら、意味のないことになってしまいます。

>18願の意を表している

この18願が親鸞聖人が教行信証信巻に明らかにされた「(純粋な)18願」の意味です。

「(純粋な)18願」は「信心を廻向する」という意味であり

「死んで浄土に生まれさせる」という意味はありません。

「尊号真像銘文」と「如来二種回向文」を読み比べればよくわかります。



「至心信楽」といふは、「至心」は真実と申すなり、真実と申すは如来の御ちかひの真実なるを
至心と申すなり。煩悩具足の衆生は、もとより真実の心なし、清浄の心なし、濁悪邪見の
ゆゑなり。「信楽」といふは、如来の本願真実にましますを、ふたごころなく
ふかく信じて疑はざれば、信楽と申すなり。この「至心信楽」は、すなはち
十方の衆生をしてわが真実なる誓願を信楽すべしとすすめたまへる御ちかひ
の至心信楽なり、凡夫自力のこころにはあらず。「欲生我国」といふは、他力
の至心信楽のこころをもつて、安楽浄土に生れんとおもへとなり。(18願意)

「乃至十念」と申すは、如来のちかひの名号をとなへんことをすすめたまふに、遍数の
定まりなきほどをあらはし、時節を定めざることを衆生にしらせんとおぼし
めして、乃至のみことを十念のみなにそへて誓ひたまへるなり。如来より御ち
かひをたまはりぬるには、尋常の時節をとりて臨終の称念をまつべからず、
ただ如来の至心信楽をふかくたのむべしとなり。(17願意)

この真実信心をえんとき、摂取不捨の心光に入りぬれば、正定聚の位に定まるとみえたり。
「若不生者不取正覚」といふは、「若不生者」はもし生れずはといふみことなり。
「不取正覚」は仏に成らじと誓ひたまへるみのりなり。このこころは、すなはち至心
信楽をえたるひと、わが浄土にもし生れずは、仏に成らじと誓ひたまへる御のりなり。
(11、12、13願意)
この本願のやうは、『唯信抄』によくよくみえたり。
(この本願の解釈は唯信鈔にある一願該摂の解釈である)

(尊号真像銘文)


 往相の回向につきて、真実の行業あり、真実の信心あり、真実の証果あり。

 真実の行業といふは、諸仏称名の悲願(第17願)にあらはれたり。
称名の悲願、『大無量寿経』にのたまはく、「設我得仏 十方世界 無量諸仏
 不悉咨嗟 称我名者 不取正覚」

 真実信心といふは、念仏往生の悲願(第18願)にあらはれたり。信楽
の悲願、『大経』にのたまはく、「設我得仏 十方衆生 至心信楽 欲
生我国 乃至十念 若不生者 不取正覚 唯除五逆 誹謗正法」

 真実証果といふは、必至滅度の悲願(第11願)にあらはれたり。証果
の悲願、『大経』にのたまはく、「設我得仏 国中人天 不住定聚 必至滅度者 不取正覚」
 これらの本誓悲願を選択本願と申すなり。
 この必至滅度の大願をおこしたまひて、この真実信楽をえたらん人は、
すなはち正定聚の位に住せしめんと誓ひたまへり。 (如来二種回向文)

「たとひわれ仏を得たらんに、

十方の衆生、至心に信楽してわが国に生れんと欲ひて、

乃至十念せん。

もし生れざれば、正覚を取らじと。

ただ五逆と誹謗正法を除く」(十八願)

これに五願の意があると開かれたのが教行信証の「五願開示」といいます。

行巻に十七願

信巻に十八願

証巻に十一願

真仏土巻に十二、十三願


>信巻に『十八願』→ここに明らかにされた十八願がある。

これが親鸞聖人の御己証。

往相の回向につきて、真実の行業あり、真実の信心あり、真実の証果あ
り。乃至。
真実信心といふは、念仏往生の悲願(第十八願)にあらはれたり。信楽
の悲願、『大経』にのたまはく、「設我得仏 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念
 若不生者(→この『生』には「浄土に生まれさせる」という意味がない)
 不取正覚 唯除五逆 誹謗正法」

>若不生者(→この『生』には「浄土に生まれさせる」という意味がない)

なぜなら「正定と滅度」は11願に誓われているから。
またこの11願を「難思議往生」と証巻に表されています。

以下文証。

 往相の回向につきて、真実の行業あり、真実の信心あり、真実の証果あ
り。
 真実の行業といふは、諸仏称名の悲願(第十七願)にあらはれたり。
称名の悲願、『大無量寿経』(上)にのたまはく、「設我得仏 十方世界 無
量諸仏 不悉咨嗟 称我名者 不取正覚」
 真実信心といふは、念仏往生の悲願(第十八願)にあらはれたり。信楽
の悲願、『大経』(上)にのたまはく、「設我得仏 十方衆生 至心信楽 欲
生我国 乃至十念 若不生者 不取正覚 唯除五逆 誹謗正法」
 真実証果といふは、必至滅度の悲願(第十一願)にあらはれたり。証果
の悲願、『大経』(上)にのたまはく、「設我得仏 国中人天 不住定聚 必
至滅度者 不取正覚」
 これらの本誓悲願を選択本願と申すなり。
 この必至滅度の大願をおこしたまひて、この真実信楽をえたらん人は、
すなはち正定聚の位に住せしめんと誓ひたまへり。 (如来二種回向文)

信心と正定

 次に信楽といふは、すなはちこれ如来の満足大悲円融無礙の信心海なり。乃至。

この心はすなはち如来の大悲心なるがゆゑに、かならず報土の正定の因となる。(信巻)

正定之因唯信心(正信偈)

十八願で「信心を与える」というお約束通りに名号をいただくと

「私の信心」になります。

「信心をいただく」というのは「お嫁さんをもらう」という言い方と同じ。

いただくのは南無阿弥陀仏の御名号です。

南無阿弥陀仏の御名号が正定の因ですから、いただいた信心が正定の因と言われています。

「光明・名の父母」に連れられて、無碍の一道を歩ませていただく正定聚になります。



まことに知んぬ、徳号の慈父ましまさずは能生の因闕けなん。

光明の悲母ましまさずは所生の縁乖きなん。能所の因縁和合すべしといへども、

信心の業識にあらずは光明土に到ることなし。真実信の業識、これすなはち内因とす。

光明・名の父母、これすなはち外縁とす。内外の因縁和合して報土の真身を得証す。(行巻)

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